夢もパンも、急いで膨らませなくていい!?|故郷・田村のホップ酵母で焼く「私のパン屋さん」【人生の楽園】

ひなたベーカリー BLOG
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パンを焼いたことがある人なら、知っていると思います。材料を混ぜてオーブンに入れれば、すぐにパンが焼けるわけではありません。こねて。休ませて。発酵させて。また待つ。

ホームベーカリーに材料を入れてスイッチを押しても、焼きたてのパンに会えるのは何時間も先です。途中でふたを開けて、「まだかな?」なんてのぞいてみても、急いで膨らんでくれるわけではありません。けれど、何も起きていないように見えるその時間にも、生地の中では酵母が働いています。

ゆっくり。目には見えないところで。少しずつパンになっていく。もしかすると、人が何かを始めるまでの時間も、それに少し似ているのかもしれません。

福島県田村市で『ひなたベーカリー』を始めた渡邉咲月さんは47歳。子どもが生まれてから夢中になったパン作りも、故郷へ戻り、子育てや仕事に追われる中で、いったん離れる時期がありました。それでも数年後、再びパンを焼き始めます。そして出会ったのが、故郷・田村市で栽培されていたホップでした。

ビールの原料として知られるホップから、自家製酵母を育てる。その酵母で、パンを膨らませる。やがて咲月さんの中でも、「自分のパン屋さんを持ちたい」という思いが、少しずつ膨らんでいきました。

2025年12月。家族や幼なじみに支えられ、『ひなたベーカリー』がオープンします。振り返れば、パン作りから離れていた時間もありました。でも、それを「何もしていなかった時間」と呼んでしまっていいのでしょうか。

子どもたちは育っていた。咲月さん自身も働き、暮らし、故郷の人たちとのつながりを重ねていた。そして、その時間があったからこそ出会えたホップもありました。

パン生地は、外から見れば何も変わっていないような時間にも、内側では静かに発酵しています。だったら人生にも――。それぞれの「発酵時間」があっていいのかもしれません。

早くなくていい。誰かと同じ時間でなくていい。47歳だから遅いわけでもない。その人に必要だった時間を経て、ようやく膨らみ始めるものもある。

今回の『人生の楽園』は、故郷のホップから酵母を育て、一斤のパンを焼く女性の物語です。でも、そのパンが膨らむのを眺めていたら――。夢も、急いで膨らませなくていいのでは?そんなことまで考えたくなりました。焼きたての香りに誘われながら、田村市の小さなパン屋さんをのぞいてみましょう。🍞💕

【放送日:2026年9月19日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】

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ホップで、本当にパンが膨らむの?

ホップと聞いて、最初に思い浮かべるものは何でしょう。たぶん、多くの人はビールではないでしょうか。あの独特の香りや苦みを生み出す植物です。だから、「ホップ酵母でパンを焼いています」と聞くと、ちょっと不思議です。

ホップをパン生地に入れたら、本当にぷくーっと膨らむのでしょうか? もちろん、そんな単純な話ではありません。ホップを利用した発酵種は「ホップ種」「ホップス種」などと呼ばれ、ホップの煮汁などを利用しながら、酵母を育てていきます。

つまり、ホップそのものがパンを膨らませているというより、ホップを利用して育てた発酵種の中で働く酵母の力を借りて、パンを膨らませていると考えたほうが近いのでしょう。

考えてみれば、日本のパンには昔から、こうした発酵の工夫がありました。銀座木村家のあんぱんで知られる「酒種」もその一つ。日本酒づくりに使われる発酵の文化をパンへ持ち込み、日本ならではのパンを生み出しました。

そして福島県田村市で渡邉咲月さんが目をつけたのは、故郷で栽培されているホップでした。ビールになるはずの植物を見ながら、「これでパンを作れないだろうか?」そう考えたところから、『ひなたベーカリー』のパン作りが始まります。

しかも、自家製酵母は市販のドライイーストのように、袋を開けて量って入れればおしまい、というわけにはいきません。まず、酵母を育てる時間が必要です。そして酵母の状態を見ながら、生地を発酵させる。パンを焼く前から、もう「待つ」という仕事が始まっているのです。

『ひなたベーカリー』では、食パンに北海道産の小麦「キタノカヲリ」を使い、砂糖や塩にもこだわっています。そして咲月さんは、田村市産ホップから育てた酵母について、天然酵母らしいもちもち感がありながら軽さも生まれ、小麦の香りを引き立ててくれると紹介しています。

出来上がった食パンは、外はカリッ。中はふんわり。それでいて、しっとり軽い。なんだか矛盾しているような食感です。もちもちしているのに、軽い。しっとりしているのに、重くない。だからこそ、一度食べた人がまた食べたくなるのでしょう。ただし、この食感をすべて「ホップ酵母のおかげ」と考えるのは少し早そうです。

小麦粉も、水分も、発酵のさせ方も、焼き方も違えば、パンは変わります。一斤の食パンの中には、咲月さんが選んだ材料と、これまで積み重ねてきたパン作りの工夫が全部入っています。

そして何より面白いのは――。このパンは、急いで作れないということ。酵母が育つまで待つ。生地が膨らむまで待つ。頃合いを見て、ようやく焼く。

人間の都合で、「今日は忙しいから、いつもの半分の時間で膨らんでね」と言ったところで、酵母は聞いてくれません。🍞「知らんがな」です🤣 必要な時間をかけて、ゆっくり膨らんでいく。そんなパンを焼いている咲月さん自身にも、実はパン作りから離れていた時間がありました。

でも――。その時間は、本当に「止まっていた時間」だったのでしょうか。次はパン生地ではなく、咲月さん自身が過ごしてきた時間を、少し振り返ってみましょう。好きだったことは、何年休んでもまた始められるのでしょうか。

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好きだったことは、何年休んでもまた始められる?

咲月さんがパン作りに夢中になったのは、二人の子どもが生まれてからでした。最初は趣味だったパン作り。けれど、食べきれないほど焼いてしまうくらい夢中になり、やがて自家製酵母を育てる奥深さにも惹かれていきます。

好きなことを見つけると、もっと知りたくなる。もっと上手になりたくなる。そんな時間だったのでしょう。ところが35歳のとき、咲月さんの暮らしは大きく変わります。離婚を経験し、二人の子どもを連れて故郷の田村市へ帰りました。

祖父母と暮らしながら、子どもを育て、家事をし、父が営む工場で生産管理の仕事をする。寝る間も惜しんで働く毎日の中で、大好きだったパン作りからは、しばらく離れることになりました。ここだけを切り取れば、「夢を諦めていた時期」と呼びたくなるかもしれません。でも、本当にそうでしょうか。

パンを焼いていなかっただけで、咲月さんの人生まで止まっていたわけではありません。子どもたちは育っていく。仕事では経験を重ねていく。祖父母や父と暮らし、故郷の人たちとの時間も積み重なっていく。パンとは違うところで、毎日の暮らしはずっと動き続けていました。

そして6年ほどたち、子どもたちに少しずつ手がかからなくなったころ。咲月さんは、再び好きだったパンを焼き始めます。大げさな「再出発」ではなかったのかもしれません。家族に食べてもらう。職場の人に食べてもらう。幼なじみにも食べてもらう。かつて好きだったものが、日常の中へ少しずつ戻ってきました。

好きなことって、不思議です。毎日続けていなければ、消えてしまうとは限りません。忙しくてできない時期もある。別のことを優先しなければならない時期もある。何年も離れてしまうことだってある。それでも、ふと再び手を伸ばしたとき、「やっぱり、これが好きだったんだ」と思えるものもあります。

パン生地の発酵中も、外から眺めているだけでは大きな変化がないように見えます。けれど、その内側では酵母が働き続けています。咲月さんがパンを焼かなかった6年間も、少し似ていたのかもしれません。

夢が発酵していた――とまで言ってしまえば、少しきれいすぎるでしょう。当時はただ、目の前の暮らしに精いっぱいだったはずです。でも、後から振り返ってみれば。何も進んでいないように見えた時間にも、次につながる何かが育っていた。そう考えることはできそうです。

そして再びパンを焼き始めた咲月さんは、以前には知らなかったものと故郷で出会います。田村市で育てられていた、ホップ。もしパン作りをずっと同じ場所で、同じように続けていたら、この出会いはなかったかもしれません。

人生には、ときどき寄り道があります。止まらなければならないこともあります。でも、止まったように見える時間まで、あとから全部「無駄だった」と決めなくてもいいのでしょう。そして41歳ごろに再び動き始めたパン作りは、田村産ホップとの出会いによって、以前とは違う方向へ膨らみ始めます。

家族や友人に食べてもらうためだったパンから、「自分の店を持ちたい」という新しい思いへ。その思いが形になるのは、さらに6年ほど先。咲月さん、47歳…。

でも――。47歳から夢を始めることは、本当に「遅い」のでしょうか。次は、その人生の時計を少しだけ外してみましょう。🍞💕

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47歳から「私のパン屋さん」を始めるのは遅い?

再びパンを焼き始めた咲月さんが、故郷・田村市で出会ったのがホップでした。ビールの原料として栽培されていた、地元のホップ。それを知った咲月さんの中に、小さな疑問が生まれます。

「このホップを使って、パンを作れないだろうか?」

そこから、ホップを使った自家製酵母づくりへの挑戦が始まりました。試して、育てて、パンを焼く。そして家族や職場の人、幼なじみに食べてもらう。「おいしい」と言ってくれる人が増えていくにつれて、今度は咲月さん自身の中でも、別のものが少しずつ膨らんでいきました。

自分のパン屋さんを持ちたい。

やがて空き店舗が見つかります。幼なじみの力も借りて店を改修し、2025年12月、『ひなたベーカリー』がオープンしました。咲月さん、47歳。こういう物語を紹介するとき、「47歳で夢に挑戦!」「遅咲きのパン職人!」なんて言葉を使いたくなることがあります。

でも――。47歳って、本当に遅いのでしょうか? そもそも、何歳なら「ちょうどいい」のでしょう。
25歳?30歳?35歳?そんな決まりは、どこにもありません。もちろん、若いうちに始めるからこその良さもあるでしょう。使える時間は長いかもしれない。失敗しても、もう一度やり直せる時間がたくさんあると感じる人もいるでしょう。でも、年齢を重ねてから始めるからこそ、持っていけるものだってあります。

経験。人とのつながり。自分が好きなものを見極める感覚。そして、これまで暮らしてきた時間そのもの。咲月さんが20代のころにパン屋さんを始めていたら、『ひなたベーカリー』は今とはまったく違う店になっていたかもしれません。

田村市へ戻ったから、故郷のホップを知った。家族や職場の人、幼なじみにパンを食べてもらったから、たくさんの「おいしい」に出会った。そして店を始めるときには、幼なじみが力を貸してくれました。だったら47歳という年齢は、「ようやく夢をかなえられた年齢」というより、「今の『ひなたベーカリー』を始められる材料がそろった時期」だったと考えることもできそうです。

パンだって、発酵時間が短ければ偉いわけではありません。必要な時間は、酵母や生地、温度や作り方によって違います。人の人生なら、なおさらでしょう。

誰かが30歳で始めたから、自分も30歳までに。誰かが40歳で夢をかなえたから、自分はもう遅い。そんなふうに、他人の時計で自分の人生を計らなくてもいいのかもしれません。ちなみにアニメ「それゆけ!アンパンマン」がヒットした時、原作者のやなせたかしさんは69歳でした。

人生には、それぞれの発酵時間がある。咲月さんのパン屋さんが膨らみ始めたのは、47歳でした。早かったのでも、遅かったのでもなく。その人のパンが焼き上がるのが、たまたま今だった。そう考えると、47という数字は、それほど大きな意味を持たなくなってきます。

そして――。パン屋さんは、店を開けば完成するのでしょうか。『ひなたベーカリー』では、食パンをさらにおいしく食べてもらおうと、好きな具材を選んで作るオーダーサンドイッチも始めました。
「玉子にします?」
「チキンも入れます?」
「トマトはどうします?」
店の人とお客さんが話しながら、一つのサンドイッチを完成させていく。そこには、パンだけではない何かまで挟まっているような気がします。次はちょっと懐かしい、「なに挟む?」という声を聞きに行ってみましょう。🥪💕

ひなたベーカリー

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「なに挟む?」から始まるサンドイッチは、何を挟んでいる?

『ひなたベーカリー』の自慢は、田村市産のホップから育てた酵母で焼く食パンです。その食パンを、もっとおいしく食べてもらいたい。そこで咲月さんが始めたのが、好きな具材を選んで作ってもらえるオーダーメイドのサンドイッチでした。

ポテトサラダ、照り焼きチキン、玉子、トマト…。ショーケースを眺めながら、「これと、これをお願いします」と選んでいく。すると、自分だけのサンドイッチが出来上がります。出来上がった商品を棚から取ってレジへ持っていくのとは、ちょっと違います。

そこには必ず、「何を挟みます?」という会話があります。この光景を見ていたら、ずっと昔のことを思い出しました。私が中学生だったころ、学校の近くにもサンドイッチを作ってくれる小さなパン屋さんがありました。

店に入ると、おばちゃんが聞くんです。「なに挟む?」並んでいる具材から好きなものを選ぶと、その場でパンに挟んでくれる。今から考えれば、なんてことのないやり取りです。でも、不思議なものですね。何十年たっても、サンドイッチそのものだけではなく、「なに挟む?」という声まで覚えています。

もちろん中学生ですから、学校帰りの買い食いには別の味付けもありました。先生やクラスの風紀委員に見つかったらどうしよう……。そんなスリルです(笑)。一回くらいなら見逃してくれる話の分かる先生もいましたが、それでも制服姿でパン屋さんへ寄るときには、ちょっとした秘密の冒険でした。

だから思い出の中のサンドイッチには、玉子やハムだけではなく、友達との会話。店のおばちゃんの声。学校帰りの景色。そして、先生に見つからないようにするドキドキまで挟まっています(笑)。

味の記憶というのは、舌だけに残るものではないのでしょう。今でも私は、平塚駅の近くにあるサンドイッチ屋さん『サンドーレ』へ行くことがあります。種類がたくさんあって、具材にはどこか手作りの温かさがある。朝や昼前にはたくさんのお客さんが訪れる、地元で親しまれているお店です。

だから行くたびに思います。ずっと、ここにあってほしいな。以前は別の場所にも『サンドーレ』がありましたが、そちらは閉店してしまいました。

店が一軒なくなる。文字にすれば、それだけのことです。でも、その店へ通っていた人にとっては、もう少し大きな出来事なのかもしれません。「あそこでよく買ったな」「あのおばちゃん、元気かな」「学校帰りに友達と食べたな」店がなくなると、そんな記憶につながる入口まで、一つ消えてしまったような寂しさがあります。だから『ひなたベーカリー』のオーダーサンドイッチを見ていると、つい想像してしまいます。

今、田村市の子どもたちが、「玉子!」「チキンも!」「トマトはいらない!」なんて言いながら作ってもらったサンドイッチを、何十年後にも覚えているかもしれない。そのころには、具材の組み合わせなんて忘れているでしょう。値段だって覚えていないでしょう。

それでも、「子どものころ、ひなたベーカリーでよくサンドイッチを作ってもらったなぁ」という記憶だけは残るかもしれない。そしていつか、自分の子どもを連れて店を訪れる人だっているかもしれません。

「ここ、お父さんが子どものころによく来たんだよ」そんな言葉が聞こえるようになったら――。パン屋さんは、パンを売るだけの場所ではなくなります。町の記憶を、次の世代へ受け渡す場所になる。

『ひなたベーカリー』は、まだ始まったばかりです。これからどんな店になっていくのかは、誰にも分かりません。でも咲月さんが「故郷を元気にしたい」と願うとき、その「元気にする」は、何か大きなことを成し遂げることだけではないのでしょう。

まずは今日、「なに挟む?」と誰かに声をかける。その小さな会話から、町の新しい記憶はもう始まっているのかもしれません。では――。パン屋さんが一軒できることで、本当に故郷は少し元気になるのでしょうか?

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パン屋さんが一軒できたら、故郷は少し元気になる?

昔、学校の近くにあったパン屋さん。その隣には、文房具屋さんがありました。パン屋さんではサンドイッチを作ってもらい、コロッケを買い、チェリオやペプシを飲む。文房具屋さんでは――。さすがに買い食いはしていなかったと思ったのですが、よく考えたら、駄菓子のあんず飴なんかを買っていたような気もします(笑)。

学校帰りの小さな商店には、そんな記憶がたくさん残っています。ところが、あれから何十年。あのパン屋さんが今もあるのか、私には分かりません。もしかしたら店はなくなって、建物さえなくなって、今では駐車場か何かになっているのかもしれない。そう考えると、少し寂しくなります。

なぜでしょう。パンが買えなくなったから?コロッケが食べられなくなったから?もちろん、それもあります。でも本当に寂しいのは、自分の記憶が置いてあった思い出の場所が、一つなくなってしまうからなのかもしれません。

町の中には、そんな場所があります。有名な観光地ではない。文化財でもない。ガイドブックにも載っていない。ただ、いつもの道にパン屋さんがあった。文房具屋さんがあった。学校帰りに友達と立ち寄った。店のおばちゃんと話した。先生が来ないか、ちょっと気にしながら食べた(笑)。

その一つひとつが積み重なって、「故郷」というものができていくのでしょう。咲月さんは、家族や幼なじみに支えられて『ひなたベーカリー』を始めました。そして今度は、自分の店を通して故郷を元気にしたいと考えています。

「故郷を元気にする」と聞くと、なんだか大きな話に聞こえます。新しい観光施設を造る。大勢の人を呼ぶ。町を全国的に有名にする。もちろん、そんな方法もあるでしょう。でも、小さなパン屋さんにできることは、もう少しささやかなものなのかもしれません。

朝になればパンが焼ける。いつもの人が食パンを買いに来る。「今日は何を挟む?」そんな会話が交わされる。地元で採れた野菜やジャムがパンと一緒に誰かの食卓へ向かう。そんな毎日が何年も積み重なれば、いつしか、「田村に帰ったら、あのパンを食べたい」と思う人が現れるかもしれません。

そして今、『ひなたベーカリー』のサンドイッチを食べている子どもたちが大人になったころ。故郷を離れた誰かが、ふと思い出すかもしれません。「子どものころ、あそこでよくパンを買ったな」「好きな具を選んで、サンドイッチを作ってもらったな」その記憶の中には、パンの味だけではなく、店の匂いや声や、友達と歩いた帰り道まで一緒に残っているのでしょう。

もしかしたら、その人が自分の子どもを連れて帰ってくる日もあるかもしれません。「ここね、お父さんが子どものころによく来たパン屋さんなんだよ」そんな言葉が交わされる店になったなら。それもまた、故郷が「元気でいる」ということなのではないでしょうか。

『ひなたベーカリー』がオープンしたのは、2025年12月。まだ、その歴史は始まったばかりです。だから、この店が田村市の人たちにとってどんな存在になっていくのかは、これからです。急いで答えを出す必要はありません。考えてみれば、この記事で見てきたものは、どれも時間がかかるものばかりでした。

酵母を育てる時間。パンが膨らむ時間。好きだったことへ戻るまでの時間。夢が「私のパン屋さん」になるまでの時間。そして、店が町の日常になっていく時間。

その先には、もう一つ。一個のパンが、誰かの「懐かしい味」になるまでの時間があります。それにはきっと、何十年という時間が必要なのでしょう。だから、急いで膨らませなくていい。パンも。夢も。そして、小さなパン屋さんと故郷との関係も。

ゆっくり時間をかけながら、『ひなたベーカリー』という場所が、いつか誰かの帰りたくなる記憶になっていったら――。咲月さんはパンと一緒に、故郷の記憶まで焼いていた。そんなことになるのかもしれません。


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