なぜカツオ漁船は、気仙沼に帰ってくるの?|戻りガツオの味と、漁師を迎える港の人々【食彩の王国】

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秋になると、脂を蓄えた「戻りガツオ」が食卓をにぎわせる。初ガツオのさっぱりした味わいとは、また違うおいしさだ。宮城県気仙沼市は、そんなカツオの水揚げで知られる港町。新鮮なカツオを使った丼や握り寿司、町中華の料理人が腕を振るう新作料理など、港にはさまざまな味が生まれている。

けれども、ふと気になることがある。なぜ、全国各地からカツオ漁船が気仙沼に集まってくるのだろう?そこには、魚を水揚げする市場だけでなく、燃料や氷、餌のイワシを手配し、船と乗組員を支える「廻船問屋」の存在があった。

海でカツオを追う人と、港でその帰りを待つ人。東日本大震災を乗り越えながら、気仙沼の人々は、そのつながりを守り続けてきた。テレビ朝日『食彩の王国』の「気仙沼の戻りガツオ」をきっかけに、秋の味覚と、漁師たちが帰ってくる港の物語をたどってみたい。

【放送日:2026年10月24日(土)9:30 -9:55・テレビ朝日】

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カツオは、なぜ秋に戻ってくるの?

春の「初ガツオ」に、秋の「戻りガツオ」。同じカツオなのに、季節によって呼び名が変わる。しかも、味わいまで違うという。いったい、カツオはどこへ行き、どこから戻ってくるのだろう。

黒潮に乗って、北の海へ

カツオは、暖かい海を好む回遊魚だ。日本近海では、春から夏にかけて黒潮の流れに沿って北上し、三陸沖、さらには北海道沖まで移動する群れがいる。その北上する時期に漁獲されるのが、「初ガツオ」や「上りガツオ」と呼ばれるカツオだ。

では、なぜ北へ向かうのだろう。その理由の一つが、餌を求めるためだ。三陸沖は、暖かい黒潮と冷たい親潮の影響を受ける、豊かな漁場として知られている。カツオは、イワシなどの小魚やイカ類を食べながら成長していく。

そして秋になり、海水温が下がり始めると、南へ向かう群れが現れる。これが「戻りガツオ」だ。ただし、すべてのカツオが同じ経路を往復するわけではない。南の海にとどまる個体もいれば、長い距離を回遊する個体もいる。「戻りガツオ」とは、日本近海で見られる季節的な回遊を表した呼び名なのだ。

初ガツオと戻りガツオ、どちらがおいしい?

一般に、初ガツオは脂が比較的少なく、さっぱりとした味わいが特徴だ。一方、北の豊かな海で餌を食べた戻りガツオは、脂を蓄え、濃厚な味わいになることが多い。だからといって、戻りガツオのほうがおいしいと決まっているわけではない。

初ガツオには、赤身の爽やかな風味がある。戻りガツオには、脂のまろやかさとコクがある。どちらを好むかは、人それぞれだ。実際、気仙沼には「戻りガツオより初ガツオのほうがうまい」と話す人もいるという。脂が多いことと、おいしいことは、必ずしも同じではない。季節によって変わる味わいを、それぞれ楽しめばいいのだと思う。

そして、カツオは気仙沼の沖へ

秋の三陸沖は、戻りガツオの重要な漁場の一つになる。その漁場に近い港が、宮城県の気仙沼だ。けれども、漁場に近いという理由だけで、全国各地のカツオ漁船が集まるわけではない。獲った魚を新鮮なうちに水揚げできる市場があり、次の漁へ向かうための設備や物資が整っていることも欠かせない。

そして何より、船を迎え、漁師たちを支える人々がいる。カツオが秋に南へ戻るころ、気仙沼の港には、カツオを追う漁船が集まってくる。その理由を、もう少し詳しく見ていこう。

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なぜカツオ漁船は、気仙沼に集まるの?

宮城県気仙沼市。カツオの水揚げで知られるこの港には、宮崎県や高知県など、遠く離れた地域から漁船が集まってくる。なかには、半年近く故郷を離れ、三陸沖でカツオを追い続ける漁師たちもいる。

けれども、なぜ彼らは気仙沼を選ぶのだろう。もちろん、三陸沖が豊かな漁場であることは大きい。しかし、理由はそれだけではない。

魚を獲るだけでは、漁は続けられない

漁船が港に戻ると、まず必要になるのが水揚げだ。大量のカツオを船から降ろし、選別し、市場で取引する。生鮮カツオは鮮度が重要だから、作業は手際よく進めなければならない。気仙沼には、大量の魚を受け入れる市場があり、買い手や加工業者も集まっている。魚を獲るだけでなく、きちんと売れること。それが、漁船にとって大切な条件なのだ。

さらに、次の漁に向けた準備も待っている。燃料、氷、漁具、食料品などなど…。必要なものを港でそろえられなければ、再び海へ出ることはできない。気仙沼には、こうした漁船の仕事を支える施設や業者が集まっている。

カツオ漁には、生きたイワシが必要?

なかでも興味深いのが、一本釣り漁に使う「餌のイワシ」だ。カツオの一本釣りでは、海に生きたイワシをまき、カツオの群れを船の近くに引き寄せる。そこで、釣り針を使って次々とカツオを釣り上げるのだ。つまり、漁師の腕がよくても、餌がなければ漁は成り立たない。

しかも、必要なのは生きたイワシ。鮮魚として水揚げされたイワシを買えば済む、という話ではない。気仙沼では、こうした生き餌を蓄えておく設備が整えられ、漁船への供給を支えてきた。カツオを獲るために、まずイワシを用意する。華やかな一本釣りの光景の裏側には、そんな準備があったのだ。

なお、気仙沼に水揚げされるカツオには、一本釣りだけでなく、まき網で獲られたものもある。生き餌が重要なのは、主に一本釣り漁の話だ。

漁師にとって、気仙沼は第二の故郷?

そして、漁船が必要とするのは、魚市場や燃料だけではない。長い航海を終えた乗組員には、食事をする場所も、買い物をする場所も、体を休める場所も必要だ。気仙沼には、遠くからやって来た漁師たちを迎える飲食店や商店があり、港町全体でその暮らしを支えてきた。

漁場に近いこと。水揚げした魚を売れること。次の漁の準備ができること。そして、安心して立ち寄れる人と場所があること。それらが積み重なって、気仙沼はカツオ漁船に選ばれる港になったのだろう。

実際、気仙沼は2024年まで28年連続で生鮮カツオの水揚げ日本一を記録してきた。2025年にはその記録が途切れたものの、長年築いてきた港の仕組みや人々のつながりが消えたわけではない。カツオが集まる海の近くに、漁船が帰りたくなる港がある。その港で、船と漁師たちの仕事を支えているのが、「廻船問屋」と呼ばれる人々だ。

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廻船問屋は、漁師の何を支えているの?

「廻船問屋」と聞いて、時代劇に登場する商人を思い浮かべる人もいるかもしれない。港で商売をする大店・大黒屋の主人が、悪代官と何やら相談している……。そんな場面を想像してしまうけれど、実際の廻船問屋は、港の物流を支える大切な存在だった。そして、気仙沼には今も、漁船と漁師たちを支える廻船問屋がある。

漁船の仕事は、港に戻っても終わらない

長い航海を終えて、カツオ漁船が気仙沼に入港する。けれども、港に着いたからといって、すぐに仕事が終わるわけではない。水揚げの段取りを整え、魚市場での取引を進め、必要な手続きを済ませる。

さらに、次の出漁に向けて、燃料や氷、食料、漁具なども用意しなければならない。一本釣り漁船なら、生き餌のイワシの確保も重要だ。これらを船長や乗組員だけですべて手配するのは大変なことだろう。そこで活躍するのが、廻船問屋だ。

船の入港から水揚げ、出漁準備まで、さまざまな仕事を陸上から支えている。いわば、漁船のための総合サポート会社なのだ。

魚を売るだけではない、港の仕事

廻船問屋の仕事は、魚の販売に関わることだけではない。燃料や食料の補給を手配し、船の修理が必要になれば関係する業者につなぐ。乗組員が体調を崩したときには、医療機関の手配を支援することもある。

海の上では、漁師たちはカツオを追うことに集中する。その一方で、陸では廻船問屋が船の帰港に備えている。船が入ってくる時間に合わせて、人や物を動かし、次の出港までの準備を整える。私たちが食卓で目にする一切れのカツオの向こうには、そんな仕事も隠れている。

「いつもの港」には、いつもの人がいる

旅先でも、初めて訪れる町と、何度も通った町とでは安心感が違う。どこに行けば何が手に入るのか。どの店で食事をすればいいのか。困ったときには誰に相談すればいいのか。それがわかっているだけで、ずいぶん心強いものだ。

漁師たちにとっても、なじみの港には同じような安心感があるのではないだろうか。もちろん、漁船が寄港地を選ぶには、漁場との距離や水揚げ条件、費用など、現実的な判断が欠かせない。けれども、何度も顔を合わせ、仕事を任せてきた相手との信頼関係も、港を支える大切な財産だろう。

「また来たよ」「お帰りなさい」そんな言葉が交わされる港には、数字だけでは表せない魅力がある。

船を迎えることが、町を支えることになる

カツオ漁船が入港すれば、魚市場だけでなく、燃料店や製氷施設、漁具店、飲食店などにも仕事が生まれる。一隻の船を迎えることは、港町のさまざまな人々の暮らしにつながっているのだ。だからこそ、漁船と港の関係は、一度の水揚げだけで終わるものではない。

海で働く人と、陸で支える人。そのつながりを長い年月をかけて育んできたことも、気仙沼がカツオの港として発展した理由の一つなのだろう。

漁師がカツオを追いかけている間、港では、その帰りを待つ人がいる。廻船問屋は、そんな気仙沼の姿を象徴する存在なのかもしれない。そして、その港町は2011年、東日本大震災によって大きな被害を受けることになる。

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震災を越えて、港は何を守ってきたの?

2011年3月11日。東日本大震災による巨大な津波は三陸沿岸、気仙沼の港町にも甚大な被害をもたらした。魚市場や水産加工施設が被災し、船や設備が失われた。さらに、港の石油タンクが津波で流され、市街地や海上では大規模な火災も発生した。夜の気仙沼湾に炎が広がる映像を、今も覚えている人は多いのではないだろうか。

港が止まると、町の仕事も止まる

気仙沼にとって、漁港は単に魚を水揚げする場所ではない。市場で働く人、水産加工業者、燃料や氷を供給する人、船を修理する人。そして、漁船と港をつなぐ廻船問屋。多くの人々の仕事が、港を中心につながっている。

震災は、そのつながりを支える施設や設備にも大きな被害を与えた。だからこそ、港を再び動かすことは、町の暮らしを取り戻すためにも欠かせなかった。

震災から3か月余り、カツオが帰ってきた

2011年6月28日。気仙沼港に、震災後初めてカツオが水揚げされた。港の本格的な復旧は、まだこれからという時期だった。それでも、がれきの撤去や応急工事を進め、魚を受け入れるための準備が整えられていった。

カツオの水揚げ再開は、気仙沼の水産業が再び動き始めたことを示す、大切な一歩だった。その後も漁港や魚市場の復旧が進み、2019年には新しい魚市場施設が完成した。また、被災した水産加工業者が協力して共同施設を整備するなど、以前の姿に戻すだけではない、新しい取り組みも生まれている。

守り続けたいのは、漁船を迎える港

港の復興は、建物や設備を直すだけでは終わらない。遠くの海からやって来た漁船が、安心して魚を水揚げできること。燃料や氷を補給し、次の漁へ出られること。そして、港で働く人々が、それぞれの仕事を続けられること。そうした日常を取り戻すことが、気仙沼の復興を支えてきたのだろう。

もちろん、震災で失われたものが、すべて元どおりになったわけではない。それでも、港には再び漁船が集まり、カツオが水揚げされている。気仙沼が守り続けてきたのは、魚を迎える港であり、人を迎える港でもあった。そして、その港に届いたカツオは、料理人たちの手によって、新しい一皿へと生まれ変わっていく。

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戻りガツオは、どんな料理に変身するの?

秋の三陸沖で獲れた戻りガツオ。漁師たちが海で追いかけ、廻船問屋や市場の人々が港で迎えた魚は、やがて料理人たちのもとへ届く。気仙沼で味わえるカツオ料理といえば、刺身やたたきが思い浮かぶ。けれども、カツオのおいしさは、それだけではない。

丼にも、握り寿司にも

今回の『食彩の王国』には、気仙沼の戻りガツオを使った絶品丼や、職人技が光る握り寿司が登場する。脂ののった戻りガツオは、赤身のうま味と脂のまろやかさを併せ持つ。ご飯と組み合わせれば、刺身だけで食べるときとは違った味わいになる。

握り寿司なら、切りつけ方やシャリとのバランス、薬味の使い方など、職人の工夫が味を左右する。同じ魚でも、料理人の手にかかれば、まったく違う表情を見せるのだ。

もちろん、脂が多ければ必ずおいしいというわけではない。初ガツオのさっぱりした赤身が好きな人もいれば、戻りガツオの濃厚な味わいを好む人もいる。大切なのは、その魚の持ち味をどう生かすかということなのだろう。

漁師料理「塩引き」が、新しい町中華に?

気仙沼市には、地元の海の恵みを料理に生かし続けている料理人がいる。「中国料理 福建樓」を営む勢津文貴さんだ。気仙沼名産のフカヒレを使った料理でも知られる勢津さんが、今回、新たに挑戦するのは戻りガツオ。

そのヒントを求めて気仙沼漁港を訪れ、新鮮な刺身とともに味わったのが、漁師料理の「塩引き」だった。漁師たちが親しんできた味と、秋の戻りガツオならではの豊かな脂。その二つを、中華料理の技でどう生かすのか。

興味深いのは、単に新鮮なカツオを使うだけではなく、地元で受け継がれてきた食文化そのものを、新しい料理の発想につなげていることだ。初ガツオのさっぱりした味わいも、戻りガツオの濃厚な味わいも、それぞれに魅力がある。

大切なのは、どちらが上等かではなく、その持ち味をどう引き出すか。漁師の知恵と料理人の技が出会うことで、気仙沼のカツオに、また一つ新しい楽しみ方が生まれようとしている。

中国料理 福建樓

一皿の向こうに、港がある

カツオの味を決めるのは、脂の量だけではない。魚の鮮度を守る漁師の仕事。水揚げを支える市場や廻船問屋の仕事。そして、素材を見極め、料理に仕上げる料理人の仕事。その一つひとつがつながって、私たちの食卓にカツオが届く。

気仙沼は、東日本大震災によって大きな被害を受けた港町だ。それでも人々は、漁船を迎え、魚を水揚げし、カツオを食卓へ届ける営みを続けてきた。秋の戻りガツオを味わうとき、そんな港の歴史を少しだけ思い浮かべてみたい。

おいしいカツオがあるから、港がにぎわう。そして、港を支える人々がいるから、おいしいカツオが届く。気仙沼の戻りガツオには、海の恵みだけでなく、港町の人々が積み重ねてきた時間も詰まっているのだ。

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まとめ|カツオが帰る港には、待っている人がいる

秋になると、三陸沖に戻りガツオの季節がやってくる。その魚を追って、遠く九州や四国からも漁船が気仙沼へ集まってくる。漁師たちを迎えるのは、魚市場だけではない。燃料や氷、生き餌のイワシを手配する廻船問屋。水揚げされた魚を扱う人々。そして、港で働く人たちの暮らしを支える町の人々。

2011年の東日本大震災で大きな被害を受けながらも、気仙沼は再び漁船を迎える港として歩み続けてきた。そして今、漁師たちが受け継いできた「塩引き」の味は、料理人の手によって、新しい町中華へとつながろうとしている。

初ガツオのさっぱりした味わいも、戻りガツオの濃厚な味わいも、それぞれに魅力がある。けれども、一皿のおいしさを支えているのは、魚の脂や鮮度だけではない。海で働く人、港で待つ人、料理を作る人。その仕事と時間が、一つの食卓につながっている。

カツオは季節とともに海を巡る。そして漁船は、迎えてくれる人々のいる港へ帰ってくる。気仙沼の戻りガツオには、そんな港町の物語も詰まっているのだ。


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