黄泉の国に近づくと、なぜ「生きる」が見えてくる?|熊野が「よみがえりの聖地」になった理由【美の壺】

七里御浜 BLOG
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「よみがえりの聖地」。
熊野は、そう呼ばれることがあります。でも――。いったい、何が「よみがえる」のでしょうか? もちろん亡くなった人が、生き返るわけではありません。それなのに熊野には、どこか「あちら側」を思わせる物語がいくつも残っています。

火の神を産んで命を落としたイザナミが葬られたと伝わる、巨大な岩。海の彼方にあるという、永遠に変わらない世界「常世」。深い森の中を歩き、俗世から少しずつ遠ざかっていく熊野古道。そして、絶え間なく水が流れ落ちる那智の滝。

昔の人は、そんな熊野の自然の中に、私たちが暮らす「こちら側」とは違う世界を感じていたのかもしれません。だからこそ人々は、険しい山道を越えて熊野を目指しました。中世には上皇たちも繰り返し熊野へ向かい、その後は身分を問わず多くの人々がこの道を歩くようになります。

でも、ここで一つ不思議に思います。なぜ人は、わざわざ「あちら側」に近づこうとしたのでしょう。私たちは普段、死をできるだけ遠いところへ置いて暮らしています。けれど、あの世とこの世の境界を意識する場所に立つと、不思議なことに、もう会えない誰かの顔が浮かんでくることがあります。

家族かもしれない。昔の友人かもしれない。お世話になった人かもしれない。そして、「あの人は、もうこちら側にはいない」と気づいたとき、その反対側にいる自分の姿も見えてきます。

「では、まだこちら側にいる私は、どう生きるのだろう。」

NHK『美の壺』が今回訪ねるのは、「よみがえりの聖地」と呼ばれてきた熊野。巨岩、古道、海、滝。熊野に残る美しい風景をたどっていくと、そこには単なる観光地としての美しさだけではなく、長い時間をかけて人々が見つめてきた「死」と「生」が重なっているように思えます。

もしかすると「よみがえり」とは、死者がこちら側へ戻ってくることではないのかもしれません。死者を近くに感じた生きている人が、もう一度「生きる側」へ帰ってくること。

だとしたら――。なぜ熊野だったのでしょう。なぜ人々は長い道を歩き、この土地を「聖なる場所」として目指したのでしょう。

今回は熊野の「あちら側」と「こちら側」の境界を歩きながら、黄泉の国に近づくと、なぜ「生きる」が見えてくるのか。私たちも考えてみたいと思います。

【放送日:2026年9月14日(月)5:55 -6:25・NHK-Eテレ】

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なぜ熊野は「聖なる地」になった?

「聖地」と聞くと、私たちはつい、有名な神社やお寺があるから、人が集まる、とそんな順番を思い浮かべてしまいます。けれど熊野の場合は、もしかすると逆だったのかもしれません。

人が集まったから「聖地」になったのではなく、そこに立った人が「ここは普通の場所とは違う」と感じたから、人が集まるようになった。熊野を歩いていると、その感覚が少しわかるような気がします。

紀伊半島の南部に広がる深い山々。鬱蒼とした森。突然、目の前に現れる巨大な岩。そして山の中から轟音を響かせて落ちる滝。今なら、その一つひとつを地質学や気象学で説明することができます。岩がどうやってできたのか。なぜそこに滝があるのか。なぜこれほど雨が多く、深い森が育ったのか。

けれど、そんな知識のなかった時代の人が熊野の自然を目の前にしたら、どう感じたでしょう。自分の力では動かすことのできない巨岩。人間が生まれるよりずっと前からそこにある山。どれだけ流れ落ちても、尽きることのない水。そこに、「人間ではない、何かの力がある」と感じても不思議ではありません。

日本では古くから、山や岩、滝、樹木など、自然そのものに神聖なものを感じる信仰が育まれてきました。熊野もまた、立派な社殿が建てられるより前から、自然そのものが祈りの対象となってきた土地です。

たとえば熊野那智大社の近くにある那智の滝。現在では熊野を代表する景勝地として知られていますが、もともとは滝そのものが信仰の対象でした。水が落ちているから美しいのではなく、そこに神が宿っているから、滝そのものに手を合わせる。そんな自然への畏れが、熊野信仰の深いところにあります。

そして熊野には、もう一つ不思議な特徴があります。それは、神様が建物の中だけにいるわけではないこと。森にもいる。岩にもいる。滝にもいる。海の彼方にもいるかもしれない。熊野という土地そのものが、私たちの日常とは少し違う世界として感じられていったのでしょう。

そこへ後の時代になると、仏教や修験道の信仰が重なっていきます。熊野の神々は仏と結びつき、熊野三山は浄土とも重ねて考えられるようになりました。

古くからあった自然への畏れを、新しい信仰が消してしまったわけではありません。岩に祈った人々の心の上に、神の物語が重なり、その上に仏の世界が重なっていった。だから熊野には、いくつもの時代の祈りが今も同じ風景の中に残っています。

「ここへ来れば願いが届くかもしれない」
「ここには、この世とは違う何かがあるかもしれない」
そう感じる人が増えていき、やがて熊野は「日本第一大霊験所」とまで称されるほどの信仰を集めていきました。

でも――。ここで、また一つ不思議なことがあります。そこまで霊験あらたかな場所なら、ただ熊野へ着けばよかったのでしょうか。どうやら、そうではなかったようです。

中世の上皇たちは、京都から長い時間をかけて熊野へ向かいました。険しい山を越え、身体を清め、祈りながら歩いていきます。現代のように、駅前からタクシーで「熊野本宮大社までお願いします🚗」とはいきません🤣
けれど、だからこそ気になります。なぜ人々は、あれほど大変な思いをしてまで熊野へ歩いていったのでしょう。

もしかすると熊野詣では、「聖地へ到着すること」だけが目的ではなかったのかもしれません。日常から一歩ずつ遠ざかり、山の奥へ入っていく。その道を歩き始めたときから、すでに熊野の祈りは始まっていたのではないでしょうか。次は、その長い道――熊野古道を歩いてみたいと思います。

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なぜ、あんな山奥まで歩いていった?

熊野が「聖なる地」だったとしても、そこへ行くのは簡単ではありませんでした。平安時代、京都から熊野を目指した上皇や貴族たちは、長い日数をかけて熊野へ向かいました。山を越え、川を渡り、また山を越える。現在なら車で通り過ぎてしまうような距離を、自分の足で歩いていきます。

しかも、ただ移動していたわけではありません。出発前には身を清め、道中に点在する「王子」と呼ばれる社で祈りを捧げながら、少しずつ熊野の奥へ入っていきました。それを考えると、熊野古道は単なる、「熊野三山へ行くための昔の道路」ではなかったことが見えてきます。

では、なぜ歩いたのでしょう。もちろん、当時は現代のような交通手段がなかったから。それも答えの一つです。でも、それだけでしょうか。熊野へ近づくにつれて、町が遠ざかっていく。人の暮らす場所が少なくなり、周囲を深い森が包んでいく。

聞こえていた人の声が消え、代わりに風や水、鳥の声が聞こえてくる。一歩進むたびに、いつもの日常から遠ざかっていきます。そして熊野古道には、「ここから先は聖なる領域」と意識された場所もありました。たとえば滝尻王子。熊野の聖域への入口とされ、ここから本宮へ向かって本格的な山道が始まります。

川の水で身体を清め、俗世から聖域へ入っていく。それは単なる県境や町境を越えることとは、少し違います。こちら側から、あちら側へ。身体を使って、その境界を越えていくのです。

考えてみれば、不思議です。もし大切なのが熊野本宮大社の前で手を合わせることだけなら、できるだけ楽に、早く着けたほうがいいはずです。けれど巡礼では、その「楽ではない時間」までが失われてはいけないものだったのかもしれません。

疲れる。汗をかく。足が痛くなる。それでも歩く。いつもの暮らしから切り離され、自分の身体と向き合いながら、少しずつ聖なる場所へ近づいていく。そこには、現代の旅行とは違う時間が流れていたのでしょう。

中世には、後白河上皇が何度も熊野へ詣でたことでも知られています。最高位に近い立場にいた人でさえ、熊野を目指しました。権力を持っていても、病から逃れられるわけではない。老いることを止められるわけでもない。そして、死を命じて遠ざけることもできません。

山道を歩く一人の人間になれば、身分にかかわらず、最後には自分自身の身体と向き合うことになります。だから熊野への旅は、願いをかなえてもらうためだけの旅ではなく、それまでの自分をいったん日常から切り離す旅でもあったのかもしれません。

俗世を離れる。身体を清める。険しい道を歩く。聖域へ入る。神仏に祈る。そして――再び、日常へ帰っていく。こうして眺めると、熊野詣そのものが一つの大きな物語に見えてきます。

日常から「あちら側」へ近づき、そしてもう一度「こちら側」へ戻ってくる。それは、熊野が「よみがえりの聖地」と呼ばれることとも、どこかでつながっているように思えます。

もしかすると「聖地巡礼」とは、聖なる場所を訪ねることだけではなく、そこへ向かい、境界を越え、そして帰ってくるところまでを含めた旅なのかもしれません。では、その境界を越えた先で、人は何を見るのでしょう。

熊野には、死者の世界を思わせる場所があります。火の神を産んで命を落としたイザナミが葬られたと伝わる、巨大な岩――花の窟。生きている人が「あちら側」に近づいたとき、不思議なことに心に浮かんでくるのは、神話の神々だけではないのかもしれません。次は、熊野に残されたあの世とこの世の境界へ、もう少し近づいてみたいと思います。

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結界を越えると、なぜ死者を思い出す?

熊野市の海に近い場所に、巨大な岩壁があります。高さおよそ45メートル。社殿はありません。岩そのものが御神体とされる、花の窟です。『日本書紀』には、火の神を産んだことで命を落としたイザナミが、紀伊国熊野の有馬村に葬られたという伝承が記されています。

日本を生んだとされる神が、最後にたどり着いた場所。そう聞いて巨岩を見上げれば、それまでただの岩だったものが、少し違って見えてくるかもしれません。ここから先には、死者の世界があるのではないか。そんな想像さえ生まれてきます。もちろん、本当に岩の向こうに黄泉の国があるわけではありません。

けれど人間は、不思議なものです。「ここが、あの世とこの世の境なのかもしれない」そう意識しただけで、それまで考えていなかったことが心に浮かんでくることがあります。

もう会えない家族。昔、一緒に笑った友人。お世話になった人。長いあいだ思い出すことのなかった人まで、突然、顔が浮かんでくることがあります。なぜなのでしょう。

もしかすると「結界」とは、何かを物理的に遮断する壁というだけではなく、こちらと、あちらを分ける境界を、私たち自身に意識させるものでもあるのかもしれません。

こちらには、生きている自分がいる。あちらには、もう会うことのできない人がいる。普段の生活では、その境界をいちいち考えることはありません。朝起きて、仕事をして、ご飯を食べて、誰かと話して、眠る。そんな毎日の中で、「生きている」ということさえ、あまり意識しないものです。

ところが「あちら側」を感じる場所に立つと、その境界が急にはっきりしてきます。「あの人は、もうこちら側にはいない。」その事実を感じたとき、不思議なことに、反対側にいる自分の輪郭まで見えてきます。

「では、私は?」
私は、まだこちら側にいる。まだ歩ける。まだ誰かと話せる。まだ新しい景色を見ることができる。そして、まだ明日のことを考えることができます。

死者を思うことは、悲しみだけを呼び起こすとは限りません。「あの人が生きていたら、これを見てなんと言っただろう」「今度会えたら、こんなことを話してあげたい」そんなふうに、亡くなった人との会話を心の中で続ける人もいるでしょう。

返事は聞こえません。それでも人は、ときどき「あちら側」に向かって話しかけます。手紙を書くこともあります。声に出して語りかけることもあります。あるいは、ただ黙って思い出すこともあります。

それは、死者をこちら側へ連れ戻すためではありません。むしろ、もう会えないことを知りながら、それでもその人とのつながりを自分の中に残しておくためなのかもしれません。

そして、いつか自分も「あちら側」へ行く日が来る。そう考える人なら、それまでこちら側で起きたことを覚えておいて、「あれからね、こんなことがあったんだよ」と、いつか話してあげようと思うこともあるでしょう。だとしたら、死者を近くに感じることは、死へ引き寄せられることとは少し違います。

むしろ、「それまでは、こちら側を生きていこう」と、自分のいる場所を確かめることにもつながります。熊野が「よみがえりの聖地」と呼ばれる意味も、少しだけ見えてきた気がします。

よみがえるのは、亡くなった人ではない。死者の気配に近づいたことで、生きている人が、もう一度「生きる側」にいる自分を見つける。そんな「よみがえり」もあるのではないでしょうか。

でも熊野の「あちら側」は、山の奥や黄泉の国だけではありません。山を抜ければ、目の前には果てしない熊野灘が広がっています。その水平線の向こうにも、昔の人は私たちとは違う世界を思い描きました。永遠に変わることのない世界――常世(とこよ)。次は山から海へ出て、その水平線の向こうを眺めてみたいと思います。

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水平線の向こうには、何がある?

深い熊野の山を抜けると、景色は一変します。目の前に広がるのは、熊野灘。七里御浜の海岸に立てば、左右には長い海岸線が続き、その向こうには大きな太平洋が広がっています。海と空を分けているのは、一本の水平線だけ。現代の私たちは、その向こうに何があるのかを知っています。

地図を開けば、海の向こうの国もわかる。人工衛星から見れば、地球が丸いことだって確かめられます。でも、そんなものがなかった時代。海辺に立った人には、水平線の向こうは見えません。どれだけ目を凝らしても、そこから先に何があるのかわからない。

それなのに――。その「見えない向こう側」から、ときどき何かがやってきます。黒潮が熊野の海へ豊かな恵みを運んでくる。魚がやってくる。そして、ときには人間とは比べものにならないほど巨大な鯨まで姿を現します。

熊野灘沿岸では、古くから鯨とともに生きる文化が育まれてきました。捕鯨の技術が発達する以前には、海岸へ流れ着いた「寄り鯨」も、人々にとって大切な恵みでした。やがて鯨は肉だけでなく、皮、油、骨などまで余すところなく利用され、一頭の鯨が多くの人々の暮らしを支えるほどの富をもたらすようになります。

「一頭で七郷が潤う」。
そんな言葉が残されるほど、鯨は大きな存在でした。そして熊野灘沿岸では、鯨は単なる海の生き物ではなく、富をもたらす神「えびす」として崇められ、「海からの贈り物」として感謝されてきた文化もあります。

では、その贈り物は、どこからやってきたのでしょう。もちろん私たちは知っています。鯨は神様が海へ放った贈り物ではありません。けれど、水平線の向こうを知ることのできなかった昔の人の目で、もう一度この海を見てみます。

向こう側は見えない。でも、そこから確かに恵みがやってくる。だとしたら、「あの水平線の向こうには、私たちの知らない世界があるのではないか」そう考えたとしても、不思議ではありません。古代の人々は、海の彼方に「常世(とこよ)」という異界を思い描きました。永遠に変わることのない世界。生命や豊穣とも結びつけられた、はるか彼方の世界です。

これは、先ほど見てきた「黄泉」と同じものではありません。黄泉が死者の世界として描かれたのに対し、常世には永遠性や豊穣など、また違った「あちら側」の姿が重なっています。

さらに時代が進み、熊野に仏教の信仰が重なると、海の彼方には観音菩薩が住むとされる「補陀落」という浄土も思い描かれるようになります。熊野の人々は、目の前に広がる同じ海を見ながら、長い時間の中でさまざまな「あちら側」を想像してきたのでしょう。

だからといって、「鯨は常世からやってきた」ということではありません。常世と鯨を、無理につなげる必要もありません。ただ――。海の彼方には、永遠に変わらない世界「常世」があると考えられた。一方、熊野灘沿岸では、海からやってくる鯨を富をもたらす「えびす」として崇め、「海からの贈り物」として受け取ってきた文化もある。そう考えると、一つだけ気になることがあります。

昔の人にとって、水平線の向こうは、本当に「何もない場所」だったのでしょうか。
見えない。でも、何かがやってくる。見えない。でも、そこにいると感じる。考えてみれば、私たちがここまで熊野で出会ってきたものも、どこか似ています。

黄泉の国は見えません。常世も見えません。神様も見えません。そして、亡くなった人の姿も、もう見ることはできません。それでも人は、見えないものを思い、祈り、語りかけながら生きてきました。

もしかすると水平線は、昔の人にとって、世界の終わりではなく、見えない世界の始まりだったのかもしれません。

そして熊野には、もう一つ不思議な水の風景があります。海のように水平線の向こうへ消えていく水ではありません。高い岩壁から落ち、流れ去り、それでも次の瞬間には新しい水が落ちてくる。

那智の滝。
一瞬前に見た水は、もうありません。それなのに、滝そのものはあり続けます。熊野の旅の最後に、その水を見つめながら――「よみがえる」とは、本当はどういうことなのか。もう一度、最初の問いへ戻ってみたいと思います。

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「よみがえる」って、生き返ること?

熊野の象徴ともいえる、那智の滝。高さ133メートルの断崖から、一本の水が流れ落ちています。ずっと見ていると、不思議なことに気づきます。滝は、そこにあり続けている。けれど、私たちが一瞬前に見ていた水は、もうそこにはありません。

岩壁を落ち、川となり、海へ向かって流れていきます。そして次の瞬間には、また新しい水が落ちてくる。絶えず流れ去っているのに、滝そのものはずっとそこにある。熊野の人々は、そんな那智の滝そのものに神を感じ、祈りを捧げてきました。

尽きることなく流れる水。古い水が去り、新しい水がやってくる。そこに立っていると、「よみがえる」という言葉も、少し違って見えてきます。よみがえるとは、失ったものが元通りになることなのでしょうか。亡くなった人が帰ってくる。過ぎ去った時間が戻ってくる。若かった自分に戻る。

でも、私たちは知っています。流れ去った水が、同じ場所へ戻ってこないように、過ぎた時間を元に戻すことはできません。大切な人との別れを、なかったことにもできません。それでも――。

失われることと、続いていくことは、矛盾しない。
那智の滝は、そんなことを目の前で見せ続けているようにも思えます。熊野の旅を振り返ってみます。人々は日常を離れ、長い熊野古道を歩きました。聖域との境界を越え、死者の世界を思わせる場所へ近づきました。

花の窟では、イザナミの死の物語に触れる。海へ出れば、水平線の彼方に常世という見えない世界を思う。そして、またこちら側へ帰ってきます。

そう考えると、熊野の「よみがえり」は、死者が生き返るという意味だけではないのかもしれません。死を近くに感じた生きている人が、もう一度「生きる側」へ帰ってくる。そんな「よみがえり」もあるように思います。

もう会えない人を思い出すことがあります。
「あいつ、どうしてるかな」
返事が返ってくることはありません。それでも心の中では、その人との会話が続いていることがあります。だったら、もう少しこちら側にいてもいい。もう少し景色を見てみよう。もう少し誰かと笑ってみよう。そして、いつか自分も向こう側へ行く日が来たら、
「あれからね、こんなことがあったんだよ」
と話してあげればいい。土産話の一つや二つ、持っていったっていいでしょう。

もしかすると人は、死者を忘れることで前へ進むのではなく、死者を心の中に連れたまま、それでもこちら側を歩いていくことができるのかもしれません。

熊野という聖地は、死を遠ざける場所ではありませんでした。むしろ黄泉を思い、常世を思い、浄土を思い、人間が暮らす世界とは違う「あちら側」を身近に感じてきた場所です。だからこそ、その境界に立った人は気づくのかもしれません。

「私は、まだこちら側にいる。」
今日見ることのできる景色がある。今日話せる人がいる。そして、まだ集められる土産話がある。それだけでも、もう少しこちら側を歩いてみる理由にはなるのかもしれません。

流れ去った水は戻りません。それでも、那智の滝は今日も流れています。人も、時間も、世界も変わっていく。それでも残るものがある。変わり続けるからこそ、残るものが見えてくる。

熊野でいう「よみがえり」とは、新しい自分に生まれ変わることだけではなく、亡くした人も、過ぎてきた時間も抱えたまま、もう一度、「生きる側」へ歩き出すこと。なのかもしれません。そしてその道の先で、また誰かに話したくなるような出来事に出会えたなら――。それもきっと、熊野から持ち帰った小さな「よみがえり」なのでしょう。


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