日本で2番目じゃ、ダメですか?|比べることを忘れた北岳で見つけた「育つ」ということ【小さな旅】

キタダケソウ BLOG
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「日本で一番高い山は?」
そう聞かれたら、きっと多くの人がすぐに答えられるでしょう。富士山。標高3,776メートル。では――。「日本で二番目に高い山は?」そう聞かれると、急に考え込んでしまう人が増えるかもしれません。

まどかです!💕 答えは、南アルプスの北岳。標高3,193メートル。日本で二番目なのに、その名前を知らない人もいる。知っていたとしても、「日本で二番目に高い山」と説明されて、ようやく「ああ、北岳ね」と思い出してもらえる。なんだか、ちょっと寂しい気もします。

富士山のように、遠くから見ただけで「あの山だ」とわかるわけでもない。日本一という肩書きもない。けれど、山にとって「一番」とか「二番」とか、本当に大切なことなのでしょうか。

NHK『小さな旅』で山本哲也さんが訪ねるのは、そんな北岳です。苦労してたどり着いた3,193メートルの山頂。雲海の向こうに浮かぶ富士山。遭難する人を助けるためにつくられたという山小屋では、いつしか人を喜ばせる名物料理が生まれました。

さらに山頂から続く「天上の散歩道」では、山の診療所で活動する医学部の学生たちが、ここでしか得られない経験を重ねています。そして足元に目を向ければ――。世界中で、この北岳にしか咲かない小さな白い花、キタダケソウもあります。

日本で二番目。そんな順位とは関係なく、人が育ち、営みが育ち、小さな命が育っている。もしかしたら北岳へ登る旅は、いつの間にか誰かと比べることを忘れていく旅なのかもしれません。

一番じゃなくてもいい。ここでしか育たないものが、きっとある。今日は日本で二番目に高い山、北岳を歩きながら――。「育つ」って、どういうことなのか。私たちも、ゆっくり探してみませんか。⛰️🌼

【放送日:2026年9月18日(金)11:05 -11:30・NHK-総合】
【放送日:2026年9月19日(土)6:05 -6:30・BSP4K】
【放送日:2026年9月21日(月)4:20 -4:45・NHK-総合】

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日本で2番目に高い北岳は、なぜこんなに知られていない?

「日本で一番高い山は?」
答えは、富士山。では、「二番目は?」と聞かれると――。さっきまで迷いなく答えていた人が、急に黙ってしまうことがあります。南アルプスにそびえる北岳。標高3,193メートル。富士山の3,776メートルに次いで、日本で二番目に高い山です。

それほど高い山なのに、富士山ほど名前を知られているわけではありません。考えてみれば、少し不思議です。でも、その理由のひとつは、北岳が置かれている場所にあるのかもしれません。

富士山は、裾野を大きく広げた独立峰。遠くから眺めても、「あっ、富士山だ」とわかる、あの特徴的な姿があります。一方、北岳があるのは、3,000メートル級の山々が連なる南アルプス。いくつもの大きな山に囲まれ、その一員として稜線をつないでいます。

だから北岳だけが空にぽつんと立ち、「私が日本第2位です!」と主張しているわけではありません。むしろ、その姿はどこか静かです。

けれど、人間は山にも順位をつけます。一番は富士山。二番は北岳。標高という一本の物差しを当てれば、それは間違いではありません。でも、北岳へ一歩ずつ近づいていくと、その「二番」という肩書きだけでは、この山のことをほとんど何も語れていないことに気づきます。

山小屋があり、人を助けてきた歴史がある。山の診療所では、若い学生たちが人と向き合う経験を重ねています。そして、世界中で北岳にしか生きていない、小さな植物まであります。北岳は、富士山との背比べをするために、そこにあるわけではないのでしょう。

そもそも山自身は、「一番になりたい」なんて思っていないのでしょう。それでも私たちは、つい比べてしまいます。

高いか、低いか。速いか、遅いか。一番か、二番か。それは、ときには前へ進む力にもなります。だから、比べることそのものが悪いわけではありません。ただ――。標高3,193メートルまで歩いた先でも、そんな順位は大切なものなのでしょうか。

NHK『小さな旅』で山本哲也さんが苦労して北岳の頂にたどり着いたとき、目の前に広がっていたのは雲海でした。そして、その向こうに――。日本で一番高い富士山が、そびえていました。日本で二番目に高い場所から眺める、日本で一番高い山。なんだか出来すぎたような景色です。

では北岳の山頂から見る富士山は、私たちがいつも地上から眺めている富士山と、どんなふうに違って見えるのでしょう。次は少しだけ空に近づいて、3,193メートルの頂まで登ってみましょうか。⛰️🗻💕

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3,193メートルまで登ったら、何が見える?

北岳の標高は、3,193メートル。数字だけを見れば、日本で二番目です。でも、その「3,193」という数字の中には、登山口から一歩ずつ積み重ねてきた時間までは書かれていません。

息を切らしながら登った坂道。だんだん低くなっていく木々。振り返るたびに遠ざかっていく地上。天候ひとつで、さっきまで見えていた景色が雲に隠れてしまうこともあります。そんな時間を重ねて、ようやくたどり着く北岳の山頂。

NHK『小さな旅』で山本哲也さんを待っていたのは、一面に広がる雲海でした。そして、その向こうに浮かんでいたのが――。富士山です。日本で二番目に高い山から、日本で一番高い山を見る。

地図やランキングだけなら、「北岳3,193メートル、富士山3,776メートル。その差583メートル」で終わってしまいます。けれど、北岳の山頂に立ったとき、人は本当にそんな計算をするのでしょうか?

「あっちは583メートルも高いなあ」なんて思いながら富士山を眺める人は、たぶんあまりいないでしょう。雲の海の向こうに浮かぶ富士山を見て、「きれいだな」ただ、それだけなのかもしれません。

「富士山が最も美しく見える場所のひとつが北岳だ」と語る人もいます。もちろん、どこから眺めた富士山が一番美しいかなんて、順位を決められるものではありません。海越しの富士山が好きな人もいれば、街の向こうに突然現れる富士山が好きな人もいるでしょう。

それでも北岳から眺める富士山には、少し不思議な意味があります。自分より高い山を、すぐ近くの高い場所から眺める。そこには「負けた」とか「勝った」とかいう関係はありません。むしろ北岳がそこにあるからこそ、私たちは普段とは違う高さから富士山を見ることができます。

二番目の場所だから見える、一番の姿がある。そう考えると、「二番目」という言葉も少し違って聞こえてきます。一番を目指すことが悪いわけではありません。競うことで強くなったり、昨日より少し先へ進めたりすることもあります。

けれど、北岳の山頂まで来てしまうと――。一番か二番かなんて、ほんの小さな物差しだったことにも気づかされます。目の前には富士山。足元には北岳。そして、その間を埋めるように広がる雲海。

どちらが上かではなく、どちらも、そこにある。そんな当たり前のことが、3,193メートルまで登ると少しだけ違って見えるのかもしれません。そして北岳で育まれているのは、こんな景色だけではありません。山を歩けば、ときには誰かの助けが必要になります。

天候が変わる。体調を崩す。道に迷うことだってある。そんな厳しい山の中で、もともと遭難する人を助けるためにつくられたという山小屋があります。

ところが、その場所ではいつしか――。人を救うだけではなく、人を迎え、温かい料理でもてなす営みまで育っていきました。次は山頂から少し視線を下ろして、北岳で人を支えてきた場所を訪ねてみましょう。山小屋は、なぜ人を助ける場所から「迎える場所」になったのでしょう。 ⛰️🏠💕

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山小屋は、なぜ人を助ける場所から「迎える場所」になった?

山の中で、夜になったら帰る家がない。雨が降っても、すぐに駆け込めるコンビニもない。体調を崩しても、救急車が目の前まで来てくれるわけではありません。当たり前ですが、山の上は町とは違います。だからこそ山小屋には昔から、登山者の命を守るという大切な役割がありました。

NHK『小さな旅』で訪ねる北岳の山小屋も、もともとは遭難救助の拠点としてつくられたといいます。山を楽しむためのホテルをつくろう。最初から、そんな場所として始まったわけではなかったのでしょう。

誰かが困ったときに助けられる場所をつくる。雨や風をしのげる。夜を越せる。そして、いざというときには救助へ向かえる。そこにあったのは、とても切実な理由でした。

ところが時代が進み、登山を楽しむ人が増えていくと、山小屋の役割も少しずつ広がっていきます。「生きて帰るための場所」だけではなく、「明日も山を歩くために、体を休める場所」になっていったのです。

食事を用意する。温かいものを食べてもらう。疲れた登山者に声をかける。山の状況を伝える。そして翌朝、「いってらっしゃい」と送り出す。考えてみれば、それもまた人を守ることなのかもしれません。

番組では、そんな山小屋で名物となった料理と、その誕生の物語が紹介されます。山の上では、食材も水も燃料も、町と同じように簡単に手に入るわけではありません。それなのに、「せっかくここまで登ってきた人に、喜んでもらいたい」という気持ちから、一皿の料理が生まれていく。

北岳肩の小屋は、その名のとおり北岳山頂直下の「肩」にあって、標高は約3,000m。そんな「肩の小屋」で、いま名物になっている料理があります。豚の肩ロースステーキ。……肩の小屋だから、肩ロース。なんとも覚えやすい名前です。

けれど、そのちょっとした遊び心が生まれたこと自体、この山小屋が歩いてきた時間を物語っているのかもしれません。かつて、遭難した人を助けるための拠点として生まれた場所。そこがいまでは、「ここまで登ってきた人に、何を食べてもらったら喜んでもらえるだろう」と考える場所になっています。

命を守ることから、人を迎えることへ。もちろん、その二つは別々のものではありません。疲れた体に温かい食事を出すことも、安心して夜を過ごせる場所をつくることも、翌朝また元気に歩き出してもらうことも――。すべて「人を支える」という一本の道の上にあるのでしょう。

なんだか不思議です。遭難者を助けるためにつくられた場所で、今度は誰かを笑顔にする料理が育っているのですから。もちろん、山小屋は旅館とは違います。登山者もまた、山小屋を「お金を払ったのだから何でもしてもらえる宿」と考えるのではなく、限られた水や電気、食料を分け合う場所だということを忘れてはいけないのでしょう。

それでも現在の山小屋には、昔の「避難する場所」だけでは説明できない温かさがあります。命を助ける。体を休ませる。食事をつくる。山の情報を伝える。そして、人を送り出す。そうやって長い時間を重ねるうちに、山小屋そのものが人と人との間に育った場所になっていったのかもしれません。

「山は育む」。ここまで歩いてくると、この番組タイトルの意味が少しずつ見えてきます。山が直接、何かを教えてくれるわけではない。けれど、不便で厳しい場所だからこそ、誰かを助けようとする人が育つ。

そして北岳には、もう一つ。「人を助けたい」と思って山へやって来る、若い人たちがいます。山頂から続く「天上の散歩道」。その先で山本哲也さんが出会ったのは、山の診療所で活動する医学部の学生たちでした。

彼らは、標高の高い山の上で何を学び、それをどんな成長につなげていくのでしょう。次は、北岳が育む若い力を訪ねてみましょうか。⛰️🏠💕

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山の診療所で、医学部の学生たちは何を学ぶ?

北岳の山頂から続く稜線。番組では、その道を「天上の散歩道」と呼んでいます。空が近く、遠くまで山々を見渡せる場所。そんな美しい道を歩いた先に、人の命と向き合う場所があります。北岳の診療所です。

そこで活動しているのは、医師や看護師だけではありません。医学部で学ぶ学生たちも、山へやって来ます。大学の講義室なら、教科書があります。病院なら、さまざまな検査機器があります。困ったときには、ほかの診療科へ相談することもできます。けれど、山の上では同じようにはいきません。

頭が痛い。吐き気がする。足を痛めた。疲れて動けない。登山者が訴える症状の向こうには、高山という特殊な環境があります。しかも、町なら「今日は家で休んでください」と言える場面でも、山ではその「家」が何時間も先にあるかもしれません。

限られた環境の中で、この人はいま、何に困っているのか。この先、自分の足で歩けるのか。目の前にいる一人の人を見ながら考えることになります。医学部の学生たちにとって、それは教科書だけでは得られない経験なのでしょう。

でも、「山が学生を育てる」と言ってしまうと、少しきれいすぎる気もします。北岳は先生ではありません。何かを丁寧に教えてくれるわけでもなければ、間違えたからといって答えを教えてくれるわけでもありません。

むしろ反対です。天候は変わる。酸素は薄くなる。使えるものには限りがある。思いどおりにならないことばかりです。だからこそ、自分で考える。誰かに尋ねる。仲間と助け合う。そして、自分一人ではできないことがあると知る。

もしかすると「育つ」というのは、何でも一人でできるようになることではないのかもしれません。できないことを知り、誰かと力を合わせられるようになること。それもまた、成長なのでしょう。

振り返れば、北岳にはそんな場所がいくつもありました。遭難した人を助けるためにつくられた山小屋。そこで登山者を迎える人たち。そして、山の診療所で人と向き合いながら学ぶ学生たち。厳しい場所だからこそ、人は誰かを必要とする。

そして誰かを必要とする場所だからこそ、人を支えようとする力も育っていく。「山は育む」。番組のタイトルにあるその言葉が、ここまで来ると少しずつ実感を伴って聞こえてきます。

けれど――。北岳が育んでいるものは、人間だけではありません。山頂近くの厳しい環境で、雪が解けるのを待つようにして、小さな白い花が咲きます。その花にとっては、日本一も二番もありません。

世界中を探しても、ここでしか生きられない。キタダケソウ。最後は少しだけ足元を見ながら、この小さな花に会いに行きましょう。🌼⛰️💕

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世界でここにしか咲かない花は、何を競っている?

北岳を歩いてきた私たちは、ずっと「高さ」を気にしていました。標高3,193メートル。日本で二番目。そして山頂から見えたのは、日本で一番高い富士山でした。けれど最後は、遠くの山ではなく――。少しだけ、足元を見てみましょう。

北岳の高山帯には、小さな白い花が咲きます。キタダケソウ。背丈は10センチほど。大きく目立つ花ではありません。けれど、この小さな植物には、とても大きな特徴があります。世界中で、北岳にしか自生していないのです。

かつては盗掘によって数を減らし、現在は生育地への立ち入りを制限するなどして大切に守られています。雪に覆われる長い冬を越え、雪解けを待って花を咲かせる。そんなキタダケソウに、「北岳は日本で二番目に高い山なんですよ」と教えたところで、きっと何の意味もないのでしょう。

まして、「富士山より583メートル低いんですよ」と言われても――。だから何ですか、とでも言いたそうです。以前、SMAPの『世界に一つだけの花』という歌が大ヒットしました。「ナンバーワンにならなくてもいい」というメッセージに、多くの人が心を動かされました。

でも自然界を見れば、生き物たちは決して競争と無縁ではありません。植物だって、光を受ける場所をめぐり、水や養分を得ながら生きています。動物だって、食べ物や繁殖の機会をめぐって競うことがあります。生きることには、競争もある。だから、「誰とも競わなくていい」ときれいにまとめてしまう必要はないのでしょう。

ただ――。競うことと、順位をつけることは、同じなのでしょうか?
キタダケソウは、ほかの花より一番きれいに咲こうとしているわけではありません。日本で一番珍しい植物という称号を欲しがっているわけでもありません。北岳という厳しい環境の中で、今年も生きて、花を咲かせ、次の命へつなごうとしている。ただ、それだけです。

考えてみれば、北岳で出会った人たちもそうでした。山小屋で登山者を迎える人。診療所で人と向き合う学生たち。山頂を目指して一歩ずつ歩く人。誰かより上へ行くためだけに、ここにいるわけではありません。それぞれが、それぞれの場所で何かを受け取り、少しずつ育っていく。

だから北岳は、「二番目でもいい」と教えてくれる山なのではないのかもしれません。そもそも――。一番か二番かという物差しを、いったん置いてみてもいい。そんなことを、言葉もなく見せてくれる山なのではないでしょうか。

日本で二番目に高い北岳。けれど、その足元には、世界中のどこを探してもここにしか咲かない花があります。一番じゃなくてもいい。一番を目指したっていい。競うことだって、生きる力になる。それでも――。

誰かと比べることを忘れたときにしか、見えてこないものもある。北岳の小さな白い花を眺めていると、そんな気がしてきます。キタダケソウは今日も、誰かに勝つためではなく。ただ北岳で、静かに咲いています。🌼

キタダケソウ(出典:「キタダケソウを見に北岳」)
キタダケソウ(出典:「キタダケソウを見に北岳」)

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まとめ|「2番目」を忘れて、山を下りる

日本で一番高い山は、富士山。では、二番目は?
そんな小さなクイズのような問いから、今回の旅は始まりました。答えは、標高3,193メートルの北岳。けれど実際に北岳を歩いてみると、「日本で二番目」という言葉だけでは、この山のことをほとんど何も語れていなかったことに気づきます。

苦労してたどり着いた山頂から見えたのは、雲海の向こうにそびえる富士山でした。日本で二番目に高い場所から、日本で一番高い山を見る。それは「583メートル負けている」と確認するための景色ではありません。北岳に立ったからこそ出会えた、ひとつの美しい景色でした。

山を歩けば、人にも出会います。遭難する人を助けるための拠点として始まった「肩の小屋」は、いまでは疲れてたどり着いた登山者を迎え、温かな食事を出す場所になっています。肩の小屋だから、肩ロース。そんな少し楽しい名物料理にも、「ここまで登ってきた人に喜んでもらいたい」という、人を思う気持ちがありました。

山の診療所では、医学部の学生たちが活動しています。設備も人も限られた高山で、目の前の登山者と向き合う。そこで育っていくのは、医学の知識だけではないのでしょう。

自分にできることを知る。できないことも知る。そして、誰かと力を合わせることを知る。山は何も教えてくれないようでいて、人が自分で考えなければならない場所をつくっているのかもしれません。そして最後に出会ったのは、小さな白い花でした。キタダケソウ。世界中で北岳にしか自生しない花です。

日本で二番目だろうが、富士山より低かろうが、この花には関係ありません。長い冬を越え、雪が解けたら花を咲かせる。そして次の命へつないでいく。ただ、それだけ。

でも、その姿を見ていると――。私たちがいつの間にか手にしていた「一番」「二番」という物差しが、少しだけ小さく見えてきます。競うことが悪いわけではありません。一番を目指すことだって、きっと人を成長させます。

それでも、ときには誰かと比べることを忘れて、自分がいる場所を見つめてみる。そこにもまた、「育つ」ということがあるのでしょう。山小屋を育てた人。診療所で育っていく学生たち。北岳に育まれる小さな命。

そして、山を歩いて何かを持ち帰る私たち。山は育む。その言葉の意味は、山頂に着いた瞬間ではなく、こうして山を下りて振り返ったときに、少しだけわかるものなのかもしれません。そして広河原まで戻ってきました。もう一度、北岳を振り返ってみます。

あの山は、日本で二番目に高い山です。でも――。何番目だったかなんて、もうどうでもよくなっていました。それでいいのだと思います。北岳には今日も、北岳にしか育めないものがあるのですから。⛰️🌼
(文責:まどか)


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