「あなたの故郷は、どこですか?」
そう尋ねられたとき、私たちは生まれ育った町の名前を答えるのでしょうか? それとも、今、暮らしている町の名前を答えるのでしょうか?
こんにちは、まどかです。故郷という言葉には、どこか懐かしい響きがあります。けれども、長い人生の中で住む場所が変わり、そこで過ごす時間が積み重なっていくと、いつの間にか「故郷」と感じる場所も変わっていることがあります。
かつて暮らした町に戻り、もう一度そこを自分の居場所にする人。生まれ育った土地を離れ、縁もゆかりもなかった町に新しい居場所を見つける人。故郷は、必ずしも生まれた場所であり続ける必要はないのかもしれません。
NHK『小さな旅』の舞台は、南アルプスと中央アルプスに囲まれた長野県辰野町。旅人の山本哲也さんが出会うのは、故郷を離れて東京へ出たものの、再び辰野町に戻って米作りをする男性。そして、縁もゆかりもなかったこの町へ移り住み、古着屋を開いた女性。さらに、土地に伝わる硯を、ただ一人作り続ける職人です。
三人が歩んできた道は、それぞれ違います。それでも、今、この町で自分の時間を生きていることには変わりありません。
日本のほぼ真ん中にある小さな町で、人々が見つけた「自分だけの居場所」。そこには、故郷とは何か、そして私たちはどこで、どんなふうに生きていきたいのかを考えるヒントが隠れているのかもしれません。
【放送日:2026年11月8日(日)8:00 -8:25・NHK-総合】
【放送日:2026年11月13日(金)11:05 -11:30・NHK-総合】
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日本の中心・辰野町は、なぜ人を惹きつけるの?
長野県辰野町。南アルプスと中央アルプスに囲まれたこの町は、日本のほぼ真ん中に位置するといわれています。町には「日本中心の標」も設けられていて、大きな山々に見守られるように、谷あいには人々の暮らしが続いています。
けれども、そんな辰野町でも人口減少が進んでいます。地方の小さな町では、若い人たちが進学や就職を機に故郷を離れ、そのまま都市部で暮らすことも珍しくありません。仕事の選択肢や買い物の便利さ、交通の便。暮らす場所を選ぶとき、私たちはさまざまな条件を考えます。
それでも、便利さだけで住む場所が決まるわけではないのでしょう。同じ町でも、ある人には離れたい場所であり、別の人には新しい暮らしを始めたい場所になることがあります。そして、一度は離れた町が、年月を経て、もう一度帰りたい場所になることもあります。不思議ですよね。
山の高さも、町の位置も、そう簡単に変わるものではありません。けれども、そこに暮らす人の人生が変われば、同じ風景の持つ意味も変わっていくのかもしれません。
NHK『小さな旅』で山本哲也さんが訪ねるのは、そんな辰野町で、それぞれの暮らしを営む人々です。故郷に戻ってきた人。縁もゆかりもない土地から移り住んできた人。そして、土地に伝わる技を守り続ける人。なぜ、この町なのでしょう。その答えは、地図の上に記された「日本の中心」という言葉だけでは、きっと見つからないのでしょうね。
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昔は嫌いだった故郷に、なぜ帰ってきたの?
秋を迎えた辰野町では、田んぼに実った稲が収穫の時期を迎えています。山本哲也さんが出会ったのは、米作りに励む一人の男性でした。
今はこの町で農業を営んでいる男性ですが、かつては故郷が嫌いで、東京へ出ていったのだそうです。生まれ育った町だからといって、誰もがそこを好きになるとは限りません。若い頃には、見慣れた風景が退屈に思えたり、もっと広い世界を見てみたくなったりすることもあるでしょう。
故郷を離れることは、決して故郷を捨てることではありません。自分の人生を、自分の意思で歩き始めることでもあるのだと思います。ところが、東京で暮らすうちに、男性は寂しさを感じるようになったといいます。
人が大勢いる都会で、寂しさを感じる。一見、不思議なことのようですが、周囲に人がいることと、自分がそこに馴染んでいることは、必ずしも同じではないのでしょう。
そして男性は、辰野町へ戻ってきました。ただ、帰ってきた理由を「やっぱり故郷が一番だったから」と簡単に片づけてしまうのは、少し違うような気がします。東京で過ごした時間があったからこそ、かつて嫌いだった辰野町の風景が、以前とは違って見えるようになったのかもしれません。
同じ町でも、そこに向き合う自分が変われば、感じるものも変わっていきます。今、男性の目の前には、収穫を待つ稲が広がっています。春に田植えをし、夏には稲の成長を見守り、秋には実りを収穫する。そんな季節の営みを重ねるうちに、かつて懐かしかった故郷は、少しずつ日々の暮らしに馴染んだ場所へと変わっていくのかもしれません。
故郷に帰るというのは、昔の自分に戻ることではないのでしょう。人生の途中で、かつて離れた土地を、もう一度これからの自分が生きる場所として選ぶこと。男性が辰野町へ戻ってきたことも、そんな人生の選択の一つだったのではないでしょうか?
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縁もゆかりもない町が、「自分の居場所」になるの?
故郷に戻って米作りを始めた男性がいる一方で、辰野町には、まったく別の土地からやってきた女性もいます。この町に縁もゆかりもなかったという女性は、辰野町へ移り住み、古着屋を開きました。
生まれ育った町でもなければ、懐かしい思い出が残っている場所でもない。そんな土地で、新しい暮らしを始める。それは、どんな気持ちなのでしょう?
知らない町に移り住むときには、きっと期待もあれば、不安もあるはずです。町の人たちとうまく付き合っていけるだろうか? 自分の仕事を続けていけるだろうか? そして、ここでの暮らしを好きになれるだろうか? もっとも、女性が実際にどんな思いを抱いて辰野町へやってきたのかは、本人にしかわかりません。
ただ、古着屋を開いたということは、この町で新しい仕事と暮らしを始めたということなのでしょう。古着というのも、少し面白いものですね。かつて誰かが身につけていた服が、別の誰かの手に渡り、新しい暮らしの一部になっていく。服そのものは同じでも、着る人が変われば、その服の持つ意味も変わっていきます。
人と土地との関係も、どこか似ているのかもしれません。初めて訪れたときには、ただの知らない町だった場所。けれども、そこで朝を迎え、仕事をし、買い物をし、季節の移り変わりを感じながら暮らしているうちに、少しずつ馴染みのある町になっていく。
いつも通る道や、見慣れた山並み。そうした何気ない風景が、ある日、自分の日常になっていることに気づくのかもしれません。もちろん、長く住んだからといって、必ずその土地を故郷と呼ぶようになるわけではありません。
故郷とは別に、今の自分が落ち着ける居場所があってもいいのでしょう。そして、これから先、また別の土地で暮らしたいと思う日が来たとしても、それまで辰野町で過ごした時間の価値が失われるわけではありません。
大切なのは、生まれ育った場所かどうかではなく、今の自分にとって、その土地がどんな意味を持っているのか。縁もゆかりもなかった町で古着屋を開いた女性の姿は、そんなことを考えるきっかけを与えてくれます。故郷ではなかった土地にも、人は自分の居場所をつくっていけるのかもしれません。
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たった一人でも、故郷の伝統を守り続けるのはなぜ?
辰野町で山本哲也さんが出会ったもう一人の人物は、土地に伝わる硯を作り続けている職人です。今では、その伝統の硯を作る職人は、ただ一人になっているといいます。
硯といえば、墨をするための道具。かつては書道や日々の筆書きに欠かせないものでしたが、今では筆を持つ機会そのものが少なくなりました。文字を書くことさえ、紙と筆からパソコンやスマートフォンへと移り変わっています。そんな時代に、硯を作り続ける。そこには、どんな思いがあるのでしょう。
伝統工芸という言葉を聞くと、私たちはつい「昔からの技術を守ること」に目を向けがちです。けれども、その技術を受け継いできたのは、いつの時代も、一人ひとりの人間だったはずです。石を選び、形を整え、硯として仕上げていく。一つの道具が生まれるまでには、長い年月をかけて培われた知恵や技術があります。
そして、それを作る人にもまた、自分自身の暮らしがあるのです。伝統を守ることは、きっと簡単なことではないでしょう。作り手が少なくなれば、技術を伝える相手を見つけることも難しくなります。道具が使われる機会が減れば、仕事として続けていくことにも苦労があるかもしれません。
それでも、この職人は硯を作り続けています。なぜなのでしょう? 故郷の伝統を絶やしたくないという使命感があるのかもしれません。あるいは、長く向き合ってきた仕事そのものに、ほかの何にも代えがたい価値を感じているのかもしれません。その答えを、私たちが一つに決めてしまう必要はありません。
考えてみれば、土地に伝わる文化も、最初から「伝統」と呼ばれていたわけではありません。かつて誰かが始めた仕事が、次の誰かに受け継がれ、長い時間の中で、その土地ならではの文化になっていったはずです。そして今、その長い時間の先に、一人の職人がいます。
故郷に戻ってきた農家の男性とも、新しく移り住んだ古着屋の女性とも、土地との関わり方は違います。けれども、ここにもまた、その人にとって大切なものがあるのでしょう。
土地の価値は、住みやすさや懐かしさだけで決まるものではありません。そこで育まれてきた技術や文化を、自分の手で受け継いでいくことにも、かけがえのない意味があるのかもしれません。一つの硯を作り続ける職人の姿からは、長い年月をかけて積み重ねられてきた、この土地の時間が見えてくるような気がします。
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故郷は、人生の途中で変わってもいいの?
故郷とは、いったいどこを指すのでしょう? 生まれた場所でしょうか? 子どもの頃を過ごした町でしょうか? それとも、今、暮らしている土地なのでしょうか?
長い人生の中で、私たちはいくつもの場所と出会います。生まれ育った町を離れる人もいれば、ずっと同じ土地で暮らし続ける人もいます。一度離れた故郷へ戻る人もいれば、縁もゆかりもなかった町に新しい暮らしを見つける人もいます。そして、同じ場所で暮らしていても、その土地への思いが変わっていくことがあります。
久しぶりに訪ねた故郷で、昔と変わらない風景を見つけたとき、ふと懐かしさを覚える。けれども、そこに暮らし続けている人にとって、その風景は懐かしいものではなく、いつもの日常、いわば”お馴染みの土地”なのかもしれません。
懐かしさと馴染み。似ているようで、少し違う感覚なのでしょう。懐かしい場所が、必ずしも今の自分にとって落ち着ける場所とは限りません。反対に、子どもの頃の思い出がほとんどない土地でも、長い時間をかけて暮らしているうちに馴染んで、いつの間にか自分の町になっていることがあります。故郷と、自分の居場所。その二つも、必ずしも同じではないのでしょうね。
辰野町で出会った農家の男性は、かつて嫌いだった故郷を離れ、東京で暮らしたあと、もう一度この町へ戻ってきました。古着屋を開いた女性は、縁もゆかりもなかった辰野町で新しい暮らしを始めました。そして、伝統の硯を作り続ける職人は、土地に受け継がれてきた技術と、今も向き合っています。
三人がこの町で生きる理由は、それぞれ違うのでしょう。その理由を、故郷への愛情や、田舎暮らしへの憧れといった一つの言葉で説明することはできません。
ただ、今の三人にとって、辰野町にはそれぞれの価値がある。それだけは、確かなことのように思えます。けれども、その価値が、この先ずっと変わらないとは限りません。
人生は、いつも途中にあります。何かを成し遂げたと思ったあとにも、新しい出会いがあるかもしれません。これからも同じ場所で暮らしたいと思う日もあれば、別の土地で生きてみたいと思う日が訪れるかもしれません。それは、これまで過ごしてきた時間を否定することではないと思います。
かつて大切だった場所は、そのときの自分にとって確かに大切だったのです。そして、今、大切に思っている場所も、今の自分にとってかけがえのないものなのでしょう。大きな決意や劇的な転機がなくても、人は毎日、自分の人生を生きているのです。
南アルプスと中央アルプスに囲まれた辰野町。山々を仰ぎながら、人々はそれぞれの暮らしを続けています。帰ってきた人も、新しくやってきた人も、長く受け継がれてきた仕事を続ける人も…。そこにあるのは、人生の完成した姿ではなく、今日という一日を生きている人々の姿なのです。
故郷は、生まれた場所であり続けてもいい。人生の途中で、別の土地に変わってもいい。そして、無理に「故郷」という名前をつけなくても、今の自分が落ち着ける場所があれば、それでいいのかもしれません。
私たちはこれからも、それぞれの人生を歩いていきます。その道の途中で、今まで知らなかった景色が、いつのまにか馴染みのある風景に変わることもあるのでしょう。
故郷は、人生の途中で変わってもいい。そう思うと、これから出会う町の風景も、少し違って見えてくるような気がします。(文責:まどか)
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