水の惑星なのに、なぜ水が足りない?|蛇口の向こうから見えてくる「水の真相」【真相の館】

1滴の水の中には… BLOG
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蛇口をひねれば、きれいな水が出てくる。喉が渇けばそのまま飲めるし、料理にも使える。暑い夏には、そうめんや蕎麦を冷たい流水でじゃぶじゃぶ洗うことだってできます。日本で暮らしていると、そんな毎日を「特別なこと」だとは、あまり思わないかもしれません。

けれど、少し地球を見渡してみると不思議なことに気づきます。地球は「水の惑星」と呼ばれるほど水に満ちているのに、世界では水不足に苦しむ地域がある。一方では干ばつが続き、別の場所では豪雨によって暮らしが脅かされています。

さらに地球温暖化を加速させるもののひとつも、実は「水」なのだとか…。水は、本当に足りなくなっているのでしょうか? それとも問題なのは、水の「量」ではないのでしょうか? 今回は『真相の館』をきっかけに、いつも何気なく使っている蛇口の向こう側を、少しだけのぞいてみたいと思います。

【放送日:2026年9月12日(土)20:30 -21:00・NHK-Eテレ】
【放送日:2026年9月17日(木)22:00 -22:30・NHK-Eテレ】

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水の惑星なのに、なぜ水が足りない?

宇宙から見た地球は、青く輝いています。地球の表面のおよそ7割を海が覆っているのですから、「水が足りない」と言われても、どこか不思議な感じがします。

水なら、こんなにたくさんあるのに…。けれど、地球上にある水のほとんどは海水です。淡水は全体のわずか2.5%ほど。しかも、その多くは氷河や氷床、地下水として存在しているため、川や湖などにあって私たちが利用しやすい水となると、さらに限られます。

つまり、水そのものが地球からなくなっているわけではありません。問題は、私たちが必要とする場所に、必要なときに、「使える水」として存在しているかどうかなのです。

たとえば、目の前に海が広がっていたとしても、喉が渇いたからといって海水をそのまま飲むことはできません。南極には膨大な量の氷がありますが、水不足に苦しむ地域へ簡単に運べるわけでもありません。

雨も同じです。一年を通してほどよく降ってくれれば水源になりますが、長い間ほとんど降らなければ渇水になり、一度に大量に降れば、今度は洪水や土砂災害を引き起こします。そう考えると、「水不足」という言葉の見え方が少し変わってきます。

足りないのは、地球上の水そのものではない。人間が必要なときに、必要な場所で使える水が足りない。「水の惑星」で暮らす私たちが水不足に悩むという不思議は、どうやらここから始まっているようです。

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海の水を飲み水にすれば、解決する?

「使える水」が少ないのなら、地球上にたくさんある海水を使えるようにすればいいじゃないか。そんな発想から生まれた方法のひとつが、海水の淡水化です。

沖縄の離島では、雨が少ない時期が続くと水不足が暮らしに直結します。慶良間諸島でも、かつては小さなダムなど限られた水源に頼り、「水は大切な資源」として節水が呼びかけられてきました。

ところが海水を淡水に変える設備が整備されると、水を取り巻く暮らしも変わってきます。以前なら観光客にも節水が求められていた島で、今では水を節約していると「そんなに節水しなくても大丈夫だよ」と言われることさえあります。

「今は海水を淡水にしているんだからさぁ~」

技術によって、「水が足りない」という不安を小さくすることができたのです。だったら、海水淡水化をもっと広げれば、世界の水不足も解決できるのでしょうか?

もちろん、そう簡単ではありません。海水から塩分を取り除くには設備だけでなくエネルギーが必要です。そして真水を取り出したあとには、通常の海水より塩分濃度の高い「ブライン」と呼ばれる水が残ります。それを海へ戻す場所や方法によっては、周辺の塩分濃度が変化し、海の生態系に影響を与える可能性もあります。

水不足を解決するための技術が、別の環境問題を生み出すかもしれない。ここにも、水をめぐる難しさがあります。

そして、もうひとつ大きな問題があります。慶良間のような島なら、周囲には海があります。けれど世界で水不足に苦しんでいる場所が、すべて海のそばにあるわけではありません。海から遠く離れた内陸部では、淡水化した水を長い距離運ばなければならず、それにも施設やエネルギー、そして大きなコストが必要になります。

では、海から遠く離れた場所で暮らす人たちは、どこから水を手に入れればいいのでしょう。空から降ってくる雨でしょうか? ところが、その「雨」の降り方まで、いま変わり始めています。

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水不足なのに、なぜ豪雨は増える?

水が足りない地域がある一方で、近年の日本では、まるで空からバケツをひっくり返したような豪雨による災害が繰り返されています。

水不足と豪雨。一見すると、まったく反対の現象のように思えます。けれど、この二つをつないでいるもののひとつが、地球をめぐる「水の循環」です。海や地表から蒸発した水は水蒸気となって大気へ上がり、やがて雲をつくり、雨や雪となって再び地上へ戻ってきます。

問題は、地球温暖化によって、その循環のしかたまで変化していることです。気温が高くなるほど、大気はより多くの水蒸気を含むことができます。さらに海面水温が高くなれば、海から大気へ供給される水蒸気も増えます。条件が重なったとき、その大量の水蒸気が雨となって一気に地上へ落ちてくる。

温暖化によって必ず豪雨が起きるという単純な関係ではありませんが、大雨がより激しくなる背景のひとつには、こうした変化があります。では、『真相の館』で紹介される「地球温暖化を加速させているのは、実は水だった」という話は、どういうことなのでしょう?

その鍵になるのが「水蒸気」です。水蒸気には、二酸化炭素と同じように地表から放出される熱を吸収する温室効果があります。ただし、水蒸気が温暖化の最初の原因になるというより、二酸化炭素などによって気温が上昇すると、大気中に含まれる水蒸気が増え、その水蒸気がさらに温室効果を強めるという働きがあります。

温暖化によって水蒸気が増え、その水蒸気が温暖化をさらに増幅する。「水が温暖化を加速させる」という言葉の向こうには、そんな循環があるのです。そして不思議なのは、大気中をめぐる水が増えたからといって、すべての土地に必要な量の雨が均等に降るわけではないことです。

ある場所では雨が降らず、干ばつになる。別の場所では短時間に大量の雨が降り、洪水になる。人間が欲しいのは、ただ「たくさんの水」ではありません。田畑を潤し、川や地下水を満たし、暮らしを支えてくれる水が、必要な場所に、必要なときに、必要な量だけ届くことです。

水不足と豪雨は、正反対の問題ではないのかもしれません。どちらも、私たちが当たり前だと思ってきた「水のめぐり方」が変わることで起きる、水をめぐる危機なのです。

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月へ行く人類が、最初に探すものは水?

水が必要な場所にないのなら、人間は水を運んできました。アフガニスタンで長年支援活動を続けた医師・中村哲さんも、その一人です。中村さんはもともと、病気やけがを治療するために現地へ赴いた医師でした。しかし干ばつに苦しむ人々を前にして、診療だけでは命を守れないことに気づきます。

清潔な水がなければ病気になる。雨が降らなければ作物が育たず、食べるものもなくなる。そこで井戸を掘り、さらに農地へ水を届けるための用水路建設にも取り組みました。

医師が水路を造る。一見すると不思議なことのようですが、「人の命を守る」という目的から考えれば、医療と水は決して離れたものではなかったのでしょう。人類は古くから、川から水路を引き、井戸を掘り、ダムを造り、水を必要な場所へ運ぶことで暮らせる土地を広げてきました。

では、その人類が地球を飛び出したらどうなるのでしょう? NASAなどが進める「アルテミス計画」では、人類が再び月面に降り立つだけでなく、将来の継続的な月面活動も見据えています。そこで重要になる資源のひとつが「水」です。

月の極域には、太陽の光がほとんど届かない場所があり、そこには水が氷の状態で存在していると考えられています。もし月面で水を確保できれば、飲み水として利用できるだけではありません。水を分解して酸素を得たり、水素と酸素をロケットの推進剤などに利用したりできる可能性があります。

もちろん、地球から水を運ぶこともできます。けれど、人間が活動するために必要な水を、そのたびに地球からロケットで運び続けるのは大きな負担になります。だから月へ行こうとしている人類は、まず現地で使える水を探しているのです。

ここまで来ると、水が単なる「飲み物」ではないことが見えてきます。アフガニスタンの乾いた大地でも、38万km離れた月でも、人間がそこに暮らし、活動し続けようとすれば水が必要になる。水は、文明ができたあとに必要になるものではありません。

水があるからこそ、そこに文明をつくることができる。そう考えると、地球で暮らす私たちの日常が、少し不思議に見えてきます。

月では、人類が探査機を送り、どこに氷があるのかを懸命に探しています。それなのに地球では、蛇口をひねれば水が出てくることを、ほとんど意識することさえありません。では、私たちの目の前にあるこの水は、本当に「あって当たり前」のものなのでしょうか。

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蛇口の水は、本当に「あって当たり前」?

昔の人たちは、水がなければ暮らしを守れないことをよく知っていました。島根県の国宝・松江城には、天守の内部に今も井戸が残されています。もし敵に城を囲まれ、外へ出られなくなったとしても、人は水を飲まなければ生きていけません。

戦国の城にとって井戸は、単なる生活設備ではなく、そこにいる人たちの命を支えるものでもあったのです。それから400年以上。私たちは、水を手に入れるために井戸まで歩く必要も、水路を掘る必要もありません。蛇口をひねれば水が出てきます。

そのまま飲める水で野菜を洗い、お風呂を沸かし、暑い日にはそうめんや蕎麦を流水でじゃぶじゃぶ冷やすこともできます。あまりにも簡単に手に入るから、私たちは水が「どこから来たのか」を考えることさえ少なくなりました。

けれど、海外へ行くと、その当たり前が少し揺らぐことがあります。水道水をそのまま飲めるのかを確認したり、地域によってはボトル入りの水を選んだりする。同じ地球に暮らしていても、水との付き合い方は同じではありません。

そして、水不足に悩んできた島でも変化は起きます。海水淡水化によって安定して水を使えるようになれば、かつて当たり前だった「節水」の意識が少しずつ薄れていくこともあります。それは、人間が水を大切にしなくなったということなのでしょうか。

もしかすると、少し違うのかもしれません。水の心配をしなくても暮らせるようにすることこそ、私たちが長い時間をかけて築いてきた文明でもあるからです。井戸を掘り、水路を造り、ダムに水を蓄え、浄水場できれいにし、水道管を通して一軒一軒の家まで届ける。

蛇口から水が出るという「当たり前」は、最初からそこにあったものではありません。たくさんの人と技術によって、当たり前に見えるようになったものなのです。

そんな時、大災害が起こって”断水”したりすると、途端に人々の生活が困窮してしまうのです。だから、私たちが忘れてはいけないのは、「水を使ってはいけない」ということではないのでしょう。

海には水がある。空にも水がある。地面の下にも水があり、遠い月にまで氷があるかもしれない。それでも、人間が必要な場所に、必要なときに、安心して使える水があるとは限りません。

蛇口をひねれば、今日も水が出てきます。その何気ない日常は、地球に水がたくさんあるからだけではなく、私たちが長い時間をかけて「使える水」を届け続けてきたからこそ成り立っているのです。

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まとめ|蛇口の向こうにある水の物語

地球には、たくさんの水があります。それでも私たちは、水不足に悩み、海水を真水に変え、水路を造り、ときには多すぎる雨に苦しんでいます。そして地球を飛び出そうとする今、人類は月にまで水を探しています。

水があることと、私たちが使える水があることは、同じではありません。必要な場所に、必要なときに、必要な量の水がある。これまで当たり前だと思っていたそのバランスが、実は私たちの暮らしを静かに支えていたのかもしれません。

蛇口をひねると、今日も水が流れてきます。その一滴がどこから来て、どこへ帰っていくのか。次にコップへ水を注ぐとき、ほんの少しだけ思い出してみてもいいのかもしれません。


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