福岡市の姪浜から、フェリーでおよそ1時間。玄界灘の真ん中に、エメラルドグリーンの海に囲まれた小さな島があります。福岡市西区、小呂島(おろしま)。同じ福岡市とはいっても、気軽に「ちょっと天神まで」と出かけられる場所ではありません。
島と本土を結ぶフェリーは一日にわずか1~2便。都会の暮らしに慣れた私たちから見れば、決して便利な場所とはいえないでしょう。それなのに、この島へ家族で移住してきた人がいました。いったい、なぜ?
NHK『小さな旅』「玄界灘の真ん中で ~福岡市 小呂島~」で出会うのは、豊かな海とともに生きる人たちです。定置網で魚を獲る人。海へ潜り、クエを獲る青年。そして、島の外からやって来た人を温かく迎える人たち。
獲った魚を誰かに振る舞い、迎えてもらった人は、今度は島唯一の食堂をつくることで恩を返していく。そこには、都会とは少し違う「豊かさ」があるように思えます。
便利なことと、豊かに暮らすことは、本当に同じなのでしょうか? 船に揺られて玄界灘を渡りながら、私たちも小呂島で暮らす人たちの「ここで暮らしたい理由」を探してみたいと思います。
【放送日:2026年8月30日(日)8:00 -8:25・NHK-総合】
【放送日:2026年9月4日(金)11:05 -11:30・NHK-総合】
【放送日:2026年9月5日(土)6:05 -6:30・NHK-BSP4K】
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「便利じゃない島」で、どう暮らす?~一日わずかな船が結ぶ小呂島
小呂島(おろのしま)は、福岡市西区に属する玄界灘の小さな島です。「福岡市」と聞くと、博多駅や天神のようなにぎやかな街を思い浮かべるかもしれません。けれど小呂島から、その街へ出かけるのは簡単ではありません。
島と本土を結んでいるのは、姪浜と小呂島を約1時間で結ぶ福岡市営渡船。運航する船の数は曜日によって異なり、一日にわずか1~2往復です。つまり小呂島では、「ちょっと買い物に行ってくる」「午後から天神へ遊びに行こう」という、都会では当たり前のような行動にも船の時刻を考えなければなりません。
私も以前、沖縄の慶良間諸島を何度も訪れたことがあります。そこにもコンビニはなく、島の人たちが「スーパー」と呼ぶ小さなお店が一軒あるような暮らしがありました。それでも慶良間にはフェリーのほかに高速船があり、島によっては空港もあります。
それと比べても、一日にわずかな船だけで本土と結ばれている小呂島は、同じ「福岡市」とはいえ、私たちが想像する都市の暮らしとはずいぶん違うように感じます。ところが、島の外から見れば「便利じゃない」と思える小呂島へ、家族で移住してきた人がいました。
なぜ、わざわざこの島だったのでしょう? もしかすると私たちは、暮らす場所の豊かさを、店の数や交通の便利さばかりで測っているのかもしれません。小呂島を取り囲む玄界灘へ目を向けると、この島には都会にはない、もう一つの「豊かさ」が見えてきます。それは、島の人たちの暮らしを昔から支えてきた――豊かな海です。
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玄界灘は、島の「台所」~定置網と素潜りが支える暮らし
小呂島で暮らす人たちにとって、玄界灘はただ眺めるだけの美しい海ではありません。島を取り囲む海そのものが、昔から人々の暮らしを支えてきました。『小さな旅』に登場するのも、そんな豊かな海とともに生きる人たちです。
島では定置網漁が行われ、季節ごとにさまざまな魚が水揚げされます。そして海へ潜り、自らの手で魚や海の幸を獲る人もいます。番組で出会った青年が素潜りで獲ってきたというのが、高級魚として知られるクエでした。
クエは岩礁域の岩穴などに身を潜めて暮らす大型の魚です。岸壁からエメラルドグリーンの海を覗いてみても、そう簡単に姿を見つけられる魚ではありません。大きな個体を相手にする漁は危険も伴い、かつては巨大なクエに漁師が海中へ引き込まれた――そんな伝承まで残っているといいます。
それほどの魚を、青年は島の外からやってきた人たちに振る舞うのだそうです。ここで少し不思議に思いました。クエといえば、市場では高値で取引される高級魚です。それなら売ったほうがいいのでは――と、島の外で暮らす私はつい考えてしまいます。
けれど小呂島では、海から得たものの価値を、お金だけでは測っていないのかもしれません。たくさん獲れたから、誰かに分ける。珍しい魚が獲れたから、一緒に食べる。島へやってきた人だから、ごちそうする。玄界灘は、魚を獲って生計を立てる「仕事場」であると同時に、誰かと海の恵みを分かち合う、大きな「台所」でもあるのでしょう。
便利なものが何でも揃っているわけではない小呂島。ネット通販だってなかなか届きません。けれど島を一歩出れば、そこには豊かな海があります。私たちは「何がないか」を見て、この島を不便だと思いました。島で暮らす人たちは、「ここにあるもの」を生かしながら暮らしているのかもしれません。
そして、この豊かな玄界灘は、いつも穏やかな恵みだけを島へ運んできたわけではありません。島に残る古い砲台跡は、かつて人々がこの同じ海の向こうを警戒していた時代があったことを、今に伝えています。
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この島は、ずっと海を見つめてきた~砲台跡に残る玄界灘の記憶
エメラルドグリーンの海に囲まれた小呂島。いま私たちの目に映る玄界灘は、魚を育て、人々の暮らしを支えてくれる豊かな海です。けれど島を歩いていると、その海をまったく違う眼差しで見つめていた時代の痕跡に出会います。
小呂島には現在も、旧日本陸軍の砲台跡や旧日本海軍の施設跡が残されています。福岡県教育委員会の戦争遺跡調査によれば、小呂島砲台の建設が始まったのは1935(昭和10)年。1937(昭和12)年に完成し、陸軍の「壱岐要塞」を構成する施設の一つとして、15センチカノン砲4門が備えられていました。太平洋戦争末期になって、本土決戦のため急ごしらえされた砲台ではありません。
日本が太平洋戦争へ突入するより前から、この島は玄界灘を見張る場所として重要視されていたのです。さらに海軍も島に防備施設を置き、海の向こうから近づく艦船や潜水艦などを警戒していました。考えてみれば、玄界灘は昔から九州と大陸との間に横たわる海です。
はるか鎌倉時代には、この海の向こうから元の軍勢がやって来ました。もちろん、元寇と昭和の砲台建設を直接結びつけることはできません。それでもこの海が、豊かな恵みを運んでくる一方で、「海の向こうから何がやって来るのか」を見つめなければならない場所でもあったことは確かでしょう。
戦争が激しくなると、小呂島も無傷ではいられませんでした。島にあった15センチカノン砲は、戦争末期には別の砲台へ移されましたが、小呂島の集落は砲台が残っている可能性があるとして空襲を受けたといいます。そして戦争が終わって80年以上。同じ玄界灘を、島の人たちはいまも見つめています。
ただ、その眼差しはずいぶん違うものになりました。海へ潜って魚を獲る人がいる。島の外から仕事でやって来る人がいる。そして、遠くから家族とともに移住してくる人もいる。かつて海の向こうから来るものを警戒していた島で、いまは外からやって来た人を温かく迎えている。
時代が変われば、同じ海の見え方も変わるのでしょう。そんな小呂島へ家族でやって来た一人の男性は、島の人たちに迎えてもらったことへの恩返しとして、ある場所をつくることに力を尽くしました。それが――島で唯一の食堂でした。
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「俺んち、明日は外食なんだ!」~島に一軒の食堂ができるということ
「俺んち、明日は外食なんだ!✨」
ずいぶん昔、訪れていた沖縄の慶良間諸島の島で暮らす知り合いの小学生の男の子が、嬉しそうにそう話してくれたことがあります。
当時、その島で外食できる場所はほとんどありませんでした。旧フェリーターミナルの建物に、島の人たちが「パーラー」と呼んでいた小さなお店があったくらい。だから「明日は外食」というだけで、その子にとっては誰かに自慢したくなるほど特別な出来事だったのでしょう。
都会で暮らしていると、外食する場所が一軒あることの意味なんて、あまり考えません。今日はラーメン。明日は定食。週末だから家族でどこかへ。選択肢がたくさんあることが当たり前だからです。けれど、小さな離島では違います。
『小さな旅』に登場する男性は、家族とともに小呂島へ移住してきました。島の外からやって来た家族を、島の人たちは温かく迎えてくれたといいます。その恩返しとして男性が力を尽くしたのが、島で唯一となる食堂のオープンでした。
一軒の食堂ができる。文字にすれば、それだけのことかもしれません。けれど島で暮らす人にとっては、そこで家族と食事ができる。誰かと待ち合わせることができる。島を訪ねてきた人を「ここへ行こう」と連れていくことができる。
そして島の外から来た人にとっては、小呂島の人と出会う場所にもなります。食堂とは、料理を食べるだけの場所ではないのでしょう。考えてみれば、この島では同じことが繰り返されています。
海でクエを獲った青年は、その恵みを島の外から来た人へ振る舞う。島の人たちは、外からやって来た家族を迎える。迎えてもらった男性は、今度は食堂をつくることで島へ返す。迎えてもらった人が、いつか誰かを迎える人になる。
小呂島の助け合いとは、誰か一人が一方的に与え続けることではなく、そんなふうに少しずつ巡っていくものなのかもしれません。
あのころ慶良間で出会った男の子が、どうしてあんなに嬉しそうだったのか? いまなら、ほんの少しわかる気がします。「俺んち、明日は外食!」その言葉の向こうには、島に暮らしているからこそ感じられる、一軒のお店がそこにある喜びがあったのでしょう。
そして小呂島にもまた、そんな一軒の食堂があります。便利なものがたくさんあるわけではない。だからこそ、そこに生まれた一つの場所を、みんなで大切にする。それもまた、小呂島で見つけた「豊かさ」の一つなのかもしれません。
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便利じゃないけど、ここで暮らしたい~小呂島で見つけた「豊かさ」
玄界灘の真ん中に浮かぶ、小さな小呂島。島と福岡を結ぶ船は一日にわずか。買い物をする場所も、食事をする場所も、都会のようにいくつもの選択肢があるわけではありません。島を訪れる前の私は、そんな小呂島のことを「不便なところだな」と思っていました。
けれど島を歩いているうちに、少し違う景色が見えてきました。目の前には、暮らしを支えてくれる豊かな玄界灘がある。海へ出れば魚が獲れる。珍しいクエが獲れれば、島の外から来た人にも振る舞う。新しくやって来た家族がいれば、島のみんなで迎える。
そして迎えてもらった人は、今度は食堂をつくり、誰かを迎える側になっていく。そこには、便利なサービスの代わりに、人と人との間を行き来するものがありました。
もちろん、離島の暮らしを「不便だけれど、人が温かくて素敵なところ」と簡単に美化することはできません。船が欠航する日もあるでしょう。欲しいものが、すぐには手に入らないこともある。病院や学校、仕事、子育てなど、島で暮らし続けるからこその難しさもきっとあります。
それでも、この島へ家族で移住し、「ここで暮らそう」と決めた人がいる。その事実は、私たちが普段当たり前だと思っている「豊かさ」を、少しだけ考え直させてくれます。
何でも買えること。どこへでもすぐに行けること。たくさんの中から好きなものを選べること。それも、もちろん豊かさです。でも、それだけではないのでしょう。
自分の目の前にあるものを大切にする。海からもらったものを、誰かと分ける。困ったときには助けてもらい、いつか自分にできることで返していく。
ないものを数えれば、便利じゃない島。
あるものを見つめれば、豊かな島。
玄界灘に夕陽が沈んでいきます。やがて海が暗くなれば、はるか遠くに見える福岡の街には、たくさんの明かりが灯るのでしょう。その光から離れた小さな島にも、人々の暮らしがあります。
便利じゃないけど、ここで暮らしたい。小呂島で出会った人たちを見ていると、その言葉の意味がほんの少しわかったような気がしました。豊かさとは、たくさん持っていることではなく――「ここにあるもの」を、誰かと大切にできること。小呂島には、そんな暮らしがありました。
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