舞台を降りても、人生は続いていく?|サーカスを降りた料理人が武雄で見つけた新しい舞台【人生の楽園】

人生の楽園「コロンビア料理」サムネ BLOG
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人生には、いつか「舞台を降りる日」がやってきます。ずっと続けてきた仕事。得意だったこと。自分らしさそのものだと思っていた場所。まだ続けたい気持ちはあっても、年齢や体力、怪我などによって、同じ場所に立ち続けることが難しくなることがあります。

『人生の楽園』の舞台は、温泉の町として知られる佐賀県武雄市。ここでコロンビア料理店「EL COLOMBIANO(エル・コロンビアーノ)」を営んでいるのが、マルチネス・バルガス・アレハンドロさん、通称ペロロさんと、妻のかおるさんです。

コロンビアのサーカス一家に生まれたペロロさんは、5歳からサーカスの世界で生きてきました。空中ブランコや大車輪。観客の目の前で危険な大技を披露し、世界を巡り、人を驚かせ、楽しませる。それが、ペロロさんの人生でした。

ところが怪我を経験し、40代になると体力の衰えも感じるようになります。そして選んだのが、妻・かおるさんの故郷、武雄で始めるコロンビア料理店でした。

サーカスから料理人へ。こう聞けば、まったく違う「第二の人生」が始まったように見えます。でも、本当にそうなのでしょうか? ペロロさんは今も、おいしい料理を作るだけではなく、陽気なおしゃべりや曲芸で店を訪れた人たちを楽しませています。

空中ブランコは、フライパンに変わった。サーカステントは、武雄の小さなレストランに変わった。けれど、「目の前の人を楽しませたい」という思いまで、舞台を降りたわけではなかったのかもしれません。

ひとつの舞台を降りたとき、それまで歩いてきた人生も終わってしまうのでしょうか。それとも、そこで身につけたものを抱えたまま、私たちは次の舞台へ進んでいけるのでしょうか。今回は、サーカスから料理人へと歩み始めたペロロさんと家族の姿から、人生の舞台が変わるということを考えてみたいと思います。

【放送日:2026年9月12日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】

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5歳から続いた「舞台」を、どうやって降りる?

5歳から続けてきたことを、40代になって「辞めよう」と決める。それは、どれほど勇気のいることなのでしょう。コロンビアのサーカス一家に生まれたペロロさんは、幼いころから家族とともに世界を巡ってきました。

空中ブランコや大車輪など、観客を沸かせる危険な大技を披露するアクロバットパフォーマー。19年前に来日してからも、その身体ひとつで観客を楽しませてきました。

サーカスは、ペロロさんにとって単なる「仕事」ではなかったはずです。子どものころから身につけてきた技があり、家族との思い出があり、自分を待っている観客がいる。そこから離れることは、仕事をひとつ辞める以上に、自分の身体の一部を手放すような感覚だったのかもしれません。

けれど、アクロバットの世界では身体そのものが仕事道具です。ペロロさんも16年ほど前、大車輪から転落して入院する大怪我を経験しました。その後も現役を続けましたが、40代になると怪我や体力の衰えについて考えるようになります。

まだ、できる。でも、いつまでできるのだろう。

現役を退く難しさは、「まったくできなくなってから辞める」とは限らないところにあるのかもしれません。むしろ、まだできるうちに、自分で「ここまで」と決めなければならないこともあります。それまで積み重ねてきた時間が長ければ長いほど、その決断は簡単ではないでしょう。

ただ、ペロロさんの人生を振り返ってみると、かつて大怪我をして舞台に立てなくなった時間に、その後の人生を大きく変える出会いがありました。できなくなった時間は、本当に「何もできなかった時間」だったのでしょうか? 次は、ペロロさんが一度立ち止まったことで出会った、かおるさんとの物語をたどってみましょう。

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「できなくなったこと」は、人生から消えてしまう?

人生の転機は、いつも自分で選べるとは限りません。ペロロさんにとって、そのひとつが16年ほど前に経験した大怪我でした。得意としていた大車輪から転落し、入院。それまで当たり前のように身体を動かし、練習し、観客の前に立っていた人が、突然それをできなくなってしまいます。

身体の怪我だけではありません。「自分には、これができる」そう思っていたものができなくなることは、自分自身の一部を失ったように感じることもあるのではないでしょうか。もちろん、怪我をしたことを「良い経験だった」と簡単に言うことはできません。

できることなら、怪我などしないほうがいい。けれど人生は、起きてしまった出来事だけで終わるわけでもありません。練習もできず落ち込んでいたころ、ペロロさんは知人が営む飲食店で、武雄市出身のかおるさんと出会います。

およそ1年後、二人は結婚。やがて、かおるさんもサーカス団で働くようになり、2013年には娘のエミリーさんが誕生しました。あのとき舞台に立てなかった時間の先に、いつしか新しい家族ができていたのです。

だからといって、「怪我をしたから幸せになれた」という話ではないでしょう。むしろ大切なのは、思いどおりにならなかった出来事のあとにも、人生は続いていたということなのだと思います。

できなくなったことは、人生から消えてしまうのでしょうか。ペロロさんは怪我から復帰し、その後もアクロバットパフォーマーとして舞台に立ち続けました。身体に染み込んだ技も、人を楽しませることの喜びも、なくなったわけではありません。

そして何年も経ったころ、その隣には、自分の身体を心配し、これから先の人生を一緒に考えてくれる家族がいました。40代になり、怪我や体力の衰えについて悩むペロロさんに、「将来ずっとやっていける仕事を」とコロンビア料理店を提案したのは、かおるさんでした。

かつて怪我で立ち止まったときに出会った人が、今度は舞台を降りたあとの道を一緒に考えてくれたのです。では、5歳からサーカス一筋だったペロロさんは、まったく違う仕事を始めることになったのでしょうか。

どうやら、そうでもなさそうです。次の舞台でペロロさんが手にしたものは、空中ブランコではなく――フライパンでした。

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空中ブランコが「フライパン」に変わった?

40代になり、怪我や体力の衰えについて考えるようになったペロロさん。そんな夫の姿をそばで見ていたかおるさんが提案したのが、コロンビア料理店を開くことでした。

「将来ずっとやっていける仕事を」

それは、サーカスを辞めてまったく別の人生を始めよう、という意味ではなかったのかもしれません。ペロロさんは昔から料理が好きで、母親から教わったコロンビアの家庭料理を得意としていました。

そして何より、5歳からサーカスの世界で身につけてきたものがあります。人を驚かせること。人を楽しませること。目の前にいる人を笑顔にすること。それなら、その力をサーカスとは違う場所で生かすこともできるのではないでしょうか。夫婦が店を開く場所に選んだのは、かおるさんの故郷、佐賀県武雄市でした。

2024年8月、「EL COLOMBIANO(エル・コロンビアーノ)」をオープン。
ペロロさんの手にあるものは、空中ブランコからフライパンへと変わりました。けれど、お店での姿を見ていると、変わっていないものもあります。自慢のコロンビア家庭料理を振る舞いながら、お客さんとのおしゃべりを楽しみ、ときには元サーカス団員ならではの曲芸まで披露する。

料理人になっても、ペロロさんはやっぱり「人を楽しませる人」なのです。だからこれは、単純な転職ではないのでしょう。サーカスで生きてきた時間を捨てて料理人になったのではなく、それまで持っていたものを、家族と一緒に生きていける形へ組み替えた。そこには、ペロロさん自身の明るさもあったでしょう。

でも、その明るさだけで新しい人生へ飛び移れたわけではないはずです。自分の身体を心配し、この先を一緒に考えてくれたかおるさん。そして、守りたい家族がいる。

一人だったら「まだサーカスを続けたい」と思っていたかもしれないときに、「自分はこれから何をしたいか」だけではなく、「家族とこれからどう生きたいか」という問いが加わったのではないでしょうか。

空中ブランコからフライパンへ。手にするものは変わっても、人を喜ばせたいというペロロさんらしさまで変える必要はありませんでした。そして新しい舞台となった武雄で、その「ペロロさんらしさ」を面白がってくれる人たちが少しずつ集まり始めます。

EL COLOMBIANO エルコロンビアーノ

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「帰る場所」は、家族みんなの居場所になる?

武雄市は、ペロロさんにとって新しい土地です。けれど、妻のかおるさんにとっては故郷。サーカス団で暮らしていたころ、家族は各地を巡りながらトレーラーハウスで生活していました。それはきっと、サーカス一家ならではの刺激に満ちた暮らしだったのでしょう。

一方で、サーカスを離れて料理店を始めるということは、「仕事を変える」だけではありません。これから家族が暮らしていく場所を決めることでもあります。そこで選んだのが、かおるさんの故郷・武雄でした。

かおるさんにとっては「帰ってきた町」。ペロロさんにとっては「これから知っていく町」。同じ武雄でも、二人が立っている場所は少し違います。それでも「EL COLOMBIANO(エル・コロンビアーノ)」を開くと、ペロロさんの料理や陽気なおしゃべりを楽しみに、地域の人たちが訪れるようになりました。

考えてみれば、不思議な光景です。遠くコロンビアで生まれ、世界を巡るサーカスで育った人が、佐賀県武雄市で母親から教わった故郷の料理を作っている。そして、その料理を武雄の人たちが囲んでいる。

ペロロさんにとっての「故郷」と、かおるさんにとっての「故郷」が、一軒の店の中で出会っているのです。もしかすると、居場所とは最初から用意されているものではないのかもしれません。

生まれ育った場所だけが故郷になるわけでもない。そこで暮らし、誰かと出会い、「また来るね」と言ってくれる人が少しずつ増えていく。そんな時間の積み重ねによって、知らなかった町が、自分の帰る場所になっていくこともあるのでしょう。

そしてこの店は、ペロロさんだけの新しい舞台でもありません。かおるさんにとっては、故郷に帰って家族と始めた場所。娘のエミリーさんにとっては、父と母が新しい暮らしを始めた場所です。

サーカスを離れたことで、一つの舞台は終わりました。けれど武雄には、家族三人がこれから一緒に育てていける、新しい舞台ができました。そして、その舞台を見ながら育っているエミリーさんは、いつしか父が立っていた「もう一つの舞台」にも憧れるようになります。父が降りたはずのサーカスの舞台を、今度は娘が見上げ始めたのです。

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舞台を降りても、人生は続いていく?

武雄で始まった、ペロロさん一家の新しい暮らし。その姿を、すぐそばで見ている人がいます。娘のエミリーさんです。

2013年に生まれたエミリーさんは、アクロバットパフォーマーだった父に憧れ、体操教室に通うようになりました。ペロロさんが、年齢や身体のことを考えながら降りることを決めたサーカスの舞台。その舞台を今、娘がもう一度見上げています。

なんだか不思議です。父はサーカスを離れたのに、サーカスは家族から消えていません。空中ブランコや大車輪で観客を楽しませてきた父の姿は、娘の中に残り、新しい憧れになっているのです。

家族には、いつかやってみたいことがあります。イベントでコロンビア料理を振る舞いながら、親子で曲芸を披露すること。もしその夢がかなったら、そこにあるのはたぶん昔と同じサーカスではないのでしょう。

料理人になった父がいて、その料理を一緒に支えてきた母がいて、父の姿を見ながら育った娘がいる。家族三人だからできる、新しい舞台です。

人生には、降りなければならない舞台があります。好きだった仕事を辞める日もあれば、得意だったことができなくなる日もある。年齢を重ねれば、身体だって少しずつ変わっていきます。それは寂しいことです。

でも無理に「新しい人生の始まりだから」と、明るく言い換える必要もないのかもしれません。ペロロさんの怪我も、サーカスを離れる決断も、なかったことにはなりません。

けれど、人生はそこで終わらなかった。できなくなったことも、遠回りした時間も、そこで出会った人も、身につけてきたものも抱えたまま、人は次の場所へ歩いていくことができます。ペロロさんの場合、その先にあったのが武雄でした。

妻の故郷だった町が家族の暮らす場所になり、コロンビアの家庭料理を囲んで地域の人たちが集まり、そして今、娘が父の背中を追いかけています。もしかすると人生は、「第一幕」が終わって「第二幕」が始まるように、きれいに分かれているものではないのでしょう。

前の舞台で覚えたことが、次の舞台へつながっていく。自分が降りた舞台を、いつか次の世代が見上げることだってある。だから、舞台を降りることは、人生を降りることではありません。

舞台が変わっても、それまで生きてきた時間を連れて、人生は続いていく。武雄の小さなコロンビア料理店では今日も、かつてサーカスで人々を楽しませたペロロさんが、今度は料理とおしゃべりで人を笑顔にしています。そしてそのそばには、父がかつて見ていた空を、これから見上げようとしている娘がいます。


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