「昔から効く」は、科学で証明できる?|東洋医学の「効いた!」を科学すると何がわかるの?【フロンティアで会いましょう!】

東洋医学と西洋医学 BLOG
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東洋医学や漢方薬。
そう聞くと、どんなイメージが浮かぶでしょうか。
「なんとなく身体によさそう」
「普通の薬より身体に優しそう」
「でも、すぐには効かなそう……」
鍼やツボについても似ているかもしれません。肩が凝ったときに、ここを押すといい。身体の調子が悪いときには、ここへ鍼を打つ。昔からそう言われてきたことは知っていても、

「でも、なんでそこなの?」

と聞かれると、よくわからない。それでも漢方や鍼灸は、昨日今日生まれたものではありません。まだ身体の中を詳しく見ることも、薬に含まれる成分を分析することもできなかった時代から、人は自分たちの身体を観察し、
「これを飲むと楽になる」
「ここを刺激すると痛みが和らぐ」
そんな経験を、長い時間をかけて積み重ねてきました。

もちろん、昔から伝わっているからといって、すべてが正しいとは限りません。思い込みだったものもあるでしょう。たまたま治っただけかもしれません。同じことをしても、効く人と効かない人がいるかもしれません。だから現代の科学は、昔から伝わる「効いた!」に問いかけます。

本当に効いたの?
なぜ効いたの?
誰にでも効くの?
それとも、別の理由があったの?

NHK『フロンティアで会いましょう!』が今回取り上げるのは、そんな東洋医学の世界。鍼灸や漢方薬を最先端の科学で調べてみると、これまでよくわからなかった身体の仕組みが少しずつ見えてきているといいます。

でも――。ここで、もう一つ気になることがあります。科学で仕組みを説明できたら、それで「効く」と言えるのでしょうか? 反対に、仕組みをまだ説明できなくても、本当に効果があるのなら、それは「効く」と言っていいのでしょうか?

昔の人が積み重ねてきた経験と、現代科学が積み重ねる証拠。その二つを比べながら今回は、東洋医学の「効いた!」を科学すると、いったい何がわかるのか。私たちも一緒に考えてみたいと思います。

【放送日:2026年9月14日(月)23:00 -23:30・NHK-総合】

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第一章 昔の人は、どうやって「効く」を見つけた?

頭が痛い。熱が出た。転んで傷ができた。
今なら病院へ行ったり、薬局で薬を買ったりすることができます。けれど、もちろん昔から薬局にたくさんの薬が並んでいたわけではありません。では、昔の人は身体の具合が悪くなったとき、どうしていたのでしょう。

おそらく、その出発点にあったのはとても素朴な経験だったはずです。この草を煎じて飲んだら、少し楽になった。この植物を傷に使ったら、治りがよかった。身体のこのあたりを刺激すると、痛みが和らいだ。

もちろん、そこで行われていたことのすべてに、本当に効果があったとは限りません。たまたま治っただけかもしれない。思い込みだったかもしれない。中には、かえって身体に害を与えるものだってあったでしょう。恐らくは多くの犠牲の上に成り立っていたのかもしれません。

それでも人間は、長い時間をかけて、「これは使えるかもしれない」という経験を積み重ねてきました。考えてみれば、この段階では「東洋医学」も「西洋医学」もありません。

中国や日本では、植物や鉱物などを利用する薬や、身体への刺激を利用する治療法が発達していきました。一方、ヨーロッパをはじめ世界のさまざまな地域でも、植物など天然物を治療に利用してきた長い歴史があります。

住んでいる土地も、手に入る植物も、身体や病気についての考え方も違う。だから、それぞれ違う医学へ発展していきました。でも、ずっと根元までたどれば、「これをすると、身体はどう変わる?」という観察から始まったところは、どこか似ています。

昔のおばあちゃんが知っていた「知恵袋」のようなものも、その小さな一つだったのかもしれません。薬局へ行けば何でも買えるわけではない時代。身近な植物のどこを使うのか。どう煎じるのか。何には使えて、何には使わないのか。暮らしていくための経験そのものが、身体を守る知識にもなっていました。

そして面白いのは、植物が作る成分の中には、人間の身体へ強い作用を及ぼすものがあることです。私たちはつい、「天然のもの=身体に優しい」と思ってしまいます。でも、自然界にあるものだから安全とは限りません。身体に作用するからこそ、使い方によっては薬にもなれば、害にもなります。

現代の医薬品にも、天然物そのものや、天然物から見つかった成分、そこから着想を得て開発されたものがあります。つまり、昔の人が経験の中で見つけてきた「効くかもしれない」は、現代の薬とまったく切り離された世界の話ではないのです。

ただ、昔の人には今のような分析装置はありません。「これを使うと楽になる」と気づくことはできても、「なぜ楽になるの?」までは、わからないことがたくさんありました。だからこそ、さまざまな説明や思想と結びつきながら、その知識は受け継がれてきたのでしょう。

そして何百年、何千年という時間が流れたあと…、現代の科学は、昔の人たちが残してきた膨大な「効くかもしれない」を前にして、もう一度問い始めています。

本当に効くの?
もし効くのなら、身体の中で何が起きているの?

そう考えると、昔から伝わる医学は、科学と対立するものというより、科学が生まれるずっと前から人間が積み重ねてきた、巨大な「仮説集」と見ることもできるのかもしれません。

もちろん、仮説なのですから正しいものばかりではありません。だからこそ、確かめる意味があります。東洋だから信じるのでもなく、西洋だから正しいと考えるのでもなく…。

ただ一つ、「それ、本当に効くの?」と問いかけてみる。すると、昔の人には見えなかった身体の中で、思いがけないことが起きていたことも、少しずつわかってきました。では、鍼を打ったとき、漢方薬を飲んだとき、私たちの身体の中では、いったい何が起きているのでしょうか?

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第二章 鍼や漢方の「なぜ効く?」は、どこまでわかった?

昔から使われてきた鍼や漢方薬。「これをすると楽になる」「この薬を飲むと調子がよくなる」、そんな経験が長い時間をかけて積み重ねられてきたことは、前章で見てきました。では現代の科学で調べてみれば、「なぜ効くのか」は、もう説明できるのでしょうか?

どうやら、そう簡単ではないようです。たとえば鍼。身体のある場所へ細い鍼を刺すことで、離れた場所の痛みや身体の状態に影響を与える。昔から行われてきた治療ですが、現代の感覚で考えると不思議です。

なぜ、そこへ鍼を打つのでしょう? 鍼を刺した場所から、身体の中へ何が伝わっているのでしょう? 近年は、こうした問いを神経科学などの方法で調べる研究が進んでいます。

動物を使った研究では、特定の場所への電気鍼刺激が感覚神経を介して自律神経系につながり、炎症反応に影響を与える経路を示した例もあります。さらに興味深いのは、どこを刺激しても同じではなく、刺激する場所や強さによって反応が違う可能性まで見えてきたことです。

「ツボ」と呼ばれてきたものと、現代科学が見つけつつある神経の仕組み。そこに何らかの接点があるのか。少しずつ、その輪郭が見え始めています。でも、まだここで、「なるほど。だから鍼は効くんだ!」とは言わないでおきましょう。特定の条件で身体の仕組みが一つ見つかったことと、鍼灸で語られてきたすべての効果が説明されたことは、同じではないからです。

漢方薬になると、話はさらに複雑です。現代の薬には、ある成分が身体の特定の分子などへ作用することで効果を生むものがあります。ところが漢方薬は、複数の生薬を組み合わせた処方が多く、その中にはさらに数多くの成分が含まれています。一つの成分だけを見ればいいとは限らないのです。

ある成分は腸で作用するかもしれない。別の成分は吸収されたあとに働くかもしれない。腸内細菌による代謝が関係する可能性もある。実際、大建中湯など一部の漢方処方では、こうした複数の成分と作用経路について研究が積み重ねられています。

つまり科学者は、昔から一つの「処方」として使われてきたものを前に、「この中の、何が、どこへ、どう作用しているんだ?」と、一つずつ調べている最中ともいえます。しかも、分解して一つずつ調べれば、それですべてわかるとも限りません。

漢方には複数の成分が複数の標的へ作用するという複雑さがあり、それ自体が作用の仕組みを解明する難しさの一つになっています。それでも、かつては、「昔からそう言われているから」としか説明できなかった現象の一部が、神経、受容体、腸内細菌、身体のさまざまな情報伝達…。そんな現代科学の言葉で、少しずつ読み直されるようになってきました。

昔の人が身体の感覚から描いた「地図」と、現代科学が身体の中を測って描こうとしている「地図」。二つの地図を重ねてみると、「もしかして、ここは同じ場所を見ているのでは?」と思えるところが出てきた。今は、まだそんな段階なのかもしれません。

だから、「科学が東洋医学の正しさを証明した」と結論を急ぐ必要はないのでしょう。むしろ面白いのは、ここからです。身体の中で何らかの仕組みが見つかったとしても、それだけで、「この治療は本当に効きます」と言えるのでしょうか?

鍼を打ったあとに痛みが軽くなった。漢方薬を飲んだあとに体調がよくなった。本人が、「効いた!」と感じた。でも――。それは、本当にその治療のおかげだったのでしょうか。

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第三章 「効いた!」は、本当にその治療のおかげ?

鍼を打ったら、痛みが軽くなった。漢方薬を飲み始めたら、身体の調子がよくなった。本人が、「効いた!」と感じたのなら、その治療には効果があった。――と言いたくなります。

でも、ここで科学は、「ちょっと待った!」をかけます。なぜなら、治療を受けたあとに症状が改善したことと、その治療によって症状が改善したことは、同じではないからです。

たとえば風邪をひいたとき。薬を飲んで数日後に元気になれば、「この薬が効いた!」と思うかもしれません。でも、薬を飲まなくても同じころに自然に回復していた可能性があります。反対に、症状がいちばんひどいときに治療を始めれば、その後は自然に症状が軽くなっていくこともあります。

さらに人間の身体には、もっと不思議なことが起こります。「この治療を受ければ、よくなるかもしれない」という期待そのものが、痛みや吐き気など一部の症状に影響を与えることがあるのです。いわゆるプラセボ効果です。

「じゃあ、気のせいじゃないか」と思いたくなりますが、それほど単純でもありません。私たちの「心」は、身体から切り離されているわけではないからです。期待や不安といった心理状態は脳の働きと結びついていて、痛みなどの感じ方にも影響します。つまり、

「思っただけだから偽物」とは簡単に片づけられない。だからこそ、薬の効果を調べる臨床試験では、本物の薬を使った人たちと、有効成分を含まない偽薬を使った人たちを比べる方法などが用いられます。

鍼でも同じような問題があります。鍼治療を受けた人が楽になったとしても、鍼そのものの作用なのか? 治療を受けたという期待なのか? 施術者とのやり取りによる影響なのか? それとも症状が自然に変化したのか? それを区別しなければなりません。

そこで鍼の研究でも、本物の鍼と比較するための「偽鍼(sham acupuncture)」などを使った研究が行われています。ところが、ここにも難しさがあります。薬なら、有効成分を含まない錠剤を作ることができます。でも鍼は、身体へ触れたり刺激したりする行為そのものが何らかの影響を与える可能性があります。

「何も作用しない偽の鍼」を作ること自体が難しい。

こうなると、「効く」を科学的に確かめることが、思っていた以上に難しいことが見えてきます。そしてこれは、東洋医学だけの問題ではありません。私たちが普段使っている薬や、さまざまな治療についても、
「治療したあとによくなった」=「その治療のおかげでよくなった」
とは限らないのです。

だから科学は、できるだけ条件をそろえ、多くの人を比べ、偶然や自然な変化、期待などの影響を切り分けながら、「その治療をしたから起きた変化は、どのくらいあるの?」を探していきます。なんだか、とても疑り深いようにも見えます。でも、それこそが科学の大切なところなのでしょう。

昔から使われているからといって、すぐには信じない。本人が「効いた!」と言ったからといって、それだけでも決めない。そして、もっともらしい仕組みが見つかったからといって、それだけで治療効果が証明されたことにもしない。「本当に?」と、一つずつ確かめていく。

では、そうやって多くの人を対象に丹念に調べ、「この治療には効果がある」という結果が出たら、今度こそ安心して、「これなら効く!」と言っていいのでしょうか。……どうやら、ここでもう一度、「ちょっと待った!」が必要になりそうです。なぜなら、研究で「効く」とわかった治療でも、あなたに効くとは限らないからです。

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第四章 科学で「効く」とわかれば、誰にでも効く?

たくさんの人を対象に調べて、偽薬などとも比較する。その結果、「この治療には効果がある」と確認された。ここまで来れば、今度こそ安心して、「じゃあ、私にも効くんだ!」と言いたくなります。でも――。

残念ながら、そうとも限りません。同じ薬を飲んでも、よく効く人がいます。あまり効かない人もいます。同じ量を飲んでも副作用が強く出る人もいれば、ほとんど出ない人もいます。なぜ、こんな違いが生まれるのでしょう。人間の身体は、一人ひとり違うからです。

年齢や体格、遺伝的な違い、肝臓や腎臓などの働き、腸内細菌、生活習慣、一緒に使っている薬、病名が同じだったとしても、身体の中までまったく同じ人はいません。

だから医学研究で、「この治療には効果がある」という結果が出たとしても、それは必ずしも、「この治療は、すべての人に同じように効く」という意味ではありません。

ここには、医学が避けて通れない難しさがあります。病院で治療を受ける前にもきっと医師から言われるはずです。「これをやったからと言って必ず治るとも限りません」と。

科学は、多くの人を調べることで「平均すると、どのくらい効果があるのか」を見つけることができます。でも診察室で治療を受けるのは、平均的な誰かではありません。目の前にいる、たった一人の人です。

この違いを考えると、東洋医学に少し興味深いものが見えてきます。たとえば漢方では、同じ病名だから同じ漢方薬を使うとは限りません。その人の体質や症状、身体全体の状態などを見ながら、漢方医学でいう「証」を考えて処方を選ぶという考え方があります。

もちろん、だからといって、「漢方は昔から個人差を完全に理解していた」とまで言うことはできません。「証」という伝統医学の考え方と、遺伝子や代謝などを調べる現代医学の個別化医療は、同じものでもありません。

でも、出発点には少し似た問いがあります。「同じ病気なのに、なぜこの人とあの人では違うの?」という問いです。そしてこれは、東洋医学だけが考えている問題でもありません。現代医学でも、患者一人ひとりの遺伝情報や体質、病気の特徴などを調べ、それぞれに合った治療を選ぼうとする個別化医療・精密医療の研究が進んでいます。

つまり医学は、たくさんの人を調べて、「多くの人には、こういう効果があります」という答えを探しながら、同時に、「では、この人にはどうなの?」という、もっと難しい問いにも向き合っているのです。

考えてみれば、少し不思議です。昔の医学では、「医は仁術」とも言って、一人ひとりの身体を観察するところから始まりました。やがて科学は、多くの人を比べることで、偶然や思い込みではない「効果」を確かめられるようになりました。

そして今度は、その大勢の人から得られた答えを、もう一度、目の前の一人へ戻そうとしている。医学は、そんな長い道を歩いているのかもしれません。だから、「科学的に効果が確認された」という言葉は、とても大切です。

でも、それだけで、「あなたにも必ず効きます」とは言えません。そして反対に、「私は効かなかった」という一人の経験だけで、「この治療には効果がない」とも言えません。

科学が扱う「多くの人にどうだったか」と、私たち一人ひとりが経験する「私にはどうだったか?」。医学は、その二つの間を行ったり来たりしながら、「効く」を探し続けているのでしょう。

では――。ここまで科学が慎重に調べても、なお「必ず」は言えないのだとしたら…。私たちがよく口にする、「科学的に証明されているから大丈夫」という言葉は、いったいどこまで信じていいのでしょうか?

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最終章 「科学的」なら、もう信じていい?

ここまで、東洋医学の「効く」を科学で確かめるということについて考えてきました。
身体の中で何が起きているのかを調べる。本当にその治療による効果なのかを確かめる。そして、多くの人に効果が確認されたとしても、目の前の一人に同じように効くとは限らないことも見てきました。では最後に、もう一つだけ考えてみたいことがあります。

私たちはときどき、「科学的に証明されています」という言葉を聞くと、それだけで安心してしまうことがあります。「科学が証明したのなら、もう正しい」そんなふうに受け取ってしまうのです。

でも、そもそも科学とは、一度答えが出たら二度と変わらない「正解集」なのでしょうか? 医学の歴史を振り返れば、かつて正しいと考えられていた治療法や病気についての理解が、新しい研究によって見直されてきた例はいくつもあります。

薬についても同じです。臨床試験を重ね、安全性と有効性を確かめてから使われるようになった薬でも、実際により多くの人へ使われることで、それまで十分にわからなかった副作用が見つかることがあります。反対に、これまで説明できなかった作用が、新しい研究によって少しずつわかってくることもあります。

つまり医学や創薬は、「全部わかったから、人間の身体を治療している」わけではありません。今わかっていること、まだわからないこと、そして、わかっていると思っているけれど、これから修正されるかもしれないこと、その境界に立ちながら、できるだけ確かな方法を選ぼうとしているのでしょう。

手術でも同じです。十分な検査をして、経験を積んだ医師が、その時点で最善と考えられる方法を選んだとしても、「絶対に大丈夫です」とは言えないことがあります。患者の年齢や体力、持病などによって身体の反応は違い、予測できないことが起こる可能性を完全にゼロにはできないからです。

それは「医学には意味がない」ということではありません。むしろ反対なのではないでしょうか? わからないことを「わかった」と言わない。そのために研究を重ね、結果を比べ、間違っている可能性を検討し、新しい証拠が出れば、それまでの理解を修正する。そこに科学の強さがあります。

そう考えると、今回見てきた東洋医学に対しても、「昔から使われているから正しい」と信じる必要はありません。でも、「現代科学でまだ説明できないから間違っている」と決めつける必要もないのでしょう。

鍼にも、「本当に?」漢方にも、「本当に?」そして、それを調べた最新の研究結果にも、「それ、本当に?」と問い続ける。科学とは、何かを信じるために押してもらう「お墨付き」ではなく、私たちが簡単に答えを決めつけないための方法なのかもしれません。

だから、「科学的」という言葉を聞いたとき、本当に大切なのは、「科学がそう言っているから信じよう」ではなく、「どうやって確かめたのだろう」「どこまでわかっているのだろう」「まだ何がわかっていないのだろう」と考えてみることなのでしょう。

何百年、何千年も前。人は身体の変化を観察しながら、「これをすると、どうも楽になる」という経験を積み重ねてきました。そして現代の科学は、その「効いた!」を前に、「なぜ?」と問い続けています。

もしかすると、昔の人と現代の研究者がやっていることは、まったく別のことではないのかもしれません。身体を見つめる。変化に気づく。そして、「なぜだろう?」と考える。その問いを何度も積み重ねながら、医学は今もまだ、私たちの身体を知ろうとしている途中なのです。

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まとめ|「効いた!」の先に、まだ「なぜ?」がある

痛みを和らげたい。苦しさから少しでも楽になりたい。おそらく医学の始まりにあったのは、そんなとても素朴な願いだったのでしょう。人は自分たちの身体を観察し、「これを飲んだら楽になった」「ここを刺激したら痛みが和らいだ」という経験を積み重ねてきました。

それが土地や文化によって、それぞれ違う医学へと育っていった。漢方や鍼灸も、そんな長い時間の中で受け継がれてきたものの一つです。

そして今。私たちは昔の人にはなかった方法で、その「効いた!」を調べられるようになりました。身体の中で何が起きているのか。本当にその治療によってよくなったのか。どんな人に効果があり、どんな人には効きにくいのか。科学によって、少しずつ見えるものは増えています。

でも今回、東洋医学について考えてみて見えてきたのは、「科学がすべての答えを出してくれた」ということではありませんでした。むしろ、わかればわかるほど、「では、これはどうなの?」という新しい問いが生まれてきます。

仕組みがわかっても、治療として本当に効くかは別の問題。多くの人に効果が確認されても、目の前の一人に同じように効くとは限らない。そして医学そのものも、人間の身体についてすべてを知っているわけではありません。

だからこそ、昔から伝わっているものにも、「本当に?」と問いかける。最新の研究にも、「本当に?」と問いかける。それは何も信じないということではなく、わからないものを、わからないままにしないための問いなのでしょう。

「昔から効く」は、科学で証明できる?
今回の最初の問いに、もし私たちなりの答えを返すなら――。昔からの「効いた!」の中には、科学によって仕組みや効果が少しずつ確かめられているものがある。でも、その答えはまだ一枚の「合格証」ではなく、確かめ続けている途中にある。そんなところなのかもしれません。

何百年、何千年も前の誰かが、「これをすると、少し楽になる気がする」と気づいたこと。そして現代の研究者が、「それは、なぜだろう?」と調べていること。時代も、使っている道具も違います。それでもその間には、一本の細い糸がつながっているような気がします。

身体を見つめて、変化に気づき、「なぜ?」と考えること。医学はきっと、そうやって少しずつ前へ進んできたのでしょう。そして科学とは、その歩みの先にある「絶対に正しい答え」ではなく、「本当に?」と問い続けるために、人間が手にした方法なのかもしれません。

その問いは、まだ終わっていません。私たちの身体についても、漢方についても、鍼についても、そして、これから生まれる新しい医学についても…。きっとこれからも、「なぜ?」の続きがあるのでしょう。


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