氷の異変を最初に知っていたのは誰だったのか?|科学者と先住民が追う北極圏の真実【フロンティア】

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北極圏で何が起きているのか。その答えを知るために、私たちは人工衛星を飛ばし、GPSを使い、氷河の厚さを測り、海水温や気温を記録してきました。科学技術の進歩によって、遠く離れた北極の変化さえ、私たちは数字として捉えられるようになっています。しかし――。氷の異変を最初に知っていたのは、本当に科学者だったのでしょうか?

「昔は、この季節ならここまで氷があった」
「以前は、この海でこんな魚は獲れなかった」
「いつもの場所に、いつもの生きものがいなくなった」

北極圏には、365日その自然と向き合い、海と氷の変化を見ながら暮らしてきた人々がいます。彼らにとって氷は研究対象ではありません。その上を歩き、海へ出て魚を獲り、家族を養い、命をつないできた暮らしの一部です。

北海道大学の杉山慎教授ら研究者たちが注目したのは、そんな現地の人々が積み重ねてきた「記憶」でした。最新の観測機器で地球を見る科学者。毎日の暮らしの中で地球を見続けてきた先住民。どちらか一方が正しいのではありません。

人々の証言から「なぜだろう?」という問いが生まれ、科学者が測る。そして観測された事実を、もう一度そこで暮らす人々の経験と重ねてみる。すると、数字だけを眺めていては気づかなかった北極の姿が見え始めました。

氷河の変化は海の生態系へ。海の変化は魚へ。魚の変化は人々の食生活や健康へ。そして遠い北極で起きている異変は、やがて日本の気候にまでつながっていきます。

空を見て天気の兆しを読む「観天望気」が、最新の気象観測技術が生まれてもすべて無意味になったわけではないように、科学が進歩したからこそ、長い時間をかけて自然を見てきた人々の声から学べることがあるのかもしれません。

科学者と先住民。異なる方法で北極を見続けてきた二つの「目」が出会ったとき、何が見えてきたのでしょう。今回は、氷の大地に刻まれ始めた小さな異変をたどりながら、変わりゆく北極圏の真実を追いかけてみましょう。

【放送日:2026年8月18日(火)21:50 -22:50・NHK-BSP4K】
【放送日:2026年8月21日(金)14:00 -14:59・NHK-BSP4K】

<広告の下に続きます>

  1. 科学者は、なぜ先住民の声を聞き始めたのか?──測定器だけでは見えなかった北極
    1. 「この海、昔と何かが違う」
    2. 経験は「なぜ?」までは教えてくれない
    3. 科学者が手に入れた「もう一つの観測装置」
    4. 「観天望気」が教えてくれること
    5. 「聞くこと」から始まった科学
  2. 氷河が融けると、なぜ海の生命が変わるのか?──氷の下でつながっていた生態系
    1. 氷河の下には、もう一本の「川」がある
    2. 冷たい融解水が、海を動かす
    3. 氷河の変化は「食卓」までつながっている
    4. 「氷が減る=生命が増える」ではない
    5. そして現場では、すでに「何か」が変わっていた
  3. 「昔はいなかった魚」がやってきた──海の変化を最初に知った人々
    1. 魚には国境がない
    2. 北極圏だけで起きている話ではない
    3. 「ブリが増えた。温暖化だ!」でも終わらせない
    4. 先住民の「記憶」が研究の地図になる
  4. 魚が変われば、人間も変わるのか?──北極の異変が暮らしと健康へ届くまで
    1. 私たちの身体は「食べたもの」でできている
    2. 「新しい魚が増えたから食べればいい」では済まない
    3. 人間だけ、生態系の外に立っているわけではなかった
    4. これは「今夜の食卓」の話でもある
    5. 北極の食卓から、日本の空へ
  5. 北極の異変は、なぜ日本まで届くのか?──二つの「知」が見つめる地球の未来
    1. 北極は、地球の「冷蔵庫」だけではない
    2. 北極の空と、日本の空はつながっている
    3. 最初の異変は、とても小さかった
    4. 二つの「知」は、どちらが偉いのでもない
    5. そして次に「何かが違う」と気づくのは、私たちかもしれない
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科学者は、なぜ先住民の声を聞き始めたのか?──測定器だけでは見えなかった北極

北極圏で進む気候変動を知るために、科学者たちはさまざまな方法で観測を続けています。人工衛星から海氷の面積を調べる。GPSを使って氷河が動く速さを測る。海水温や塩分濃度を調べ、気象データを集める。コンピューターを使えば、膨大な観測データから将来の変化を予測することもできます。

人類は今、遠く離れた北極圏の変化を、かつてないほど詳しく「数字」で見ることができるようになりました。ところが――。どれほど観測技術が進歩しても、科学者たちには決定的に足りないものがありました。365日、そこにいることです。

「この海、昔と何かが違う」

北極圏には、何世代にもわたって海や氷とともに暮らしてきた人々がいます。彼らは毎日のように海を見ます。氷の状態を確かめ、魚を獲り、季節の移り変わりを感じながら生活しています。だから、「昔はこの時期なら、もっと氷があった」「最近、氷の状態が変わった」「以前は見なかった魚が獲れるようになった」というような小さな違いに気づくことがあります。

それは研究論文でも観測データでもありません。暮らしてきた人間の記憶です。一人の記憶なら、勘違いや記憶違いが含まれるかもしれません。しかし、同じ地域で暮らす複数の人々が似た変化を語り、それが長い年月にわたって積み重なっているとしたら――。科学者にとって、それはとても興味深い「問い」の入口になります。

経験は「なぜ?」までは教えてくれない

ただし、ここで先住民の経験を万能なものとして扱うのも少し違うでしょう。「最近、この魚が増えた」という変化には気づくことができても、

  • なぜ増えたのか? 
  • どれくらい増えたのか?
  • 水温が変わったからなのか?
  • 海流が変化したのか?
  • 海氷の減少が関係しているのか?
  • 餌となる生物が変わったのか?
  • あるいは複数の原因が重なったのか?

そこから先を調べるためには、科学の力が必要になります。一方で科学者が最初から、「この場所で、この魚を調べよう」という問いにたどり着けるとも限りません。だから二つが出会います。

先住民の経験が「何かが変わった」と教える。
科学者が「なぜ変わったのだろう」と問いを立て、測る。

そして観測されたデータを持って、もう一度現地の経験と照らし合わせる。すると、それまで別々に存在していた点と点がつながり始めます。

科学者が手に入れた「もう一つの観測装置」

少し乱暴な例えをするなら、先住民が蓄積してきた経験もまた、科学者にとっては一種の長期観測記録と考えることができるのかもしれません。ただし人工衛星や温度計とは違います。人間が見て、聞いて、触れて、食べて、暮らしながら記憶してきた観測です。最新の衛星には、広大な北極圏を一度に見渡せる強みがあります。

一方、そこで暮らす人には、「昨日と今日の海は何か違う」「去年と今年の海は何か違う」という小さな変化に気づける強みがあります。どちらか一つを選ぶ必要はありません。遠くから広く見る目と、近くから長く見る目。二つを重ねればいいのです。

「観天望気」が教えてくれること

これは、私たちにも少し身近な話かもしれません。現在の天気予報には、気象衛星やレーダー、スーパーコンピューターが使われています。だからといって、昔から伝わる「観天望気」の考え方が、すべて無意味になったわけではありません。

漁師が雲や風、波の変化を見る。農家が空気や植物の様子から季節を感じ取る。夕陽が綺麗なら明日は晴れ…。そこで重要なのは、「昔の人の知恵だから正しい」と信じることではありません。「なぜ、そういう現象が起きるのだろう?」と科学の目でもう一度見てみることです。

例えば日本では多くの場合、上空の偏西風の影響で天気は西から東に変わっていきます。だから西の空に雲が少なければ”夕焼けが綺麗”で、その空は明日、自分のところにやってくるはずだから”明日は晴れ”という”科学的根拠”がもたらされます。

経験から生まれた問いを、観測によって確かめる。そして観測によって得られた知識を、もう一度暮らしへ返していく。北極圏で始まっている共同研究も、そんな循環なのかもしれません。

「聞くこと」から始まった科学

科学というと、私たちは白衣を着た研究者や高度な観測機器を思い浮かべます。けれど、科学の出発点はもっと単純です。

「なぜだろう?」

その問いです。そして、ときにはその問いを研究者ではない人が持っていることがあります。北海道大学の杉山慎教授らが北極圏で向き合ったのも、そこで暮らす人々が感じていた変化でした。

彼らの声に耳を傾け、実際に測ってみる。すると、氷河と海の間に、それまで十分には見えていなかった不思議なつながりが浮かび上がってきます。氷河が変わると、なぜ海の生命まで変わるのでしょう。氷はただ融けて海へ流れ込んでいるだけではありませんでした。次は、白い氷河の下から海へ続いていた、見えない生命の道をたどってみましょう。

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氷河が融けると、なぜ海の生命が変わるのか?──氷の下でつながっていた生態系

氷河が融ける。そう聞くと、多くの人が思い浮かべるのは、「海へ流れ込む水が増える」という現象ではないでしょうか。もちろん、それも間違いではありません。しかし北極圏の氷河と海の関係を調べていくと、融け出した水は単なる「水」ではないことが分かってきます。

山から海へ流れ込む川が、土砂やさまざまな物質を運んでいるように、氷河から流れ出す水もまた、陸と海をつなぐ運び屋になっているのです。

氷河の下には、もう一本の「川」がある

巨大な氷河を上から眺めれば、一面の白い世界に見えます。しかし夏になって氷が融け始めると、その水の一部は亀裂などから氷河内部へ入り込み、やがて氷河の底を流れて海へ向かいます。その途中で融解水は、氷河によって削られた岩盤や細かな堆積物と接触します。

氷河は巨大なヤスリのように大地を削りながら動いている――以前のアラスカでも見てきました。つまり氷河の底には、岩石を細かく砕いた物質が大量に存在します。融解水はそれらと出会いながら、やがて海へ流れ出していきます。

氷河はただ融けているのではありません。大地から海へ、さまざまな物質を運んでいる。ここに、生命との意外なつながりがありました。

冷たい融解水が、海を動かす

もう一つ重要なのが、氷河から流れ出す淡水そのものの動きです。海へ流れ込んだ冷たい融解水は、周囲の海水と混ざり合います。特に海へ直接流れ込む氷河では、氷河底から大量の融解水が噴き出すことで、深い場所にある海水を巻き込みながら上昇することがあります。まるで海の底から巨大なポンプを動かしているような現象です。

そして深い海水には、植物プランクトンなどの生産に関係する栄養物質が含まれています。それが表層へ運ばれ、光の届く場所へ供給されれば、小さな生命の活動へつながる可能性がある。氷河の融解水そのものだけでなく、融解水によって生まれる海水の動きまで、生態系へ影響を及ぼしていたのです。

氷河の変化は「食卓」までつながっている

植物プランクトンが増えれば、それを利用する小さな生物がいる。その生物を魚が食べる。そして魚を、より大きな生きものや人間が食べる。もちろん自然界は、こんな一本の食物連鎖だけで説明できるほど単純ではありません。

水温、塩分、海流、海氷、光、栄養物質――。さまざまな条件が絡み合いながら、北極の生態系は成り立っています。だからこそ氷河の状態が変われば、その影響は氷河だけで終わらない可能性があります。

氷河

融解水

海水や栄養物質の動き

プランクトンなどの生産

魚やその他の生きもの

一見すると別々に存在しているように見えたものが、一本につながってきます。

「氷が減る=生命が増える」ではない

ここで気をつけたいことがあります。「氷河が融ければ栄養物質が海へ運ばれるのなら、温暖化で氷河が融けるほど海は豊かになるのでは?」そう単純には考えられません。氷河から供給される融解水の量や季節が変われば、海の塩分や成層、海水の循環にも影響します。

さらに氷河そのものが大きく後退すれば、それまで海へ直接流れ込んでいた氷河が陸上へ退き、海とのつながり方そのものが変わってしまうこともあります。つまり重要なのは、「氷河が融けるか、融けないか」だけではありません。

どのくらい融けるのか。いつ融けるのか。どこから海へ流れ込むのか。そして、その水が海をどう動かすのか。そこまで見なければ、生態系への影響は分からないのです。

そして現場では、すでに「何か」が変わっていた

科学者たちは観測によって、氷河と海の間にある複雑な仕組みを少しずつ明らかにしていきます。しかし、その海を毎日のように見てきた人たちは、科学者がすべての仕組みを解明するより前に、別の変化に気づいていました。「昔はいなかった魚が、獲れるようになった。」

水温なのか。海流なのか。餌なのか。氷なのか。それとも、いくつもの変化が重なった結果なのか。ここでもまた、現場で生まれた「何かがおかしい」が、科学の「なぜ?」につながります。

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「昔はいなかった魚」がやってきた──海の変化を最初に知った人々

海の変化を知るために、科学者はさまざまなものを測ります。海水温、塩分濃度、海流、海氷の面積、プランクトンの量――。しかし海の変化を、もっと違う方法で見続けてきた人たちがいます。毎日のように海へ出て、そこで魚を獲ってきた人々です。

北極圏で暮らす人々から、研究者たちはこんな声を聞くようになりました。「昔はいなかった魚が獲れるようになった」それは一見すると、漁師同士の何気ない会話のようにも聞こえます。

けれど第一章で見てきたように、科学者にとってはここからが始まりです。「では、なぜその魚がここへ来るようになったのだろう?」

魚には国境がない

魚は人間が地図に引いた境界線を知りません。その魚にとって暮らしやすい水温がどこにあるのか。餌はどこにあるのか。産卵に適した場所はどこなのか。海流はどう流れているのか。そうした環境条件によって、生息する場所は変化します。

実際、北極・亜北極海域では、温暖な水を好む種がそれまで見られなかった北方へ分布を広げるなど、海洋環境の変化に伴う魚介類の分布変化が研究されています。将来予測でも、海氷減少や水温上昇に伴って重要な水産種の分布が北へ移動する可能性が示されています。

けれど研究者がその変化を詳しく調べるより前に、「最近、獲れる魚が変わった」と感じる人がいる。それが現場で海を見続けてきた人々なのでしょう。

北極圏だけで起きている話ではない

この話を聞いていると、日本の海にも少し似た風景があることに気づきます。例えば北海道。北海道では近年、サケの来遊不振が続いています。一方、知床周辺では、かつて現在ほど多くなかったブリの漁獲が顕著に増えています。

北極圏ではありませんが、最近の北海道でも、これまで獲れていたサケの来遊が低迷する一方で、ブリの水揚げが増えている地域があります。それが一時的な変化なのか、この先も続くのか。そして、どこまで海洋環境の変化が関係しているのか――研究は続いています。これもまた、科学が答えを出す前に「現場」に現れた変化の一つなのかもしれません。

「ブリが増えた。温暖化だ!」でも終わらせない

ここでも第一章から続いている姿勢が大切になります。北海道でブリが増えた。海水温も上昇している。だから、「原因は温暖化だ!」と、その場で一本の線を引いてしまえば話は簡単です。

でも科学者の仕事は、そこから始まります。本当に水温だけなのか?海流が変わったのか?餌となる生物が移動したのか?魚そのものの資源量が変化したのか?…いくつもの条件を調べ、長期間のデータと照らし合わせて初めて、何が起きているのかが少しずつ見えてきます。

実際、日本のサケについても原因究明は簡単ではありません。たとえば利根川ではサケの遡上が2013年以降急減し、2024年には確認数がゼロになりましたが、研究チームが海流や水温などをシミュレーションしても、近年の減少をそれだけでは説明できませんでした。自然は、私たちが期待するほど単純ではありません。以前のアラスカから何度も出てきた答えが、ここにもあります。

先住民の「記憶」が研究の地図になる

グリーンランドで行われた調査では、住民の8割以上が何らかの環境変化を感じ、魚や海・陸の動物についても個体数や種類の変化を感じている人たちがいました。それは科学的な測定値そのものではありません。けれど、「いつから?」「どこで?」「以前は何がいた?」「今は何がいる?」と聞いていけば、研究者が調べるべき場所や現象を探す手がかりになります。

「事件は現場で起きている!」。でも、現場だけでは事件の仕組みまでは分からない。研究室だけでも、どこで事件が起きているのかをすべて見つけられるわけではない。だから、現場が異変を見つける。科学が「なぜ?」を追いかける。そして得られた答えを、もう一度現場へ返す。その往復が必要なのでしょう。

そして魚が変わるということは、単に「漁獲される魚種が一つ変わりました」という話では終わりません。北極圏で魚を食べながら暮らしてきた人々にとって、それは食卓が変わるということでもあります。食べるものが変わる。含まれる栄養も変わる。そして長い時間が経てば、それは人間の身体にまで届くかもしれません。

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魚が変われば、人間も変わるのか?──北極の異変が暮らしと健康へ届くまで

「昔はいなかった魚が獲れるようになった」
それだけなら、新しい魚が食卓に並ぶようになったという、ちょっと珍しい出来事に聞こえるかもしれません。ところが北極圏で暮らす人々にとって、魚をはじめとする海の生きものは、単なる「食材」ではありません。

何世代にもわたって食べてきたもの。家族や地域で受け継いできたもの。そして厳しい北極圏で身体をつくり、命をつないできたものでもあります。だから海の生態系が変わるということは、人間の食卓まで変わるということなのです。

私たちの身体は「食べたもの」でできている

考えてみれば、これは北極圏に限った話ではありません。魚にはタンパク質だけでなく、脂質やビタミン、ミネラルなど、さまざまな栄養素が含まれています。食べる魚が変われば、当然、摂取する栄養の種類や量も変わる可能性があります。

さらに北極圏では、魚だけでなく海獣など地域の自然から得られる食物が、伝統的な食文化の重要な部分を占めてきました。ところが環境が変化して、それまで利用してきた生きものが減ったり、別の生きものが増えたりすれば、食生活そのものが変化する可能性があります。

そして食生活が長期的に変われば、人間の健康にも影響するかもしれない。ここまで来ると「北極の氷が融けています」という話が、急に私たちの暮らしに近づいてきます。

「新しい魚が増えたから食べればいい」では済まない

では、今までの魚が減ったのなら、新しくやってきた魚を食べればいいのでしょうか。そう簡単でもなさそうです。食文化はスーパーの商品棚を入れ替えるようには変わりません。どんな魚を、いつ獲るのか。どう保存するのか。どう調理するのか。家族や地域でどう分けるのか?

食べるという行為には、その土地で長い時間をかけてつくられてきた暮らしそのものが結びついています。さらに魚種や食物網が変われば、栄養面だけでなく、環境中の物質が食物連鎖を通じて人間へどう届くのかという問題も考える必要があります。だから研究者たちは、魚だけを調べればいいわけではありません。

海を調べる。魚を調べる。そして、その魚を食べる人間まで見る。自然科学だけではなく、人間の暮らしまで含めて初めて見えてくる問題なのです。

人間だけ、生態系の外に立っているわけではなかった

私たちは自然について語るとき、無意識のうちに、「自然」と「人間」を分けて考えてしまうことがあります。氷河がある。海がある。魚がいる。そして、それを研究している人間がいる。まるで人間だけが少し離れた場所から自然を眺めているようです。

でも実際には、

氷河



プランクトンなどの生物



人間

と、すべてがつながっています。人間もまた、食べることで物質とエネルギーを受け取りながら生きている、生態系の一員です。北極圏で起きている変化は、その当たり前のことを、私たちにもう一度思い出させてくれます。

これは「今夜の食卓」の話でもある

そして少しだけ視線を日本へ戻してみましょう。前の章で見たように、北海道ではサケの来遊不振が続く一方、地域によってはブリの水揚げが増えるなど、海の変化を感じさせる現象が起きています。これから何十年か経ったとき、日本のスーパーの鮮魚売り場にはどんな魚が並んでいるのでしょう。今と同じ魚でしょうか?

それとも、私たちが子どものころには珍しかった魚を「旬の味」として食べているのでしょうか? もちろん、その未来を今から決めつけることはできません。

だからこそ研究者は測り続けます。そして漁師や地域の人々が感じる変化にも耳を傾けます。「最近、何かが違う」という小さな声が、何十年後の食卓を考える重要な手がかりになるかもしれないからです。

北極の食卓から、日本の空へ

ところが今回の物語は、ここでも終わりません。氷が変わり、海が変わり、魚が変わり、人間の食卓まで変わる。それだけでも十分大きな話です。しかし北極圏で起きている変化は、海や食物連鎖だけに閉じ込められているわけではありません。大気もまた、北極と私たちの住む日本をつないでいます。

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北極の異変は、なぜ日本まで届くのか?──二つの「知」が見つめる地球の未来

北極圏と日本。地図を広げれば、ずいぶん離れています。北極の氷が融けても、日本で暮らす私たちには直接関係のないことのように思えるかもしれません。ところが実際の地球には、地図上にある国境も県境もありません。

海はつながっています。そして、その上を覆う大気もつながっています。北極圏で起きた変化は、そこで止まってくれるとは限らないのです。

北極は、地球の「冷蔵庫」だけではない

北極圏の雪や氷には、太陽から届いた光を宇宙へ反射する働きがあります。ところが白い海氷が減って暗い海面が現れると、海はそれまでより多くの太陽エネルギーを吸収します。すると海や大気が暖まり、それがさらに氷を融かす方向へ作用することがあります。

こうした仕組みも、北極圏で気温上昇が大きくなる「北極増幅」に関係しています。でも問題は、北極だけが暖かくなることではありません。北極と中緯度の地域には大きな温度差があり、そのエネルギーの違いが大気の流れとも深く関係しています。つまり北極が変われば、北半球を巡る大気の流れにも影響する可能性がある。そこから先は、日本も無関係ではありません。

北極の空と、日本の空はつながっている

私たちが毎日の天気予報で耳にする「偏西風」。この大きな大気の流れも、日本の天候を左右する重要な存在です。北極域の急速な温暖化や海氷の変化と、中緯度の大気循環や寒波などとの関係については研究が続いています。

ただし、「北極の氷が減ったから、この猛暑になった」、あるいは、「北極が暖かくなったから、この大雪が降った」と、一つ一つの現象を単純に結びつけることはできません。大気は複雑です。海も複雑です。そして地球の気候は、その二つが相互に影響しながら動く巨大なシステムです。だから研究者たちは観測を続け、データを積み重ねています。ここでもやはり、分からないから、測る。という姿勢が必要になるのでしょう。

最初の異変は、とても小さかった

ここで、この物語の始まりへ戻ってみましょう。最初にあったのは、難しい数式でも人工衛星の画像でもありませんでした。北極圏で暮らしている人々が感じた、

「昔と何かが違う」

という小さな違和感でした。

氷の状態が変わった。魚が変わった。季節が変わった。それを聞いた科学者が、「なぜだろう?」と考えた。そして氷を測り、海を調べ、生きものを追いかける。

すると、氷河と海がつながった。海と魚がつながった。魚と人間の食卓がつながった。そして、その北極と日本までがつながってきた。一人の人間が感じた小さな変化から、地球規模の物語が見え始めたのです。

二つの「知」は、どちらが偉いのでもない

今回、科学者と先住民が手を取り合ったことには、大きな意味があるように思います。最新の観測機器を持つ科学者にも、見えないものがあります。長年その土地で暮らしてきた人にも、経験だけでは説明できないものがあります。

だから、暮らしの中で積み重ねられた「経験知」と、観測と検証を積み重ねる「科学知」。二つを競わせるのではなく、重ねてみる。先住民が「何かが違う」と気づく。研究者が測る。科学によって「なぜ」が少し見えてくる。

その知識を現地へ返せば、そこで暮らす人々は、これから起こり得る変化に備えることができるかもしれません。そして現場からまた新しい変化が伝えられれば、研究者に新しい問いが生まれます。

聞く。測る。考える。伝える。そして、また聞く。科学と暮らしの間を知識が行き来する。今回の北極圏で始まっていたのは、そんな新しい研究の姿なのかもしれません。

そして次に「何かが違う」と気づくのは、私たちかもしれない

北海道で獲れる魚が変わった。桜の咲く時期が変わった。夏の暑さが変わった。雪の降り方が変わった。もちろん、一つ一つの出来事をすぐ気候変動と結びつけることはできません。けれど、「昔と何かが違う」という感覚を、単なる気のせいとして捨ててしまう必要もありません。

記録してみる。昔のデータと比べてみる。専門家の研究を読んでみる。そして違う意見を持つ人とも話してみる。そこから、新しい問いが生まれるかもしれません。

北極圏で起きている変化について、私たちはまだすべてを知っているわけではありません。これから何が起こるのかについても、分からないことはたくさんあります。だからこそ、誰か一人が答えを決める問題ではないのでしょう。

科学者も。そこで暮らす人も。そして遠く離れた場所で暮らしている私たちも。それぞれの場所から地球を見て、知ったことを持ち寄り、未来を考えていく。北極の氷の変化を最初に知っていたのは、毎日その氷を見ていた人々だったのかもしれません。

最近の赤城乳業の氷菓「ガリガリ君」のCMで

「昔は30度になるとニュースになってたって… うそでしょ?」

と言っています。確かに私が子供の頃には8月でも最高気温が30℃を超える日はさほど多くなかった覚えがあります。私が今感じている小さな変化です。皆さんはどう感じていますか?

では――これから地球に起きる「次の小さな変化」に気づくのは、誰なのでしょう? もしかするとそれは、今日、いつもの空を見上げた私たちなのかもしれません。

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