秋になると、海の幸にも「待ってました!」という季節がやってきます。今回、NHK『あさイチ』の中継が訪れるのは、大分県佐伯市。テーマは――「解禁!旬の伊勢えび」🦞
佐伯と聞いて、私は以前この町を訪れたときに食べた「佐伯ごまだしうどん」を思い出しました。焼いた魚とごまなどから作られた「ごまだし」を、温かいうどんに溶いて食べる佐伯の郷土の味。豪華な料理というより、どこかほっとする素朴な味で、「海の町って、こんなふうに魚と暮らしてきたんだな」と感じたことを覚えています。
そんな佐伯の海から、今度は秋のごちそう、伊勢えびです。豊後水道の豊かな海で育った伊勢えびは、秋に漁が解禁され、佐伯から宮崎県延岡市へ続く日豊リアス海岸では、この時期に旬の伊勢えびを楽しむ催しも開かれています。
ぷりっとした身。豪快な姿造り。焼けば香ばしく、みそ汁にすれば濃厚なだし。……なんて考えていたら、お腹がすいてきます🤣 でも、ここで一つ。ものすごく基本的なことが気になりました。
大分県佐伯市で獲れたのに、どうして「伊勢えび」なのでしょう?「伊勢」といえば、もちろん三重県の伊勢。だったら伊勢で獲れたから「伊勢えび」――。そう思いたくなります。ところがイセエビは、伊勢だけに暮らしているわけではありません。
房総半島でも獲れる。伊豆でも獲れる。そして、ここ大分・佐伯の海でも獲れる。それでも名前は、みんな「伊勢えび」です。実は昔には、鎌倉近海で獲れるイセエビを「鎌倉海老」と呼んだ例も残っています。だったら佐伯で獲れたものを、「佐伯海老」🦞と呼んだってよさそうなのに、そうはなりませんでした。
いったいなぜ、「伊勢」の名前が全国に残ったのでしょう。そしてもう一つ、中継テーマにある「解禁」という言葉も気になります。伊勢えびが秋になったら突然おいしくなるから、解禁するのでしょうか。
実はそこには、夏の産卵期には漁を休み、次の世代へ命をつないでもらうという、人間と海との付き合い方も隠れています。獲れるから獲るのではなく、獲り続けるために獲らない季節をつくる。そうして秋を待つからこそ、毎年「解禁!」を迎えられるのです。
同じイセエビでも、育った海はそれぞれ違います。伊勢の海で育った一匹。房総の海で育った一匹。伊豆の岩礁で育った一匹。そして、黒潮の影響を受ける豊後水道で育った一匹。名前は同じ「伊勢えび」でも、その身体にはそれぞれの海で過ごしてきた時間があるはずです。
今回は『あさイチ』の中継をきっかけに、大分・佐伯で獲れたのに、なぜ「伊勢えび」なのか。その名前をたどりながら、旬の一匹の向こうにある海と人とのちょっと不思議な関係をのぞいてみたいと思います。
【放送日:2026年9月15日(火)8:15 -9:55・NHK-BSP4K】
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大分で獲れたのに、なぜ「伊勢えび」?
「大分県佐伯市から中継、旬の伊勢えびです!」
そう聞くと、多くの人は特に違和感を覚えないかもしれません。でも、少しだけ立ち止まって考えてみると不思議です。伊勢えびなのに、ここは大分県。伊勢といえば三重県の伊勢地方です。だったら伊勢で獲れたから「伊勢えび」なのでしょうか?
実はイセエビは、三重県だけに生息しているわけではありません。房総半島でも獲れる。伊豆半島でも獲れる。四国でも獲れる。そして、ここ大分県佐伯市の豊後水道でも獲れます。それなのに、みんなまとめて「伊勢えび」。考えてみると、ちょっと不思議な名前です。
名前の由来にはいくつかの説があります。かつて伊勢湾周辺で多く獲れ、伊勢神宮へ参拝する人々の食膳に並び、その名が広まったから、あるいは堂々とした姿が「威勢がいい」からなど、どれか一つが正解というより、長い歴史の中でいくつもの物語が重なりながら、「伊勢えび」という名前が定着していったのかもしれません。
さらに面白いのは、昔には今とは違う呼び方もあったことです。神奈川県の鎌倉近海で獲れるイセエビを「鎌倉海老」と呼んだ記録も残っています。もしその呼び方が広まっていたら、今ごろ私たちは、「鎌倉海老の刺身です」なんて言っていたのかもしれません。
そう考えると、生き物の名前というのは最初から全国共通だったわけではなく、人々の暮らしや土地の歴史の中で少しずつ形づくられてきたものだとわかります。だから今回の主役も、「伊勢えびだから伊勢のもの」
というより、「伊勢えびという名前を持ちながら、佐伯の海で育った一匹」と考えた方がしっくりくるのかもしれません。
名前は同じ。けれど育った海は違う。では、豊後水道で育った「佐伯の伊勢えび」には、どんな特徴があるのでしょうか。次は、その一匹が暮らしてきた海へ目を向けてみましょう。🦞💕
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「佐伯の伊勢えび」は、何が違う?
では、大分県佐伯市で獲れる伊勢えびは、ほかの地域の伊勢えびとは違うのでしょうか? 「佐伯だけに生息する特別な種類です!」……というわけではありません。基本的には、私たちが房総や伊豆、三重などで「イセエビ」と呼んでいるものと同じ種類です。
だったら、どこで獲れたって同じじゃない?と思ってしまいます。でも魚や貝を考えてみると、同じ種類でも産地が大切にされるものはたくさんあります。それは生き物が、地図に書かれた「産地」という住所を背負っているからではありません。その場所の海で、ずっと生きてきたから。
佐伯市の沖に広がる豊後水道は、瀬戸内海と太平洋を結ぶ海域です。南からは黒潮の影響を受け、複雑に入り組んだリアス海岸の沿岸には岩礁や藻場があります。伊勢えびは、そんな岩礁の隙間などをすみかにする生き物です。昼間は岩陰などに身を潜め、暗くなってくると外へ出て餌を探します。
つまり佐伯の伊勢えびにとって、豊後水道は単なる「水揚げされた場所」ではありません。隠れる岩がある。餌を探す海がある。潮が動く。季節によって水温も変わる。一匹の伊勢えびが育ってきた生活の場所そのものです。
現在、佐伯で開催されている「東九州伊勢えび海道」の伊勢えび祭りでも、大分県佐伯市から宮崎県延岡市にかけての日豊リアス海岸で水揚げされた伊勢えびを味わうことができます。
だから「佐伯の伊勢えび」という言葉も、「佐伯にしかいない伊勢えび」という意味ではなく、「佐伯の海で育ち、この海で水揚げされた伊勢えび」と考えるとわかりやすいのかもしれません。
もちろん、「黒潮が流れているから、ほかの産地より絶対に甘い!」「豊後水道だから、身が必ず大きくなる!」とまで単純に言うことはできません。味や大きさには個体差もありますし、水温や餌、成長段階、漁獲後の扱いなど、さまざまな条件が関係します。
それでも、その一匹がどんな海で育ったのかを知ると、「産地」という言葉が少し違って見えてきます。房総で育ったイセエビ。伊豆の岩礁を歩いていたイセエビ。伊勢志摩の海で育ったイセエビ。そして、豊後水道で育った佐伯のイセエビ。
名前はみんな「伊勢えび」でも、それぞれが過ごしてきた海は違う。そう考えると、旬のものを「その土地で食べる」という楽しみは、単に新鮮だからというだけではないのかもしれません。目の前の一匹を通して、「この町の前には、こんな海が広がっているんだ」と味わうことでもあるのでしょう。
そして佐伯では、その伊勢えびを一年中好きなだけ獲っているわけではありません。豊後水道には伊勢えびがいる。網を入れれば獲れるかもしれない。それでも夏の間、人間はその漁を休みます。なぜなら、そのころ海の中では――伊勢えびにとって次の世代を残すための大切な時間が流れているから。
では、獲れる伊勢えびを、なぜわざわざ獲らないのでしょう。次は中継の「解禁!」という言葉の裏側にある、人間が海を待つ季節を見てみましょう。🦞💕
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なぜ伊勢えびは、秋まで獲らない?
「解禁!旬の伊勢えび」
そう聞くと、9月になった瞬間から伊勢えびがおいしくなるような気がします。でも「解禁」という言葉を、反対側から考えてみましょう。
解禁されるということは、それまで、「獲ってはいけない」季節があったということです。大分県では、全長20センチを超えるイセエビでも、6月1日から8月31日までは採捕が禁止されています。さらに20センチ以下の小さなイセエビは、一年を通して獲ることができません。なぜ、目の前の海にいるのに獲らないのでしょう。
その大きな理由の一つが、次の世代を残すためです。イセエビにとって暖かい季節は、繁殖の大切な時期と重なります。卵を抱えたメスが海にいて、やがて幼生が生まれ、次の世代へ命がつながっていく。そんな時期に親になる個体まで次々と獲ってしまったら、今年の漁獲は増えても、数年後の海からイセエビが減ってしまうかもしれません。
海を眺めていると、魚介類はどこからともなく次々と現れるようにも見えます。魚なら泳いで別の海からやってくることもある。だから海の恵みは、どこか「なくならないもの」のように感じてしまいます。
でも、海の生き物だって無限ではありません。特にイセエビは、岩礁の隙間などをすみかにして暮らします。アワビやサザエなども含め、同じ沿岸の漁場を長く利用する生き物を獲り続ければ、「ここにいたはずなのに、いなくなった」という変化は、海と毎日向き合う漁師ほど身近に感じるのでしょう。
人間は長い漁業の歴史の中で、何度も「獲りすぎれば、いなくなる」という現実に直面してきました。目の前にいるから獲る。獲れるだけ獲る。それを続ければ、その年はたくさん水揚げできるかもしれません。
でも翌年は? そのまた次の年は? そこで必要になるのが、獲らないという漁なのだと思います。ちょっと矛盾した言葉ですよね。漁師なのに、獲らない。網を入れれば獲れるかもしれないのに、網を入れない。でもそれは、海から何もいただかないという意味ではありません。
今年少し待つことで、来年も、その先も海からいただけるようにする。9月の「解禁!」という明るい言葉の前には、そんな時間が流れています。
6月。7月。8月。人間が待っているあいだにも、海の中ではイセエビたちの時間が流れています。卵を抱え、次の世代へ命をつないでいく。そして9月になって、ようやく漁が始まります。だから「旬」というのは、単に、「一番おいしくなる季節」だけではないのかもしれません。
生き物の都合がある。海の都合がある。そして、それをいただく人間の都合もある。その三つの時間を合わせながら、「今なら、いただいてもいい」となった季節が、私たちにとっての旬になっているのでしょう。
もちろん、禁漁期間を決めたからといって、それだけで海の資源が永遠に守られるわけではありません。海水温も変わる。環境も変わる。漁獲量も変化します。だからこそ、その年の海を見ながら、人間の側も獲り方を変え続けなければならないのでしょう。
獲れるから獲るのではなく、獲り続けるために、獲らない季節をつくる。
「解禁!」という一言の裏側には、そんな人間と海との約束が隠れているように思えます。ところが――。人間が、「夏は獲らないからね🦞💕」と大切に守っていても、海の中のみんながその約束に参加しているわけではありません。
夜の岩礁では、イセエビが餌を求めて動き出します。そして、その近くには……。🐙「人間が獲らないなら、俺が食べてもいいよね?」という方も暮らしています🤣
人間にとっては大切な水産資源。でも海の中へ潜ってみれば、イセエビだって誰かを食べ、そして誰かに食べられる一匹の生き物です。次はちょっと海の中に潜って、人間の「資源管理」なんてお構いなしの海の暮らしをのぞいてみましょう。🦞🐙💕
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海の中では、伊勢えびも食べられる?
私たちが伊勢えびを見る場所といえば、水族館や魚屋さん・スーパー、あるいは料理店の水槽でしょうか? 立派な触角。硬そうな殻。そして値札を見れば――。「おお……高級食材だ🦞💦」となります🤣 ところが海の中へ潜ってみると、伊勢えびの見え方はまったく違います。
そこにいるのは「高級食材」ではありません。岩場で暮らしている、一匹の生き物です。イセエビは昼間、岩の割れ目や穴などに身を潜めていることが多く、暗くなってくると外へ出て餌を探します。海の中で見ると、長い触角だけが岩陰から、にょ〜ん。と伸びていることもあります。
人間から見れば、「あ、伊勢えびだ!」ですが、本人はきっと、🦞「見つかった……」くらいに思っているかもしれません🤣そして夜になると、海の中では昼間とは少し違う時間が始まります。イセエビが岩陰から出てくる。
それを利用するのが、伊勢えび漁で使われる刺し網です。夕方に網を仕掛け、夜の間に動き回ったイセエビが網にかかり、翌朝に引き揚げる。ところが――。網にかかったからといって、翌朝まで無事とは限りません。
伊豆の海で潜っていると、秋になって伊勢えび漁が始まり、ダイビングエリアにも網が設置されることがあります。そして翌朝。網を見てみると……。🦞「…………」いません。残っているのは、伊勢えびの殻だけ。
犯人は誰だ!? 🐙「…………。」お前かーい🤣🤣🤣
もちろん、海の中で起きたすべての「事件」の犯人がタコとは限りません。でもタコにとって、イセエビは人間だけのものではありません。人間が、「明日の朝、網を揚げよう」と思っている間にも、海の中ではいつも通り、食べる側と食べられる側の暮らしが続いています。
考えてみれば当たり前です。私たちはイセエビを「水産資源」と呼びます。漁獲量を考え、禁漁期間を設け、次の世代を残そうとします。でも「水産資源」というのは、人間から見た名前です。海の中では、イセエビも餌を食べる。タコもイセエビを狙う。魚も何かを食べる。そして、その生き物もまた別の生き物に食べられる。
誰かの命が、誰かの命につながっている。そこに「これは人間が明日の朝食べる予定だから、手を出しちゃダメ」という決まりはありません。タコは漁業調整規則を読んでくれないのです🤣
でも、そんなタコにも別の顔があります。海底に転がった空き瓶や狭い穴を、タコがすみかとして利用することがあります。以前、海の中に捨てられた牛乳瓶の中に卵を産みつけ、そのそばでじっと卵を守っているタコを見たことがあります。
タコの仲間には、岩穴などの安全な場所に卵を産み、メスが孵化するまでそばを離れず世話をするものがいます。卵に新鮮な海水を送る。汚れを取り除く。外敵から守る。自分が餌を食べることよりも、卵を守ることを優先することさえあります。
さっきまで、🐙「伊勢えび、いただきます」だったタコが、今度は、🐙「この子たちは、私が守る」になる。どちらも同じ海の中で起きていることです。
それでも卵を産み付けた牛乳瓶の周りには、タコが食い散らかしたと思われる貝がらが大量に散らばっているのはご愛敬です。瓶の中から足だけを出して貝を獲っていたのかもしれません。
そう考えると、「食べる」ということも少し違って見えてきます。イセエビを食べるタコが悪いわけではありません。タコを食べる人間が悪いわけでもない。そして人間がイセエビを食べることだけが、特別な出来事でもありません。
海ではずっと、食べながら、食べられながら、次の命へつないできた。私たちも、その大きな輪の外側にいるわけではないのでしょう。
だからこそ、人間にはできることがあります。タコに、🐙「夏は伊勢えび禁漁だからね!」と言っても聞いてくれません🤣 でも人間なら、自分たちで決めることができます。
今は獲らない。小さいものは残す。そして、いただける季節が来るまで待つ。そうして迎えた秋だからこそ、「解禁!」という言葉が少しうれしく聞こえるのかもしれません。
では、最後にもう一度、中継の言葉へ戻ってみましょう。
「旬の伊勢えび」
私たちは何気なく使っていますが――。そもそも「旬」って、おいしい季節だけのことなのでしょうか? 次は、その一言の中に隠れている海の時間を考えてみたいと思います。🦞💕
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「旬」って、おいしい季節だけのこと?
「旬の伊勢えび」
そう聞けば、やっぱり食べたくなります。透き通るような身を刺身で。殻ごと焼いて香ばしく。そして最後は、頭や殻から出ただしまで味わいたい。
ここまで伊勢えびの暮らしを見てきたからといって、「かわいそうだから食べるのをやめましょう」という話ではありません。むしろ反対です。海からいただくものだからこそ、おいしく、ありがたく食べたい。そのために人間は、食べる季節を待ってきました。
考えてみれば「旬」という言葉を、私たちはいつの間にか、「一番おいしい時期」という意味で使うようになっています。もちろん、それも旬の大切な魅力です。脂がのる。身が締まる。たくさん水揚げされる。その季節だからこその味があります。
でも今回、佐伯の伊勢えびを追いかけてみると、旬にはもう少し長い物語があることに気づきます。夏。海の中では、次の世代を残すための時間が流れています。だから人間は待つ。獲れるかもしれないけれど、獲らない。小さな個体は残す。
そうして秋がやってくる。ようやく漁が解禁され、「今年もいただきます」となります。だったら旬とは、単に人間にとって都合のいい「食べごろ」だけではないのかもしれません。
生き物の時間と、海の時間と、人間の時間が重なる季節。そんなふうに考えることもできそうです。それは、少し昔の食卓なら当たり前の感覚だったのかもしれません。今ではスーパーへ行けば、一年中たくさんの食材が並んでいます。季節が違っても、遠い産地から運んでくることができる。養殖や冷凍の技術もあります。だから私たちは、ときどき忘れてしまいます。
海にもカレンダーがある。伊勢えびには伊勢えびの季節がある。産卵する季節。育つ季節。人間が待つ季節。そして、いただく季節。9月の「解禁!」は、そのカレンダーが一枚めくられた合図なのでしょう。
しかも面白いことに、海の中では人間のカレンダーなんて関係ありません。禁漁期間でも、🦞「今日はお休みです」とはならない。イセエビは餌を探し、🐙「いただきます」とタコが狙い、そのタコもまた卵を産み、次の命を守ります。海の暮らしは、人間が漁を休んでいる間もずっと続いています。
だから人間にできるのは、海を完全に管理することではないのでしょう。海の時間を少し観察して、「今は待とう」と自分たちの側を調整すること。それくらいなのかもしれません。
そして、待ったからこそ――。秋になったら堂々と、いただきます!🦞でいいのだと思います。刺身でもいい。焼いてもいい。みそ汁だっておいしそうです。……ちなみに私は、伊勢えびより車海老をカラッと揚げて、殻ごとバリバリ食べるほうが好きだったりするのですが🤣 それは、また別のお話…。
大分県佐伯市から届く「旬の伊勢えび」。その一匹には、豊後水道で過ごした時間があります。そして私たちの食卓へ届く前には、人間があえて獲らずに待っていた時間もあります。そう考えてから食べる伊勢えびは、昨日までよりほんの少し違った味がするかもしれません。
旬とは、おいしい季節であると同時に、いただいていい季節。今年も海から届いた秋のごちそうに――。「待ってました。そして、いただきます。」そんな気持ちで箸を伸ばしたいですね。🦞💕
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