一皿の餃子が街を変えた|宇都宮餃子が愛され続ける理由【あさイチ】

宇都宮餃子通り BLOG
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パリッと焼き上がった皮を頬張ると、あふれる肉汁と野菜の甘み。餃子は、日本の食卓でもおなじみの料理です。なかでも栃木県宇都宮市は、「餃子の街」として全国に知られています。

でも、宇都宮餃子が愛されている理由は、特別なレシピがあるからでも、日本一を競い続けているからでもありません。一軒一軒がそれぞれの味を守りながら、店どうしが力を合わせ、「餃子の街・宇都宮」という文化を育ててきたからです。

一皿の餃子が、人を呼び、街を元気にし、人と人をつないでいく――。今回は、宇都宮餃子のおいしさだけではなく、その一皿が育んできた街の物語をたどります。

【放送日:2026年7月21日(火)8:15 -9:55・NHK-総合】

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宇都宮餃子とは?~決まった味を持たない街の名物~

栃木県の県庁所在地、宇都宮市。街を歩けば、駅前にも商店街にも「餃子」の文字が並び、店の前には焼き上がりを待つ人の列ができています。いまや宇都宮と聞けば、真っ先に餃子を思い浮かべる人も少なくありません。

けれど、「宇都宮餃子とは、どんな餃子ですか」と尋ねられると、意外にも一言では答えられません。たとえば、浜松餃子には円形に並べて焼き、中央にもやしを添えるスタイルがあります。長野県の信州おやきや、福岡県の鉄鍋餃子のように、地域独自の形や調理法を思い浮かべられる食べ物もあります。

ところが宇都宮餃子には、決められた形も、統一された具材も、共通の味付けもありません。薄い皮で軽やかに包む店もあれば、厚くてもっちりした皮を使う店もあります。野菜の甘みを生かしたあっさり味もあれば、豚肉のうまみやニンニクを利かせた力強い味もあります。

焼き餃子だけでなく、水餃子や揚げ餃子もあり、大きさや包み方、羽根の付き方、つけだれまで店ごとに異なります。宇都宮市も、素材や皮の厚さ、熟成の具合など、それぞれの店の違いを楽しめることを宇都宮餃子の魅力として紹介しています。つまり、宇都宮餃子には、

「これでなければならない」という一つの正解がない。

少し乱暴に言えば、特徴がないことが特徴なのです。

けれど、それは個性がないという意味ではありません。むしろ反対に、一軒一軒の個性が強く、それらをまとめて一つの味にしなかったからこそ、食べ歩きや食べ比べという楽しみが生まれました。

ある店では野菜の甘みを味わい、次の店では肉汁を楽しむ。焼き餃子のあとに水餃子を食べ、最後には揚げ餃子をつまむ。

同じ「宇都宮餃子」という名前を掲げながら、店を変えるたびに違う一皿と出会えるのです。宇都宮餃子会には数多くの店が加盟し、市内の「来らっせ」では、複数店舗の餃子を一か所で食べ比べることもできます。

宇都宮餃子は、一人の職人が完成させた郷土料理ではありません。街のあちらこちらで、それぞれの店が自分たちの味を守り続け、その違いを街全体の魅力へ変えてきた食文化です。

決まりがないから、誰かの味をまねる必要もない。違っているからこそ、同じ街の中で共存できる。そのおおらかさこそが、宇都宮餃子という名物の、もっとも宇都宮らしい味なのかもしれません。

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なぜ宇都宮は餃子の街になった?~戦後の食卓から始まった物語~

宇都宮餃子は、最初から「街の名物」として生まれたわけではありませんでした。その始まりは、戦後の人々の暮らしの中にあります。

第二次世界大戦後、中国東北部(旧満州)などから多くの人が日本へ引き揚げました。現地で親しまれていた餃子の味を覚えて帰った人たちは、その記憶を家庭の食卓や町の小さな食堂で再現し始めます。

宇都宮でも同じように、少しずつ餃子を提供する店が増えていきました。草創期から宇都宮の餃子文化を支え続けてきた老舗の一つが「宇都宮みんみん」です。創業者は中国で親しんだ餃子をもとに、日本人の好みに合わせながら独自の味を育て、多くの人に親しまれる店となりました。

けれど、それは「宇都宮餃子」という一つの完成形をつくったというより、それぞれの店が自分たちの味を磨き始めた時代の象徴だったのです。

当時の餃子は、今のように観光客が食べ歩く名物ではありません。家族で囲む夕食や、仕事帰りに立ち寄る食堂で食べる、どこか懐かしい日常の味でした。特別な日に食べる料理ではなく、手頃で栄養があり、野菜もたっぷり取れる。そんな身近な料理だったからこそ、人々の暮らしに自然と根づいていったのでしょう。

そして、それぞれの店は互いをまねることなく、自分たちなりのおいしさを追い求めました。野菜を多めにする店。肉のうまみを生かす店。焼き方に工夫を凝らす店。それぞれの個性が少しずつ増え、気づけば宇都宮の街には、たくさんの「わが家のような餃子」が並ぶようになっていました。

宇都宮餃子は、一人の職人が完成させた料理ではありません。一軒、また一軒と店が増え、人々が食べ続ける中で、少しずつ街の文化へ育っていった食べ物です。だからこそ、その始まりは華やかな観光の物語ではなく、戦後を懸命に生きた人々の、あたたかな食卓の物語だったのです。

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日本一の数字が街を動かした~市役所職員が見つけた可能性~

戦後、人々の暮らしの中で親しまれてきた餃子。それは長い間、宇都宮の人にとっても「当たり前の食べ物」でした。ところが1990年代、その日常の一皿に新しい意味を見いだした人がいました。宇都宮市役所の職員です。

総務省の家計調査を見ていると、宇都宮市は餃子の購入額が全国でも上位に入っていました。もちろん、この数字は家庭で手作りした餃子まで含めた「餃子好きランキング」ではありません。市販の餃子や外食など、家計として支出した金額をもとにした統計です。それでも、その数字は宇都宮の人々にとって餃子が身近な存在であることを示す、一つのヒントになりました。

多くの人なら、「面白いデータだな」で終わっていたかもしれません。しかし、その職員は違いました。「この餃子を、宇都宮の魅力として発信できないだろうか。」そう考えたのです。やがて市や餃子店、商工関係者が少しずつ手を取り合い、「餃子の街・宇都宮」という新しいまちづくりが始まりました。

目指したのは、日本一の数字を自慢することではありません。餃子をきっかけに宇都宮へ足を運んでもらい、街を知ってもらうこと。商店街を歩き、人と出会い、また訪れたくなる街をつくることでした。

何気なく並んでいた一つの統計は、見方を変えれば街の未来を照らす可能性にもなる。宇都宮餃子の物語は、餃子そのものだけではなく、その可能性に気づいた人の発想から、大きく動き始めたのです。

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味は競い、魅力は一緒に伝える~店同士が育てた宇都宮餃子~

餃子店にとって、一番のライバルは隣の餃子店です。よりおいしい一皿を目指し、それぞれの店が工夫を重ね、お客さんに選ばれる努力を続けています。普通に考えれば、ライバルどうしが力を合わせる理由はありません。けれど宇都宮では、その当たり前を少しだけ変える人たちがいました。

「店どうしは競い合っても、宇都宮という街の魅力は一緒に伝えよう」

そんな思いから、餃子店や関係者が手を取り合い、宇都宮餃子会が誕生します。ここで目指したのは、味を一つにすることではありませんでした。それぞれの店が、それぞれの味を守る。だからこそ、お客さんは何軒も巡り、それぞれの違いを楽しめる。

個性は競い合い、街の魅力はみんなで育てる。そんな考え方が、宇都宮餃子という文化の土台になっていったのです。やがて「来らっせ」のように、複数の店の餃子を一か所で味わえる施設も生まれました。

「うちの店だけ」ではなく、「宇都宮へ来れば、いろいろな餃子に出会える」。そんな楽しみ方が、多くの人を街へ呼ぶ力になっていったのです。

振り返ってみれば、宇都宮餃子を育てたのは、一軒の名店ではありませんでした。それぞれの店が自分の味を守りながら、「オラが店」よりも「オラが街」を大切にした人たちの、おおらかな心だったのです。

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一皿の餃子が街を変えた~名物を育てるのは人~

宇都宮餃子は、特別な一皿から始まった物語ではありませんでした。戦後、人々の食卓に並んだ身近な料理が、少しずつ街に根づき、多くの店がそれぞれの味を育ててきました。

そしてある日、一人の市役所職員が、その何気ない日常の中に街の可能性を見つけます。餃子店は互いに味を競いながらも、「宇都宮」という名前の下では力を合わせました。

誰か一人の成功ではなく、多くの人が少しずつ知恵を出し合い、歩みを重ねたからこそ、宇都宮餃子は今日まで愛され続けているのです。

街の名物とは、最初から用意されているものではありません。人が大切に育て、人が語り継ぎ、人が訪れることで、少しずつ街の文化になっていきます。宇都宮餃子もまた、一皿のおいしさだけで有名になったのではありません。

「オラが店」の誇りを持ちながら、「オラが街」の未来を思った人たちがいた。そのおおらかな心が、一軒一軒の餃子店を結び、やがて日本を代表する「餃子の街」を育てていったのです。

だから宇都宮を訪れたときは、ぜひ一軒だけで帰らず、何軒かの店を歩いてみてください。店ごとに違う味を楽しみながら、その一皿の向こうで街を育ててきた人たちの思いにも、きっと出会えるはずです。そして気づくでしょう。

街を有名にしたのは、餃子だけではありません。一皿の向こうで力を合わせた人たちが、宇都宮を「餃子の街」に育てたのです。

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