料理が好きだったはずなのに、いつの間にか、その楽しさを忘れてしまう。そんなことが、人生にはあるのかもしれません。
青森県五所川原市で、茅葺き屋根の古民家を舞台に「発酵カフェRRr(さんあーる)」を営む齊藤美沙子さん。栄養士の資格を持ち、かつては東京の学生寮で料理の仕事をしていました。ところが、ある出来事をきっかけに「もう料理の仕事はしたくない!」と、その道を離れてしまいます。
結婚して3人の子どもに恵まれてからも、料理は毎日の家事の一つ。かつて夢中になっていたころの楽しさは、遠いものになっていました。
そんな美沙子さんを、もう一度料理の世界へ誘ったのは、小学生だった長男の碧人(りくと)さんでした。一緒に料理コンテストに出ようと誘ったのです。その誘いが、やがて母親の人生を大きく変えていくことになります。
そして今、美沙子さんが料理を届けているのは、津軽の歴史を伝える文化財の古民家に併設されたカフェ。一度は離れた料理の仕事に、なぜもう一度向き合うことができたのでしょうか?
そして息子は母親の、どんな姿を見ていたのでしょう? 今回は、親子の小さな一歩から始まった、津軽の古民家カフェの物語をたどってみたいと思います。
【放送日:2026年11月7日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】
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料理が好きだったのに、なぜ「もう辞めたい」と思ったの?
青森県田舎館村で育った齊藤美沙子さんは、子どものころから料理が好きでした。高校卒業後は地元の栄養専門学校に進み、栄養士の資格を取得しました。そして卒業後に選んだ仕事は、東京にある青森県の学生寮の寮母でした。
寮には100人ほどの学生が暮らしていました。故郷を離れて勉強に励む若者たちにとって、毎日の食事は大切な楽しみの一つだったはずです。美沙子さんも、学生たちが喜ぶ料理を作りたいと考え、食べたいメニューを自由に書いてもらうためのリクエスト箱を設置しました。
ところが、そこに投函されたのは、たった一枚の紙。書かれていたのは、こんな言葉でした。
「ここの寮の食事は、まずいメニューのフルコースだ」
これは、ずいぶん厳しい言葉ですよね。料理が好きで、栄養士の資格まで取って、学生たちのために食事を作っていた美沙子さん。喜んでもらおうと設置したリクエスト箱から、こんな言葉が返ってきたのですから、ショックを受けたのも無理はありません。
でも、ここで少し考えてしまいました。100人ほどの学生がいたのに、寄せられた意見はたった一枚。それが全員の感想だったとは限りません。誰も寮の食事などには期待していなかったのかもしれません。それに、料理がまずいと言われたのなら、何がまずかったのか、どんな料理なら喜んでもらえるのか、もう少し聞いてみることもできたのではないでしょうか?
失敗したり、厳しいことを言われたりしても、そこから工夫を重ねていく。大人ならばそんな考え方もあると思うのです。ところが、美沙子さんは「もう料理の仕事はしたくない!」と寮母の仕事を辞め、故郷の青森へ帰ってしまいました。
もっとも100人分の食事となれば献立を考える栄養士として、栄養バランス、材料費、調理の手間、好みの違い……。料理好きというだけでは乗り越えられない難しさがあったでしょう。でも正直なところ、少しもったいない決断だったようにも感じます。
ただ、私たちには、そのころの美沙子さんがどんな毎日を送っていたのか、詳しいことは分かりません。たった一枚の紙が決定打になったのか、それ以前から仕事に悩んでいたのか? 料理の仕事を続けるために、どんな努力をしていたのか? そこを知らずに、根性が足りなかったと決めつけることもできないでしょう。
それでも、一つだけ気になることがあります。美沙子さんは、本当に料理が嫌いになってしまったのでしょうか? 青森へ戻った美沙子さんは、友人の紹介で知り合った裕介さんと29歳で結婚し、やがて3人の子どもに恵まれます。
家族の食事を作る毎日は続いていました。けれど、かつて好きだった料理は、いつしか淡々とこなす家事の一つになっていたといいます。料理を作ることは、やめていなかった。ただ、料理を楽しむ気持ちを、どこかに置いてきてしまったのかもしれません。
そして、その気持ちをもう一度呼び覚ますきっかけは、思いがけず、いちばん身近なところからやって来ることになります。
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息子は、料理を楽しめなくなった母親に何を見ていたの?
東京の学生寮を辞め、故郷の青森へ戻った美沙子さん。その後、友人の紹介で知り合った裕介さんと結婚し、3人の子どもに恵まれました。かつて仕事にするほど好きだった料理も、家族のために毎日作る食事となり、いつしか淡々とこなす家事の一つになっていたといいます。
そんな美沙子さんに何年かたったある日、思いがけない誘いがありました。小学生だった長男の碧人(りくと)さんが、親子料理コンテストに一緒に出場したいと言い出したのです。ここで、ちょっと気になることがあります。
碧人さんは、お母さんが昔、料理の仕事をしていたことを知っていたのでしょうか? 東京の学生寮で100人ほどの食事を作っていたこと。何かのきっかけでその仕事を辞め、青森へ帰ってきたこと。家族の会話の中で、そんな話を聞いたことがあっても不思議ではありません。
あるいは、母親の過去など関係なく、ただ一緒に料理をしてみたかっただけなのかもしれません。子どもは、ときに大人が思っている以上に、親の様子をよく見ているものです。毎日の食事を作るお母さんが、どこかつまらなそうにしている。
でも、料理の腕前は確かだし、もともとは料理が好きだったらしい。「それなら、一緒に何か作ってみようよ」そんな気持ちがあったのではないかと、つい想像してしまいます。もちろん、碧人さんが実際に何を考えていたのかは分かりません。ただ一つ確かなのは、その誘いによって、美沙子さんが再び料理と向き合うことになったということです。
親子でコンテストのメニューを考え、料理を作る。そして、二人は青森県大会で見事に優勝しました。残念ながら全国大会への出場は叶いませんでしたが、美沙子さんにとっては、それ以上に大切なものが残ったようです。料理の楽しさを、もう一度思い出したのです。
考えてみれば、学生寮で料理をしていたころ、美沙子さんは学生たちに喜んでもらおうと、一生懸命だったのでしょう。けれど、返ってきた厳しい言葉に傷つき、料理の仕事から離れてしまいました。それから年月が過ぎ、今度は息子と一緒に、何を作ろうかと考える時間が生まれた。
誰かに評価されることだけではなく、誰かと一緒に料理を考え、作ることそのものを楽しめたのかもしれません。そして、もう一つ考えてみたいことがあります。美沙子さん自身は、いつしか料理を楽しめなくなっていました。でも、その間も、家族は毎日、美沙子さんの料理を食べていたのです。
もしかすると、本人が忘れかけていた料理の魅力を、息子はずっと身近に感じていたのかもしれません。親が子どもに何かを教えることは、よくあります。けれど、子どもの何気ない一言が、親に忘れていたものを思い出させることだってあるのでしょう。碧人さんの誘いは、そんな小さな出来事だったのかもしれません。
そして、この親子料理コンテストは、美沙子さんに料理の楽しさを取り戻させただけでは終わりませんでした。大会で出会った、もう一組の親子。その縁が、美沙子さんを、それまで知らなかった発酵料理の世界へと導いていくのです。
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一度は料理を諦めた女性が、なぜ麹に夢中になったの?
長男の碧人さんと出場した親子料理コンテストで、青森県大会の優勝を果たした美沙子さん。全国大会への出場は叶いませんでしたが、親子でメニューを考え、料理を作るうちに、忘れていた楽しさを思い出すことができました。
けれど、美沙子さんの物語は、ここで終わりません。同じ大会に出場していた青森県出身の親子が、全国大会で優勝したことを知ったのです。しかも、その親子は発酵料理の教室を開いているといいます。そこで美沙子さんは、あることを思いつきました。「あわよくば技を盗んでやろう!」なんとも頼もしい言葉ですよね。
かつては学生寮で料理を批判され、仕事を辞めてしまった美沙子さん。ところが今度は、自分より優れた料理を作る人に出会うと、その技術を学びたいと、自分から会いに行ったのです。もちろん、学生寮での経験と料理コンテストを単純に比較することはできません。
それでも、料理に対する美沙子さんの気持ちが、以前とは変わっていたことが伝わってきます。そして、その料理教室で出会ったのが「鶏肉の塩麹焼き」でした。塩麹とは、米麹に塩と水を加えて発酵させた調味料です。
麹菌が作り出す酵素には、食材のでんぷんやたんぱく質を分解する働きがあり、料理の甘みやうま味を引き出してくれます。肉を塩麹に漬け込むと、たんぱく質の一部が分解され、やわらかな食感や豊かな味わいにつながることもあります。
昔から日本の食文化を支えてきた麹ですが、その働きを知ると、料理の可能性がずいぶん広がるように感じられます。美沙子さんも、この鶏肉の塩麹焼きに衝撃を受けたといいます。料理教室へ通い詰めるようになり、塩麹だけでなく、しょうゆ麹や甘麹など、さまざまな麹調味料の奥深さに触れていきました。
ここで、少し考えてみたいことがあります。美沙子さんは、料理コンテストで県大会の優勝を果たしています。それだけの腕前がありながら、さらに料理を学ぼうとしたのは、なぜなのでしょう? おそらく、麹との出会いによって、それまで知らなかった料理の面白さに気づいたからではないでしょうか。
料理には、まだ自分の知らない世界がある。もっと知りたい。もっと作ってみたい。そんな気持ちが、沸々と湧いてきたのかもしれません。思えば、学生寮で料理をしていたころ、美沙子さんは学生たちに喜んでもらえる献立を考えていました。けれど、厳しい言葉を受け取ったことで、料理の仕事から離れてしまいました。
それから年月が過ぎ、息子とのコンテストで料理の楽しさを思い出し、今度は自分から新しい技術を学ぶようになったのです。料理が好きだという気持ちは、誰かに褒められることだけで生まれるものではないのでしょう。知らなかったことを知り、できなかったことができるようになる。その喜びもまた、料理を続ける大きな力になるのだと思います。
やがて美沙子さんの心には、一つの夢が生まれました。いつか、麹調味料を使った料理を提供するカフェを開きたい。かつて「もう料理の仕事はしたくない!」と思った女性が、再び料理を仕事にしたいと考えるようになったのです。
そして、そんな美沙子さんの前に、思いがけない場所との出会いが待っていました。青森県五所川原市にある、茅葺き屋根の古民家「楠美家住宅」。市の指定有形文化財でもあるその建物が、新しい夢の舞台になるのです。
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なぜ津軽の文化財が、発酵料理のカフェになったの?
麹調味料を使った料理の魅力に出会い、いつか自分のカフェを開きたいと考えるようになった美沙子さん。そんなとき、思いがけない知らせが届きました。青森県五所川原市にある茅葺き屋根の古民家「楠美家住宅」で、建物を活用してくれる人を募集しているというのです。
しかも、この楠美家住宅は、五所川原市の指定有形文化財。美沙子さんはさっそく応募し、話は順調に進み、古民家を借りられることになりました。そして2025年5月、「発酵カフェRRr(さんあーる)」をオープンしたのです。でも、ここで少し不思議に思いませんか?文化財に指定されている建物を、カフェとして使ってもいいのでしょうか?
文化財というと、昔の姿をそのまま残し、傷つけないように大切に保存するものという印象があります。もちろん、歴史的な建物を守るためには、修理や改修にも慎重な配慮が必要です。けれど、古い建物を守る方法は、誰も使わずに保存しておくことだけではありません。
建物の歴史的な価値を損なわない範囲で活用し、人が訪れる場所にすることも、文化財を未来へ受け継ぐための一つの方法です。そもそも古民家は、かつて人が暮らしていた場所。囲炉裏を囲んで食事をしたり、家族が語り合ったり、日々の暮らしが積み重ねられてきた建物です。
その場所に、再び料理の香りが漂い、人々の話し声が響く。そう考えると、古民家をカフェとして使うことには、どこか自然なところがあるようにも感じられます。そして、美沙子さんが提供するのは、麹調味料を使った料理です。
塩麹、しょうゆ麹、甘麹。日本の食文化に古くから根づいてきた発酵の知恵を生かし、青森特産の旬のリンゴなど地元の食材も取り入れています。昔から受け継がれてきた建物の中で、昔から受け継がれてきた発酵の技術を使い、現代の人たちに料理を届ける。古いものを、ただ昔のものとして残すのではなく、今の暮らしの中で生かしているのです。
もちろん、古民家をカフェとして使い続けることは、簡単なことばかりではないでしょう。茅葺き屋根をはじめ、歴史的な建物には防災対策などの維持管理の難しさがあります。飲食店として営業するためには、衛生面や設備面への配慮も必要です。それでも、建物に新しい役割が生まれれば、そこを訪れる人も増えていきます。
実際に「発酵カフェRRr」では、地元の食材を使った料理を楽しみながら、人々が交流する光景も生まれているようです。かつて家族が暮らしていた古民家が、今度は地域の人々や訪れたお客さんを迎える場所になる。そして、かつて料理の仕事から離れた美沙子さんが、その場所で再び料理を作っている。
ここには、どこか重なるものがあるように思えます。美沙子さんも、楠美家住宅も、昔とまったく同じ姿に戻ったわけではありません。それぞれが新しい役割を見つけ、今という時間を生きているのです。
そして、この古民家カフェには、美沙子さんが何よりも大切にしている存在への思いが込められていました。それは、少し不思議な「RRr」という店名に隠されています。
発酵カフェ RRr(さんあ〜る)
- 青森県五所川原市持子沢隠川695−4
- TEL:不明
- 営業時間:11:00~15:00
- 定休日:火・水・木曜
- URL:https://www.instagram.com/hakko.cafe.rrr.aomori.gosho/
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「さんあーる」という名前に込められた、母親の思いとは?
青森県五所川原市の茅葺き屋根の古民家「楠美家住宅」。その一角で、美沙子さんが営んでいるのが「発酵カフェRRr(さんあーる)」です。
ところで、この「RRr」という、ちょっと変わった店名。どうして大文字の「R」が二つと、小文字の「r」が一つなのでしょう。実は、ここにも美沙子さんの家族の物語が隠されていました。
3人の息子たちの名前には、それぞれ「R」がつくのだそうです。そして、末っ子は上の子たちと少し年齢が離れているため、小文字の「r」にしたのだとか。つまり「RRr」は、3人の息子たちを表しているのです。
さらに「さんあーる」の「さん」には、太陽を意味する英語の「SUN」も重ねられています。津軽半島観光アテンダントの記事で、美沙子さんは、こんな言葉を語っています。
「私の太陽の子供達ですから・・・」
なんとも愛情のこもった店名ですよね。でも、この名前の由来を知ると、もう一度、あの親子料理コンテストのことを思い出してしまいます。
かつて東京の学生寮で料理の仕事をしていた美沙子さん。学生からの厳しい言葉に傷つき、料理の仕事を辞めてしまいました。青森へ戻って結婚し、3人の子どもたちを育てる中で、料理はいつしか毎日の家事の一つになっていました。
そんな母親を、もう一度料理の世界へ誘ったのが、長男の碧人さんでした。碧人さんは、なぜお母さんを料理コンテストに誘ったのでしょう?
昔、お母さんが料理の仕事をしていたことを知っていたのかもしれません。お母さんは料理が得意だから、一緒に出場すればいい成績を残せると思ったのかもしれません。あるいは、ただ親子で料理をすることが楽しそうだっただけなのかもしれません。本当のところは分かりません。
けれど、その何気ない誘いが、美沙子さんに忘れていた料理の楽しさを思い出させてくれたのです。そして、発酵料理との出会いを経て、ついには自分のカフェを開くことになりました。
考えてみれば、不思議なものです。かつては、たった一枚の紙に書かれた言葉によって、料理の仕事から離れてしまった。それから年月が過ぎ、今度は息子からの誘いによって、もう一度料理の仕事へと戻ってきたのです。
もちろん、そこから先の道を歩いたのは美沙子さん自身でした。料理教室に通い、麹調味料を学び、カフェを開くという夢を育て、文化財の古民家を借りて実現させたのですから。でも、その最初のきっかけをくれた息子への思いが、店の名前にも込められているのでしょう。
そして今、カフェには、地元の食材や麹を使った料理を楽しみに、お客さんたちが訪れています。家族のために作っていた料理が、今度は地域の人たちや、遠くから訪れる人たちの食卓へと広がっていく。
その場所には、3人の息子たちを表す「RRr」という名前が掲げられています。子どもたちが母親の人生を変え、その母親が今度は料理を通して、誰かの一日を少し豊かにしている。津軽の古民家で生まれた、小さな幸せの循環なのかもしれません。
今日も茅葺き屋根の下で、美沙子さんは料理を作っています。かつて忘れかけていた、その楽しさを胸に…。そして、3人の太陽たちへの思いとともに…。
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