森の入口に立ったとき、なぜか足が止まることがある。そこに柵があるわけでも、誰かに見張られているわけでもない。ただ、木々の奥に続く薄暗い道を眺めていると、これ以上は入ってはいけないような気がする。
島根県の黄泉比良坂(よもつひらさか)を訪ねたときにも、そんな不思議な感覚があった。神話では、この世と黄泉の国を隔てる境界とされる場所。もちろん、目に見える結界があるわけではない。それでも、そこが特別な場所だと知っているだけで、一歩を踏み出すときの気持ちは変わってしまう。

日本各地には、昔から「入ってはならない」とされてきた森がある。神様が降り立つ木。切れば祟りがあると伝えられる森。年に一度の祭りのときだけ、人々が近づくことを許される場所。そこには、誰が決めたのかもわからない約束が、何世代にもわたって受け継がれてきた。
けれども、考えてみれば不思議なことだ。なぜ人々は、森の中に神様がいると信じたのだろう。なぜ、木を切ることを恐れたのだろう。そして、なぜその約束を、長い年月にわたって守り続けてきたのだろう。
昭和の高度経済成長期、日本各地では山が削られ、森が切り開かれ、住宅地や道路がつくられていった。人々の暮らしは便利になった。その一方で、古くからの風景や言い伝えが失われた場所もあっただろう。
「あの木だけは、切ってはいけない」
そんな言葉が、開発の音にかき消されたこともあったかもしれない。
けれども、すべての森が消えたわけではない。神様への畏れや、先祖から受け継いだ約束によって、今も残されている森がある。そこには、人の足がほとんど踏み込まなかったからこそ守られてきた自然や、長い時間をかけて積み重なった祈りが息づいている。
人は、何を恐れて、何を守ってきたのだろう。NHK『新日本風土記』「入らずの森 畏れの杜」を手がかりに、日本各地に残る神聖な森を訪ねてみたい。森の入口で足が止まる、その一瞬。そこには、自然と人間が長い年月をかけて結んできた、目には見えない約束が隠されているのかもしれない。
【放送日:2026年10月20日(火)20:00 -21:00・NHK-BS】
【放送日:2026年10月26日(月)17:00 -18:00・NHK-BS】
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森には、なぜ見えない境界があるの?
島根県松江市にある、黄泉比良坂。木々に囲まれた小道の入口には、二本の古い石柱が立っている。
その間には注連縄が張られ、藁の飾りが静かに揺れている。向こう側に見えるのは、どこにでもありそうな森の風景だ。

けれども、その入口に立つと、不思議なことが起こる。ほんの一歩、石柱の間をくぐろうとしただけなのに、胸がきゅっと締め付けられるような気がするのだ。誰かに止められたわけではない。目に見える壁があるわけでもない。それなのに、こちら側と向こう側では、何かが違うように感じられる。
なぜなのだろう。
ただの坂道が、あの世への入口になる
『古事記』には、亡くなった妻イザナミを追って、イザナキが黄泉の国へ向かう物語が描かれている。しかし、黄泉の国で変わり果てた妻の姿を見たイザナキは、恐ろしくなって逃げ出してしまう。そして、黄泉の国と現世との境にある黄泉比良坂を、大きな岩で塞いだという。
この神話に結びつけられた場所が、島根県の黄泉比良坂である。もちろん、そこに本当にあの世への入口があると確かめられたわけではない。丹波哲郎さんならご存じかもしれない。けれども、神話を知っている人にとって、その坂道は単なる山道ではなくなる。
森の暗がりにも、石柱にも、奥へ続く道にも、特別な意味が生まれる。目には見えないはずの生と死の境界が、そこにあるように感じられるのだ。
神様が降りてくる木
日本各地には、黄泉比良坂のように、特別な意味を与えられてきた場所が数多くある。その一つが、神様の宿る木だ。古くから日本では、大きな木や岩、山などが、神の降臨する場所や神聖な存在として敬われてきた。神様が降り立つ目印や、その力が宿るものを「依り代」と呼ぶ。
だから、一本の巨木が、単なる木ではなくなることがある。番組には、学校の校庭に残された、神様が降臨したと伝えられる巨木も登場する。子どもたちは、その木にまつわる決まりを守りながら、学校生活を送っているという。
周囲では毎日、子どもたちが走り回り、笑い声が響いている。それでも、その木だけは特別な存在として扱われている。学校という現代的な場所にも、古くからの信仰が息づいているのだ。
森の入口にある、見えない約束
神社の鳥居も、注連縄も、神聖な場所と日常の空間を区切るしるしとして用いられてきた。しかし、すべての神聖な森に、立派な鳥居や柵があるわけではない。村の人々が「あの森には入ってはいけない」と語り継ぐことで、境界が守られてきた場所もある。
そこには、土地ごとの神様や祖先への信仰、祭りの決まり、長く受け継がれた禁忌がある。外から訪れた人には、ただの森に見えるかもしれない。けれども、その土地で暮らしてきた人々にとっては、決して気軽に踏み込めない場所なのだ。
そして、不思議なことに、そうした約束は、ときに何百年もの間、守られてきた。誰かが常に見張っていたわけではない。法律で立ち入りを禁じられていたとは限らない。それでも、人々は森の入口で足を止めた。しいて言えば「お天道様が見ているから」なのかもしれない。
そこから先は、人間が好き勝手にしてよい場所ではない
そんな感覚が、長い時間をかけて受け継がれてきたのかもしれない。では、もしその約束を破り、神聖な木を切ってしまったら、どうなるのだろう。日本各地には、そんな行為に対して「祟りがある」と伝えてきた土地もある。次は、その恐ろしい言葉の奥に隠された、人々の思いをたどってみたい。
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「切ると祟る!」は、誰が言い始めたの?
「その木だけは、切ってはいけない」日本各地には、そんな言い伝えが残されている。神様が宿っているから。昔、木を傷つけた人に災いが起きたから。あるいは、なぜ切ってはいけないのか、理由さえわからなくなっていることもある。それでも、人々はその言葉を守り続けてきた。いったい、最初に「切ってはいけない」と言い始めたのは、誰だったのだろう。
一本の木が、道を止めていた
先日亡くなった脚本家の倉本聰さんが、北海道・富良野の暮らしについて語った話がある。富良野の郊外、麓郷へ向かう道が、まだ細く、整備されていなかった頃のこと。そこには、村の人々が大切にしてきた一本の大木があったという。
やがて道路を広げる話が持ち上がり、その木が工事の妨げになった。村の人々は伐採に反対した。しかし、工事を進めるためには、木を切らなければならない。伝えられる話では、伐採作業にやってきた人が大けがをし、村人たちは「やはり祟りだ」と恐れたという。
そこで神主を呼んでお祓いをしてもらい、ようやく伐採が進められたのだそうだ。事故と祟りの間に、確かめられる因果関係があるわけではない。けれども、村人たちにとって、その事故は、木を切ることへの恐れをいっそう強める出来事だったのだろう。その伐採した木には何本もの五寸釘が打ち込まれていたという。そして、木がなくなった道は、以前よりずっと通りやすくなった。
ところが、物語には続きがある。道が立派になったことで、その道を通って若者たちは次々と町へ出ていったというのだ。もちろん、過疎化の原因は道路だけではない。仕事や学校、暮らしの便利さを求めて人が移動するのは、社会全体の変化でもある。
それでも、長く村を見守ってきた人にとっては、あの木が立っていた頃の道と、木がなくなったあとの道では、何かが決定的に違って見えたのかもしれない。道は広くなった。けれども、村から何かが失われてしまった。一本の木を切ることは、単に木材を取り除くことではなかったのだ。
祟りを恐れて、神様を祀る
そもそも、日本では古くから、恐ろしい存在を祀るという信仰があった。その代表的な例の一つが、菅原道真である。平安時代、政争によって大宰府へ左遷された道真は、失意のうちに亡くなった。その後、都では疫病や落雷、皇族の死などの災厄が続き、人々は道真の怨霊による祟りではないかと恐れた。
やがて道真を神として祀る信仰が広がり、後世には学問の神様としても親しまれるようになった。もちろん、実際に道真の怨霊が災厄を起こしたということではないと思う。大切なのは、当時の人々が、恐ろしい出来事をどう理解し、どう向き合おうとしたのかということだ。
恐ろしいものを、ただ追い払うのではない。祀り、鎮め、敬意を払う。そうすることで、人々は災厄への不安と折り合いをつけようとしてきた。
神聖な森や巨木をめぐる禁忌も、同じ信仰から生まれたとは限らない。けれども、そこには共通する感覚があるように思える。人間の力ではどうにもならないものに対して、慎みを持って向き合う。それが「畏れ」という感情だったのかもしれない。
木を切ることと、水を失うこと
番組には、木を切ってはならないという禁忌と、水との関係も登場する。森は、雨を受け止め、土壌に水を蓄え、川へと水を送り出す働きを持っている。木々の根は土を支え、落ち葉が積もった地面は、雨水をしみ込ませる。
もちろん、森林があれば必ず洪水や土砂災害を防げるというわけではない。それでも、森の状態が水の流れや斜面の安定に影響することは、現代の科学でも知られている。昔の人々は、こうした仕組みを科学的な言葉で説明できなかったかもしれない。
けれども、長い暮らしの中で、森を荒らしたあとに水の流れが変わったり、山の斜面が崩れたりする経験を重ねていた可能性はある。そうした経験が、森をむやみに傷つけてはならないという戒めにつながった土地もあったのではないだろうか。
ただし、「祟り」という言い伝えのすべてを、自然災害の経験から説明することはできない。森を神聖な場所と考える理由は、土地によって異なるからだ。それでも、人々が森を守り続けた結果として、水や土、生き物たちの暮らす環境が残された場所はあっただろう。
誰が言い始めたのか、わからないからこそ
「あの木は、切ってはいけない」
最初にそう言ったのは、村の長老だったのだろうか。神主だったのだろうか。それとも、遠い昔に何かを経験した、名も残らない人だったのだろうか。今となっては、確かめようのない言い伝えも多い。
けれども、その言葉を守ってきた人々がいたからこそ、今も残されている木や森がある。昭和の時代、日本各地では山が削られ、森が切り開かれ、道路や住宅地がつくられた。それによって暮らしが便利になった一方、失われた風景も少なくなかった。
もし、あのとき誰かが「切ってはいけない」と言ったなら…。その人は、神様の祟りを恐れていたのかもしれない。あるいは、長く親しんできた風景が失われることを、悲しんでいたのかもしれない。どちらだったのか、簡単には決められない。
ただ、一つだけ考えてみたい。祟りを恐れるという言葉の奥には、失ってはいけないものを守ろうとする気持ちもあったのではないだろうか。そして、人々が足を踏み入れず、木を切らずに守ってきた森には、いったい何が残されたのだろう。次は、その森の奥に、そっと目を向けてみたい。
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人が入らなかった森には、何が残ったの?
人が入らない森。そう聞くと、どこか薄暗く、恐ろしい場所を想像するかもしれない。木々は伸び放題になり、落ち葉が積もり、倒れた木もそのまま朽ちていく。道はなく、誰かが掃除をすることもない。けれども、考えてみれば、それは森にとって、ごく自然な姿なのだ。
人間が手を加えなければ、森は森自身の時間で変わり続ける。そして、日本各地の「入らずの森」には、そんな時間が長く積み重なってきた。
誰も踏まなかった森の地面
番組には、人が踏む重みをほとんど知らないという、万葉の時代からの森が登場する。私たちは森を訪れると、つい奥へ進んでみたくなる。珍しい植物を探したり、大きな木に触れたり、足元の苔を眺めたり。けれども、人が繰り返し歩けば、地面は踏み固められる。
土の隙間が減り、水や空気の通り方が変わることもある。小さな芽が踏まれ、落ち葉の層が乱されることもあるだろう。だから、長い年月、人がほとんど足を踏み入れなかった森には、私たちが普段歩いている森とは異なる環境が残されている可能性がある。
そこにあるのは、珍しい植物や古い木だけではない。人間が踏み込まなかった時間そのものが、残されているのだ。
原生林の中に残る、謎の石積み
番組では、照葉樹の原生林に残された、不思議な石積みも紹介される。いつ、誰が、何のために積んだのか。森の奥に残された石は、簡単には答えを教えてくれない。けれども、そこには確かに、人が関わった痕跡がある。
「入らずの森」といっても、太古の昔から誰も近づかなかったとは限らない。かつては人が利用していた場所が、のちに神聖な森として守られるようになったのかもしれない。あるいは、限られた人だけが、特別な目的で立ち入っていたのかもしれない。
森が守ってきたのは、自然だけではなかった。そこには、今では忘れられた人々の営みまで残されていることがある。木々が育ち、石が苔むし、道が消えても、森の中には過去の痕跡が眠っている。
切らなかった木に残る価値
以前、香木「蘭奢待」について考えたとき、ベトナムに残る天然のアクイラリア属の木の話に出会った。寺院の建物を建て直すため、木を切って売り、そのお金を工事に充てようという話が何度も持ち上がったという。それでも、その木は切られなかった。
香木の原料となり得るアクイラリア属の木には、特に経済的な価値がある。だからこそ、伐採して売るという考え方も生まれる。けれども、寺院にとって、その木は単なる商品ではなかったのだろう。
長い年月、同じ場所に立ち続け、人々の祈りや暮らしを見守ってきた木。それを失えば、お金では買い戻せない何かまで失われる。そんな思いがあったのかもしれない。日本の「入らずの森」とベトナムの寺院では、信仰の形も歴史も異なる。それでも、木を切らずに残すという選択の奥には、通じ合うものが感じられる。
木の価値は、切ったときに得られるお金だけでは決まらない。
「何もしていない森」が、世界の宝物になる
1993年、青森県と秋田県にまたがる白神山地が、世界自然遺産に登録された。その価値の中心にあるのは、東アジアに残る貴重なブナの天然林と、その生態系である。そして2004年には、熊野古道を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録された。
こちらは、熊野三山や高野山、吉野・大峯といった霊場と参詣道、そして自然環境と結びついた信仰の歴史が評価されている。一方は自然遺産。もう一方は文化遺産。登録された理由は異なるけれど、どちらも長い年月をかけて残されてきたものの価値を、現代の私たちに教えてくれる。
昭和の高度経済成長期には、山を削り、森を切り開き、道路や住宅地をつくることが、暮らしを豊かにする大切な手段だった。もちろん、当時にも自然を守ろうとした人々はいたし、今でも開発と保全の間には難しい選択がある。
それでも、時代を経て、私たちは少しずつ気づいてきたのではないだろうか。何かをつくることだけが、価値を生むのではない。何もつくらず、そこに残しておくことにも、大きな価値がある。
森は、何百年もの時間を預かっている
「入ってはいけない」「木を切ってはいけない」そうした言葉が、最初から自然保護を目的として生まれたとは限らない。
人々は神様を敬い、祟りを恐れ、先祖からの約束を守ってきたのだろう。けれども、その結果として、木々が残り、土が守られ、生き物たちの居場所が保たれてきた森もある。そして、森の奥には、古い石積みや祭りの記憶、人々が語り継いできた物語も残されている。
森は、自然だけを守ってきたわけではない。人々の暮らしと祈りの歴史も、静かに預かってきたのだ。そう考えると、「入らずの森」は、ただ立ち入りを禁じられた場所ではなくなる。そこは、人間がすべてを自分のものにしなかった場所なのかもしれない。
では、その森と人々は、どのように関わり続けてきたのだろう。次は、怨霊の森で行われる奉納相撲や、暦によって入る日を決める森の習俗を訪ねてみたい。
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怨霊の森で、なぜ相撲を取るの?
神様に近づいてはいけない。祟りがあるから、森に入ってはいけない。そんな言い伝えが残る場所で、年に一度、人々が集まって相撲を取るという。いったい、どういうことなのだろう。
恐ろしい場所なら、近づかないほうがいいはずだ。それなのに、人々は森に入り、力を競い合う。しかも、それは単なる娯楽ではない。神様に捧げる「奉納相撲」なのだ。
怨霊を恐れる森に、人々が集まる日
滋賀県近江八幡市に、「新開の森」と呼ばれる場所がある。番組では、戦国時代にさかのぼる怨霊の伝承が残り、今も祟りを恐れて立ち入らない人が多い森として紹介される。けれども、年に一度、その森で奉納相撲が行われるという。
普段は足を踏み入れることさえためらう場所に、人々が集まる。その姿は、一見すると矛盾しているように思える。しかし、昔の人々にとって、神様や霊を恐れることは、必ずしも遠ざけることだけを意味しなかった。
恐ろしいからこそ、礼を尽くす。祟りを恐れるからこそ、祭りを続ける。森に入らないという約束と、決められた日に祈りを捧げるという約束。その両方が、長く受け継がれてきたのかもしれない。
相撲は、神様に見せるものだった?
私たちが相撲と聞いて思い浮かべるのは、大相撲の土俵だろう。けれども、日本の相撲には、勝敗を競うスポーツとは別に、神事としての長い歴史がある。『古事記』や『日本書紀』には、神々や古代の人々による力比べの物語が記されている。
そして奈良時代から平安時代にかけては、宮廷で「相撲節会」という行事が行われた。相撲は、豊作を願い、収穫を占う祭りとも結びついてきた。
やがて各地の神社でも、祭礼に合わせて相撲を奉納する習俗が広がっていく。神様に喜んでいただく。豊かな実りを願う。無事に一年を過ごせたことに感謝する。土地によって意味は異なるけれど、相撲は人と神様を結ぶ行事でもあったのだ。
能もまた、神様に捧げられてきた
神様に芸能を奉納するという習俗は、相撲だけではない。能もまた、神社や寺院と深く結びつきながら発展してきた芸能である。その源流には、中国から伝わった散楽や、日本で発展した猿楽などがある。猿楽は寺社の祭礼や法会で演じられ、やがて観阿弥・世阿弥らによって、高い芸術性を持つ能へと発展した。
能には、神が現れて祝福する物語もあれば、亡くなった人の霊が現れ、生前の悲しみや執着を語る物語もある。神様への祈りと、亡き人への思い。その両方が、舞台の上で表現されてきた。
人々は、神様にただお願いをするだけではなかった。相撲を取り、舞を舞い、歌をうたい、物語を演じた。言葉だけでは伝えきれない祈りを、身体を使って捧げてきたのだ。
怖いからこそ、近づく日がある
ここで、もう一度、新開の森の奉納相撲に戻ってみたい。普段は近づかない森に、年に一度だけ人々が集まる。それは、禁忌を破っているのだろうか。むしろ、祭礼の日にだけ近づくという決まりそのものが、森を特別な場所として守ってきたのかもしれない。
いつでも入ってよい場所ではない。けれども、決められた日には、礼を尽くして入る。そうした関わり方がある。日本各地には、暦や祭礼の決まりによって、山や森への立ち入りを控える習俗も残されている。そこには、神様への畏れだけでなく、季節の移り変わりや、地域の暮らしと結びついた知恵が含まれていることもあるだろう。
大切なのは、森から完全に離れることではない。近づいてよいときと、近づいてはいけないときを、人々が区別してきたことなのかもしれない。
祭りは、神様との約束を思い出す日
年に一度の奉納相撲。それは、神様への祈りであると同時に、人々が集まる日でもある。普段は別々の暮らしを送る人たちが、一つの場所に集まり、同じ行事を繰り返す。子どもたちは、大人たちの姿を見て育つ。そして、なぜこの森が特別なのかを、少しずつ知っていく。祭りが続くことで、森の記憶も受け継がれていくのだろう。
祟りを信じる人が減っても、奉納相撲が続いているなら、そこには信仰だけでは説明しきれない、人と人とのつながりもあるはずだ。森に入らないことが、森を守る約束なら、年に一度そこへ集まることは、その約束を思い出すための時間なのかもしれない。
恐ろしいものを遠ざけるだけではなく、敬い、ときには近づき、祈りを捧げる。日本の人々は、そんな複雑な関係を、神様や森と結んできた。けれども、その約束を受け継ぐ人がいなくなったとき、森はどうなるのだろう。最後は、現代の私たちが「畏れ」を失うことの意味を考えてみたい。
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「怖い」が消えたら、森はどうなるの?
昔は、神様がいると信じられていた森。木を切れば祟りがあると恐れられ、決められた日以外は、誰も足を踏み入れなかった場所。けれども、時代は変わった。科学が発達し、自然の仕組みが少しずつ明らかになり、祟りを恐れる人も少なくなった。
森の中に神様がいると言われても、今では「そんなものはいない」と答える人もいるだろう。それ自体は、決して悪いことではない。病気や災害を祟りのせいにせず、原因を調べ、対策を考えることは、私たちの暮らしを守るために必要なことだからだ。
けれども、ここで一つ、考えてみたい。神様を恐れなくなったとき、森を大切にする気持ちまで失ってしまうことはないだろうか?
祟りがなくなれば、木を切ってもいいの?
「あの木は、切ってはいけない」昔の人々がそう言ったとき、そこには神様への畏れがあったのかもしれない。けれども、現代の私たちは、木を切ることによって何が起きるのかを、以前より詳しく知っている。森は雨を受け止め、土を支え、多くの生き物たちの居場所になっている。
古い木には、長い年月をかけて育まれた生態系がある。一度失われれば、同じ姿を取り戻すまでに何十年、何百年とかかることもある。祟りを信じなくても、木を残す理由はあるのだ。それなのに、私たちはときどき、目の前の便利さや利益を優先してしまう。
道路を広げたい。建物を建てたい。土地をもっと有効に使いたい。もちろん、そうした願いが間違っているわけではない。人が安全で快適に暮らすためには、開発が必要なこともある。
けれども、そのときに「切ってはいけない」と言う人がいたなら、私たちはその言葉に、どれだけ耳を傾けているだろう。たとえ祟りを信じなくても、その木を残したいと願う理由まで、迷信として片づけてよいわけではない。
祭りが途絶えた森
「入らずの森」を守ってきたのは、神様への畏れだけではなかった。年に一度の奉納相撲。神様に捧げる舞や祈り。決められた日にだけ森へ入るという約束。そうした行事を続ける人々の存在が、森を特別な場所にしてきた。
けれども、地域の人口が減り、祭りを受け継ぐ人が少なくなれば、その約束を守り続けることも難しくなる。神様を信じる人がいなくなることより、神様の話を語り継ぐ人がいなくなること。もしかすると、森にとっては、そちらのほうが大きな変化なのかもしれない。
なぜ、この森には入ってはいけないのか。なぜ、この木だけは切ってはいけないのか。その理由を知る人がいなくなったとき、森はただの土地になってしまうかもしれない。けれども反対に、信仰の形が変わっても、森を守る取り組みを続けている地域もあるだろう。
大切なのは、昔とまったく同じように信じ続けることだけではない。なぜ守られてきたのかを知り、その価値を次の世代へ伝えること。それもまた、現代の私たちにできる継承なのだと思う。
「畏れ」は、迷信では終わらない
ここで、もう一度「畏れ」という言葉を考えてみたい。畏れとは、単に怖がることではない。自分の力ではどうにもならないものを前にして、慎みを持つこと。自分にはわからないことがあると認めること。そして、すべてを思いどおりにしようとしないこと。
昔の人々は、神様や祟りという言葉を通して、そんな感覚を表してきたのかもしれない。現代の私たちは、森に神様がいると信じなくてもよい。けれども、森のすべてを理解しているわけではない。一本の木が育つまでに費やした時間も、土の中で結ばれている無数の命の関係も、簡単には見通せない。
科学が進んだからこそ、自然の複雑さや、人間の知識の限界も見えてきた。だから、畏れは必ずしも、科学と対立するものではないのだろう。知らないものを怖がるだけでなく、知れば知るほど、軽々しく手を出せなくなる。そんな畏れもあるのではないだろうか。
森の入口で、もう一度足を止める
島根県の黄泉比良坂。二本の石柱の間に注連縄が張られ、その向こうには、木々に囲まれた道が続いている。くぐろうと思えば、誰でもくぐることができる。けれども、その入口に立つと、胸が締め付けられるような気がした。
ここから先は、何かが違う。そんな感覚があった。もちろん、そこに本当にあの世への入口があるかどうかはわからない。それでも、神話を知り、その場所に立ち、目の前の景色を見つめたとき、ただの道とは思えなくなる。目には見えない境界が、確かにあるように感じられるのだ。
「入らずの森」も、そうなのかもしれない。森を守るために、必ずしも神様の祟りを信じる必要はない。けれども、森の入口で足を止めることには、今も意味があるように思う。
ここには、自分たちよりずっと長い時間が流れている。ここには、自分たちだけのものではない命がある。そして、ここには、何世代もの人々が大切にしてきた約束がある。そう考えたとき、森は単なる木の集まりではなくなる。
昔の人々が「入ってはいけない」と言った森。そこには、恐ろしい神様だけではなく、人間が自然とともに生きるための、慎み深い心が残されていたのかもしれない。森の入口で、なぜ足が止まるのだろう。それは、私たちがまだ、すべてを自分のものにしてよいわけではないと、どこかで知っているからなのかもしれない。
そして、その一歩を踏み出す前に、立ち止まって考えること。それこそが、今の私たちに残された「畏れ」の形なのかもしれない。
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