「この黒じゃないんだよなぁ……」
以前、印刷会社で働いていたころ、お客さんからそんなことを言われることがありました。隣では後輩が困った顔をして、「これがK100なんすけど……」とつぶやいています。私も心の中では、「黒は黒でしょ。じゃあ、どんな黒がいいんだよ!」なんて思っていました🤣
印刷では、一般にシアン、マゼンタ、イエロー、そして黒の4色を使います。いわゆるCMYKです。理論上ではシアン、マゼンタ、イエローを重ねても黒に近づきますが、実際のインクでは理想的な黒にはなりにくいため、黒のインクを独立して使います。
デジタルの世界なら、もっとはっきりしています。RGBで、R=0:G=0:B=0とすれば、#000000。数値の上では、これが黒です。
だったら話は簡単なはずです。黒が欲しければ、黒を指定すればいい。ところが今、Photoshopで画像を作っていると、かつてのお客さんとまったく同じことを自分が言っていることがあります。
「うーん……この黒じゃないんだよなぁ」🤣🤣🤣
もう少し青みが欲しい。ほんの少し柔らかい黒にしたい。真っ黒ではなく、わずかに色を残したい。昔の私に言ったら、「お前も言うんかーい!」と怒られそうです。
でも今なら、あのお客さんが言いたかったことが少しわかる気がします。黒は、ただ一つではない。数値としての黒には基準があっても、人間が美しいと感じる黒には、もっとたくさんの表情があるのです。
今回のNHK『美の壺』のテーマは、「豊かな深み 黒」。登場するのは、輪島塗の黒漆。着物の第一礼装である黒紋付。安土桃山時代に美濃で生まれた瀬戸黒。そして盤上に置かれる黒碁石。どれも私たちは、ひと言で「黒」と呼びます。
でも、同じ黒には見えません。漆の黒には、吸い込まれそうな艶がある。黒紋付には、静かな品格がある。瀬戸黒には、炎をくぐって生まれた複雑な表情がある。那智黒の黒碁石には、小さな石の中に凝縮されたような黒があります。そして私たちは、そんな黒を見たとき、ときどき不思議な言葉を使います。「深い黒だなぁ」
でも――。黒という色に、本当に「深さ」なんてあるのでしょうか。以前、海外の海で絶壁のドロップオフの壁沿いを潜ったことがあります。自分がいるのは、太陽の光がまだ届く水深数十メートル。けれど壁の下には、さらに何百メートルもの海が落ち込んでいます。
その先を見下ろすと、海は青から青黒い色へ変わり、やがて何があるのかわからなくなる。そのとき私は、「暗い」というより、「深い」と感じました。そこには、本当に深い海が続いています。だからそう感じるのは不思議ではありません。
でも漆器は違います。黒い器の表面から何百メートルも奥があるわけではありません🤣 それなのに、美しい黒漆を前にすると、「なんて深い黒なんだろう」と感じることがあります。
もしかすると私たちは、黒という色そのものだけを見ているのではないのかもしれません。黒い漆の表面を滑る、わずかな光。何度も塗り重ねてきた職人の手。受け継がれてきた技。その器が使われてきた時間。
黒紋付なら、その一着がまとってきた歴史。瀬戸黒なら、真っ赤な窯の炎。黒碁石なら、一つの石を理想の黒へ近づけてきた人の仕事。私たちは黒を見ながら、その「色の向こう側」まで見ようとしているのではないでしょうか。
考えてみれば、完全な暗闇では黒さえ見えません。黒を見るためにも、ほんの少し光が必要です。そして、そのわずかな光が黒の表面に触れたとき、艶や濃淡や素材の表情が浮かび上がります。だから黒の美しさは、黒だけでは完成しないのかもしれません。
黒の中に光がある。そして、その光の向こうに、技や時間や物語がある。だから私たちは、黒をただ「濃い」と言うのではなく、「深い」と感じるのでしょうか。
今回は『美の壺』をきっかけに、日本人が作り続けてきたさまざまな黒を見つめながら、黒なのに、なぜ私たちは「深い」と感じるのか。RGBの#000000では表しきれない、美しい黒の向こう側をのぞいてみたいと思います。🖤✨
【放送日:2026年9月15日(火)19:30 -20:00・NHK-BS】
【放送日:2026年9月16日(水)8:00 -8:29・NHK-BSP4K】
【放送日:2026年9月19日(土)6:45 -7:14・NHK-BSP4K】
<広告の下に続きます>
第一章 「黒」って、本当に一色なの?
「黒い色を選んでください」
そう言われたら、簡単そうですよね。パソコンやスマートフォンの画面なら、RGBの値をすべて0にした、#000000が黒です。印刷の世界でも、黒には専用のインクがあります。CMYKの最後の「K」。印刷会社で働いていたころなら、「K100%です」と言えば、とりあえず黒を指定したことになります。
ところが――。それで話が終わらないのが、人間の目です。お客さんから、
「この黒じゃないんだよなぁ……」
と言われる。こちらとしては、「いやいや、これが黒なんですけど💦」となります。実際、隣にいた後輩も困った顔で、「これがK100なんすけど……」なんて言っていました🤣 当時は私も、「だったら、どんな黒がいいんだよ!」なんて思っていました。
ところが今、自分でPhotoshopを使って画像を作っていると――。
「この黒じゃないんだよなぁ……」
なんて言っている自分がいます。もう少し青みがかった黒がいい。ほんの少し茶色を感じる黒にしたい。真っ黒だと強すぎるから、少し柔らかな黒にしたい。……昔のお客さん、ごめんなさい🤣
考えてみれば、私たちの身の回りにある黒も一色ではありません。黒いスーツ。ピアノの黒。車のボディーの黒。墨の黒。黒髪。夜空。そして漆器。どれも「黒」と呼んでいるのに、同じ色には見えません。
それは単純に色の違いだけでもありません。艶のある黒と、艶を抑えたマットな黒では印象が違います。硬い金属の黒と、柔らかな布の黒も違う。同じ黒い布でも、光の当たり方によって濃淡が生まれます。
つまり私たちは「黒」を見るとき、色だけを見ているわけではないのでしょう。光の反射。素材。表面の凹凸。周囲にある色。そして、それを見た自分自身の経験。いろいろなものを一緒に受け取って、「これは黒だ」と感じています。
だからRGBデジタルの数値では#000000より明るい色でも、「こっちのほうがきれいな黒だな」と感じることさえあります。不思議ですよね。数値の世界なら、黒には基準がある。ところが美しさの世界へ入った途端、「どの黒がいちばん美しい?」という問いには、一つの答えがなくなってしまいます。
日本では昔から、その微妙な違いを見つめてきました。墨のような黒。濡れたカラスの羽を思わせる黒。漆のように艶をたたえた黒。そして職人たちは、それぞれの素材の中から自分たちが求める黒を作り出そうとしてきました。
今回『美の壺』に登場する黒もそうです。輪島塗の黒漆。黒紋付。瀬戸黒。黒碁石。どれも「黒」。それなのに、同じ黒ではありません。しかも職人たちが目指しているのは、「とにかく#000000に近づけよう!」ということではないはずです🤣
漆なら、漆だからこそ生まれる黒。布なら、染めることで生まれる黒。陶器なら、土と釉薬と炎が生み出す黒。石なら、その素材から引き出される黒。それぞれに、その素材でなければ作れない「黒」があります。だったら、黒というのは一つの色というより、たくさんの表情を包み込んだ、大きな色の世界なのかもしれません。
そして、ここでもう一つ不思議なことがあります。私たちは美しい黒を見たとき、「濃い黒ですね」だけではなく、「深い黒ですね」と言うことがあります。でも色に、奥行きなんてあるのでしょうか。#000000の向こうに、さらに黒が続いているわけではありません。
それなのに、黒漆の器を覗き込むと、ときどきその表面の向こうまで吸い込まれそうな感覚があります。もしかすると、その秘密は――黒の中に映る「光」にあるのかもしれません。
次は輪島塗の黒漆を覗き込みながら、なぜ漆の黒は、吸い込まれそうなほど「深く」見えるのか。その黒の向こう側へ、もう少し潜ってみましょう。🖤✨
<広告の下に続きます>
第二章 漆の黒は、なぜ吸い込まれそうに見える?
黒い漆器を見ていると、ときどき不思議な感覚になります。
黒い。確かに黒いのですが、それだけではありません。表面には光が映っている。艶もある。それなのに、その光のすぐ下には、まだ黒が続いているように見える。思わず、「この黒、どこまで続いているんだろう」と覗き込みたくなります。
もちろん、器の中に何百メートルもの奥行きがあるわけではありません🤣 それでも私たちは、漆の黒をしばしば、「深い黒」と表現します。
今回『美の壺』に登場する輪島塗でも、その黒は一度塗って完成するものではありません。器の形を作り、下地を整え、漆を塗り、研ぎ、また塗る。いくつもの工程を重ねながら、表面を仕上げていきます。
だから完成した漆器を見たとき、私たちの目に直接見えているのは一番外側の表面だけでも、その下には重ねられてきた仕事があります。
黒の下にも仕事がある。その下にも仕事がある。そして、その仕事を受け継いできた人たちがいる。そう考えると、漆の「深さ」は、単なる色の濃さだけではないように思えてきます。
以前、万年筆の工房を訪ねたとき、漆を使った美しい万年筆を見る機会がありました。黒い漆の上に蒔絵が施され、螺鈿が光り、金が輝いている。不思議だったのは、どれも土台には美しい黒があるのに、同じ黒には感じられなかったことです。
螺鈿の青や緑の光が隣にある黒。金の輝きを受け止める黒。蒔絵の模様の間に静かに残る黒。周りにある光が変わると、黒の表情まで変わって見えるのです。
ここで、ちょっと矛盾したことが起こります。黒とは本来、光をあまり反射しないから黒く見える色です。だったら、光をなくせばなくすほど、美しい黒になる?と思いたくなります。でも完全な暗闇に漆器を置いたら、その美しい黒を見ることすらできません。黒を見るためにも、光が必要なのです。
そして漆の場合、そのわずかな光が表面を滑ることで、艶や曲面、質感が浮かび上がります。黒の美しさを見せているのは、黒の中に残された光。そんなふうにも見えてきます。
海へ潜ったときの感覚にも、少し似ています。ドロップオフの奥に広がる海は、深くなるほど青から青黒い世界へ変わっていきます。しかし完全な暗闇ではありません。まだ太陽の光が残っている。だからこそ、「この先にも、まだ何かが続いている」と感じます。
もし本当に何も見えない真っ暗闇なら、そこが深いのか、すぐ目の前に壁があるのかさえ分かりません。漆も同じなのかもしれません。わずかな光が表面を教えてくれる。ところが、そのすぐ隣には黒がある。光があるから表面が見え、黒があるからその先を想像する。
その境目で、「奥にも何かがある」という感覚が生まれるのでしょう。でも漆の黒には、もう一つの「奥」があります。それは、時間です。作った瞬間だけで終わらない。
料理を盛る。手に取る。洗う。しまう。また使う。長く使われた漆器なら、傷がつくこともあるでしょう。修理されることもある。そしてまた、誰かの暮らしへ戻っていく。そうして器には、その器が歩んできた時間が積み重なっていきます。
「器の人生」と呼んだら、少し大げさでしょうか。でも古い器を手にしたとき、「この器は、これまで何を見てきたんだろう」と考えてしまうことがあります。
どんな料理が盛られたのか。誰の手に持たれたのか。どんな祝いの日に使われたのか。あるいは何でもない夕食の日にも、食卓の片隅にいたのか。その時間は、色見本では測れません。
だから漆の「深い黒」という言葉には、色の深さ。光の深さ。塗り重ねた技の深さ。受け継がれてきた歴史の深さ。そして、使われてきた時間の深さ。いくつもの「深い」が重なっているのかもしれません。
漆の黒が吸い込まれそうに見えるのは、その向こうに、まだ見えていないものがあると感じるから…。だとしたら、私たちが見ているのは、黒という色だけではないのでしょう。
黒の向こうにある、職人の手。時間。光。そして、その器がこれから歩いていく時間まで見ている。だから一言では、「この黒です」と言えない。
……あのころ印刷会社で聞いた、「この黒じゃないんだよなぁ……」という言葉が、また少しだけ分かってきた気がします🤣そして黒には、漆とはまったく違う方法で「深さ」を与えてきた世界があります。
次は、身につける黒。着物の第一礼装、黒紋付です。同じ黒なのに、私たちはなぜそこに「品格」まで感じるのでしょうか。🖤✨
<広告の下に続きます>
第三章 黒紋付は、なぜ「黒い」だけで品格を感じる?
ホテルで働いていたころ、週末になると何組もの結婚式がありました。華やかな花嫁衣装。色鮮やかな振袖。ドレス。たくさんの色が集まる会場の中で、不思議と目に残る黒がありました。新郎新婦のお母さんやお祖母さん、親族の女性たちがまとう黒留袖です。
衣装室で借りた一着であっても、黒地に紋が入り、裾に模様が広がる姿には、「あ、親族の方だ」と自然に感じさせるような風格がありました。もちろん新郎だって、神前式なら黒い紋付羽織袴。立派な第一礼装です。
ただ――。花嫁が登場すると、みんなそっちを見る🤣新郎の衣装を細かく見ているのは、「うちの息子、立派になって……(涙)」というお母さんくらいだったかもしれません(笑)。
でも考えてみると不思議です。なぜ、大切な場面で「黒」なのでしょう。黒は暗い色です。目立たない色ともいえます。それなのに日本では、格式の高い装いに黒が使われてきました。
今回『美の壺』に登場するのも、京都の職人が染め上げる黒紋付。番組では、その黒をさらに深く、美しく見せるための伝統の技が紹介されます。ここで第一章の疑問が、また戻ってきます。黒なら、どれも同じではないの?
礼装なのだから、とにかく黒く染めればいい。#000000に近ければ近いほど格調高い。……そんな単純な話ではなさそうです。布には布の黒があります。光を受ければ、織りの表情が見える。身体が動けば、布に柔らかな陰影が生まれる。
漆のように硬い表面で光を映す黒とは、まったく違います。そして黒紋付には、色そのものとは別のものも重なっています。紋です。紋があることで、その一着は単なる「黒い着物」ではなくなります。
誰が着るのか。どんな場で着るのか。どのような立場でそこにいるのか。黒という色の上に、日本の礼装文化が積み重なっているのです。だから結婚式で黒留袖をまとったお母さんを見たとき、私たちは単に、「黒い服を着ている人」とは感じなかったのでしょう。そこには、「新郎新婦を送り出す家族」という立場まで見えていました。
そう考えると、黒の「品格」というのも、黒という色だけが持っている性質ではないのかもしれません。たとえば同じ黒でも、Tシャツならカジュアルに見えます。黒い革ジャンなら格好よく見える。黒いスーツなら改まって見える。そして紋付なら、そこにさらに格式を感じる。
同じ黒なのに、私たちが受け取る意味はまったく違います。つまり人間は黒を見るとき、その色だけではなく、「その黒が、どんな場所で、どんな意味を持って使われてきたのか」まで一緒に見ているのでしょう。
これもまた、黒の向こう側です。漆の黒の向こうには、塗り重ねられた職人の仕事と時間がありました。黒紋付の向こうには、染めの技とともに、長い時間をかけて形づくられた礼装という文化があります。だから私たちは、その黒を見ただけで、「落ち着いている」「改まっている」「品格がある」と感じるのかもしれません。
そして、ここで面白いことに気づきます。黒は、色彩として考えれば華やかな色ではありません。赤や黄色のように、強く色味を主張するわけでもない。だからこそ黒は、自分自身が目立つより、その人の立場や、その場の意味を浮かび上がらせる色にもなれるのではないでしょうか。
結婚式の黒留袖が、まさにそうでした。主役は花嫁ではない。でも、その場に欠かせない人がいる。華やかな裾模様はあっても、全体を包むのは静かな黒。その黒が、「今日は、私が目立つ日ではありません。でも、とても大切な日です」と語っているようにも見えます。
だから黒には、派手さとは違う風格が生まれる。もしかすると黒紋付の「深さ」とは、染料を重ねて生まれる色の深さだけではなく、人がその黒に重ねてきた“意味の深さ”でもあるのでしょう。
#000000という数字だけでは、そこまでは表せません。あのころホテルの宴会場で何気なく見ていた黒にも、そんな長い文化が重なっていたのかもしれません。
そして次に出会う黒は、さらに不思議です。静かな黒を作り出す場所が――真っ赤に燃える窯の中🔥なのです。安土桃山時代から伝わる瀬戸黒。なぜ強烈な炎の中から、あれほど豊かな「黒」が生まれるのでしょう。次は、炎から生まれる黒をのぞいてみましょう。🖤🔥
<広告の下に続きます>
第四章 炎の中から、どうして「黒」が生まれる?
「瀬戸黒」。
そう聞くと、「瀬戸物の黒いやつ?」と思ってしまいます。私も最初は、そんな感じでした(笑)。ところが調べてみると、ちょっと違います。瀬戸黒は確かに陶器です。でも、安土桃山時代にその茶碗が作られたのは、現在の岐阜県にあたる美濃。黄瀬戸、志野、織部と並ぶ「美濃桃山陶」の一つです。
そして瀬戸黒の作り方を知ると、「黒って、そんなふうに作るの?」と驚きます。今回『美の壺』でも紹介されるのが、「引き出し黒」という技法です。
鉄を含む釉薬をかけた茶碗を窯で焼く。ここまでは、「なるほど、焼き物だものね」と思います。ところが瀬戸黒は、焼き上がって窯が冷えるまで待ちません。まだ高温の窯の中から、真っ赤に焼けた茶碗を引き出してしまうのです。
熱いなんてもんじゃありません💦そして急激に冷やすことで、あの独特の漆黒の肌が生まれる。だから、「引き出し黒」。名前まで、そのまんまです(笑)。
でも、ここで不思議なことに気づきます。私たちはこれまで、「黒を見るためには光がいる」という話をしてきました。漆の黒も、表面にわずかな光があるからこそ、艶や奥行きを感じることができました。ところが瀬戸黒は、その黒が生まれる瞬間までさかのぼると――そこにあるのは、真っ赤な炎です。
黒とは正反対の世界です。暗闇から黒が生まれるのではない。炎の中から、黒が生まれる。なんだか不思議です。しかも瀬戸黒の魅力は、工業製品のようにすべてが同じ黒になることではありません。
土がある。釉薬がある。炎がある。窯の中の状態がある。そして、どの瞬間に引き出すのかを見極める人がいる。その出会いによって、一つ一つ違う表情が生まれます。
私たちがPhotoshopで画像を作っていたら、「ここ、ちょっとムラになってるな」「均一にしたほうがきれいかな」なんて直してしまうかもしれません🤣でも焼き物では、その揺らぎこそが「景色」になることがあります。同じ#000000を全面に塗った黒とは、まったく違います。
炎の痕跡。釉薬の表情。わずかな艶。人の手で作られた形。そうしたものが一つの器の中に残っているから、黒なのに単調にならない。むしろ、黒の中に、いろいろなものが見えてくる。
ここまで見てくると、最初に抱いた、「真っ黒にすれば、美しい黒になるの?」という疑問への答えも、少しずつ見えてきた気がします。たぶん、そうではないのでしょう。
漆の黒には、塗り重ねられた層がありました。黒紋付には、染めの技と礼装の文化がありました。そして瀬戸黒には、炎と人が出会った一瞬が残っています。だから私たちは、その黒を見ながら、黒だけを見ているのではない。その黒が生まれるまでにあったものまで、どこかで感じ取っているのかもしれません。
真っ赤な窯から引き出された茶碗が、やがて静かな漆黒になる。そう考えると瀬戸黒の黒は、炎が消えたあとの色にも見えてきます。でも、炎は本当になくなってしまったのでしょうか。
目には見えなくなっても、その表情の中には、確かに炎をくぐった痕跡が残っている。だから瀬戸黒を見たとき、私たちは黒の向こう側に、かつてそこにあった「光」まで見ているのかもしれません。
そして、最後に残った黒は、もっと小さな世界です。碁盤の上に置かれる、一粒の黒い石。もともと黒い石なら、磨いて丸くすれば黒碁石になる。……本当に、それだけなのでしょうか。
次は『美の壺』に登場する黒碁石から、私たちは黒の中に、いったい何を見ているのか。いよいよ最初の「?」まで浮上してみたいと思います。🖤
<広告の下に続きます>
最終章 黒の中に、私たちは何を見ている?
黒い碁石と聞いて、まず思い浮かぶ名前があります。
「那智黒」。
私の母が囲碁をやっていたこともあって、以前、那智を訪れたときのことを思い出します。せっかくここまで来たのだからと、母は那智黒の碁石を買おうとしました。ところが父から、「黒だけ買っても仕方ないだろう」と言われ、泣く泣く諦めることに。……いや、そういうことじゃないんだよなぁ😅
囲碁を打つためだけなら、確かに黒だけあっても対局はできません。でも旅先で欲しくなるものって、「それがないと困るから」だけではありませんよね。その場所へ行った記憶。そこで見た景色。手に取ったときの感触。そんなものまで一緒に持って帰りたいから、欲しくなる。そう考えると、母が欲しかったのは単なる「黒い石」ではなかったのかもしれません。
今回『美の壺』に登場する黒碁石を見ていて、もう一つ気になることがあります。その黒は、漆器の黒とはずいぶん違います。漆のように艶やかに光を映し込むわけではない。金属のように鋭く輝くわけでもない。むしろ光を静かに受け止めるような、マットな黒。なんだか、謙虚な黒です。
「私を見てください」と主張するより、「どうぞ、盤面を見てください」と言っているようにも感じます。でも、考えてみれば碁石は一つだけでは意味を持ちません。黒だけを一粒置いても、それはただの黒い石です。白が置かれる。また黒が置かれる。その間に距離が生まれる。囲む。逃げる。つながる。切れる。そうして初めて、碁盤の上に「景色」が現れてきます。
つまり黒碁石の黒は、白があるからこそ、黒として生きる。ここまで見てきた「黒」と、どこか似ています。黒漆には、表面を滑る光がありました。黒紋付には、紋や着る人、そして礼装という文化がありました。瀬戸黒には、真っ赤な窯の炎がありました。黒碁石には、白い石と碁盤があります。どの黒も、黒だけで美しさが完成しているわけではありません。
光。素材。隣にある色。職人の手。積み重ねられた時間。そして、それを見る人の記憶。そうしたものと出会ったとき、黒は初めて、その黒にしかない表情を見せるのでしょう。だから私たちは黒を見て、「濃い」だけではなく、「深い」と感じるのかもしれません。
深い海を見たときも、そうでした。ドロップオフの向こうに見える青黒い色そのものが「深い」のではありません。その色の向こうに、まだ何百メートルもの海が続いていると知っている。自分の目には見えない空間まで感じているから、「暗い」ではなく、「深い」という言葉が出てくる。
もしかすると、美しい黒を見るときにも似たことが起きているのでしょう。漆を見れば、その表面の向こうに重ねられた仕事を感じる。黒紋付を見れば、受け継がれてきた文化を感じる。瀬戸黒を見れば、窯の炎を想像する。黒碁石を見れば、盤上に置かれてきた無数の一手を思う。
目に入っているのは「黒」。でも私たちは、その黒の向こう側まで見ています。だから、黒の「深さ」とは、色の暗さではなく、その向こう側に感じるものの多さなのかもしれません。
そして、そこには必ず何かとの出会いがあります。完全な暗闇では、黒を見ることさえできません。ほんの少し光があるから、黒が見える。隣に白があるから、黒が際立つ。素材が違うから、それぞれの黒が生まれる。人が手を加えるから、ただの黒が「美しい黒」になっていく。
そう考えると、黒は、何もない色ではありません。むしろ黒は、その向こう側にあるものを想像させる色なのかもしれません。
あのとき母が欲しがった那智黒も、単なる黒い石ではなかったのでしょう。小さな黒い碁石の向こう側には、那智へ行った日の景色があり、囲碁を楽しんできた時間があり、「ここでこれを見つけた」という思い出がある。だから欲しかった。そう考えたら――「黒だけ買っても仕方ない」どころか、黒だけだからこそ持って帰りたかったのかもしれません。
黒の中に何を見るのか。その答えは、職人だけが作っているわけではありません。美しい黒は、見る人の中でも作られている。だから世界には、#000000では言い表せないほどたくさんの黒がある。
そして私たちは、その黒の向こう側に何かを感じたとき、静かにこう言うのでしょう。「深い黒だなぁ」――黒の美しさは、黒だけでは完成しない。そのことを教えてくれるような、日本の「黒」でした。🖤✨
湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。