子どもの頃、思い描いていた未来。今の自分は、そのとおりの人生を歩んでいるでしょうか? なりたかった職業に就いた人もいれば、まったく違う仕事をしている人もいるでしょう。思いがけない出会いで進む道が変わったり、悩んだ末に、それまでの仕事を離れたり…。
そもそも、大人になったからといって、人生の正解がわかるわけではありません。今日も迷いながら、そのときの自分なりに考えて、選んで、暮らしている。そんな人も少なくないはずです。
それなのに、わが子の将来となると、私たちはつい「失敗しない道」を探してしまいます。いい学校へ進めば安心なのか。将来なくなるかもしれない仕事を、子どもが夢見ていたらどうするのか、勉強よりも起業に夢中な子どもを、そのまま応援していいのか…。
AIの発展、気候変動、人口減少…。社会が大きく変わるなか、親たちの不安も尽きません。けれども、少し考えてみたいのです。
未来が予測できた時代なんて、本当にあったのでしょうか?
NHK『おとなりさんはなやんでる。』のテーマは「予測不能な時代の子育て」。番組では、教育学者の汐見稔幸さんとともに、子どもがこれからの社会を生きるために必要な力を考えます。
キーワードは「エージェンシー」。自分で考え、周囲と関わりながら、未来を切り開いていく力です。親がよかれと思って示した道が、必ずしも子どもにとっての正解とは限りません。だからといって、何も教えず、何も支えなくていいわけでもありません。
子どもに未来を選ぶ力を育てたいのなら、まず大人自身が「自分の常識」を疑ってみる必要があるのではないでしょうか。正解のわからない未来へ向かう子どもたちに、私たちは何を渡せるのか。自分自身のこれまでの人生も振り返りながら、考えてみたいと思います。
【放送日:2026年10月22日(木)20:00 -20:30・NHK-教育】
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未来を予測できた時代なんて、あったの?
「これからはAIの時代だから、子どもの将来が心配だ」
そんな声を聞くことが増えました。確かに、人工知能の発展によって、これまで人間が担ってきた仕事のあり方は大きく変わろうとしています。けれども、少し昔を振り返ってみると、気になることがあります。
そもそも、未来を予測できた時代なんて、あったのでしょうか。昭和の中頃、一般家庭にパソコンはなく、携帯電話もインターネットもありませんでした。1979年にウォークマンが登場すると、音楽を外へ持ち歩くという新しい楽しみ方が広がりました。
1980年代にはCDが普及し始め、1990年代にはMDも登場。レコードやカセットテープに代わる、新しい音楽の楽しみ方が次々に生まれました。映像の世界でも、家庭用ビデオのベータとVHS、レーザーディスク、DVD、ブルーレイと、さまざまな記録媒体が登場しました。
ところが今では、音楽も映画も、インターネットを通じて楽しむことが珍しくありません。あれほど便利だと思われた技術が、わずか数十年で暮らしの中心から退いていったのです。
「これからは電子メールの時代」だった頃
1990年代、パソコンとインターネットが普及し始めると職場でも、「これからは電子メールが使えないと困る」と言われるようになりました。仕事の連絡は手紙や電話、ファクスから電子メールへ。新しい技術を覚えることが、時代についていくための条件のように語られたものです。
ところが、その後はどうでしょう。携帯電話でメールを送るようになり、スマートフォンが普及すると、SNSやメッセージアプリが日常の連絡手段として広がりました。今では動画配信や音楽配信も当たり前になり、AIに質問したり、文章や画像を作ってもらったりすることさえできます。
かつては電話をかけるための道具だった携帯電話が、今では電話以外の用途に使われる時間のほうが長い人もいるでしょう。「これからはコンピュータの時代だ」と言われていた昭和の頃が、ずいぶん遠い昔のように感じられます。
でも、その時代を生きていた人たちは、決して未来を知らずに何もしていなかったわけではありません。新しい技術が現れるたびに、驚き、戸惑い、学び直しながら、少しずつ暮らしを変えてきたのです。
昔の親たちは、子どもの未来を知っていた?
では、昭和の親たちは、子どもが大人になったときの社会を予測できていたのでしょうか?
高度経済成長の時代には、いい学校へ進み、安定した会社に就職することが、将来の安心につながると考えられていました。もちろん、その道を選んで充実した人生を送った人もいるでしょう。しかし、その後にはオイルショックがあり、バブル経済の崩壊があり、雇用のあり方も変わっていきました。
インターネットを使った仕事が生まれ、以前には存在しなかった職業も登場しました。親が子どものためによかれと思って選んだ道が、何十年後も同じ価値を持ち続けるとは限らなかったのです。
それは、今も変わりません。ただし、現代の変化には、これまでと異なる面もあります。AIのような技術が、文章作成や分析など、知的な仕事の一部にまで入り込んできました。気候変動や人口減少といった問題も重なり、社会の変化は複雑になっています。
だから、昔も未来は予測できなかったのだから、今も何も心配しなくていい、という話ではありません。未来が予測できないことは昔から同じでも、変化の速さや影響の広がり方は、時代によって違うのです。
必要なのは、未来を当てること?
ここで、子育てについて考えてみたいと思います。子どもが将来困らないように、今から何を学ばせればいいのか。どんな学校へ進ませ、どんな仕事を目指させれば安心なのか。親が悩むのは、自然なことでしょう。けれども、20年後にどんな職業が求められているのか、誰にも正確にはわかりません。
今は有望に見える仕事が変化することもあれば、まだ名前すらない仕事が生まれることもあるでしょう。だとしたら、子どもに必要なのは、未来を正確に予測する力だけではないはずです。
予想していた未来と違う現実に出会ったとき、もう一度考え、学び、選び直せること。それは、昭和から平成、令和へと変化を経験してきた大人たちも、ずっと繰り返してきたことではないでしょうか。
未来を知らなくても、未来を生きることはできる。そして、未来が変わったときに、自分も変わっていける。そんな力を育てることが、これからの教育を考える出発点になるのかもしれません。
では、AIが仕事を変えていく時代に、子どもたちは何のために勉強するのでしょうか。大学へ進むことや、学歴を身につけることの意味も、改めて考えてみたいと思います。
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AI時代に、勉強や学歴は意味がなくなるの?
AIが文章を書き、翻訳をし、プログラムまで作る時代になりました。わからないことがあれば、検索するだけでなく、AIに質問すれば説明してもらうこともできます。それなら、学校で一生懸命勉強する必要はなくなるのでしょうか。
大学で専門知識を学ぶことや、学歴を身につけることにも、意味がなくなってしまうのでしょうか? そんな疑問が浮かびます。けれども、ここではまず、二つのことを分けて考えたいと思います。「学歴を持っていること」と「学び続けること」は、同じではありません。
AIが仕事をするなら、人間は何を学ぶの?
これまで、大学で専門的な知識を身につけることは、就職や職業選択の大きな助けになってきました。もちろん、今でも大学教育が必要な仕事はありますし、専門知識を体系的に学ぶことには価値があります。ただ、AIの発展によって、知識を持っているだけでは十分ではない場面が増えていくかもしれません。
たとえば、文章を書く仕事。AIは短い時間で文章を作り、情報を整理し、表現を整えることができます。けれども、その文章が正しいのか、誰に何を伝えたいのか、そもそも書く必要があるのか? そうした判断まで、何も考えずに任せてよいわけではありません。
AIの答えを理解し、疑い、必要なら修正するためにも、基礎的な知識が必要です。知識を覚えることの価値が変わっても、知識を使って考えることの大切さまでなくなるわけではないのです。一方、建設や設備の保守、介護、調理など、現実の状況に合わせて身体を動かす仕事にも、改めて注目が集まっています。
ただし、ホワイトカラーの仕事がすべて消えるとも、現場の仕事だけが残るとも、今の段階では言い切れません。AIだけでなく、ロボット技術も発展していくからです。だからこそ、「将来この仕事なら絶対に安心」という答えを探すこと自体が、難しくなっているのでしょう。
ギターの弾き方を知ることと、弾けることは違う
昔、好きなギタリストの演奏をコピーしようと思ったら、まず音源や映像を探すところから始まりました。古い友人にまで頼んでビデオを探し、レンタルレコードをカセットテープに録音して、擦り切れるまで何度も繰り返し聴く。耳を澄ませて音を拾い、指を動かしてみる。うまく弾けなければ、また聴き直す。
今なら、インターネットで演奏動画を探し、再生速度を変えて、指の動きを確かめることもできます。便利になったのは、間違いありません。でも、どれほどわかりやすい解説動画があっても、それを見ただけでギターが弾けるようになるわけではありません。実際に指を動かし、失敗し、練習を重ねる時間が必要です。
「知っている」と「できる」の間には、自分で試してみるという経験があります。これは、勉強にも通じることではないでしょうか。数学の解き方をAIに教えてもらうことと、自分で問題を解けるようになること。外国語を翻訳してもらうことと、自分の言葉で相手と話すこと。どちらも、同じではありません。便利な道具を使うことは、学ぶことをやめる理由にはならないのです。
人間の経験には、思い出も結びついている
もう一つ、考えてみたいことがあります。人間が積み重ねてきた経験は、単なる知識の集まりなのでしょうか。たとえば、何度も聴いた一曲。その音楽を聴くと、練習していた部屋や、友人と過ごした時間まで思い出すことがあります。
旅先で食べた料理も同じです。料理の名前や材料だけでなく、その土地の風景や、一緒に食べた人との会話まで、記憶に残っていることがあります。人間の学びには、こうした身体的な体験や感情、人との関わりが深く結びついています。
もちろん、AIも大量の情報から規則性を学び、さまざまな課題に対応する能力を高めています。将来、どこまで人間の仕事や能力に近づくのかは、まだわかりません。それでも、少なくとも私たちにとって、学ぶことの意味は、正しい答えを手に入れることだけではないはずです。
自分で体験し、考え、誰かと関わりながら、世界の見え方を変えていくこと。そこにも、学ぶことの大切な意味があるのではないでしょうか。
「いい学校に入れば安心」は、これからも正解?
では、学歴はどうでしょう。難関校に進学し、有名大学を卒業することが、将来の選択肢を広げることは今もあります。大学でしか得にくい専門的な学びや、研究の機会、人との出会いもあるでしょう。
一方で、大学へ進むことだけが、学びの道ではありません。専門学校で技術を身につける人もいれば、働きながら学ぶ人もいます。社会に出てから新しい分野を学び直す人もいます。大切なのは、大学へ行くか行かないかを、最初から一つの価値観で決めつけないことではないでしょうか。
子どもが何を学びたいのか。そのためには、どんな道があるのか。そして、途中で考えが変わったとき、別の道を選ぶことはできるのか。そんな問いを、親子で考えることにも意味があるはずです。
学歴が人生を保証してくれるとは限らない。でも、だからといって勉強が無意味になるわけでもない。むしろ、変化の大きな時代だからこそ、必要に応じて新しいことを学び続ける力が大切になるのでしょう。
ただ、ここで一つ気になることがあります。親が「あなたの将来のため」と考えて選んだ進路を、子ども自身は本当に望んでいるのでしょうか。次は、親の心配と子どもの希望がすれ違うとき、何が起きるのかを考えてみたいと思います。
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親の「あなたのため」は、本当に子どものため?
「あなたのためを思って言っているのよ」子どもの頃、こんな言葉を聞いたことはないでしょうか。勉強しなさい。いい学校へ行きなさい。そんな仕事では食べていけない。もっと将来のことを考えなさい。親としては、子どもに苦労してほしくないのでしょう。
自分が経験してきた失敗や苦労を、わが子には味わわせたくない。その気持ちは、決して間違っているわけではありません。でも、ここで少し意地悪な質問をしてみたくなります。その「あなたのため」は、本当に子どもの未来を見ているのでしょうか。それとも、親が知っている過去を基準にしているのでしょうか。
「そんなので食っていけるのか?」という決まり文句
子どもの頃、何か新しいことを始めようとすると、父親から決まってこんなことを言われました。
「そんなので食っていけるのか?」
「そんなことには金は出さない」
私の将来を心配してくれていたのかもしれません。けれども、子どもにとっては、まだ始めてもいないことを否定されたように感じる言葉でした。
そもそも、何かに興味を持ったからといって、最初からそれで生計を立てようと考えているとは限りません。音楽が好きだからギターを弾いてみたい。文章を書くのが好きだから、何かを書いてみたい。そんな小さな好奇心が、将来どこへつながるのかは、本人にもわからないものです。
ところが、大人はつい、その先にある「職業」や「収入」を尋ねてしまいます。子どもはまだ「やってみたい」と言っただけなのに、いつの間にか将来の生活設計を説明することになっている。少し、おかしな話ではないでしょうか。何かを始める前から、それで一生食べていけると証明できる人が、いったいどれほどいるのでしょう。
親が考える「安全な道」は、本当に安全?
今も、子どもの将来を考えて、早くから受験の準備をする家庭があります。よりよい教育環境を与えたい。将来の選択肢を広げてあげたい。そう考える親の気持ちは、よくわかります。実際に、進学によって新しい学びや出会いの機会が広がることもあるでしょう。だから、”お受験”そのものが悪いという話ではありません。
ただし、親が考える「よい進路」と、子ども自身が望む進路は、必ずしも一致しません。それに、今の社会で評価されている学歴や職業が、20年後も同じように評価されているとは限らないのです。
かつては、パソコンが使えることが大きな強みとされました。その後、インターネットや電子メールを使うことが当たり前になり、今ではAIを活用する能力まで求められるようになっています。
親が一生懸命調べて選んだ「将来有望な道」も、子どもが社会に出る頃には、違った景色になっているかもしれません。親が保証できない未来を、親の価値観だけで決めてしまってよいのでしょうか。
「失敗させたくない」が、挑戦を奪ってしまうことも
もちろん、親には子どもを守る責任があります。危険なことや、取り返しのつかない損失につながりそうなことを、何でも自由にさせればよいわけではありません。ただ、失敗を心配するあまり、挑戦する前から可能性を閉ざしてしまうことはないでしょうか。
たとえば、子どもが「将来、漫画家になりたい」と言ったとします。「そんな不安定な仕事はやめなさい」と言うこともできます。でも、「どんな漫画を描きたいの?」「今はどんなことを練習しているの?」と尋ねることもできます。
現実的な難しさを伝えることと、夢そのものを否定することは、同じではありません。むしろ、好きなことに挑戦する過程で、子どもは自分の得意なことや苦手なことを知り、努力の仕方や、うまくいかなかったときの対処法を学ぶかもしれません。
結果として別の道へ進んだとしても、その経験が無駄になるとは限らないのです。子どもが失敗しないように道を決めることと、失敗しても考え直せるように支えること。この二つは、似ているようで大きく違います。
親もまた、未来を知らない一人の大人
ここまで考えてくると、親の役割について、少し見方が変わってきます。親は、子どもより長く生きています。経験も知識もあり、社会の厳しさも知っているでしょう。でも、それは未来を知っているという意味ではありません。
親自身も、思い描いたとおりには進まなかった人生を歩んできたはずです。仕事を変えたり、考え方を変えたり、思いがけない出来事に戸惑ったり。大人になった今も、何が正解なのかわからず、悩むことはあります。それなのに、子どもの進路についてだけは、なぜか自信を持って「こっちが正しい」と言ってしまう。少し皮肉なことかもしれません。
もちろん、親が何も言わなくてよいわけではありません。知っていることを伝え、危険を教え、必要なときには助ける。そのうえで、子ども自身がどう考えているのかにも耳を傾ける。
「あなたのためだから」と結論を渡す前に、「あなたはどうしたい?」と尋ねてみる。親の経験は、子どもの人生を決めるための答えではなく、子どもが考えるための材料になるのではないでしょうか?
では、子どもが自分で考え、選び、行動できるようになるには、どんな力が必要なのでしょう。番組で紹介される「エージェンシー」という言葉から、もう少し考えてみたいと思います。
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「エージェンシー」って、何をする力なの?
「これからの子どもには、エージェンシーが必要です」
そう言われても、少し戸惑ってしまうかもしれません。そもそもエージェンシーとは、いったい何なのでしょうか。NHK『おとなりさんはなやんでる。』でも、予測不能な時代を生きる子どもたちに必要な力として、この言葉が取り上げられます。
教育の分野でいうエージェンシーとは、自分で目標を考え、選択し、行動しながら、自分や周囲の未来に働きかけていく力のことです。ただし、単に「自分の好きなように生きる」という意味ではありません。周囲の人と協力したり、必要な助けを求めたり、状況に応じて考えを変えたりすることも含まれます。
自分の人生を、自分一人で背負い込む力ではなく、他者と関わりながら、自分なりの道をつくっていく力。そんなふうに考えると、少し身近に感じられるのではないでしょうか。
「自分で考えなさい」と言われても……
子どもの頃、大人から「自分で考えなさい」と言われたことはないでしょうか。ところが、いざ自分で考えて何かを始めようとすると、今度は「そんなことをして何になる」と言われてしまう。それでは、子どもも困ってしまいます。大人の望む答えを出したときだけ「よく考えたね」と褒められるのなら、それは本当に自分で考えたことになるのでしょうか?
子どもが「ギターを弾いてみたい」と言ったとします。そこで「音楽で食べていくのは難しいぞ」と伝えること自体は、間違いではありません。でも、子どもはまだ、プロの音楽家になると決めたわけではないかもしれません。
ただ好きな曲を弾いてみたいだけかもしれない。あるいは、本気で音楽の道を目指しているのかもしれない。大切なのは、まず本人が何を考えているのかを知ることではないでしょうか。
「どんな曲を弾きたいの?」
「どうやったら練習できるかな?」
「プロになりたいなら、どんな道があるんだろうね?」
そんな問いかけから、子ども自身の考えが少しずつ形になっていくこともあるはずです。大人が答えを決めるのではなく、子どもが答えを探すための選択肢を増やす。それも、エージェンシーを育む関わり方の一つなのでしょう。
大人の経験は、子どもの未来の答えになる?
「俺はいろいろ経験してきた。だからわかるんだ」そんな言葉にも、一理あります。実際に経験した人だからこそ、知っている難しさがあるでしょう。失敗したからこそ、伝えられる注意点もあります。けれども、ここで一つ考えてみたいのです。その大人が経験したのは、あくまでも自分自身の人生の中ではないでしょうか。
同じ夢を持ったとしても、子どもと親では得意なことも、性格も、出会う人も違います。時代が変われば、挑戦するための方法も変わります。かつては難しかったことが、新しい技術や社会の仕組みによって可能になることもあります。もちろん、成功した人が一人いるからといって、自分も成功できるとは限りません。
可能性がゼロではないことと、現実的に実現できる見込みが高いことは、別の話です。だからこそ、子どもには成功例だけでなく、難しさや失敗例も知ってほしい。ただし、それらは挑戦を禁止するためではなく、本人が判断するための材料であってほしいのです。
「私にはできなかった」と「あなたにもできない」は、同じ意味ではありません。大人の経験が貴重だからこそ、その違いを忘れたくありません。
自分で選ぶことは、一人で決めることじゃない
エージェンシーという言葉を聞くと、何でも自分で決めて、自分の責任で行動することを想像するかもしれません。けれども、子どもが一人で知ることのできる世界には限りがあります。音楽の仕事に興味を持ったとしても、演奏家になる道だけではありません。
作曲や録音、音響、楽器の製作や修理、音楽教育など、さまざまな関わり方があります。そうした選択肢を知らなければ、子どもは選ぶことさえできません。
学校の先生や家族、地域の人、実際にその仕事をしている人。さまざまな大人との出会いが、子どもの世界を広げてくれることがあります。そして、自分で選んだ道がうまくいかなかったときにも、誰かに相談したり、助けを求めたりしていいのです。
自分で決めたのだから、最後まで一人で責任を取らなければならない。そんな考え方では、挑戦すること自体が怖くなってしまうでしょう。自分で考える力と、人を頼る力は、決して反対のものではありません。むしろ、どちらも変化の大きな時代を生きるために必要な力なのだと思います。
一度決めた夢を、変えてもいい
もう一つ、大切にしたいことがあります。それは、一度選んだ道を、ずっと歩き続けなければならないわけではないということです。子どもの頃に憧れた仕事とは、まったく違う仕事に就く人もいます。好きだったことが、いつの間にか別の形で仕事につながることもあります。
逆に、夢を追いかけてみたからこそ、自分には別の道が向いていると気づくこともあるでしょう。それは、必ずしも挫折や失敗だけではありません。新しい経験を通して、自分の考えが変わったということでもあります。
大人になってからだって、同じです。昨日まで正しいと思っていたことが、今日も正しいとは限らない。だから、必要なら考え直していい。自分で選ぶ力には、自分で選び直す力も含まれているのです。
しかしここまで読んで、「それなら子どもには何も言わず、自由にさせればいいのか」と思う人もいるかもしれません。もちろん、そうではありません。子どもの年齢や経験によって、必要な支え方は違います。経済的な事情や安全面の問題もありますし、挑戦するための機会が誰にでも同じように与えられているわけでもありません。
では、大人はどこまで助言し、どこから子ども自身に任せればよいのでしょうか? 次は、番組に登場する親たちの悩みも手がかりにしながら、具体的に考えてみたいと思います。
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子どもに「自分で考えなさい」と言うだけでいいの?
「自分の人生なんだから、自分で考えなさい」
子どもが進路や将来について悩んでいるとき、大人がよく口にする言葉です。確かに、自分の人生を最後に選ぶのは、本人であるべきでしょう。けれども、少し気になることがあります。子どもが自分なりに考えて選んだ道を、大人が過去に「そんなのはダメだ」と否定してきたとしたら、どうでしょう。
それなのに、ある日突然「もう大人なんだから、自分で判断しなさい」と言われても、戸惑ってしまうかもしれません。自分で考える機会を与えてこなかったのに、自分で考える力だけを求める。それでは、少し都合がよすぎるのではないでしょうか。
「大学ならいいけど、専門学校はダメ」?
音楽が好きだった子どもが、将来はレコーディングの仕事に就きたいと考えたとします。有名なギタリストになって大金を稼ぐのは、簡単ではありません。そんなことくらい子供だってわかっています。
でも、音楽に関わる仕事は演奏家だけではないはずです。録音スタジオで音を調整する技術者や、音楽制作を支えるスタッフになる道もあります。実際に専門学校を調べ、スタジオを見学し、必要な技術を身につけようと考える。それは、夢をただ夢のままにしているのではなく、現実の仕事として考え始めたということではないでしょうか。
ところが、親から返ってきた言葉は、こんなものだったとします。
「そんな仕事で食べていけるわけがない」
「大学へ行くなら学費は出す。でも、専門学校なら出さない」
もちろん、専門学校へ進めば必ず希望の仕事に就けるわけではありません。就職先の数や収入、必要な技術、学費など、現実的に調べるべきことはたくさんあります。
家庭の経済状況によっては、希望する進路を支えられない場合もあるでしょう。でも、だからこそ、親子で一緒に調べたり、話し合ったりする余地があるはずです。「その道は難しい」と教えることと、「その道は認めない」と決めることは、同じではありません。
「自己責任」は、いつから始まるの?
子どもが成長すれば、自分の選択に責任を持つ場面も増えていきます。進学先を選ぶことも、仕事を選ぶことも、いずれは本人が向き合わなければならない問題です。だからといって、18歳になった途端、何もかも一人で判断できるようになるわけではありません。
自分で考える力は、年齢だけで自然に完成するものではないからです。小さい頃から、何かを選ぶ。なぜそれを選んだのか、言葉にしてみる。うまくいかなければ、理由を考え、次の方法を探す。そんな経験を繰り返すなかで、少しずつ身についていくものではないでしょうか。
ところが、子どもの頃は大人が何でも決めてしまい、本人の判断を認めない。それでいて、成人したら「もう自己責任だ」と言う。少し皮肉なことですが、それでは自転車に乗る練習をさせないまま、ある日突然、補助輪を外して走れと言うようなものです。
もちろん、成長した本人にも学び、判断する責任はあります。でも、その力を育てる機会を周囲の大人がどれだけ用意してきたのかも、考えてみる必要がありそうです。自己責任を求める前に、自分で選ぶ練習をする機会があったでしょうか。
「やってみたい」に、大人はどう答える?
番組では、将来なくなるかもしれない職業を目指す子どもや、勉強よりも起業に関心を持つ高校生について、親たちが悩みを語ります。親としては、不安になるのも無理はありません。勉強をおろそかにして、将来困らないだろうか。今は人気のある仕事でも、AIに置き換えられてしまうのではないか。そんな心配が浮かぶでしょう。
でも、ここで大人がすぐに「やめなさい」と結論を出す必要はあるのでしょうか。たとえば、起業したいという高校生なら、何を売りたいのか、誰の役に立ちたいのか、どれくらいのお金が必要なのか、一緒に考えることができます。
小さな企画を試してみることもできるでしょう。失敗しても大きな借金を抱えないようにするなど、安全面や金銭面の条件を設けることも大切です。また、将来なくなるかもしれない職業を目指しているなら、その仕事がどう変化しているのか、似た技術を生かせる仕事には何があるのかを調べてみる。
そうした対話は、単に夢を応援することとも、頭ごなしに否定することとも違います。「やってみたい」という気持ちを、現実と向き合うための学びにつなげる。そこに、大人が果たせる役割があるのではないでしょうか。
選択肢は、誰にでも同じようにあるわけじゃない
ただし、ここで忘れたくないことがあります。子どもが自由に進路を選べるかどうかは、本人の意欲だけで決まるわけではありません。家庭の経済状況、住んでいる地域、周囲に相談できる大人がいるかどうか。そうした条件によって、見える選択肢は大きく変わります。
大学へ行きたいと思っても、学費が問題になることがあります。専門的な技術を学びたくても、近くに学校がない場合もあります。やりたいことがあっても、何から調べればいいのかわからない子どももいるでしょう。そんなとき、「自分で考えなさい」と言うだけでは、何も解決しません。
奨学金や公的な支援制度を調べたり、学校の先生や進路相談の担当者に話を聞いたり、実際にその仕事をしている人に会う機会を探したり。子どもが知らなかった道を、一緒に見つけていくこともできるはずです。もちろん、すべての希望をかなえることはできません。
それでも、希望をかなえられない理由を説明することと、希望そのものを否定することは違います。子どもに選択を求めるのなら、選べるだけの情報や機会を届けることも、大人の役割ではないでしょうか。
自分で決めたなら、助けを求めてもいい
最後に、「自己責任」という言葉について、もう一度考えてみたいと思います。自分で選んだ道だから、失敗しても誰にも頼ってはいけない。そんな意味で使われることがあります。でも、社会に出た大人だって、一人で何もかも解決しているわけではありません。
仕事で困れば同僚に相談し、病気になれば医師を頼り、知らないことがあれば専門家に教えてもらいます。自分の判断に責任を持つことと、人の助けを借りることは、矛盾しません。むしろ、困ったときに相談できることも、自分の人生を立て直すための大切な力でしょう。
子どもが何かを選んだとき、大人にできるのは、成功を保証することではありません。失敗しない道を先回りして決めることでもありません。考えるための情報を渡し、必要なときには相談に乗り、ときには一歩引いて見守る。そして、うまくいかなかったときにも、もう一度考え直せるように支えること。
「自分で考えなさい」は、子どもを突き放す言葉ではなく、一緒に考えることから始まる言葉であってほしい。では、そんなふうに子どもを支える大人自身は、どうでしょうか。自分が信じてきた常識を疑ったり、考え方を変えたりすることができているでしょうか。最後に、子どもだけでなく、私たち大人自身の「選び直す力」について考えてみたいと思います。
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大人だって、自分の正解を変えていいんじゃない?
「いつの時代も常に過渡期なんだよ」
昔、母が生前によく口にしていた言葉です。その頃は、なるほど、そんなものなのかと思いながら聞いていました。でも、今になって振り返ると、ずいぶん深い言葉だったように感じます。
社会は、ある日突然変わるわけではありません。昨日まで当たり前だったことが、少しずつ当たり前ではなくなっていく。そして、気がついたときには、かつての常識が通用しなくなっているのです。もしかしたら、私たちは誰もが、一度も完成したことのない社会の中を生きているのかもしれません。
定年まで働けば安心、だったはずなのに
かつて、日本では一つの会社に長く勤め、定年を迎えたら年金で暮らすという人生設計が、広く思い描かれていました。もちろん、昔から誰もがそのような働き方をできたわけではありません。それでも、安定した会社に就職し、勤め上げることが、将来の安心につながると考えられていた時代がありました。
ところが、今はどうでしょう。定年後も働き続ける人が増え、企業には高齢者の就業機会を確保するための対応が求められるようになりました。年金についても、少子高齢化のなかで、給付水準や負担のあり方が繰り返し議論されています。
2019年には、金融庁の審議会報告書で示された老後資金の試算から、「老後2,000万円問題」が大きな話題になりました。もっとも、これは一定の条件を置いたモデルケースの試算で、すべての人に2,000万円が必要という意味ではありません。それでも、多くの人が自分の老後について、改めて考えるきっかけになったのではないでしょうか。
人生100年時代という言葉も、すっかり身近になりました。長く生きられることは喜ばしい一方で、仕事や健康、お金について、以前より長い時間を見通す必要も出てきます。若い頃には、こんな老後を想像していなかった。そう感じている人も、少なくないはずです。未来が予測できないのは、子どもたちだけの問題ではないのです。
昔の正解を、いつまで持ち続ける?
「いい大学に入れば、いい会社に就職できる」
「一つの会社に長く勤めれば安心だ」
「資格や技術を身につければ、一生食べていける」
こうした考え方には、それぞれの時代なりの理由がありました。実際に、その道を選んで安定した生活を築いた人もいるでしょう。だから、昔の価値観がすべて間違っていたという話ではありません。ただし、かつて役に立った考え方が、これからも役に立つとは限らないのです。
自分が若かった頃には、大学を卒業することが、安定した職業に就くための有力な道だった。だから、子どもにも大学へ行かせたい。そんな親心は理解できます。でも、子どもが別の道を見つけてきたときには、どうでしょうか。
専門学校で技術を学びたい。働きながら資格を取りたい。新しい分野に挑戦してみたい。そんな希望を聞いたとき、大人はつい、自分が知っている成功例や失敗例を基準にしてしまいます。あるいは、世間からどう見られるかが気になることもあるかもしれません。
けれども、親が歩いてきた道と、子どもがこれから歩く道は、同じではありません。親が経験した社会と、子どもが生きていく社会も、同じではないのです。子どもの未来を心配するなら、まず自分が信じてきた「安心」の形を、疑ってみてもいいのではないでしょうか。
大人だって、今も迷いながら生きている
ここで、自分自身の人生を振り返ってみたいと思います。子どもの頃に思い描いた職業に、そのまま就いたでしょうか。学校を卒業したときに考えていた人生設計は、今も変わっていないでしょうか。仕事が変わった人もいるでしょう。思いがけない出会いで、暮らす場所や生き方が変わった人もいるかもしれません。
そして、大人になった今でも、毎日のように悩み、判断し、迷いながら暮らしている人もいるはずです。「もっとよくなりたい」「いつか夢をかなえたい」そんな気持ちはあっても、何をもって人生の成功とするのか、自分でもよくわからないことがあります。
それでも、今日を生きるために考え、選んでいる。人生は、何か一つの目標を達成したら完成するものではないのでしょう。だからこそ、子どもに「将来の夢は何?」と尋ねるときも、その答えが一生変わらないことを期待する必要はないのかもしれません。
夢が変わってもいい。進む道が変わってもいい。大人になってから、新しいことを始めてもいい。未来の自分が何を望むのかは、今の自分にだって、まだわからないのですから。
「自分の常識」を変える姿を、子どもに見せられる?
今回の番組が問いかけているのは、予測不能な時代に子どもがどんな力を身につけるべきか、ということです。でも、ここまで考えてくると、もう一つの問いが浮かびます。子どもに「自分で考える力」を求める大人自身は、自分で考え続けているでしょうか?
昔からそうだったから、自分もそうしてきたから、世間ではそれが普通だから…。そんな理由だけで、物事を判断していないでしょうか。もちろん、長年の経験から得た知恵は大切です。ただ、その経験を子どもに伝えるときには、「これは自分が生きてきた時代の話だけれど」と、ひと言添えてもいいのかもしれません。
そして、子どもから思いがけない考えを聞いたときには、すぐに否定せず、少し調べてみる。知らなかった仕事があるなら、どんな仕事なのかを聞いてみる。自分の考えが古くなっていたと気づいたら、素直に認める。
それは、大人としての権威を失うことではないはずです。むしろ、大人も学び続けている姿を見せることが、子どもにとっての大切な学びになるのではないでしょうか。
未来の正解は、親にも子どもにもわからない
「いつの時代も常に過渡期なんだよ」
あの言葉を、もう一度思い出します。今は、技術も社会の仕組みも、目まぐるしく変わっていきます。昨日まで新しかったものが、あっという間に古くなる。大人でさえ、ついていくのが大変なことがあります。逆に大人の方が時代についていくのに苦労する社会です。
でも、だからといって、昔のほうがよかったとも、今の子どもは大変だとも、簡単には言えません。昔にはなかった便利な道具や、新しい学び方も生まれています。かつては諦めるしかなかったことに、挑戦できる人もいるでしょう。
一方で、新しい技術が別の難しさを生むこともあります。どんな時代にも、可能性と不安の両方があるのです。だから、親が子どもに渡せるものは、未来の正解ではないのかもしれません。
知らないことを学ぶ姿勢。違う考えに耳を傾けること。失敗したときに、もう一度考え直すこと。そして、困ったときには誰かに助けを求めてもいいということ。それらは、子どもだけでなく、大人自身にも必要な力です。
未来を予測できないのなら、未来が変わったときに、自分の考えも変えていけばいい。それが唯一の正解だとは言いません。でも、少なくとも、子どもにだけ変化を求めながら、大人が昔の常識にしがみついているよりは、ずっと自然なことのように思えます。子どもも大人も、まだ人生の途中にいるのですから…。
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まとめ|未来の正解を知らない大人たちへ
「予測不能な時代に、子どもにはどんな力が必要なのか」
今回の『おとなりさんはなやんでる。』は、そんな問いから始まりました。けれども、振り返ってみれば、私たち大人だって、未来を予測しながら生きてきたわけではありません。
子どもの頃に思い描いていた人生と、今の暮らしが違っている人もいるでしょう。正しいと思って選んだ道が、思いがけないところへつながった人もいるでしょう。そして今も、何が正しいのかわからないまま、悩み、考え、選び続けている人がいるはずです。それなのに、子どもの将来についてだけは、なぜか「失敗しない道」を示したくなってしまう。
そこには、子どもを大切に思う気持ちがあるのでしょう。でも、親が経験してきた人生と、子どもがこれから生きる人生は、同じではありません。親が知っている成功も失敗も、子どもの未来を決める答えにはならないのです。だからといって、子どもにすべてを任せればよいわけでもありません。
知らない世界について教えること。選択肢を一緒に探すこと。挑戦に伴う危険や難しさを伝えること。そして、うまくいかなかったときにも、もう一度考えられるように支えること。
大人にできることは、まだたくさんあります。番組で紹介された「エージェンシー」という考え方も、子どもを一人で頑張らせるためのものではないはずです。自分で考え、周囲と関わりながら行動し、必要なら選び直す。その力を育むためには、大人自身もまた、考え続ける必要があるのでしょう。
「いつの時代も常に過渡期なんだよ」そんな言葉を思い出します。社会が変わるのなら、私たちの常識も変わっていい。昨日まで正しいと思っていたことを、今日、考え直してもいい。子どもに「自分で考えなさい」と言う前に、大人も「本当にそうだろうか」と自分に問いかけてみる。そこから始めても、遅くはないはずです。
未来が予測できた時代なんて、きっとなかったのでしょう。そして、これからも、未来の正解を知っている人もいないのだと思います。だからこそ、子どもに渡したいのは、あらかじめ決められた人生の答えではありません。
自分で考えることを諦めず、誰かと一緒に悩みながら、何度でも選び直していいということ。それは、子どもたちだけでなく、今を生きる私たち大人自身にも、伝えたい言葉なのかもしれません。
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