港の灯りは、海とともに変わっていく――函館・船団集結の時代とイカ漁の現在|よみがえる新日本紀行

イカ漁の漁火 BLOG
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昭和46年の函館港には、北洋サケマス漁へ向かう漁船が集まり、港は出漁前の熱気に包まれていました。岸壁では家族が別れを惜しみ、夜の街には漁師たちの賑わいがあふれる——そこには、“海とともに生きる港町”の姿が確かにありました。

『よみがえる新日本紀行』「船団集結 -函館-」は、そんな昭和の函館を鮮やかな映像でたどりながら、51年後の現在へと視線を重ねていきます。

北洋サケマス漁の拠点は移り、函館の漁業を支える存在もイカ漁へと変化しました。しかし近年、そのスルメイカさえ不漁が続き、北海道の海ではサンマやサケに代わってブリが多く獲れるなど、“海の地図”そのものが変わり始めています。

それでも港には、今日も船を送り出す人がいる。灯りは変わっても、海とともに生きる町の時間は、静かに続いているのかもしれません。

【放送日:2026年5月20日(水)9:45 -10:25・NHK-BS】
【放送日:2026年5月27日(水)1:15 -1:53・NHK-BS】

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サケマス船が埋め尽くした函館港|昭和46年、“船団集結”の熱気とは?

昭和46年の函館港には、北洋サケマス漁へ向かう大型漁船が次々と集まり、港全体が出漁前の熱気に包まれていました。『よみがえる新日本紀行』「船団集結 -函館-」では、岸壁に並ぶ漁船、忙しく行き交う人々、そして家族との別れを惜しむ姿が、鮮やかな映像で映し出されます。

当時の北洋サケマス漁は、北海道経済を支える巨大産業のひとつでした。函館港は、その出漁拠点として全国から船が集まる“海の玄関口”のような存在だったのです。夜になると港には無数の灯りがともり、繁華街には出漁を前にした漁師たちの姿があふれていました。

長い航海へ向かう前のひととき。賑わいの中には、どこか“別れの気配”も混じっていたのかもしれません。北の海へ向かう船を見送る家族。岸壁に立つ妻や子どもたち。いつ戻れるかわからない海へ出る時代だったからこそ、港の灯りには、暮らしそのものの重みが宿っていました。

そして、その無数の灯りこそが、昭和の函館を象徴する風景だったのでしょう。いま振り返ると、それは単なる“漁業の最盛期”ではなく、海とともに生きていた港町の記憶そのものだったように感じられます。

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北洋漁業の時代が終わったあと、函館の海はどう変わったのか?

かつて函館港を埋め尽くしていたサケマス船団の姿は、やがて少しずつ見られなくなっていきます。
昭和の北洋漁業は、日本の食卓と北海道経済を支える巨大産業でした。しかし時代が進むにつれ、各国の200海里水域設定によって遠洋漁業を取り巻く環境は大きく変化し、日本の北洋サケマス漁も縮小を余儀なくされていきました。サケマス漁の拠点は次第に根室へ移り、かつて“船団集結”の熱気に包まれていた函館港も、その役割を変えていきます。

夜の岸壁を埋めていた無数の灯り。出漁を前に賑わった飲み屋街。長い航海へ向かう男たちを送り出していた港町の熱気も、少しずつ遠い時代の記憶になっていきました。けれど、それは単純に“港が衰退した”という話ではないのかもしれません。

函館の海は、その後も別の恵みとともに生き続けてきました。サケマスに代わって函館の漁業を支える存在になっていったのが、近海のスルメイカです。函館朝市や食事処に並ぶ新鮮なイカは、やがて観光都市・函館を象徴する味のひとつになっていきました。

かつて北洋へ向かう船を送り出していた港町は、今度は“イカの町”として新しい時間を刻み始めたのです。ただ、その海もまた、近年は大きく変わりつつあります。スルメイカの不漁。減少するサケやサンマ。一方で北海道では、かつてあまり見られなかったブリの水揚げが増えるなど、海の景色そのものが少しずつ変わり始めています。

港の灯りは消えたわけではない。けれど、その灯りが照らしている海は、昭和のころとはもう違うのかもしれません。

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函館を支えたスルメイカ漁|父から子へ受け継がれる海の仕事

北洋サケマス漁の時代が遠ざかったあと、函館の海を支える存在になっていったのがスルメイカ漁でした。函館朝市に並ぶ新鮮なイカ。港町の食堂に並ぶイカ刺しやイカ飯。スルメイカは、いつしか函館を代表する“海の味”として、多くの人に親しまれるようになります。

『よみがえる新日本紀行』「船団集結 -函館-」では、かつて父親がサケマス漁からイカ漁へ転換し、その船を受け継いできた漁師の姿が描かれます。海が変われば、漁も変わる。けれど、“海で生きる仕事”そのものは、親から子へと受け継がれてきました。

番組に登場する親子が新たに購入した船には、地元漁業の期待も託されています。それは単なる漁船ではなく、「この港で生き続ける」という決意そのものなのかもしれません。

かつて函館の夜の海を照らしていたのは、強い漁火を掲げたイカ釣り漁船でした。まるで海の上にもうひとつの街が浮かんでいるような光景は、函館の夏の風物詩でもあったのです。

しかし近年、その灯りも少しずつ変わり始めています。燃料価格の高騰や省エネルギー化の流れの中で、イカ釣り漁船の集魚灯はLED化が進みました。昔のような強烈な白熱灯の漁火ではなく、青白く静かな光へ——。けれど、灯りが変わっても、海へ出る人の思いまで変わったわけではありません。

不漁が続く厳しい海。それでも船を出し、海を見つめ続ける人がいる。函館の港はいまも、そんな人たちの灯りによって支えられているのでしょう。

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スルメイカ不漁の背景とは?北海道の海で起きている異変

近年、函館のスルメイカ漁は厳しい状況が続いています。かつては函館の夏の海を埋め尽くしていたイカ釣り漁船の灯りも、以前ほど見られなくなったと言われています。港町を支えてきた“海の恵み”に、いま大きな変化が起きているのです。

スルメイカは寿命がおよそ1年ほどの「年魚」と呼ばれる生き物です。世代交代が早いぶん、海水温や海流の変化など、環境の影響を受けやすいとも言われています。近年は北海道周辺でも海水温の上昇が指摘され、イカの回遊ルートそのものが変わってきている可能性もあるようです。

さらに、変化しているのはイカだけではありません。北海道ではサケやサンマの不漁が続く一方で、かつては暖かい海の魚という印象が強かったブリの水揚げが増加しています。海の中で、“かつての当たり前”が少しずつ変わり始めているのかもしれません。

こうした変化を見ると、かつて北海道で栄えたニシン漁の歴史を思い出す人もいるでしょう。かつて“海の財宝”と呼ばれたニシンも、乱獲や環境変化など複数の要因によって急激に姿を消し、多くの港町の風景を変えていきました。

もちろん、現在の不漁の原因は単純ではありません。海水温、海流、資源管理、海外漁業との関係など、さまざまな要素が複雑に絡み合っています。それでも、函館の海に灯っていた漁火が少しずつ減っている光景を見ると、海とともに生きてきた町だからこその“不安”が、静かに伝わってくるようです。

海は、これからどこへ向かうのか——。その問いは、函館だけでなく、日本の沿岸で暮らす多くの人たちに共通するものなのかもしれません。

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港の灯りは変わっても|函館に続く“海と生きる町”の時間

昭和46年、函館港には北洋サケマス漁へ向かう船団が集まり、港の夜は無数の灯りに包まれていました。岸壁には見送りの人々が立ち、繁華街には出漁前の漁師たちが行き交う——。そこには、海とともに生きる港町の熱気が確かにありました。

あれから半世紀。サケマス漁の時代は遠ざかり、函館の海を支えたスルメイカ漁もまた、大きな変化の中にあります。かつて夜の海を白く染めていた漁火は、LEDの静かな青白い灯りへと変わりました。獲れる魚も、海の流れも、昭和のころとは少しずつ違ってきています。けれど、函館の港から“海とともに生きる時間”まで消えたわけではありません。

海が変われば、人も町も変わっていく。サケマスからイカへ。そして、その先の新しい海へ——。函館はこれまでも、海の変化とともに姿を変えながら生き続けてきました。だからこそ、いま港に灯る光もまた、単なる“昔より静かな灯り”ではないのかもしれません。

それは、不安の中でも海へ船を出し、次の時代の海を探し続ける人たちの灯り。『よみがえる新日本紀行』「船団集結 -函館-」は、そんな函館の“変わり続ける時間”を、静かに映し出しているようでした。

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