色鮮やかな魚。切り分けられた豚肉。そして、行き交う人の声。沖縄の市場は、ただの買い物の場ではない。親しみを込めて「マチグヮー」と呼ばれるその場所には、食べるためのものだけでなく、人の暮らしそのものが並んでいる。
普段はスーパーで買い物をする人たちも、旧正月が近づくと、市場へと足を運ぶ。先祖代々受け継がれてきた味を求めて、そしてどこか懐かしい空気に触れるために。
戦後の焼け跡から立ち上がり、地域の人々とともに歩んできた市場。そこには、売る人と買う人を超えた、やさしい関係が息づいている。「新日本風土記」が見つめるのは、沖縄の市場に流れる、あたたかな時間の物語。
【放送日:2026年5月4日(月)22:00 -23:00・NHK-BSP4K】
【放送日:2026年5月5日(火)20:00 -21:00・NHK-BS】
【放送日:2026年5月10日(日)6:00 -7:00・NHK-BSP4K】
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色と匂いと声が混ざる場所|沖縄の市場「マチグヮー」とは?
沖縄の市場に足を踏み入れると、まず感じるのは、その“濃さ”だ。色鮮やかな魚が並び、豚肉は部位ごとに切り分けられ、日用品や総菜が所狭しと並んでいる。視界に入るものすべてが、どこか力強い。
そこに重なるのが、潮の香りや肉の匂い、揚げ物の香ばしさ。さらに、店主と客のやりとりが、あちこちから聞こえてくる。
「これ、今日いいよ」
「おまけしとくさー」
そんな言葉が飛び交いながら、市場全体がひとつの空気をつくり出している。
沖縄では、この市場を親しみを込めて「マチグヮー」と呼ぶ。”小さな町”というような意味合いだろうか? それは単なる呼び名ではなく、この場所が持つ役割を、そのまま表している言葉でもある。
買い物をするためだけの場所ではなく、人と人が顔を合わせ、自然と言葉を交わす場所。観光地のように整えられた空間とは違い、少し雑多で、少し近い。
けれどその分、そこには暮らしの輪郭が、はっきりと見えてくる。――マチグヮーは、“何かを買う場所”というより、“人が集まる場所”なのかもしれない。
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なぜ人は市場に戻るのか?|旧正月と受け継がれる味
普段はスーパーで買い物をしている人たちも、旧正月が近づくと、自然と市場へ足を運ぶようになる。並ぶのは、三枚肉や豚足、かまぼこに昆布。祝いの席に欠かせない食材たちだ。それらは、ただの食べ物ではない。家族で囲む食卓や、先祖へ供えるための大切なもの。代々受け継がれてきた味が、そこにはある。
沖縄では、旧暦に合わせた行事が、いまも生活の中に息づいている。旧正月や旧盆の時期になると、離れて暮らしていた人たちも、ふるさとへと戻ってくる。港や船には、帰省する人や、買い出しを終えた家族の姿があふれる。
手にした袋の中には、その土地でなければ手に入らない食材や、昔から変わらない味が詰まっている。市場に足を運ぶ理由は、単に“新鮮だから”というだけではない。そこでしか出会えないもの。そして、そこでしか感じられない空気がある。
顔なじみの店で声をかけられ、いつものやりとりが交わされる。その時間ごと、持ち帰るようにして――人はまた、日常へと戻っていく。――市場は、食べ物を買う場所であると同時に、記憶を確かめる場所でもあるのかもしれない。
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焼け跡から生まれた場所|市場が支えてきた暮らし
沖縄の市場は、にぎわいの場所であると同時に、暮らしを立て直してきた場所でもある。
戦後、街が焼け野原となったあと、人々はまず、生きていくための場所を必要とした。食べるものを手に入れ、それを分け合い、売り買いする場所。市場は、そうした日々の営みの中心として、いち早く立ち上がっていく。
那覇の牧志にある公設市場も、そのひとつだ。かつてこの場所では、川(ガーブ川)の上に板を渡し、その上に店を構える形で商いが始まったという。整った環境ではなかった。けれど、人が集まり、ものが行き交うことで、少しずつ暮らしの形が戻っていく。
その流れはやがて、市場というかたちとして根づいていった。地下を流れる川は、いまもその記憶を静かにとどめている。――市場は、ただの流通の場ではなく、人が生きていくために必要な“はじまりの場所”だったのかもしれない。
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人が集まる理由|市場とともに生きる人たち
市場には、さまざまな人が集まる。観光客もいれば、買い物に来た人、そして、長い時間をこの場所で過ごしてきた人たちもいる。
にぎわいの中に、ふと目をやると、地元のオバァが、当たり前のように店の前に立っている。誰かと言葉を交わし、ゆっくりと品物を選び、また次の店へと歩いていく。その姿は、この場所がただの観光地ではなく、いまも“暮らしの中にある市場”であることを、静かに伝えている。
店を営む人たちもまた、長くこの場所に根を張りながら、日々の営みを続けてきた。顔を見ればわかる関係。言葉を交わさなくても伝わる距離。売る人と買う人という枠を越えて、ゆるやかなつながりがそこにある。
市場は、商品だけで成り立っているわけではない。そこにいる人たちの時間や関係が重なり合い、はじめて、その場所の空気が生まれる。――だから人は、ここに集まる。何かを買うためだけではなく、誰かと同じ時間を過ごすために。
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市場の外に広がる時間|飲み屋街ともうひとつの顔
市場のにぎわいは、そのまま外へと続いていく。
路地を抜けると、小さな飲み屋が並ぶ一角に出る。昼間から灯りがつき、気軽に一杯飲める店が軒を連ねている。いわゆる“センベロ”と呼ばれる文化も、このあたりではごく自然なものだ。
市場で買い物を終えたあと、そのまま立ち寄って、少しだけ飲む。市場には行かないのに飲み屋には集まる。そんな流れが、日常の中に溶け込んでいる。
そこには、観光客もいれば、地元の人たちの姿もある。笑い声が聞こえ、グラスの触れ合う音が重なり、ゆるやかな時間が流れていく。けれど、その距離は、どこか近すぎない。だから観光客は、あまり現地の雰囲気に飲み込まれ過ぎないように注意も必要だ。
この場所には、この場所のリズムがあり、それをそっと受け取るように過ごすことが、いちばん心地いいのかもしれない。少しだけ足を踏み入れて、その空気を感じる。そしてまた、にぎやかな市場へと戻っていく。――市場の外にも、もうひとつの“暮らしの時間”が広がっている。
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マチグヮーに流れるもの|沖縄の市場がつなぐ心
沖縄の市場に流れているのは、にぎやかさだけではない。色や匂い、声の向こう側に、もうひとつの静かな流れがある。それは、人と人のあいだに生まれる、やわらかなつながりだ。
売る人と買う人。地元の人と、訪れる人。立場が違っていても、同じ場所に立ち、同じ時間を過ごすことで、少しずつ距離がほどけていく。
そこには、無理に合わせる必要もなければ、踏み込みすぎる必要もない。ただ、その場の空気に身を置くことで、自然と生まれてくる関係がある。
マチグヮーは、ものを売り買いする場所でありながら、人の心をやさしくつないでいく場所でもある。だから人は、何度でもそこへ戻ってくるのかもしれない。――にぎわいの奥にあるもの。それは、言葉にしなくても伝わる、暮らしの中のあたたかな気配だった。
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まとめ|また戻りたくなる場所の理由
沖縄の市場「マチグヮー」は、ただの買い物の場ではない。色と匂いと声が混ざり合い、人と人が自然に言葉を交わす場所。そこには、売る人と買う人を超えた、やわらかな関係が流れている。旧正月に人が戻り、焼け跡から暮らしを立て直し、いまもなお、日々の営みが続いている。
にぎやかな空間の中で、ふと感じる静かなぬくもり。それは、どこか懐かしくて、気づけばまた戻りたくなるような感覚を残していく。――マチグヮーに流れているのは、もののやり取りだけではなく、人の心をゆるやかにつなぐ時間なのかもしれない。沖縄を離れたあとに、ふと思い出すあの空気。その理由は、きっと、この場所にある。