一人でも、野球の練習はできます。ボールを壁に投げれば、跳ね返ってきます。バットを持って、一人で素振りをすることだってできます。
でも――一人では、キャッチボールができません。投げたボールを受け取ってくれる人がいて、その人がまたこちらへ投げ返してくれる。たったそれだけのことなのに、そこにはもう「仲間」がいます。
今回の『Dearにっぽん』の舞台は、広島県。「どうしても硬式野球がしたい」と一人の高校生が綴ったその思いから、特別支援学校に硬式野球部が生まれました。けれど、部員は2人。9人には、ずっと足りません。それでも考えてみれば――2人いたんです。
一人が「野球がしたい」とボールを投げたとき、その思いを受け取ってくれるもう一人がいた。そして二人の思いは学校の外へと届き、ほかの高校の球児たちと連合チームを組んで、甲子園をめざす夏が始まります。
甲子園へ行ける高校球児は、ほんの一握りです。でも、高校野球って、本当に甲子園へ行くためだけにあるのでしょうか。
投げる。受け取る。打つ。走る。笑う。悔しがる。そして、また仲間へボールを返す。
「野球がしたい」
そんな、とてもシンプルな思いから始まった彼らの夏を見ながら、今回は「同じグラウンドに立つ」ということについて、一緒に考えてみたいと思います。
【放送日:2026年9月20日(日)8:25 -8:50・NHK-総合】
【放送日:2026年9月24日(木)1:25 -1:51・NHK-総合】
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一人でも、野球はできる?
野球は、一人でも練習できます。バットがあれば、素振りができます。ボールがあれば、投球練習だってできます。私も小学生のころ、友達がつかまらない日は、自宅のコンクリートブロックの塀を相手に、何時間もボールを投げていました。
「このブロックの中に投げる」と狙いを決めて、ひたすら投げる。しかも、そのブロックの表面には微妙な凸凹があったんです。いいところに当たれば素直に返ってくるのに少しずれると、とんでもない方向へ跳ね返ってくる。今思えば、あれはなかなか優秀な自動ランダムノックマシンでした(笑)。
おかげでコントロールと守備だけは、それなりに鍛えられました。でも――。壁とは、キャッチボールができません。こちらが投げれば、壁は必ずボールを返してくれます。けれど、それは誰かが私のボールを受け取って、「今度はこっちから投げるよ」と返してくれているわけではありません。キャッチボールには、もう一人が必要です。
今回の『Dearにっぽん』に登場する、広島の特別支援学校に生まれた硬式野球部。部員は、2人です。野球のチームをつくるには、とても少ない人数に見えます。でも、私は番組を見ながら、ちょっと違うことを考えました。
「2人しかいない」じゃなくて、「2人いた」んだな。そして一人が、「どうしても硬式野球がしたい」と思った。そして、その思いを受け取ってくれるもう一人がいた。「じゃあ、どうしたら野球ができるだろう?」。そんな相談ができる相手が一人いるだけで、「一人じゃ無理だよな」で終わっていたかもしれない思いが、少しずつ動き始めます。
やがて、その思いを受け取る人はさらに増えていきました。学校が動き、硬式野球部が生まれ、ほかの学校の球児たちと連合チームを組み、同じグラウンドに立つことになる。
考えてみれば、それもキャッチボールに少し似ています。一人が投げた「野球がしたい」という思いを、誰かが受け取る。そして、「やってみよう」と投げ返す。そのボールを、また別の誰かが受け取る。そうやって一人の思いから始まったキャッチボールが、少しずつ人を増やして、とうとうチームになった。
試合をするには、相手チームが必要です。でも、その前に――。野球をするには、一緒に野球をしたいと思ってくれる仲間が必要なのかもしれません。部員は、たった2人。いや。最初から、2人もいたんです。
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好きなことをするのに、理由って必要?
部員は2人。自分たちだけでは試合ができないから、ほかの学校の球児たちと連合チームを組む。そして、甲子園をめざす。そう聞くと、私たちはつい考えてしまいます。
「どうして、そこまでして硬式野球がしたかったんだろう?」
甲子園に行きたかったから?将来、プロ野球選手になりたかったから?それとも、自分にもできることを誰かに証明したかったから?もちろん、そんな目標や思いもあったのかもしれません。でも、もっと単純な答えがあってもいいんじゃないでしょうか。
だって、野球が好きなんだもん。
好きなことをするのに、必ず「その先の何か」が必要なのでしょうか。絵を描く人が、みんな画家になるわけではありません。楽器を弾く人が、みんな音楽家になるわけでもありません。それでも、好きだから描く。好きだから弾く。高校野球だって、きっと同じです。
甲子園という大きな目標があったとしても、その先にプロ野球選手という夢があったとしても、すべての高校球児がそこへたどり着くわけではありません。だからといって、白球を追いかけた時間に意味がなかったことにはならないはずです。むしろ順番は、逆なのかもしれません。
甲子園に行きたいから、野球を始めるのではなく、
野球が好きだから、もっと野球がしたい。
もっと野球がしたいから、甲子園をめざしてみたい。
今回の『Dearにっぽん』に登場する2人の出発点も、とてもシンプルでした。
「どうしても硬式野球がしたい」
そこに「特別支援学校だから」という理由を、最初から付け加える必要はないのかもしれません。野球が好きな高校生が、硬式野球をやりたいと思った。
だったら、どうしたらできるだろう?その思いを受け取ってくれる仲間が現れ、一緒に考える人たちが増えていった。好きなものって、案外そんなところから始まるものです。
「それをやって、将来何になるの?」
「何の役に立つの?」
そんなことを考えるのはつまらない大人です。子どもは考えるより先に、もう手が伸びている。だって――。好きなんだもん。それだけで始めたって、いいじゃないですか。
そして、そう考えてみると、今度は別の疑問が浮かんできます。同じように「野球がしたい」と思っている高校生なのに、私たちはなぜ、彼らを見るときに最初から少し違った「物差し」を持ち出してしまうのでしょうか?
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「できる・できない」って、誰の物差し?
「野球がしたい」
そんな気持ちに、立派な理由はいらない。前の章では、そんなことを考えました。でも、誰かが「これをやってみたい」と言ったとき、私たち大人はもう一つ、ついやってしまう勝手なことがあります。
「この子に、それができるだろうか?」
今回の『Dearにっぽん』に登場する2人が通っているのは、特別支援学校です。その言葉を聞いた瞬間、「硬式野球なんてできるのかな?」そんな疑問が浮かんだ人もいるかもしれません。でも、その「できる・できない」を、私たちはいったい何を基準に決めているのでしょう。
人には、得意なこともあれば苦手なこともあります。教室では勉強が得意な子も、プールへ行けば泳げないかもしれない。足の速い子が、ボールを上手に捕れるとは限らない。逆に、教室では苦手なことがある子が、何かの作業を始めると驚くほど集中して取り組むことだってあります。
場所が変われば、「できる」も「できない」も変わる。だったら、「この子には何ができる?」という問いだけでは、少し足りないのかもしれません。「どこで、何をするの?」そこまで聞いて、初めて見えてくるものがあるはずです。
そして野球のグラウンドへ出れば、そこには野球があります。投げる。捕る。打つ。走る。仲間に声をかける。失敗したら悔しがって、うまくいったら喜ぶ。そこでは「どこの学校に通っているか」だけでは、その人がどんな選手なのかは分かりません。
実際にボールを投げてみなければ分からない。受けてみなければ分からない。一緒にプレーしてみなければ、分からない。それなのに私たちは、ときどきその前に物差しを取り出して、「できる」「できない」と線を引いてしまいます。でも、本当に測るべきなのは、その人なのでしょうか?
もしかすると一度確かめてみたほうがいいのは、私たちが手にしている物差しのほうなのかもしれません。もちろん、誰にでも得意なことと苦手なことがあり、必要な支援だって人それぞれ違います。だから、みんなを「同じ人」として扱えばいい、という話でもありません。
違うところは、違うままでいい。できないことがあれば、助けてもらってもいい。それでも――。違う人たちが、同じグラウンドに立つことはできる。キャッチボールだって、二人が同じ人間だから成立するわけではありません。投げる人がいて、受け取る人がいる。そして今度は、受け取った人が投げ返す。その繰り返しです。球の速い子もいればゆっくりと丁寧にコントロールして投げる子もいる。
では、学校も違う。得意なことも苦手なことも違う高校生たちが、一つのチームになって同じグラウンドに立ったとき――。そこにあった「同じ」って、いったい何だったのでしょう。
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違うままで、同じグラウンドに立てる?
特別支援学校の硬式野球部は、部員2人。2人だけでは試合ができません。そこで、ほかの学校の球児たちと連合チームを組み、同じユニフォームを着て、同じグラウンドに立つことになりました。
学校は違います。育ってきた環境も違います。得意なことも、苦手なことも違う。必要な支援がある人もいれば、そうではない人もいるでしょう。では、「同じグラウンドに立つ」というのは、みんなが同じになることなのでしょうか。
たぶん、そうではありません。そもそも野球というスポーツ自体、違う人たちが集まってするものです。足の速い選手もいる。肩の強い選手もいる。バッティングが得意な選手もいれば、守備が得意な選手もいる。性格だって、考え方だって違います。それでも試合が始まれば、同じボールを追いかけます。
違うままで、同じ野球をする。それでいいんじゃないでしょうか。今回の連合チームについて考えていると、私は「助ける側」と「助けられる側」という見方にも、少し違和感を覚えます。
「特別支援学校の2人を、ほかの高校の球児たちが助けてあげた」そう考えれば、分かりやすい物語になるのかもしれません。でも、本当にそれだけなのでしょうか。
そこにいたのは、それぞれ違う学校から集まった高校生たちです。そして、グラウンドで彼らがやりたかったことは同じでした。
野球がしたい。
キャッチボールをするときも同じです。一方がずっと「助ける人」で、もう一方がずっと「助けられる人」ではありません。投げる。受け取る。今度は、受け取った人が投げ返す。そのたびに役割は入れ替わります。だからキャッチボールをするために必要なのは、二人が同じ能力を持っていることでも、同じ学校に通っていることでもありません。
自分が投げたボールを受け取ってくれる人がいて、その人がまた自分に投げ返してくれること。それだけです。もしかすると、「同じグラウンド」という言葉も、それに近いのかもしれません。同じグラウンドに立つということは、違いをなくすことではない。
得意も苦手も、必要な支援も、それぞれ違ったまま。それでも同じルールの中で、同じボールを追いかけ、一緒に野球をする。「同じ」になる必要なんてない。違うままで、同じグラウンドに立てばいい。そして、そのグラウンドで彼らがめざしたのが、甲子園でした。
けれど――。甲子園へ行けたかどうかだけで、この夏の価値を決めてしまっていいのでしょうか?
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甲子園に行けないと、その夏は「失敗」なの?
高校野球には、勝ち負けがあります。試合をする以上、勝ちたい。県大会を勝ち抜いて、甲子園へ行きたい。そして甲子園へ行ったなら、できることなら最後まで勝ち続けたい。球児たちが本気でそう願っているのなら、外から見ている私たちが、「勝ち負けなんて関係ないよ」なんて簡単に言うべきではないでしょう。
負けたら、悔しい。甲子園をめざしていたのなら、そこへ届かなかったことだって悔しい。その悔しさまで「いい経験だったね」という言葉で包んでしまったら、本気で勝とうとしていた彼らの気持ちまで軽くしてしまうような気がします。
でも――。負けたことと、その夏が「失敗だった」ことは、同じなのでしょうか? さだまさしさんの「敗戦投手」という歌について考えていたとき、こんなことに気づきました。甲子園で最後に優勝するのは、1回戦から1度も負けずに最後まで勝ち残ったたった一つのチームです。けれど、そこへたどり着けなかった球児たちも、負けたのは最後の一度だけです。
甲子園へ行けた、行けなかった。試合に勝った、負けた。そこには確かに結果があります。でも、その結果をそのまま、「誰が偉い」という物差しに置き換える必要はないはずです。そもそも、多くの高校球児にとって、高校野球は人生の途中にある時間です。
やがてユニフォームを脱いで、野球とはまったく違う道を歩いていく人もいるでしょう。それでも、高校時代に野球をしたことまで消えてしまうわけではありません。
仲間とキャッチボールをした。思うように捕れなかった。打てなかった。初めてうまくできた。試合に勝って喜んだ。負けて、悔しかった。そんな一つ一つが、その人の中に残っていきます。
今回の『Dearにっぽん』に登場した2人も、最初から「人生に価値のある経験をしよう」と考えて野球を始めたわけではないと思います。
もっとシンプルに、「野球がしたい」
そこから始まったはずです。一人がその思いを投げた。もう一人が受け取った。さらに誰かが受け取って、また投げ返した。そうして始まったキャッチボールは、いつしか学校の垣根を越えて、仲間と一緒に野球をするところまで届きました。もし、その先に甲子園がなかったとしても…。最後の試合で負けたとしても…。
「野球がしたい」と思った高校生が、本当に仲間と野球をした。その事実まで「失敗」になることはありません。たぶん青春というものは、何かを成し遂げた人だけが手にできるものではないのでしょう。
夢中になった。笑った。悔しがった。そして、終わってしまった。何年かたって振り返ったとき、「あの夏、俺たち野球やってたな」そう言える時間が残っていたら、それでいいのかもしれません。
キャッチボールは、1人ではできません。でも、投げたボールを受け取ってくれる人が一人いれば、始められます。彼らがこの夏に投げ合ったものは、きっと白いボールだけではなかったのでしょう。「野球がしたい」その一球から始まった夏。勝敗とは別のところに残るものがあることを、彼らのキャッチボールが教えてくれたような気がします。
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