海の見える空き家に灯がともる一杯――大船渡「ふるさとラーメン」の再出発【人生の楽園】

大船渡 BLOG
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東日本大震災から15年。三陸の海を望む岩手県大船渡市で、一軒のラーメン店に再び灯りがともりました。店の名前は『休み処 かわ喜』。かつて食堂だった空き家を改装し、2023年にオープンした小さな店です。

店を始めたのは、釜石市出身の白川里奈さん。長く東京で暮らしていましたが、震災以降、「故郷のために自分にも何かできないか」という思いを抱き続けてきました。転機になったのは、大船渡で出会った海の見える空き家。そこを見た瞬間、「ここで店をやろう」と決意したといいます。

使うのは、実家の製麺所で作る麺。震災直後、家族はその麺を使って炊き出しをしていました。温かいラーメンを食べる。人が集まる。少し笑顔になる。そんな時間が、被災した町を支えていたのです。

店の人気メニューは、昔ながらのあっさり醤油味の「釜石ラーメン」や、三陸の魚介をたっぷり使った「崎浜磯ラーメン」。けれど里奈さんが本当に作りたかったのは、“ラーメン”だけではありません。海を見ながら、ほっとできる場所。地域の人が自然と集まる場所。そして、「また来よう」と思える灯りでした。

「人生の楽園」では、震災を乗り越えながら故郷に戻り、“笑顔の一杯”を届けようとする家族の物語を紹介します。

【放送日:2026年5月30日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】

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なぜ東京から故郷へ?海の見える空き家がくれた“再出発”

白川里奈さんは、長く東京で暮らしていました。広告やパッケージデザインの仕事をし、家族と暮らしながら過ごした日々。けれど15年前、故郷・岩手を東日本大震災が襲います。津波。流される町。燃え広がる火災。テレビ越しに見る故郷の姿は、里奈さんが知っている三陸の海ではありませんでした。

幸い、実家の製麺所を営む家族は無事でした。そして震災直後、工場の麺を使って炊き出しを続けていたといいます。温かいラーメンを食べる。少しだけ笑顔になる。そんな時間が、傷ついた町を支えていました。

そんなとき里奈さんも、「故郷のために何かしたい」という思いを抱きます。けれど東京での子育てや暮らしもあり、すぐに帰ることはできませんでした。それでも帰省するたび、少しずつ変わっていく故郷を見つめ続けていたのです。そんなある日。大船渡で、一軒の空き家に出会います。

海を見下ろす場所に建つ、かつて食堂だった建物でした。そこで里奈さんは、「ここで店をやろう」と決意します。なぜ、“海の見える場所”だったのでしょうか? 三陸の海は、多くのものを奪いました。けれど同時に、昔から人々の暮らしを支えてきた海でもあります。

魚を運ぶ。町を育てる。人をつなぐ。海とともに生きる。それが三陸の暮らしでした。だからこそ里奈さんは、“海を忘れる”のではなく、“海のそばで暮らし直す”ことを選んだのかもしれません。誰もいなくなった空き家に、もう一度灯りをともす。

そこには、故郷を元気にしたいという思いだけではなく、「また海の見えるこの場所で誰かに笑ってほしい」という願いも込められていました。止まっていた場所に、もう一度時間が流れ始めました。

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炊き出しの記憶から生まれた“笑顔のラーメン”とは?

白川里奈さんがラーメン店を始めようと思った背景には、震災直後の記憶がありました。実家は、岩手県釜石市で製麺所を営んでいます。東日本大震災のあと、家族は工場に残っていた麺を使い、被災した人たちへ炊き出しを続けていたといいます。

温かいラーメンを手渡す。湯気が立つ。「温かいね」そんな何気ない会話が生まれる。震災直後の不安な時間の中で、その一杯はただの食事ではありませんでした。

冷えた身体を温める。空腹を満たす。そして少しだけ、人の心をほぐしてくれる。一杯のラーメンには、そんな力があったのです。里奈さんは、その光景をずっと心のどこかで覚えていました。だからこそ、大船渡で空き家に出会った時、「実家の麺で、自分にも何かできないか」という思いが強くなっていったのかもしれません。

店の人気メニューは、父・實さんが長年研究を重ねて作り上げた、あっさり醤油味の「釜石ラーメン」。どこか懐かしく、毎日でも食べたくなる味です。さらに三陸の魚介をたっぷり使った「崎浜磯ラーメン」も人気を集めています。

けれど里奈さんが届けたいのは、“美味しさ”だけではありません。ほっとする時間。少し笑顔になれる時間。「また来たよ」と言ってもらえる場所。震災直後、炊き出しのラーメンが人の心を温めたように、今度は店という形で、人が集まれる場所を作りたい。その思いが、一杯のラーメンに込められていました。

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釜石ラーメンに磯ラーメン!三陸の海が育てた優しい味

『休み処 かわ喜』で人気を集めているのが、昔ながらのあっさり醤油味の「釜石ラーメン」です。透き通ったスープ。細めの麺。どこか懐かしく、やさしい味わい。父・實さんが、かつて麺の実演販売をする中で研究を重ねて作り上げた一杯だといいます。

派手さはありません。けれど、不思議とまた食べたくなる。そんな“毎日のラーメン”です。さらに店では、三陸の魚介をたっぷり使った「崎浜磯ラーメン」も人気を集めています。海の香り。魚介の旨み。三陸ならではの味わいが詰まった一杯です。

大船渡や釜石の人たちは、昔から海とともに暮らしてきました。魚を獲る。魚を食べる。海の恵みを分け合う。そんな日常が、この土地の食文化を育ててきたのです。だからこそ、この店のラーメンにも、“三陸らしさ”が自然と溶け込んでいました。

濃厚すぎない。強すぎない。けれど食べると、身体がほっとする。それはきっと、震災を経験した町だからこそ、大切にされている味なのかもしれません。

誰かと話しながら食べる。海を見ながら湯気を感じる。「美味しかったね」と笑う。この店のラーメンは、ただ空腹を満たすだけではなく、人が少し元気になる時間も作っていました。三陸の海が育てたのは、魚介だけではありません。人をやさしく包み込む、“ほっとする味”だったのです。

休み処 かわ喜

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「また来たよ」が嬉しい――ラーメン店が地域の居場所になるまで

『休み処 かわ喜』には、少しずつ常連客が増えています。
「また来たよ」
そんな何気ない一言が、里奈さんにとって何より嬉しいのだといいます。観光客が一度立ち寄るだけではなく、地域の人たちが自然と集まる場所になる。それが、この店の目指している姿でした。

海を見ながらラーメンを食べる。誰かと少し話す。
「今日は寒いね」「漁はどうだった?」
そんな日常の会話が、この場所には流れています。

里奈さんは、もともと東京へ憧れて故郷を離れた人でした。広告やデザインの仕事をしながら、都会で家庭を築いた人生。けれど震災をきっかけに、「故郷に自分ができることはないか」と考えるようになります。そして今、大船渡でラーメン店を営んでいる。それは単なるUターンではありませんでした。

一度離れた故郷との“つながり”を、もう一度作り直していく時間でもあったのです。もちろん簡単なことではありません。町には、震災後に店を閉じた場所も多く残っています。人が減った。景色が変わった。それでも里奈さんは、毎日湯気を立ち上らせ続けます。

すると少しずつ、人が集まるようになっていきました。ラーメンを食べに来る。海を見に来る。誰かと話しに来る。気づけば『休み処 かわ喜』は、“食事をする場所”を超えて、地域の居場所になり始めていたのです。

「また来たよ!」

その言葉と笑顔はきっと、ラーメンの感想だけではありません。“この町に、また来たくなる場所ができた”そんな意味も込められているのかもしれません。

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海の見える店から、故郷の未来へ――夫婦が描く“次の暮らし”

『休み処 かわ喜』には、今日もゆっくりと時間が流れています。窓の向こうには三陸の海。店にはラーメンの湯気。そして、「また来たよ」と笑う人たちの声があります。

里奈さんは2023年、子どもたちとともに岩手へUターンしました。一方、夫の辰也さんは今も東京で仕事を続けながら、連休には大船渡へ通い、店を手伝っています。いつか夫婦でこの店を切り盛りすること。それが、今の二人の小さな夢です。

震災から15年。大船渡の町は、少しずつ姿を変えてきました。新しくできた場所。なくなってしまった場所。それでも海は、昔と変わらずそこにあります。

その海を見下ろす空き家に、もう一度灯りがともった。そして今、その場所には、人が集まり始めています。ラーメンを食べる。誰かと話す。少し笑う。そんな何気ない時間が、町の未来をゆっくり支えているのかもしれません。

里奈さんが作っているのは、ただのラーメン店ではありません。故郷へ帰ってこられる場所。ほっとできる場所。そして、「また来よう」と思える場所でした。海の見える小さな店から、今日も温かい湯気が立ちのぼっています。その湯気はきっと、大船渡という町の未来へ、静かにつながっているのです。

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