いつもの居酒屋が、なくなるとしたら?|37年間通った常連客が守った、三沢の味と居場所【人生の楽園】

人情居酒屋 BLOG
スポンサーリンク

行きつけのお店が、ある日なくなるとしたら…。いつもの料理が食べられなくなることも寂しいけれど、もっと寂しいのは、カウンター越しに交わしてきた何気ない会話が、もうできなくなることかもしれません。

青森県三沢市に、37年間通い続けた居酒屋を、自ら受け継いだ男性がいます。元自衛隊員の落合秀士さん、60歳。20代の頃、友人と偶然入った『串揚げ もつけ』。やがて一人でも、家族と一緒でも訪れるようになり、いつしか人生の一部になっていました。

そんな秀士さんに、長年親しんだ大将が持ちかけたのは、「店を継がないか」という思いがけない話でした。妻・智恵子さんの後押しを受け、自衛隊を退職して『地ものや落合』を開業。しかし、大将は新しい店の誕生を見届けたわずか1か月後、帰らぬ人となりました。

受け継いだのは、人気のイカゲソかき揚げや、地元の食材を生かした料理の味だけではありません。大将が守ってきた、常連客たちの笑顔と、誰もがほっとできる居場所。テレビ朝日『人生の楽園』で紹介された、三沢の小さな居酒屋の物語を通して、「行きつけの店」とは、私たちにとってどんな場所なのか、考えてみたいと思います。

【放送日:2026年10月24日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】

<広告の下に続きます>

行きつけの店は、なぜ特別なの?

初めて入ったお店が、何十年も通い続ける場所になる。そんな出会いは、最初から予定されているわけではありません。青森県三沢市で『地ものや 落合』を営む落合秀士さんも、かつては一人のお客さんでした。

千葉県に生まれ、青森県で育った秀士さんは、高校卒業後に自衛隊へ入隊。三沢基地に配属され、20歳を過ぎた頃、友人たちと偶然入ったのが『串揚げ もつけ』でした。気に入ったのは、料理だけではありません。店の居心地の良さに惹かれ、友人と飲みに行くだけでなく、一人でも足を運ぶようになりました。

26歳で看護師の智恵子さんと結婚し、二人の息子が生まれてからは、家族でも訪れるようになります。友人と過ごした若い日の夜も、仕事を終えた一人の時間も、家族で囲んだ食卓も…。『もつけ』は、秀士さんの人生のさまざまな場面に寄り添ってきたのでしょう。

料理だけではない、カウンター越しの付き合い

私にも、20年間通い続けた天ぷら屋さんがありました。マスターとは、毎年訪れていた沖縄の話や、地元の平塚、横須賀の話をよくしたものです。青森の友人のお父さんが育てた行者ニンニクを持っていくと、天ぷらにしたり、醤油漬けにしたりして食べさせてくれたこともありました。

そんな時間を重ねていると、お店は単に食事をする場所ではなくなっていきます。ところが、その天ぷら屋さんも数年前に閉店しました。もう、あのカウンターでマスターと話すことはできません。料理の味はもちろん覚えています。

でも、それと同じくらい、何を話したか、どんなものを食べたかという小さな思い出が残っています。行きつけの店が特別なのは、そこで過ごした時間が、自分の人生の一部になっているからなのかもしれません。

落合さんにとっての『もつけ』も、きっとそんな場所だったのでしょう。そして、30年以上通い続けたある日、大将から思いがけない言葉をかけられます。
「落合くん、店を継がないか?」
いつものカウンターの向こうから届いたその一言が、落合さんの人生を大きく変えることになったのです。

<広告の下に続きます>

なぜ大将は、常連客に店を託したの?

37年間通い続けた居酒屋の大将から、突然「店を継がないか」と言われたら、どうするでしょうか。おいしい料理を食べることと、その料理を作ってお客さんに出すことは、まったく別の話です。

青森県三沢市の『串揚げ もつけ』に通い続けていた落合秀士さんが、初めて後継ぎの話を持ちかけられたのは、50歳を過ぎた頃でした。
「落合くん、店を継がないか?」
最初は冗談だと思ったそうです。それも無理はありません。秀士さんの仕事は自衛隊員。長年親しんできた店とはいえ、料理を注文する側から、いきなり厨房に立つ側になるのですから…。ところが、大将はその後も同じ話を繰り返しました。時には真剣な表情で。秀士さんも、次第にその言葉を冗談として聞き流せなくなっていきました。

大将が託したかったもの

なぜ大将は、長年の常連客だった秀士さんに店を託そうとしたのでしょうか? その詳しい理由はわかりません。ただ、37年間も通い続けた秀士さんなら、店の料理だけでなく、お客さんたちが何を楽しみに訪れるのかも、よく知っていたはずです。

常連客の顔ぶれ。いつもの注文。カウンター越しの何気ない会話。店を営む側ではなく、客として長い時間を過ごしたからこそ、見えていたものもあったのではないでしょうか?

料理の技術は、教わって身につけることができます。けれども、その店がなぜ人々に愛されてきたのかを知るには、長い時間が必要なのかもしれません。大将が秀士さんを後継ぎに選んだ理由わかりませんが、二人の間に長年の信頼関係があったことは、繰り返された言葉からもうかがえます。

「誰かが継がなければ、店がなくなる」

そんな中、事態が大きく動きます。2025年5月、大将が肺炎を患い、緊急入院することになったのです。『もつけ』の女将・川嶋玲子さんは、秀士さんに改めて問いかけました。

このままでは店を畳むしかない。本当に継ぐ意思があるのか、と。それまで、いつか考えればよかった後継ぎの話が、突然、目の前の現実になりました。

自分に店を切り盛りできるだろうか? 長年の常連客たちは、自分の料理を受け入れてくれるだろうか? そして何より、自分が継がなければ、あの『もつけ』がなくなってしまうかもしれない。好きなお店だからこそ、簡単には決められない。でも、好きなお店だからこそ、なくしたくない。

秀士さんは、その二つの思いの間で悩みました。行きつけの店を守りたいという気持ちだけで、人生を変える決断ができるのでしょうか? その迷いの中にいた秀士さんの背中を押したのは、長年連れ添ってきた妻・智恵子さんの言葉でした。

<広告の下に続きます>

60歳からの新しい人生を、誰が支えたの?

長年勤めた仕事を辞めて、まったく違う世界へ飛び込む。言葉にするのは簡単ですが、実際に決断するとなれば、そうはいきません。

青森県三沢市の『串揚げ もつけ』を受け継ぐことになった落合秀士さんも、大きな迷いを抱えていました。それまでの仕事は自衛隊員。決められた任務があり、組織があり、困ったときには相談できる上司や同僚がいます。けれども、自分で居酒屋を経営するとなれば、事情は大きく変わります。

料理の仕込みから接客、仕入れ、売り上げの管理まで。お客さんから苦情があれば対応し、思いがけないトラブルが起きれば、その解決にも向き合わなければなりません。もちろん、周囲の人に助けてもらうことはできます。それでも、店を続けていく責任は、最終的には経営者自身が引き受けることになります。

しかも、落合さんが受け継ごうとしていたのは、長年地域の人々に愛されてきた居酒屋です。新しい店を一から始めるのとは違い、そこには大将の味を知る常連客たちがいます。

「前の大将のほうが美味しかった」
そんな言葉を聞くことになるかもしれません。好きだった店だからこそ、その期待に応えられるのかという不安も大きかったのではないでしょうか。

「好きなことをやっていいんじゃない」

2025年5月、大将が肺炎で緊急入院したことで、店を継ぐかどうかの決断を迫られた落合さん。その背中を押したのは、妻の智恵子さんでした。

「いつどうなるかわからない、好きなことをやっていいんじゃない」

この言葉には、人生をともに歩んできた夫婦だからこその重みを感じます。26歳で結婚し、二人の息子を育ててきた落合さん夫妻。智恵子さんもまた、看護師として働いてきた人です。新しい仕事を始めることが、決して楽しいことばかりではないと、わかっていたのではないでしょうか。

それでも、夫が長年大切にしてきた場所を守りたいと願うなら、その気持ちを尊重したい。そんな思いが、あの言葉には込められていたのかもしれません。

「好きなことをやっていい」という言葉は、「簡単にできる」という意味ではありません。大変なこともあるだろうけれど、それでも挑戦してみたらいい。私には、そんな励ましのように聞こえます。

一人では始められなかった第二の人生

妻の後押しを受け、落合さんは店を継ぐことを決意しました。そして、大将から料理を教わり、長年勤めた自衛隊を退職。2025年9月、『串揚げ もつけ』の味と思いを受け継ぎながら、新しい名前の『地ものや 落合』を開きました。

そこには、決断を支えた智恵子さんだけでなく、店を託した大将、継ぐ意思を確かめた女将の川嶋玲子さんの存在もありました。でも新しい人生を始めるのは、自分自身です。それでもその一歩を踏み出せるのは、支えてくれる人がいるからなのかもしれません。

そして、いよいよ落合さんは、37年間座っていた客席ではなく、厨房に立つことになります。大将から教わった味を守りながら、自分らしい料理を生み出す。そこで次に待っていたのは、もう一つの挑戦でした。

地ものや 落合

<広告の下に続きます>

「もつけ」の味は、どう生まれ変わったの?

長年愛されてきた店を受け継ぐとき、いちばん難しいのは何でしょうか? 料理の作り方を覚えること。食材を仕入れること。お客さんを迎えること。もちろん、どれも大切です。けれども、もう一つ忘れてはならないものがあります。それは、前の店を知るお客さんたちの期待です。

青森県三沢市で37年間通った居酒屋『串揚げ もつけ』を受け継いだ落合秀士さん。2025年9月、新たに『地ものや 落合』を開きましたが、店の名前を変えたからといって、すべてを一から始められるわけではありません。

『もつけ』の料理を楽しみに通っていた常連客たちは、大将の味を覚えています。「あの料理を、もう一度食べたい」そんな期待に応えることも、落合さんの大切な仕事になりました。

大将から受け継いだ「イカゲソかき揚げ」

『地ものや 落合』で人気を集めている料理の一つが、「イカゲソかき揚げ」です。これは、かつての『もつけ』の大将から教わった味。揚げたてのかき揚げに、受け継いだ秘伝のタレをかけていただきます。イカゲソの食感と、香ばしい衣。そして、長年親しまれてきたタレの味。

常連客にとっては、ひと口食べるだけで、以前の店の思い出がよみがえるような料理なのかもしれません。ただし、味を受け継ぐことは、レシピを覚えるだけでは終わりません。揚げ具合や食材の状態、タレとのバランス。同じ材料を使っていても、作る人が変われば、仕上がりには違いが生まれるものです。

だからこそ、落合さんは開業前に大将から料理を学びました。店の看板は変わっても、あの味を楽しみに来てくれる人がいる。その思いが、厨房に立つ落合さんを支えているのでしょう。

2,000円の晩酌セットに並ぶ、三沢のごちそう

『地ものや 落合』の人気メニューには、「晩酌セット」もあります。煮物などの小鉢に、季節の刺身、野菜やキノコなどの揚げ物。さらにドリンクが1杯ついて、価格は2,000円。豪華な料理を一品だけ注文するのではなく、いろいろな味を少しずつ楽しめるのが魅力です。

旅先の居酒屋で、こういう料理に出会うとうれしくなります。有名な郷土料理や観光客向けの名物もいいけれど、その土地の人が普段から食べているものには、また違ったおいしさがあります。

季節の野菜や山菜、地元で親しまれている食材。何気なく出された小鉢から、その土地の暮らしが見えてくることもあるのです。『地ものや 落合』という店名にも、そんな地元の食材を大切にしたいという姿勢が感じられます。

「落合の山鍋」は、新しい大将の味

一方、落合さん自身が考えた料理もあります。その一つが「落合の山鍋」。ネマガリダケやキノコなど、青森の山の恵みをたっぷり使った鍋料理です。ネマガリダケは、東北地方などで親しまれている細いタケノコの仲間。正式にはチシマザサと呼ばれる植物の若い芽で、独特の歯ごたえが楽しめます。

こうした土地の食材を生かした山鍋は、まさに『地ものや 落合』らしい一品です。大将から受け継いだ料理を守るだけでなく、自分の名前を冠した料理を生み出していく。そこには、落合さんが単なる『もつけ』の代役ではなく、新しい店の主人として歩み始めた姿があります。

受け継ぐことは、何も変えないことではありません。大切な味を残しながら、新しい味も育てていく。その両方があってこそ、店は次の時代へ続いていくのでしょう。

そして、そんな落合さんの料理を見守っているのは、かつての『もつけ』を知る常連客たちです。店の名前が変わり、厨房に立つ人が変わっても、変わらず足を運んでくれる人がいる。そこにこそ、この店が受け継いだもう一つの宝物があるのかもしれません。

<広告の下に続きます>

店の名前が変わっても、変わらないものは?

2025年9月、青森県三沢市に『地ものや 落合』がオープンしました。落合秀士さんが37年間通い続けた居酒屋『串揚げ もつけ』を受け継いで新たに始めたお店です。

かつて客席に座っていた秀士さんは、今では厨房に立ち、お客さんを迎える側になりました。大将から教わったイカゲソかき揚げを作り、自分で考えた山鍋も振る舞う。そこには、懐かしい味を楽しみに訪れる人もいれば、新しい大将の料理に期待する人もいるのでしょう。けれども、この店の新しい出発には、忘れられない出来事がありました。

開業を見届けた大将の言葉

『もつけ』の大将は、『地ものや 落合』のオープンを見届けました。そして、そのわずか1か月後に亡くなりました。長年守ってきた店が、新しい主人のもとで再び動き始めたこと。その姿を見届けることができたのは、大将にとっても大きな出来事だったのではないでしょうか。

生前、大将は常連客たちに、こんな言葉を残していました。「落合は俺の後継ぎだから、これからも来てやってくれ」この言葉には、料理の作り方を教えるだけでは伝えきれない、店を託す人の思いが感じられます。

店を続けるには、料理を作る人だけでなく、食べに来てくれる人が必要です。大将は、落合さんに厨房を託すと同時に、常連客たちにも、新しい店を支えてほしいと願っていたのでしょう。

常連客もまた、店を受け継いでいく

『地ものや 落合』には、かつての『もつけ』を知る常連客たちが訪れています。そして、前の店の女将だった川嶋玲子さんも、今なお温かく見守っています。

店の名前は変わりました。厨房に立つ大将も変わりました。料理の中には、以前にはなかった新しいメニューも加わりました。それでも、変わらず足を運んでくれる人たちがいます。

最初は、先代の味を懐かしんで訪れる人もいるでしょう。けれども、やがて新しい大将が考えた料理を楽しみにする人も増えていくかもしれません。

「あの料理、また食べたいな」そんな言葉が聞こえるようになったとき、『地ものや 落合』は、先代の思い出を残す場所であると同時に、新しい思い出が生まれる場所にもなっていくのでしょう。

店を受け継ぐのは、厨房に立つ人だけではないのかもしれません。そこへ通い続けるお客さんたちもまた、店の歴史を次へつないでいるのです。

「いつもの店」がある幸せ

長年通ったお店が閉じてしまうと、料理の味だけでなく、そこで交わした会話も、懐かしい思い出になっていきます。だからこそ、店が続いていくことには、特別な意味があるのでしょう。落合さんが守ろうとしたのは、『もつけ』の料理だけではありませんでした。

友人と笑い合った夜。家族で食卓を囲んだ時間。大将や女将さんとの何気ない会話。37年間積み重ねてきた、そんな時間の続きを、今度は自分の手で作っていこうとしているのです。

そして、これから『地ものや 落合』を訪れる人たちにとっては、落合さんこそが「いつもの大将」になっていくのでしょう。受け継ぐことは、過去をそのまま残すことではない。大切にしてきたものを、これからも誰かが大切にできるようにすること。青森県三沢市の小さな居酒屋には、今日も新しい時間が積み重なっていきます。

<広告の下に続きます>

まとめ|いつもの店が、これからもそこにある幸せ

37年間通い続けた居酒屋を、自分の手で受け継ぐ。青森県三沢市の『地ものや 落合』を営む落合秀士さんの物語は、単なる第二の人生への挑戦ではありませんでした。自衛隊員として長年働いてきた落合さんが、迷いながらも店を継ぐ決断をしたのは、そこが自分にとって大切な場所だったからなのでしょう。

背中を押した妻・智恵子さん。店を託した『串揚げ もつけ』の大将。そして、今も店を見守る女将さんや常連客たち。一人の決断の向こうには、たくさんの人の思いがありました。

大将から教わったイカゲソかき揚げには、長年親しまれてきた味が残っています。一方、ネマガリダケやキノコを使った「落合の山鍋」には、新しい大将としての工夫が詰まっています。

昔からのお客さんが懐かしい味を楽しみ、新しい料理にも期待する。そんな時間を重ねながら、『地ものや 落合』は少しずつ、落合さん自身の店になっていくのでしょう。

先代の大将は、新しい店の開業を見届けたわずか1か月後に亡くなりました。その胸にどんな思いがあったのか、私たちにはわかりません。けれども、自分が守ってきた店の味と、お客さんたちが集まる場所を、長年の常連客に託すことができた。そのことに、少しでも安心してくれていたなら、うれしく思います。

私にも、20年間通った天ぷら屋さんがありました。今はもう閉店してしまいましたが、マスターと交わした旅の話や、珍しい食材を料理してもらった日のことは、今も懐かしく思い出します。お店がなくなって初めて、いつでもそこへ行けることが、どれほどありがたかったのかに気づくものです。

だからこそ、落合さんが受け継いだものの大きさを感じます。いつもの店が、いつもの場所にある。そこへ行けば、迎えてくれる人がいる。当たり前のようでいて、決して当たり前ではない幸せ。三沢の小さな居酒屋では、今日もきっと、そんな幸せが新しい大将の手によって育まれているのでしょう。


湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む

タイトルとURLをコピーしました