埼玉県熊谷市。
この街の名前を聞いて、真っ先に思い浮かべるものといえば、「暑い!」ではないでしょうか。夏になるとニュースでは熊谷の気温が伝えられ、街角の温度計には40℃近い数字が並ぶ。正直なところ、「そんなに暑い街、住みにくいだけじゃないの?」と思ってしまいます。
ところが熊谷の人たちは、そんな暑さを隠そうとはしませんでした。むしろ、「あついぞ!熊谷」と、自分たちから言ってしまったのです。暑さを街の個性として発信し、暑い夏には祭りを楽しみ、かき氷を食べ、暑さに負けない農作物を育てる。
そこまでいくと、「なんでわざわざ、暑いことを売りにするの?」と、ちょっと不思議になってきます。『新日本風土記』「さいたま熊谷 夏のしあわせ」が訪ねるのは、そんな日本屈指の暑い街・熊谷です。
約60万人が訪れる「熊谷うちわ祭」。肥沃な大地と猛暑が育てるブランド米。熊谷の名を全国に知らしめた温度計。そして、暑い夏にも楕円のボールを追いかけるラグビー。番組が描くのは、猛暑に耐える人々ではありません。
暑いからこそ生まれる楽しみを見つけながら、この街の夏を生きる人々です。もちろん、猛暑そのものが「しあわせ」なわけではないでしょう。40℃を超える暑さは、ときに命にかかわります。できることなら、もう少し涼しくなってほしい。それでも、そこで暮らし続けるのなら――。
変えられない暑さを嘆くだけではなく、祭りにしたり、食べ物にしたり、街の名前にしたりして、自分たちの暮らしの一部に変えてしまう。熊谷が「暑い街」になったのは、気温が高かったからだけなのでしょうか。それとも、暑さまで自分たちの街の個性として引き受けたとき、熊谷は本当の意味で「暑い街」になったのでしょうか。
今回は熊谷の夏を歩きながら、「暑いことの“ぜいたく”とは何なのか?」そして、熊谷は、いつから「暑い街」になったのか?その答えを探してみたいと思います。
【放送日:2026年9月7日(月)22:00 -23:00・NHK-BSP4K】
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熊谷は、昔から暑かった?
熊谷といえば、暑い街。では、江戸時代の熊谷も今のように暑かったのでしょうか? 実は、それはよく分かりません。熊谷で近代的な気象観測が始まったのは1896年。江戸時代には現在と比較できるような気温の観測記録がないため、「昔から熊谷は日本一暑かった」とは言えないのです。それに江戸時代には今のような温度計も一般的ではなかったでしょうしね💦
むしろ、現在の熊谷は昔より暑くなっています。熊谷地方気象台の観測では、1898年から2024年までの気温は、100年あたり約2.32℃の割合で上昇しています。地球温暖化に加えて、街が発展することで生じるヒートアイランド現象なども影響していると考えられています。
では、昔の熊谷は涼しかったのかというと、それも少し違いそうです。熊谷が暑くなりやすい場所であることには、この土地の地理そのものが関係しているからです。
熊谷は関東平野の内陸部にあります。夏には東京湾や相模湾から海風が吹き込みますが、熊谷まで到達するころには内陸の熱い地表面の影響を受けて暖められます。
さらに、山を越えて吹き下ろす風によってフェーン現象が起きると、気温が一段と上昇することがあります。
実際、2007年に熊谷で当時の国内最高気温となる40.9℃を記録した際には、都市化による気温上昇は1℃程度と解析され、顕著な高温にはフェーン現象が大きく影響したと気象庁は考えています。
つまり熊谷は、最近になって突然、暑くなりやすい場所になったわけではない。もともと内陸にあり、気象条件によって高温になりやすい土地だった。そこへ地球温暖化や都市化などが重なり、現在の厳しい暑さにつながっているのでしょう。ところが、そんな熊谷は江戸時代には「暑い街」ではなく、まったく別の顔で知られていました。中山道の宿場町・熊谷宿です。
江戸・日本橋から数えて8番目の宿場で、中山道でも有数の規模に成長しました。
江戸時代中ごろには旅籠や茶店などを含めて約380軒の家が並び、幕末には人口3200人を超える商人の町としてにぎわっていました。木綿織物や周辺で採れた農産物などを売買する市も開かれていたといいます。1861年には、徳川家茂に嫁ぐため京都から江戸へ向かった皇女和宮も熊谷宿に宿泊しています。
当時の旅人に、「熊谷といえば何ですか?」と尋ねたなら、「暑いところ!」ではなく、「中山道の大きな宿場町」と答えたのかもしれません。そう考えると面白いものです。土地そのものは昔からそこにある。暑くなりやすい地理的条件もあった。けれど、「暑い土地」と「暑い街として知られること」は、同じではありません。
熊谷が全国の人から、「ああ、あの暑い熊谷ね!」と言われるようになるのは、ずっと後のことでした。そして熊谷の人たちは、その暑さを隠すどころか――自分たちから「あついぞ!」と言い始めます。なぜ、わざわざそんなことをしたのでしょう?
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「暑いぞ!」を、なぜ自分から言っちゃった?
街の魅力を伝えるとき、普通なら何をアピールするでしょう。
- 「自然が豊かです」
- 「子育てしやすい街です」
- 「交通が便利です」
できれば、「ここに住んでみたい」と思ってもらえる言葉を選びたくなるものです。
ところが熊谷市が選んだ言葉は、少し違いました。「あついぞ!熊谷」いやいや。それ、自分から言っちゃうの?ただでさえ夏には気温が上がる街なのに、「うちの街、暑いですよ!」と全国へ宣伝したら、移住したい人が減ってしまいそうです。
もちろん熊谷には、暑さ以外にもたくさんの魅力があります。中山道の宿場町として栄えた歴史があり、肥沃な土地では農業が盛ん。小麦を使った熊谷うどん、妻沼のいなり寿司、五家宝といった食文化もあります。それでも熊谷は、暑さまで街の個性にしてしまいました。
きっかけのひとつとなったのが、2004年の猛暑です。この年、熊谷では最高気温35℃以上の猛暑日が28日を数えました。そこで熊谷市は、市民団体などが行うイベントに「あついぞ!熊谷」の冠をつけ、暑さを逆手に取って街を盛り上げる事業を始めます。現在の熊谷市も、この取り組みを「暑さを逆手にとったまちづくり」の始まりとして紹介しています。
つまり最初から、「日本一暑い街として全国に売り出そう!」という壮大なブランド戦略があったというより、「どうせ暑いなら、この暑さを使って街を元気にできないか」という発想だったのでしょう。ところが、その3年後。2007年8月16日、熊谷で最高気温40.9℃を観測します。当時の国内最高記録。これによって「暑い熊谷」の名前は、一気に全国へ知られることになりました。さらに2018年7月23日には41.1℃を記録。熊谷は再び国内最高気温の記録を更新します。
夏のニュースで、「今日の熊谷市では……」という言葉を聞くことが増えたのも、こうした記録と無関係ではないでしょう。街角に設置された巨大な温度表示も、「暑い熊谷」を視覚的に伝える存在になっていきます。
でも、ここで間違えてはいけないことがあります。熊谷市は、「暑いことは素晴らしい。もっと暑くなれ!」と言っているわけではありません。2007年に40.9℃を記録した後には「ヒートアイランド対策推進都市」を宣言。現在は暑さを街の個性として生かす一方で、熱中症対策やクールスポットなど、暑さから人を守る取り組みにも力を入れています。
ここに、熊谷らしいところがあるのかもしれません。暑さは、なくすことのできない弱点。だったら、危険な暑さから人は守る。そのうえで、暑いという事実まで暗い顔で受け止める必要はない。「暑いなら、暑いなりに楽しんじゃおう」そう考えた。「あついぞ!熊谷」は、暑さへの自慢というより、そんな開き直りにも似た逞しさから生まれた言葉だったのかもしれません。
そして不思議なことに、「暑い」という本来なら街の欠点になりそうなものが、熊谷を全国の人に覚えてもらう理由になりました。これは、なかなか真似のできない町おこしです。長所を見つけて宣伝するのではなく、短所まで「これが私たちの街です」と引き受けてしまう。そこまでいけば、ちょっと笑えてきます。
そして熊谷には、その暑い夏を本当に笑いながら楽しむ日があります。7月。街のあちこちからお囃子が聞こえ始めると、およそ60万人もの人々が集まる熊谷うちわ祭が始まります。
日本屈指の暑い街で、よりによって名前は、「うちわ祭」。……出来すぎです。でも、この祭りの名前。実は、熊谷が暑いから付けられたわけではありません。
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暑い夏だから、祭りはもっと熱くなる?
7月。熊谷の街のあちこちから、お囃子の音が聞こえてきます。日本屈指の暑い街が、一年でもっとも熱気に包まれる3日間。熊谷うちわ祭です。毎年7月20日から22日に開催されるこの祭りでは、12台の山車や屋台が熊谷囃子を響かせながら市街地を巡行します。
とくに夜、山車や屋台が向かい合い、互いにお囃子を競い合う「叩き合い」は祭りの大きな見せ場。その華やかさと迫力から、熊谷うちわ祭は「関東一の祇園」とも呼ばれています。それにしても、日本屈指の暑い街で「うちわ祭」。あまりにも出来すぎた名前です。
「やっぱり昔の熊谷の人も暑かったから、みんなでうちわを扇ぐ祭りを始めたんだろう」……と思ってしまいますが、実は違います。
熊谷うちわ祭は、八坂神社の祭礼。現在につながる町全体の祭りの形が作られたのは江戸時代中頃で、1750(寛延3)年には、それまで寺社ごとに行われていた祭りを町内統一の祭りにするための上申書が残されています。
しかも、最初から「うちわ祭」と呼ばれていたわけではありません。江戸時代には祭りになると、商店などが買い物客に赤飯を振る舞うことが熊谷の名物になっていました。ところが明治時代になると、ある商店が赤飯の代わりに渋うちわを配るようになります。
これが大評判。やがてほかの商店もうちわを配るようになり、「買い物は熊谷うちわ祭の日」という言葉まで生まれたといいます。つまり、「うちわ祭」という名前を生んだのは、暑さというよりも、宿場町から続く商人の町・熊谷らしいサービス精神だったのです。
それでも、なんだか不思議な巡り合わせです。暑さを売りにするより、ずっと昔から続いてきた祭り。そこで配られたものが、たまたま「うちわ」だった。そして100年以上が過ぎると、その街は「日本一暑い街」として全国に知られるようになった。
今では、「暑い熊谷」と「うちわ祭」が、最初からそうなる運命だったかのように似合っています。でも、祭りの面白さはそれだけではありません。夏の暑さというものは、一人で家にいれば、「暑いなぁ……💦」と、ただ耐えるものです。
ところが浴衣を着て外へ出る。お囃子が聞こえる。山車の提灯に灯がともる。大勢の人が集まり、汗をかきながら笑っている。すると同じ暑さが、「夏らしいな」という思い出に変わることがあります。もちろん、猛暑そのものが楽しくなるわけではありません。熱中症への備えも欠かせません。
それでも人間は、暑い季節の真ん中に祭りをつくり、みんなで集まる理由をつくってきました。暑さをなくすことはできなくても、暑い日の過ごし方なら、自分たちでつくることができる。熊谷うちわ祭を見ていると、そんなことを思います。
「あついぞ!熊谷」が生まれるはるか以前から、この街の人たちは、夏をただ耐えていたわけではなかったのでしょう。むしろ、暑い夏だからこそ、もっと熱くなる。山車と屋台がぶつかるように集まり、お囃子が夜空に響き渡る。その3日間だけは、「今日も暑かったね」という言葉さえ、祭りを楽しんだ人たちの夏の思い出になっていくのかもしれません。
そして熊谷の人たちが、暑さの中で育ててきたものは祭りだけではありません。街を少し離れれば、そこには関東平野の肥沃な大地が広がっています。普通なら農作物にとって厳しいはずの猛暑。ところが熊谷には、その暑さから生まれたというブランド米まであるのです。暑すぎる夏が、おいしい米を育てる?次は、熊谷の田んぼへ行ってみましょう。
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猛暑は、おいしいものまで育てる?
暑い夏。人間なら日陰へ逃げたり、冷房の効いた部屋へ入ったりすることができます。でも、田んぼの稲は逃げられません。朝から晩まで、熊谷の強い日差しを浴び続けます。そう考えると、猛暑は農業にとって、「熊谷らしい個性です!」などと笑っていられるものではなさそうです。
実際、稲は夏の高温によって品質が低下することがあります。特に米粒が実る時期に気温が高くなりすぎると、米が白く濁る「白未熟粒」などが増え、品質が落ちることが知られています。つまり農家にとって熊谷の暑さは、本来なら克服しなければならない厳しい条件なのです。
ところが『新日本風土記』の番組紹介には、気になる言葉があります。
「肥沃な大地と猛暑が生んだブランド米」
猛暑が、おいしい米を生んだ?どういうことなのでしょう。
熊谷で栽培されている米のひとつに、埼玉県が開発した「彩のきずな」があります。この品種が生まれた背景には、まさに埼玉の暑さがありました。埼玉県農業技術研究センターによると、「彩のきずな」は2003年に交配が行われ、2014年に品種登録された埼玉県育成品種。
大きな特徴のひとつが、夏の高温に強いことです。高温による米の品質低下が問題となるなか、暑い埼玉でも品質のよい米を安定して作るために育成されました。 埼玉県「彩のきずな」
つまり、「暑いから、おいしい米ができる」というより、「暑くても、おいしい米を作れるようにした」というほうが正確なのでしょう。
ここでも、熊谷うちわ祭と少し似たものを感じます。暑さそのものが、しあわせを運んできたわけではありません。暑いからこそ、人が工夫した。農家が栽培方法を考え、研究者が暑さに強い品種を育てる。その積み重ねによって、厳しい気候の中でも、おいしい米が食卓へ届くようになりました。
さらに熊谷は、荒川と利根川という二つの大きな川に挟まれた土地です。河川がもたらした肥沃な土壌と豊かな水に恵まれ、米だけではなく、小麦や野菜などさまざまな農産物が作られてきました。中でも小麦は熊谷を含む埼玉北部を代表する農産物のひとつで、熊谷では地元産小麦を使った「熊谷うどん」も地域の食文化として親しまれています。
考えてみれば、ここまで熊谷の夏を歩いてきて、同じことを何度も見てきたような気がします。
暑い。だったら、暑さを街の名前にしてしまう。
暑い。だったら、夏祭りを思い切り楽しむ。
暑い。だったら、暑さに負けない米を作る。
熊谷の人たちは、暑さそのものをありがたがっているわけではないのでしょう。むしろ、「暑いものは仕方ない。じゃあ、どうする?」と考えてきた。その答えのひとつが、田んぼにも実っているのかもしれません。
すると番組タイトルにある、「暑いことの“ぜいたく”」という言葉も、少しずつ違って見えてきます。暑さそのものが、ぜいたくなのではない。暑い土地だからこそ生まれた知恵がある。食べ物がある。祭りがある。そして、この街で夏を過ごしてきた人たちの記憶がある。
もしかすると熊谷の「夏のしあわせ」とは、恵まれた気候を与えられることではなく、与えられた気候の中から、しあわせを作ってしまうことなのかもしれません。
そして、それは農家だけではありません。気温が40℃近くまで上がる街で、それでも外へ飛び出し、楕円形のボールを追いかける人たちがいます。暑いのに、ラグビー!?……熊谷市民、今度は何を始める気なんでしょう🤣🏉
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暑いことの「しあわせ」って、何だろう?
気温が40℃を超える街。そう聞いて、「一度、住んでみたい!」と思う人が、どれくらいいるでしょう。できることなら夏は涼しいほうがいい。農作物にとっても、人間の体にとっても、猛暑は決して歓迎できるものではありません。
それなのに熊谷の人たちは、「あついぞ!熊谷」と言ってしまいました。ずいぶん思い切った街です。でも、ここまで熊谷の夏を歩いてくると、その言葉の意味が少し違って見えてきます。
熊谷の人たちは、暑さそのものを自慢しているわけではないのでしょう。危険な暑さから人を守る対策をしながら、それでも毎年やってくる夏なら、「この暑さの中で、どう楽しく暮らそうか」と考えてきた。7月になれば、街にお囃子が聞こえ始める。山車や屋台が繰り出し、大勢の人が汗をかきながら「うちわ祭」を楽しむ。
肥沃な大地では、農家が暑さと向き合いながら米や野菜を育てる。そして熊谷では、暑い夏にもラグビーを愛する人たちが楕円形のボールを追いかけています。どれも、暑さそのものが生み出した「しあわせ」ではありません。そこに暮らす人たちが、暑さの中につくった「しあわせ」です。
考えてみれば、私たちは暮らす土地の条件を、すべて選べるわけではありません。暑いところもあれば、寒いところもある。雪の多い土地もあれば、強い風が吹く土地もある。「もっと暮らしやすい場所だったらいいのに」と思うことだってあるでしょう。
でも、変えられないことばかりを嘆いていたら、その土地で過ごす毎日までつまらなくなってしまいます。だったら、暑いなら、笑って味方にしてしまおう。
かき氷を作る。祭りを楽しむ。暑さに負けない米を育てる。そしてついには、「うちの街は暑いぞ!」と全国に向かって言ってしまう。なんとも熊谷らしい、たくましさです。熊谷が「暑い街」になったのは、いつだったのでしょう。
もともと熊谷は、内陸に位置する暑くなりやすい土地でした。けれど江戸時代、この街は中山道の宿場町として知られていました。
2004年に「あついぞ!熊谷」が始まり、2007年には40.9℃、2018年には41.1℃を記録。ニュースで熊谷の気温が伝えられるたび、「熊谷=暑い」というイメージは全国へ広がっていきました。でも、本当の意味で熊谷を「暑い街」にしたのは、温度計の数字だけではなかったのかもしれません。
その暑さを隠すのではなく、「これも熊谷だ」と受け止め、祭りや食べ物や街の文化に変えてきた人たちがいた。だから今、「暑い」と聞けば、多くの人が熊谷という街を思い浮かべるのでしょう。
日本最高気温の記録は、いつか別の街に抜かれます。実際、熊谷が持っていた記録もすでに更新されています。けれど、「暑さをどう楽しむか」という街の文化まで、記録と一緒に消えるわけではありません。
『新日本風土記』のタイトルは、「さいたま熊谷 猛暑を生き抜く」ではありません。
「さいたま熊谷 夏のしあわせ」
暑いことが、しあわせなのではない。恵まれた土地だから、しあわせなのでもない。自分では変えられないものがあっても、その中に楽しみを見つけ、人と分かち合い、ときには笑い飛ばしてしまう。それが、この街の人たちが見つけた「夏のしあわせ」なのかもしれません。
そう思うと、「日本一暑い街なんて、住みにくそうだなぁ」と思っていた熊谷が、少しだけ違って見えてきます。夏になれば相変わらず、暑い。たぶん、ものすごく暑い。それでも街のどこかから、お囃子が聞こえてくる。誰かがうちわを扇いでいる。そしてまた誰かが、「今日も暑いねぇ」と笑っている。そんな夏も案外、しあわせなのかもしれません。
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