「いつか、こんな場所で暮らせたらいいな」旅先で美しい景色を眺めながら、そんなことを思った経験はないでしょうか? けれど旅が終われば、いつもの暮らしへ戻ります。仕事がある、家族がいる、今の生活もある…。そして「いつか」は、いつの間にか心の奥へしまわれていきます。
高知県の西南端、宿毛湾を望む港町・宿毛市。釣り好きにとって憧れの海が広がるこの町に、何度も通いながら、「いつか、この地で暮らしたい」と思い続けていた男性がいました。金子洋さん、69歳。電機メーカーで仕事中心の日々を送り、56歳で早期退職。離婚を経験し、再び始めた釣りをきっかけに宿毛と出会いました。
やがて艶萍(イェンピン)さんと再婚し、新しい人生を歩き始めます。しかし63歳のとき、洋さんはがんを患います。闘病を経て完治したとき、胸に浮かんだのは、「後悔のない人生を送りたい」という思いでした。そして洋さんは、長い間胸の中にしまっていた「いつか」を、とうとう「今」に変えます。
憧れていた宿毛へ移住し、妻の艶萍さんとともに民宿『みなと館 華』を開いたのです。釣り人がやってくる。お遍路さんもやってくる。旬の魚を囲み、ときには艶萍さん自慢の小籠包を味わいながら、知らなかった人同士が一つ屋根の下で言葉を交わします。
かつて宿毛に魅せられ、この町へ何度も通った洋さんは、今では旅人を迎え、「宿毛って、いいところでしょう」と伝える側になりました。
人生には、「もう遅い」と思ってしまう瞬間があります。けれど、本当にそうなのでしょうか? 行きたい場所がある。やってみたいことがある。ならば「いつか」が来るのを待つのではなく、自分からそこへ歩いていってもいい。
今回の『人生の楽園』をきっかけに、人生の後半で憧れの港町へ渡った夫婦と、そこから始まった小さな宿の物語を訪ねてみたいと思います。
【放送日:2026年8月22日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】
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「いつか、この海のそばで」──釣りが連れてきた宿毛との出会い
高知県の西南端にある宿毛市。目の前には、島々を抱くように宿毛湾が広がっています。この周辺の海は「魚のゆりかご」とも呼ばれ、多種多様な魚が育つ豊かな海。大物を狙う釣り人たちにとっては、一度は竿を出してみたい憧れの場所です。金子洋さんも、そんな海に魅せられた一人でした。
少年のころから、釣りが好きだった
千葉県に生まれ、東京や横浜で育った洋さん。少年時代から川や海へ出かけ、釣りを楽しんでいました。大学では理工学部へ進み、卒業後は電機メーカーの開発部門に就職。設計の仕事は多忙を極め、結婚して家庭を持ってからも、仕事中心の日々が続きました。
子どもたちが成長して手が離れるころになると、休日に出かける釣りが、洋さんにとって数少ない息抜きになっていきます。平日は仕事。休日になれば釣り竿を持って水辺へ向かう。魚が釣れることはもちろん楽しかったでしょう。でも洋さんにとって釣りは、忙しい毎日の中で、少しだけ自分自身へ戻れる時間でもあったのかもしれません。
大物を求めてたどり着いた「フィッシングパラダイス」
やがて洋さんは海外まで釣り旅行に出かけるようになり、大物を釣る楽しさに夢中になっていきます。そして釣り人たちの間で憧れの地として知られる、高知県宿毛市へ向かうようになりました。大きな魚との出会いを期待して、遠く横浜から何度も通う。最初は、それだけだったのかもしれません。
ところが旅というものは、不思議です。何度も同じ場所へ通っていると、目的だったもの以外が少しずつ見えるようになります。海の色。港の風景。町の空気。そして、そこで暮らす人たち。
洋さんにも宿毛で釣り仲間ができました。魚を釣りに来ていたはずなのに、いつの間にか会いたい人までできている。そうして宿毛は、遠くまで魚を釣りに行くための「目的地」から、「また帰ってきたい場所」へ変わっていったのでしょう。
「いつか、この地で暮らしたい」
好きな旅先へ何度も通っていると、ときどき心に浮かぶ言葉があります。「ここで暮らしたら、どんな毎日になるんだろう」洋さんもやがて、「いつか、この地で暮らしたい」と考えるようになりました。けれど、このときの「いつか」は、まだ遠い未来の話でした。
横浜には暮らしがあります。仕事があります。これまで築いてきた人生があります。好きな場所と、暮らす場所は別。多くの人がそうするように、洋さんも釣り竿を置けば、またいつもの日常へ帰っていきました。それでも心のどこかには、宿毛の海が残っていたのでしょう。
人生を変えようと思って出会った町ではありません。ただ、好きな釣りを続けていたら出会った場所。そして気がつけば、「いつか」という小さな言葉とともに、心の中に居場所をつくっていた町。
このころの洋さんは、まだ知りません。その「いつか」を、本当に選ばなければならない日が来ることを。そして、その前に一度、自分が思い描いていた人生の道から、大きく外れる時期がやってきます。
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56歳、人生が思い描いた道から外れた──それでも釣り竿を握った
人生は、ときどき思い描いていた道から大きく外れることがあります。仕事に追われる。責任が増える。家族との時間が少なくなる。あるいは、長く続けてきた仕事そのものに迷いを感じる。
働き盛りと呼ばれる年代だからこそ、仕事と暮らしの間で立ち止まってしまうことは、決して珍しいことではありません。けれど、その事情は人それぞれです。金子洋さんにも、56歳のころ、大きな転機が訪れました。
仕事中心に生きてきた人が、仕事を離れる
大学を卒業後、電機メーカーの開発部門で設計の仕事に携わってきた洋さん。多忙な仕事に追われ、結婚して家庭を持ってからも、仕事中心の日々が続いていました。やがて仕事への悩みが深まり、56歳で早期退職。さらに離婚も経験します。
その二つにどのような事情があり、互いに関係していたのかは分かりません。ただ、長い時間を費やしてきた仕事を離れ、家庭の形も変わったことで、洋さんに落ち込む日々が続いたことは確かです。それまで当たり前だった人生の景色が、大きく変わった時期だったのでしょう。
それでも、釣り竿を握った
そんな洋さんが、前向きな気持ちを取り戻そうとして再開したのが、釣りでした。正確には、新しく始めたのではありません。戻ったのです。少年のころ、川や海で夢中になった釣り。仕事中心の生活を送っていたころにも、休日の息抜きになっていた釣り。
暮らしが大きく変わっても、水辺へ出て釣り竿を握れば、そこには昔から変わらない「好き」が残っていました。人生の道を見失いそうになったとき、洋さんが手にしたのは、新しい何かではなく、ずっと自分の中にあったものだったのです。
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一人ではなかった「第二の人生」──艶萍さんと見つけた新しい暮らし
釣り竿をもう一度握ったことで、少しずつ前を向き始めた洋さん。けれど、新しい人生をずっと一人で歩こうと思っていたわけではありませんでした。「このまま一人でいるのも寂しいな……」そんな思いを抱くようになった洋さんは、インターネットのマッチングサイトを利用します。そこで出会ったのが、中国出身の艶萍(イェンピン)さんでした。
18歳差の二人が、もう一度つくった家庭
二人の年齢差は18歳。艶萍さんには、最初、その年齢差への戸惑いもあったといいます。それでも洋さんの優しい人柄に惹かれ、二人は結婚しました。仕事を離れ、離婚を経験し、一人になった洋さんに、もう一度、一緒に暮らす人ができました。
もちろん夫婦の間にどんな会話があり、どんなふうに支え合ってきたのかは、二人にしか分かりません。それでも、一人で考えるしかなかった人生に、「これから、どうしようか?」と一緒に考えられる相手ができたことは、洋さんの第二の人生にとって小さくない変化だったのではないでしょうか。
もう一度、働く
洋さんは横浜市でタクシードライバーとして再就職しました。長年携わってきた電機メーカーの開発や設計とは、まったく違う仕事です。56歳で、それまで歩いてきた道をいったん離れた。けれど人生そのものを止めたわけではありません。
好きな釣りを楽しみながら、もう一度家庭をつくり、もう一度働く。少しずつ、新しい暮らしが形になっていきました。宿毛は相変わらず、洋さんにとって憧れの場所でした。「いつか、この地で暮らしたい」そんな思いも胸の中に残っていました。
でも、横浜には新しく始めた仕事があり、艶萍さんとの暮らしがあります。宿毛で暮らすという夢は、まだ「いつか」のままでした。
63歳、もう一度訪れた大きな転機
そんな洋さんが63歳になったころ、人生は再び大きく動きます。がんを患ったのです。56歳のときには、仕事を離れ、家庭の形が変わりました。そして今度は、自分自身の命と向き合うことになりました。闘病の末、がんは完治します。けれど病気になる前と、同じ気持ちのまま日常へ戻ることはできなかったのでしょう。
洋さんの中に、一つの思いが生まれます。「後悔のない人生を送りたい」。ずっと胸の中にあった、「いつか、宿毛で暮らしたい」という夢。その「いつか」を、いつまで待つのか。今度は洋さん一人だけの問題ではありません。
隣には、これからの人生を一緒に歩く艶萍さんがいます。そして洋さんは、自分が本当に暮らしたかった場所へ行くことを決めます。「いつか」を「今」に変えるために。
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「後悔のない人生を」──63歳、「いつか」を「今」に変えた
「いつか、宿毛で暮らしたい」
何度もこの町へ通ううちに芽生えた洋さんの夢は、長い間「いつか」のままでした。けれど63歳でがんを患い、闘病の末に完治したあと、その言葉の意味が変わります。洋さんが考えたのは、「後悔のない人生を送りたい」ということでした。
「いつか」は、本当にやって来るのだろうか
やりたいことがあっても、仕事が落ち着いたら。時間ができたら。もう少し余裕ができたら。そう考えて、私たちはつい「いつか」という便利な言葉に預けて先延ばしをしてしまいます。洋さんにとって宿毛で暮らすことも、そんな「いつか」の一つだったのでしょう。
けれど病気を経験したことで、これから先の時間が当たり前に続いていくものではないと、身をもって感じたのかもしれません。もちろん、がんになったから宿毛へ移住した、と単純に結びつけることはできません。それでも病気を乗り越えたあと、洋さんが「後悔のない人生を送りたい」と考え、長年思い続けた宿毛への移住を決意したことは確かです。
いつか行きたい。いつか暮らしたい。その「いつか」を待つのではなく、行けるうちに、行きたい場所へ行く。洋さんは63歳で、その一歩を踏み出しました。
一人の夢を、二人の暮らしにする
けれど、今度の決断は洋さん一人だけのものではありません。隣には艶萍さんがいます。洋さんにとって宿毛は、何度も釣りに通い、仲間もできた憧れの場所。けれど艶萍さんにとっては、夫が愛してきたとはいえ遠い四国の港町です。そこへ暮らしの拠点を移すということは、洋さんの夢をかなえるだけではありません。
二人のこれからを、どこで生きるのか。その選択でもありました。二人の間で、どんな話が交わされたのでしょう。「本当に宿毛へ行くの?」「これから、どうやって暮らそうか」あるいは、もっと違う言葉だったのかもしれません。その会話を私たちが知ることはできません。ただ、艶萍さんは洋さんの強い思いを受け入れました。
そして二人はいきなりすべてを宿毛へ移すのではなく、まず横浜と宿毛を行き来する二地域居住から、新しい暮らしを始めます。洋さん一人の「行きたい場所」が、少しずつ二人の暮らす場所へ変わっていったのです。
大好きな町に、今度は何かを返したい
ところが実際に宿毛で暮らし始めると、洋さんには別のものが見えてきました。何度も釣りに通っていたころより、町の活気が失われていることに気づいたのです。そこで洋さんの「宿毛が好き」という気持ちは、もう一度変わります。「大好きな宿毛を少しでも元気にしたい!」
かつて自分が魚を釣るために訪れていた町。落ち込んだ時期を経て、釣りを再開した先で出会った町。仲間ができ、「いつか暮らしたい」と思わせてくれた町。今度は自分が、この町に何かできないだろうか?
そこで洋さんが考えたのが、民宿でした。旅人を迎え、宿毛の魅力を伝える場所をつくる。そのために現在の建物を借り、半年をかけて改装します。こうして「いつか宿毛で暮らしたい」という一人の釣り人の夢は、「宿毛へ来る人を迎えたい」という新しい夢へ変わっていきました。
そして2025年5月。港のそばに、小さな宿が生まれます。その名は、『みなと館 華』。かつて「行きたい場所」だった宿毛で、洋さんと艶萍さんは今度は、誰かの「行ってみたい」を迎える側になったのです。
みなと館「華」
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行きたい場所が、誰かを迎える場所になった──「みなと館 華」
港の近くに建つ、一軒の純日本家屋。半年をかけて改装した建物には、昭和を思わせるタイル張りのお風呂や洗面所が残り、畳の客室にはどこか懐かしい空気が漂います。2階の窓から見えるのは、洋さんが何度も釣りに通った宿毛の海。2025年5月、洋さんと艶萍さんはここに民宿『みなと館 華』を開きました。
釣り人も、お遍路さんも
「フィッシングパラダイス」と呼ばれる宿毛。当然、宿には大物を求めて全国から釣り人たちがやってきます。洋さん自身も釣りが好きですから、海や魚の話が始まれば、それだけで距離は縮まりそうです。一方、近くには四国八十八ヶ所巡りの札所もあり、お遍路さんが宿泊することもあります。
釣り竿を抱えた人。長い道を歩いてきた人。宿毛を初めて訪れた人。それぞれ違う理由でやって来た旅人を、洋さんと艶萍さんは家族を迎えるように迎えます。泊まり客が少なく洋さんに余裕があるときには、旬の魚を使った夕食や朝食を用意することも。
そこへ中国出身の艶萍さん自慢の小籠包が並ぶ日もあります。高知の港町で、宿毛の魚と小籠包。少し不思議な組み合わせですが、それもまた、この夫婦の宿らしさなのでしょう。
「宿毛へ行きたい」から「宿毛へおいで」へ
洋さんは、最初から宿をつくるために宿毛へ来たわけではありません。始まりは、ただ釣りが好きだったこと。大物を求めて何度もこの海へ通い、仲間ができ、「いつか、この地で暮らしたい」と思うようになりました。
そして人生のさまざまな出来事を経て、63歳でがんを経験したあと、「後悔のない人生を送りたい」と、その「いつか」を「今」に変えました。ところが実際に暮らしてみると、今度は大好きな町の元気が失われつつあることが気になった。自分が好きになった宿毛を、誰かにも知ってほしい。そうして始めたのが、この小さな宿でした。
かつて、「宿毛へ行きたい」と思っていた一人の旅人が、今では玄関を開けて、「いらっしゃい、宿毛へようこそ!」と旅人を迎えています。好きな場所というものは、長く好きでいるうちに、自分だけのものではなくなるのかもしれません。
「自分が見たいなら、見に行けばいい」
ずいぶん昔、私が初めて高知を旅したときのことです。宿毛に近い旅先の民宿で偶然知り合った讃岐のおばちゃんに、「月並みだけど、高知に来たんだから坂本龍馬の像がある桂浜へ行ってみたい」と話したことがありました。すると、おばちゃんは言いました。「観光地だからって馬鹿にするのが一番よくない。行きたいんなら行った方がいい!」
そして、もう一つ。「自分が見たいなら、見に行けばいい。」そのときは、ただ桂浜へ行くかどうかという話でした。けれど二十数年たった今でも、その言葉を覚えています。洋さんの人生を見ていると、なぜかあの日のおばちゃんの言葉を思い出します。
宿毛で暮らしてみたい。そう思っても、行かない理由ならいくらでも見つけられたでしょう。遠いから、今の暮らしがあるから、もう若くないから、病気も経験したから…。けれど最後に残ったのは、「それでも、行きたい」という自分自身の気持ちでした。
自分の「行きたい」という気持ちを、自分で勝手に馬鹿にしない。人生には、ときどきそんな決断が必要なのかもしれません。
人生は、どこからだって続きを始められる
洋さんの人生は、ずっと順風満帆だったわけではありません。仕事に悩み、56歳で早期退職。離婚を経験し、一人になりました。それでも昔から好きだった釣りへ戻ったことで、宿毛という場所に出会います。艶萍さんと出会い、もう一度家庭をつくり、仕事も始めました。
そして63歳で病気を経験したあと、ずっと胸の中にあった「いつか」を「今」へ変えました。人生を最初からやり直したわけではありません。それまで歩いてきた道を全部消したわけでもありません。むしろ、うまくいかなかったことも、遠回りした時間も、好きだった釣りも、そこで出会った人たちも、全部連れて宿毛までやって来たのでしょう。
だから人生は、「やり直す」というより、どこからだって、続きを始められる。そんなものなのかもしれません。港のそばの小さな宿には、今日も誰かがやって来ます。魚を釣りたい人。遍路の途中の人。宿毛の海を見てみたい人。
そして、もしかするとその中には、洋さんがかつてそうだったように、「いつか、こんなところで暮らせたら」と思う人もいるかもしれません。その「いつか」が、本当にやって来るかどうかは分かりません。
でも――行きたい場所があるのなら、行けるときに行ってみる。そこから人生の思いがけない続きが、始まることもあるのです。
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