伊豆半島のいちばん南、静岡県南伊豆町。切り立った崖の向こうに、透き通った青い海が広がっています。中木の港から小さな船に乗って向かうのは、陸からは簡単にたどり着けない「ヒリゾ浜」。水面からのぞくだけでも色とりどりの魚たちに出会えるこの海には、夏になると全国から多くの人が訪れます。
けれど、中木の海は、ずっと以前からダイバーたちに知られた場所でもありました。美しい水中の地形、澄んだ暖かい水、そして海の恵み。人々を惹きつけてきたその魅力は、地元の人たちにとって、日々の暮らしを支える大切な宝物でもあります。
船で人を迎え、海の安全を見守る人。限りある資源を守りながら、漁師として生きていく道を探す人。なぜ、この海はこれほどまでに人を惹きつけるのでしょうか。そして、その宝物を未来へ残すために、人々は何をしているのでしょうか?
NHK『小さな旅』「宝の海 この手で 〜静岡県 南伊豆町〜」をたどりながら、美しい海とともに生きる人たちの物語を訪ねます。
【放送日:2026年11月1日(日)8:00 -8:25・NHK-総合】
【放送日:2026年11月6日(金)11:05 -11:30・NHK-総合】
【放送日:2026年11月7日(土)6:05 -6:30・NHK-BSP4K】
<広告の下に続きます>
ヒリゾ浜の海は、なぜこんなに美しいの?──黒潮が育む透明な海と、水中に広がる別世界
伊豆半島の最南端、静岡県南伊豆町。中木の港から船に揺られて向かうヒリゾ浜には、思わず息をのむような青い海が広がっています。浜を囲むのは、海へと切り立つ岩壁。陸から簡単に近づくことができないこの小さな海岸は、夏になるとスノーケリングを楽しむ人たちでにぎわいます。
その魅力は、何といっても海の透明度。水面に顔をつけると、岩の間を泳ぐ青い魚たちや、海底へと続く起伏のある地形が目に飛び込んできます。船でしか行けない浜の向こうには、陸上から眺めるだけではわからない、もう一つの世界が広がっているのです。
では、なぜヒリゾ浜の海は、これほどまでに美しいのでしょうか? その理由の一つが、伊豆半島の先端という場所にあります。南伊豆の沖合は、暖かな黒潮の影響を受ける海域です。黒潮によって南方系の魚が運ばれてくることもあり、季節によっては色鮮やかな魚たちに出会えます。
また、ヒリゾ浜の周辺には大きな河川が流れ込んでいません。川から運ばれる土砂などの影響を受けにくいことも、澄んだ海を生み出す条件の一つと考えられます。もちろん、海の透明度はいつも同じではありません。潮の流れや波、風、天候によって、水中の見え方は大きく変わります。
それでも、この場所が多くの人を惹きつけるのは、透明な水の向こうに、変化に富んだ海の景色が待っているからなのでしょう。
実は、中木の海は、ヒリゾ浜がスノーケリングの名所として広く知られる以前から、ダイバーたちの間で名前が知られていました。その魅力として語られてきたのは、澄んだ水と、岩場がつくり出すダイナミックな水中景観。
海に潜る人たちが親しんできたその美しさを、今ではスノーケリングで訪れる人たちも、水面から楽しめるようになりました。けれど、こんなに美しい海があっても、誰もが簡単に訪れられるわけではありません。
ヒリゾ浜へ向かうには、中木の港から船に乗る必要があります。その小さな渡し船が、やがて全国から人々を呼び寄せる海への入り口になっていくのです。
<広告の下に続きます>
船でしか行けない浜に、なぜ全国から人が集まるの?──中木の渡し船が開いた海への道
こんなに美しい海なら、ぜひ一度泳いでみたい。そう思っても、ヒリゾ浜には少し変わったところがあります。海岸へ続く道路も、気軽に歩いて下りられる遊歩道もありません。浜へ向かうには、中木の港から渡し船に乗る必要があるのです。
船に乗っている時間は、およそ5分。ほんの短い船旅ですが、陸からは近づけない岩壁の向こうへ回り込むと、目の前に透明な海が広がります。
海岸へ行くために、わざわざ船に乗る。普通なら不便に思えることが、ヒリゾ浜では旅の楽しみの一つになっているのかもしれません。けれど、船でしか行けない場所が、最初から全国的な人気スポットだったわけではありません。
中木の海は、以前からダイバーたちに知られた場所でした。澄んだ水と変化に富んだ水中地形に惹かれ、遠くから訪れる人たちもいたのです。その一方で、ヒリゾ浜の美しさは、地元で海に親しんできた人たちにとっても、よく知られたものでした。
こんな海を、もっと多くの人に楽しんでもらえたら…。そうした思いと、船で人を運ぶという地元ならではの仕事が結びつき、ヒリゾ浜は少しずつスノーケリングを楽しむ人たちにも知られるようになっていきました。ここで大切なのは、渡し船が単なる移動手段ではないということです。
中木の港から船を出す人たちは、海の様子をよく知っています。風の向き、波の高さ、潮の流れ…。海は毎日同じ表情を見せてくれるわけではありません。穏やかな日もあれば、船を出せない日もあります。だからこそ、ヒリゾ浜へ渡る人にとって、地元の人たちが伝える海の情報は大切なものになります。
初めて船に乗る人なら、船酔いが心配になることもあるでしょう。そんなときは、乗船前に船長さんや運航スタッフにその日の海況を尋ねてみるのも一つの方法です。揺れる船の上では手元ばかり見ず、遠くの水平線や陸地に目を向けると、酔いを軽減できる場合もあります。
もちろん、海に入るときには、船酔い以上に気をつけなければならないことがあります。透明度が高く、穏やかに見える海でも、潮の流れや波の影響を受けることがあるからです。泳ぎに自信があっても潮の流れには決して勝てません。無理をせず、現地の安全情報やルールを確かめることが欠かせません。
美しい海へ人を迎えることは、その海を安全に楽しんでもらうための責任を引き受けることでもあるのです。そして、ヒリゾ浜の人気が広がるにつれ、中木の港には、海を楽しみに訪れる人たちの姿が増えていきました。
船でしか行けなかった小さな浜が、全国から人を惹きつける場所になる。その変化を支えてきたのは、海の美しさだけではありません。船を出し、訪れる人を迎え、海の魅力を伝えてきた人たちの存在があったのです。
では、海を訪れる人が増えたことで、中木という小さな漁村の暮らしは、どのように変わっていったのでしょうか? 次は、船やガイド、民宿など、海を囲む人と人とのつながりに目を向けてみましょう。
<広告の下に続きます>
海に通う人たちは、何に惹かれて戻ってくるの?──船とガイド、民宿がつなぐ漁村の温かさ
一度訪れた海に、また帰ってきたくなる。そんな経験をしたことがある人も、いるのではないでしょうか? 透明な水、海の中で出会った魚たち、忘れられない水中の景色。もちろん、それだけでも旅の思い出になります。けれど、何度も同じ海へ通う人たちを惹きつけるのは、景色の美しさだけではないのかもしれません。
南伊豆の中木は、伊豆半島の先端に近い小さな漁村です。東京方面から訪れるにしても、決して近い場所ではありません。車なら伊豆半島を南へ走り、鉄道なら伊豆急下田駅からさらに中木を目指すことになります。それでも、海が好きな人たちは、時間をかけてこの場所へやって来ます。
その旅を支えているのが、船を出す人、海を案内する人、そして訪れる人を迎える宿の人たちです。ダイビングやスノーケリングの旅では、船と宿を別々に予約する人もいれば、馴染みのガイドやダイビングショップに手配を任せる人もいます。
都市部のショップが車でお客さんを送迎し、現地の船を利用することもあります。また、荷物の多い海の旅では、器材をあらかじめ宿へ宅配便で送っておくのも一つの工夫です。駅からの送迎や荷物の受け取りに対応してくれる宿なら、移動の負担も少し軽くなるでしょう。
もちろん、こうしたサービスは宿や事業者によって異なるため、事前の確認が欠かせません。けれど、そうした小さな助け合いがあるからこそ、遠くの海へ通う旅は続いていくのです。
そして、海から帰ってきたあとの時間にも、漁村ならではの楽しみがあります。港へ戻り、潮を洗い流し、宿でひと息つく。夕食には、地元の魚を使った料理が並ぶかもしれません。
今日はどんな魚を見たのか。明日の海は穏やかだろうか。そんな話を交わしながら過ごす夜は、海に入っている時間とはまた違った、旅の思い出になるのでしょう。
何度も通ううちに、船頭さんやガイドさん、宿の人と顔馴染みになることもあります。
「また来ました」
「お帰りなさい。今日は海がいいですよ」
そんな何気ない言葉が交わせる場所は、旅人にとって、少しずつ特別な場所になっていきます。
中木の海も、以前からダイバーたちに親しまれてきました。その背景には、海の魅力を知り、遠くの町から繰り返し訪れる人たちや、その人たちを迎える地域の仕事があったのでしょう。
海を訪れる人が増えれば、船や宿、食事など、さまざまな仕事にもつながります。美しい海は、ただ眺めるだけの観光資源ではありません。そこで暮らす人たちの生活を支え、人と人を結びつける存在にもなるのです。
けれど、そのつながりを未来へ残していくためには、忘れてはならないことがあります。訪れる人を迎える仕事も、魚を獲る仕事も、豊かな海があってこそ成り立つということです。
では、その海の恵みを受け取りながら、次の世代にも残していくには、どうすればよいのでしょうか。次に出会うのは、車の整備士を辞め、故郷の海で漁師として生きる道を選んだ男性です。
<広告の下に続きます>
魚を獲り続けるために、なぜ獲りすぎてはいけないの?──整備士から漁師へ、故郷の海に戻った男性の挑戦
透き通った海に潜り、色とりどりの魚たちと出会う。そんなヒリゾ浜の美しさに惹かれて、南伊豆を訪れる人たちがいます。けれど、同じ海を見つめながら、少し違うことを考えている人もいます。
今日は魚が獲れるだろうか。そして、十年後も、この海で魚を獲り続けられるだろうか。南伊豆町には、車の整備士という仕事を辞め、故郷へ戻って漁師になった男性がいます。一度は海とは別の仕事に就きながら、再び地元へ帰ってきた男性。選んだのは、自然の恵みを相手にする仕事でした。
漁師の仕事は、魚を獲ればそれで終わりというものではありません。海に出られるかどうかは、天候や波に左右されます。魚がどこにいるのか、どれほど獲れるのかも、いつも同じではありません。そして何より、海の魚は無限にいるわけではないのです。
たくさん獲れれば、その日の収入は増えるかもしれません。けれど、目の前の魚を獲り尽くしてしまえば、次の年、そのまた次の年に、同じように漁を続けられるとは限りません。魚は成長し、子を残し、次の世代へと命をつないでいきます。
その営みが続くように、獲る量や時期、魚の大きさなどを考えることは、漁業を長く続けるための大切な視点です。もちろん、魚が減る理由は獲りすぎだけではありません。海水温の変化や海の環境、餌となる生き物の状況など、さまざまな要因が関わっています。
だからこそ、漁師は目の前の海の変化を感じ取りながら、どうすればこの先も漁を続けられるのかを考えなければならないのでしょう。番組で紹介される男性も、限りある水産資源を守りながら、漁師として生きていく道を模索しています。
それは、単に魚を獲る量を減らせばよいという話ではありません。獲る量を抑えれば、その分だけ暮らしが苦しくなることもあります。海の資源を守ることと、漁師として生活を成り立たせること。その両方を実現する方法を見つける必要があるのです。
かつては車を整備していた手で、今は海の恵みを受け取る。仕事は変わっても、自分の手で何かを支えていくという思いは、変わらないのかもしれません。
ヒリゾ浜では、地元の人たちが船を出し、美しい海へ人々を迎えてきました。そして、同じ南伊豆の海では、これからも魚を獲り続けられるようにと、日々の仕事に向き合う人がいます。
海を訪れる人にとっての宝物は、透明な水や美しい水中景観かもしれません。でも漁師にとっての宝物は、魚が育ち、次の世代へ命をつないでいく豊かな海そのものなのでしょう。
どちらの宝物も、海が豊かであり続けなければ、守ることはできません。では、その海を未来へ残すために、私たちには何ができるのでしょうか。旅の最後に、もう一度、南伊豆の青い海を見つめてみたいと思います。
<広告の下に続きます>
宝の海は、誰の手で未来へつながるの?──ヒリゾ浜と中木の人たちが守り続けるもの
南伊豆の海に、夕暮れが近づいてきます。昼間は陽光を受けて輝いていた水面も、少しずつ穏やかな色へと変わっていきます。ヒリゾ浜を訪れた人たちは船に乗り、港へと帰っていく。けれど、その船を迎える中木の人たちにとって、海は旅の終わりとともに遠ざかっていく場所ではありません。
明日も、明後日も、その先もずっと向き合っていく、暮らしの一部なのです。透明な海に惹かれて訪れる人たちを、船で迎える。遠くから通ってくるダイバーやスノーケラーを、ガイドや宿の人たちが支える。そして、海の恵みをいただきながら、これからも漁を続けていこうとする人がいる。
それぞれの仕事は違っていても、願っていることには共通するものがあるのでしょう。この海が、いつまでも豊かであってほしい。けれど、美しい海を未来へ残すことは、決して簡単ではありません。漁業では、魚介類が育ち、次の世代へ命をつないでいけるように、禁漁期や採捕できる大きさなどのルールが設けられることがあります。
そうした決まりを守っていても、海の資源が必ず増えるとは限りません。海水温や潮の流れ、生き物たちを取り巻く環境も、少しずつ変わっていくからです。さらに、漁業権を侵害する密漁や、採捕の規制を破る行為も、海の資源を守るうえで見過ごせない問題です。
広い海を、昼も夜もすべて見張ることはできません。だからこそ、決まりをつくるだけでなく、一人ひとりがその意味を理解し、守っていくことが大切になるのでしょう。それは、海を訪れる私たちにも関係のあることです。
美しい魚やウミガメを見つけても、むやみに追い回さない。岩場の生き物を傷つけない。ごみを残さず、地元の人たちが伝えるルールに耳を傾ける。一つひとつは小さなことかもしれません。けれど、海を楽しむ人が増えるほど、その小さな心がけには大きな意味が生まれます。
ヒリゾ浜へ人々を運ぶ船も、故郷の海で漁を続けようとする男性の手も、同じ未来へ向かっているのかもしれません。海を誰にも使わせず、ただ遠くから眺めて守るのではない。人が訪れ、魚を獲り、そこで暮らしながら、それでも豊かな海を次の世代へ残していく。
そのためには、海から受け取るものだけでなく、海へ返せるものを考え続けなければならないのでしょう。南伊豆の海が人を惹きつけるのは、透明な水や美しい水中景観があるからだけではありません。その海を知り、大切にし、訪れる人を迎えながら暮らしてきた人たちがいるからです。
船が港へ戻り、静けさを取り戻した海。明日もまた、誰かがこの海へ出ていきます。宝の海を未来へつなぐのは、特別な誰かではなく、今日も海とともに生きている人たちの手なのです。
湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。