しらすと抹茶は、なぜ牧之原で出会ったの?|駿河湾の秋の味覚と、武士が切り開いた茶畑【あさイチ中継】

しらすどっさりそば(1,650円) BLOG
スポンサーリンク

静岡県牧之原市には、海と台地が育てた二つの名物がある。駿河湾で水揚げされる「しらす」と、広大な茶畑で育つ「牧之原のお茶」だ。

秋のしらすをたっぷりのせた茶そばに、濃厚な抹茶のスイーツ。2025年にオープンした「道の駅そらっと牧之原」では、そんな土地の恵みを生かしたグルメが楽しめる。けれども、少し気になることがある。

そもそも、牧之原台地に広がる茶畑は、明治維新で職を失った武士たちが開拓したものだという。刀を置いた武士たちは、なぜお茶を育て始めたのだろう。

NHK『あさイチ』の静岡県牧之原市からの中継「秋しらすと抹茶グルメ」をきっかけに、駿河湾の秋の味覚と、牧之原のお茶に隠れた物語をたどってみたい。

【放送日:2026年10月22日(木)8:15 -9:55・NHK-総合】

<広告の下に続きます>

秋のしらすは、何が違うの?

しらすといえば、春の味覚。そんな印象を持っている人も多いのではないだろうか。けれども、湘南海岸あたりでもそうだが、静岡県のしらす漁は春だけでは終わらない。夏を越え、秋になっても漁が続く。駿河湾沿岸では、秋もまた、しらすを楽しめる季節なのだ。では、「秋しらす」は春のしらすと何が違うのだろう。

そもそも、しらすは何の魚?

実は、「しらす」という名前の魚がいるわけではない。私たちが食べているしらすは、主にカタクチイワシやマイワシ、ウルメイワシなどの稚魚だ。つまり、同じ「しらす」という名前で売られていても、魚の種類が違うことがある。

季節によって海にいる稚魚の種類や大きさも変わるため、春と秋では味や食感に違いが生まれることもあるのだ。ただし、「秋のしらすは必ず脂が多い」と決めつけることはできない。魚の種類や餌、成長の状態によって、その特徴は変わってくる。

秋のしらすだからおいしいというより、秋には秋の海で育ったしらすに出会える。そう考えたほうが、自然なのかもしれない。

駿河湾は、しらすの育つ海

静岡県の沿岸には、天竜川や大井川、安倍川、富士川など、多くの河川が流れ込んでいる。河川から運ばれる栄養分は、海のプランクトンを支える一因となる。そして、そのプランクトンを食べて、小さなしらすが育っていく。

牧之原市でも、しらすを獲る船曳網漁が行われている。小さな魚を傷めないように網を曳き、水揚げしたしらすを港へ運ぶ。そこで大切になるのが、鮮度だ。

生しらすだけが、ごちそうじゃない

しらすは小さく、鮮度が落ちやすい魚だ。だからこそ、水揚げしたばかりの生しらすは、産地ならではの味覚として親しまれている。けれども、しらすのおいしさは、生で食べることだけではない。さっと茹でた釜揚げしらすには、ふんわりとした食感と穏やかなうま味がある。私自身、しらすは生よりも釜揚げが好きだ。

水分を抜いたしらす干しには、また違った風味が生まれる。生、釜揚げ、しらす干し。同じ魚でも、食べ方によって魅力は変わる。新鮮だから生がおいしい。けれども、生だけがおいしいわけではない。

秋のしらすを味わうなら、そんな違いも楽しんでみたい。そして、牧之原では、そのしらすが、もう一つの特産品と出会う。広大な台地で育てられてきた、お茶だ。けれども、その茶畑には、明治維新を生きた人々の意外な歴史が隠れていた。

<広告の下に続きます>

牧之原のお茶は、なぜ武士が育てたの?

静岡といえば、お茶。その歴史は古く、鎌倉時代に中国から帰国した聖一国師が茶の種を持ち帰ったという伝承も残っている。江戸時代には、徳川家康もお茶を好んだと伝えられる。

けれども、現在の牧之原台地に広がる茶畑の歴史には、少し意外な人々が登場する。明治維新によって、仕事を失った武士たちだ。

刀を置いて、鍬を握った武士たち

1868年、江戸幕府が終わり、明治という新しい時代が始まった。徳川家に仕えていた武士たちも、いわゆる”一斉リストラ”に遭ってそれまでの暮らしを続けることが難しくなった。そこで翌1869年、旧幕臣たちの一部は、新たな生計を立てるため、牧之原台地の開拓に乗り出した。

当時の牧之原は、現在のように整然と茶畑が並ぶ場所ではなかった。荒れ地を切り開き、土を耕し、茶の苗を育てる。刀を扱ってきた人々にとって、農作業は決して容易な仕事ではなかっただろう。もっとも当時の”武士”は役所に勤める武器を持った役人のような存在だったのかもしれない。

しかも、開拓に加わったのは武士だけではない。大井川を渡る旅人を運んでいた川越人足たちも、橋や渡船の整備によって仕事を失い、新たな暮らしを求めて開拓に参加した。時代が変わり、以前の仕事を失った人々が、同じ台地で新しい未来を耕し始めた。それが、牧之原の茶畑の大きな出発点だった。

なぜ、ほかの作物ではなくお茶だったの?

お茶は、苗を植えればすぐに収穫できる作物ではない。畑を整え、木を育て、収穫できるまで待たなければならない。それでも茶づくりが選ばれた背景には、明治初期のお茶が重要な輸出品だったことがある。海外で日本茶の需要が高まり、新しい茶畑を開くことには経済的な期待が寄せられていたのだ。

また、牧之原台地は日当たりがよく、茶の栽培に適した土地として開拓が進められた。もちろん、開拓がすべて順調だったわけではない。慣れない農作業や生活の苦労を重ねながら、人々は少しずつ茶畑を広げていった。

武士が残したのは、茶畑だった

かつて徳川家康が暮らした駿府の地で、お茶は武家文化とも関わっていた。そして徳川の時代が終わると、今度は旧幕臣たちが、お茶を育てることで生きる道を探した。

歴史とは、なんとも不思議なものだ。今日、牧之原台地に広がる緑の茶畑は、ただ美しい景色というだけではない。そこには、時代の大きな変化に向き合い、新しい仕事を始めた人々の足跡が残っている。刀を置いた人々が、次の時代に残したものは、一面の茶畑だった。そして、そのお茶は今、抹茶や茶そばなど、さまざまな形で牧之原の味覚を彩っている。

<広告の下に続きます>

海と茶畑を、一緒に食べてみたら?

駿河湾で水揚げされる、秋のしらす。そして、明治維新を生きた人々が切り開いた、牧之原台地のお茶。

海と台地。まったく違う場所で育まれた二つの味覚が、今、一つの場所で出会っている。2025年7月にオープンした「道の駅そらっと牧之原」だ。

しらすが山盛りの茶そば?

道の駅の名物の一つが、「しらすどっさりそば」。牧之原のお茶を練り込んだ茶そばに、駿河湾産のしらすをたっぷりとのせた一品だ。茶そばの緑色と、しらすの白。見た目にも、牧之原らしい組み合わせになっている。

ただし、茶そばには好みが分かれるところもあるだろう。蕎麦そのものの香りを楽しみたい人にとっては、お茶の風味が加わることで、蕎麦らしさが薄れてしまうと感じるかもしれない。

一方で、お茶の香りとしらすの塩気を一緒に楽しむ、土地ならではの料理として味わうこともできる。蕎麦のおいしさを競うというより、牧之原の二つの特産品を、一皿に表現した料理なのだろう。

生も、釜揚げも、それぞれのおいしさ

道の駅では、生しらす、釜揚げしらす、漬けしらすを組み合わせた丼も楽しめる。生しらすのなめらかな口当たり。釜揚げしらすのふんわりした食感。味をつけたしらすの、また違った風味。

同じしらすでも、調理方法によっておいしさは変わる。「新鮮だから生が一番」と決めつけず、それぞれの持ち味を楽しめるのがいい。しらすは、小さな魚だ。けれども、その一匹一匹に、駿河湾の豊かさが詰まっている。

お茶は、飲むだけのものじゃない

一方、牧之原のお茶も、今では湯飲みの中だけにとどまらない。濃厚な抹茶を使ったクレープや、抹茶クリーム入りのあんぱんなど、さまざまなスイーツが登場している。お茶の香りやほろ苦さは、甘いクリームやあんこと組み合わせることで、また違った表情を見せる。

かつて牧之原台地を開拓した人々は、自分たちの育てたお茶が、こんな形で楽しまれる未来を想像できただろうか。刀を置き、鍬を握った武士たち。仕事を失い、新しい暮らしを求めた大井川の川越人足たち。その人々が切り開いた土地で育つお茶が、今では地域を代表する味覚となり、訪れる人々を楽しませている。

海と台地が、一皿でつながる

駿河湾のしらすには、海で働く人々の営みがある。牧之原のお茶には、明治の開拓から続く人々の歴史がある。それぞれの土地で育まれた味覚が、道の駅の食卓で一緒になる。何気なく食べる一皿にも、地域の自然と、人々が積み重ねてきた時間が隠れているのだ。

しらすは海から。お茶は台地から。その二つを一緒に味わえるのが、今の牧之原の面白さなのかもしれない。秋の駿河湾を思い浮かべながら、しらすをひと口。そして、牧之原台地に広がる茶畑を思い浮かべながら、お茶をひと口。海と台地の距離が、少しだけ近く感じられそうだ。


湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む

タイトルとURLをコピーしました