海はそこにある|「これから」を生きる能登島の人々【小さな旅】

能登島大橋 BLOG
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朝が来る。能登島の向こうから光が差し、静かな七尾湾が少しずつ明るくなっていきます。漁師は船を出す準備を始めます。沖ではイルカが泳ぎ、秋になれば集落に獅子舞の音が響きます。それは、この島で長いあいだ繰り返されてきた、ごく普通の一日の風景です。

けれど今、その「普通の一日」を迎えられることは、決して当たり前ではありません。

2024年1月1日、能登半島を大きな地震が襲いました。能登島でも450を超える家屋が壊れ、暮らしを続けることを諦め、島を離れた人も少なくありません。港も傷つきました。道路も傷つきました。そして、人々が長い時間をかけて築いてきた暮らしも、大きく姿を変えました。
それでも朝になれば、目の前には海があります。

海は、そこにある

能登の人々にとって、海は眺めるためだけの風景ではありません。魚を獲る海。家族を養ってきた海。イルカが暮らし、その姿を見ようと旅人が訪れる海。祭りを祝い、季節の移ろいを感じながら、ともに生きてきた海です。地震によって、その海の姿さえ変わってしまった場所があります。

けれど、「オラが海」と呼びたくなるような海への思いまで、地震が持っていったわけではないのでしょう。今日も船を出す人がいます。今日もイルカを探す人がいます。そして今年も、獅子を舞わせる人がいます。

「元に戻る」だけが復興なのだろうか

震災からの復興というと、私たちはつい、壊れた家を建て直す。道路を直す。港を元通りにする。観光客を以前のように呼び戻す。そんな「震災前へ戻ること」を思い浮かべます。もちろん、それも大切なことです。でも、失われたものすべてを元通りにすることはできません。

島を離れ、新しい場所で暮らし始めた人もいます。変わってしまった景色もあります。そして、震災前とまったく同じ能登島へ時間を巻き戻すこともできません。だから、この島で暮らす人々が見つめているのは、もしかすると「昔」だけではないのかもしれません。これから、この島でどう生きていくのか。その問いです。

海と生きてきた島で、「これから」を生きる

定置網漁を続ける漁師。再び観光客が訪れる日を信じ、船を出すイルカウォッチングのガイド。そして秋祭りで獅子を舞わせ、集落のつながりを未来へ渡そうとする人々。

大きなことをしているようには見えないかもしれません。けれど、船を出す。人を迎える。祭りをする。その一つ一つが、この島に「日常」をもう一度つくっていきます。過去を忘れるのではありません。失ったものをなかったことにするのでもありません。その記憶を抱えながら、それでも明日の暮らしを始めていく。

能登島の海は今日もそこにあります。そして、その海のそばで、「これから」を生きようとしている人たちがいます。今回は、そんな人々の日常を訪ねながら、海とともに生きてきた島の、震災のその先を歩いてみましょう。

【放送日:2026年8月21日(金)11:05 -11:30・NHK-総合】
【放送日:2026年8月22日(土)6:05 -6:30・NHK-BSP4K】

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    1. 海は、そこにある
    2. 「元に戻る」だけが復興なのだろうか
    3. 海と生きてきた島で、「これから」を生きる
  1. 海へ出る──変わってしまった海で、漁師は今日も網を引く
    1. 大地が動き、海まで変わった
    2. 海はそこにある。でも、同じ海ではない
    3. 「もう一度」ではなく、「今日も」海へ
    4. 海だけでは、島の暮らしは戻らない
    5. そして漁師は、秋になると獅子を舞う
  2. イルカを待つ──人が離れた島へ、もう一度旅人を迎えるために
    1. あの日、イルカたちは何を感じていたのだろう
    2. イルカは「戻ってきた」のではない
    3. イルカがいても、旅人が戻るとは限らない
    4. 「人を迎える」という日常
    5. イルカは今日を泳ぎ、人間は「これから」を考える
  3. 島を離れる人、島に残る人──「ここで暮らす」という選択
    1. 「故郷だから」だけでは暮らしていけない
    2. 残ることにも、覚悟がいる
    3. 「仕方ない」は、あきらめではない
    4. 離れても、故郷はなくならない
    5. 人が減った島で、それでも獅子は舞う
  4. 獅子を舞う──祭りは「昔」を懐かしむためだけにあるのか?
    1. 「残したい人」だけでは、残せない
    2. 懐かしいだけなら、思い出の中にも残せる
    3. 受け継ぐということは、同じ形を守ることなのか
    4. 年長者もまた、若い人たちに支えられている
    5. 漁師が獅子を舞う理由
  5. 海はそこにある──「これから」を生きる能登島
    1. 戻らないものがある
    2. それでも「今日」はやってくる
    3. 「仕方ない。じゃあ、ここから」
    4. 海はそこにある
    5. 明日の朝も
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海へ出る──変わってしまった海で、漁師は今日も網を引く

能登島の朝は、海から始まります。まだ空が白み始めたころ、漁師たちは港へ向かい、船を出す準備を始めます。エンジンの音が響き、船が岸を離れていく。沖には定置網が待っています。網に何が入っているのかは、引き上げてみなければ分かりません。

魚を獲り、港へ戻る。能登島では長い間繰り返されてきた、漁師たちのいつもの朝です。けれど2024年1月1日、その「いつもの一日」が突然失われました。

大地が動き、海まで変わった

能登半島地震では、建物が倒壊し、道路が寸断されただけではありませんでした。地震によって大地そのものが動き、能登半島の沿岸では大きく隆起した場所もありました。

それまで海だったところが陸になる。昨日まで船が出入りしていた港の水深が変わる。海底の地形まで変ってしまえば、港の中だけを掘り下げれば元通り、というわけにもいきません。

漁師にとって港は、単なる船の駐車場ではありません。港から海へ出られて、初めて漁ができる。船があっても海へ出られない。網があっても漁場へ行けない。目の前にはいつものように海が広がっているのに、その海へ出ることができない。それは海とともに生きてきた人にとって、どんな時間だったのでしょう。

海はそこにある。でも、同じ海ではない

今回の記事のタイトルを、「海はそこにある」としました。でも震災後の能登で、この言葉は「何も変わらなかった」という意味ではありません。大地が動き、海岸線が変わったところがあります。港も傷つきました。漁場にも変化が起きました。そして、その海のそばで暮らしてきた人々の生活も変わりました。

それでも朝になれば、目の前には海があります。美しいから眺める海ではありません。今日の魚を獲りに行く海です。家族を養ってきた海です。何十年も船を出してきた、いわば「オラが海」です。変わってしまったからといって、簡単に捨てられるものではないのでしょう。

「もう一度」ではなく、「今日も」海へ

震災後、漁が再開されたというニュースを聞けば、私たちはつい、「漁師たちが復興への第一歩を踏み出しました」と表現したくなります。もちろん、それは間違いではありません。でも漁師本人にとっては、もっと日常的なことなのかもしれません。

今日も船を出す。今日も網を引く。魚が入っていれば喜び、少なければ「今日はダメだったな」と港へ帰る。そして明日になれば、また海を見る。「復興」という大きな言葉より、仕事をする。その一日の積み重ねのほうが、暮らしている人にはずっと現実的なのかもしれません。

海だけでは、島の暮らしは戻らない

けれど魚が獲れるようになれば、それですべて元通りになるわけではありません。魚を買ってくれる人がいる。店が開いている。道路が通っている。港が使える。そこで働く人がいる。そして島で暮らす人がいる。

いくつもの日常がつながって初めて、漁師の獲った一匹の魚は誰かの食卓へ届きます。だから能登島の復興とは、一つの施設を直せば終わるものではないのでしょう。暮らしを支えていた人と人とのつながりそのものを、もう一度結び直していくことでもあります。

そして漁師は、秋になると獅子を舞う

番組に登場する漁師には、もう一つの顔があります。秋祭りになれば、獅子舞に思いを込めます。海へ出ることと、祭りで獅子を舞うこと。一見すると、まったく別の話に見えます。でも、もしかすると二つは同じなのかもしれません。

魚を獲るのは、島で今日を暮らすため。祭りを続けるのは、島の暮らしを明日へ渡すため。その答えは、もう少しあとまで取っておきましょう。

今はまだ、朝の海です。漁師が引き上げた網の向こうには、七尾湾の静かな水面が広がっています。そして、その海にはもう一つ、震災の前から暮らし続けている家族がいます。野生のイルカたちです。

人が島を離れ、観光客が少なくなっても、イルカたちは海を泳いでいます。その姿をもう一度たくさんの旅人に見てもらいたいと、今日も船を出す人がいます。

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イルカを待つ──人が離れた島へ、もう一度旅人を迎えるために

能登島を囲む七尾湾には、野生のイルカが暮らしています。もともとこの海に代々暮らしてきた群れではありません。2001年ごろ、2頭のミナミハンドウイルカが七尾湾に姿を見せるようになりました。やがて子どもが生まれ、家族が増えていきます。

波の穏やかな七尾湾には餌となる魚もいて、いつしかイルカたちはこの海を暮らしの場所にするようになりました。能登島を訪れる人にとっても、野生のイルカに出会えることは大きな魅力となり、イルカウォッチングが島の観光の一つになっていきます。ところが2024年1月1日。イルカたちが暮らす海のすぐそばで、大地が大きく動きました。

あの日、イルカたちは何を感じていたのだろう

地震が起きた瞬間、海の中でイルカたちが何を感じたのか。それを私たちは知ることができません。大きな揺れや海中を伝わる音、そして海底や沿岸で起きた変化を、敏感な聴覚を持つイルカたちは何らかの形で感じていた可能性はあるでしょう。

けれど、「大地震が起きた」と人間のように意味づけていたわけではありません。明日の港がどうなるのか。観光客が来なくなるのか。島を離れる人がどれほどいるのか。そんな「震災後」を考えていたわけでもありません。

イルカに必要だったのは、おそらくもっと切実なことです。今を生きること。泳ぐ。息をする。仲間と行動する。そして魚を追う。昨日までと同じように、その日の命をつないでいく。

イルカは「戻ってきた」のではない

震災後の能登島でイルカの姿を見ると、「イルカが帰ってきた」と言いたくなるかもしれません。でも、少し違うのでしょう。イルカたちは、そこにいました。人間の暮らしが大きく変わってしまった間も、七尾湾で命をつないできました。

もちろん震災によって海中環境がどのように変化し、それが魚やイルカへどんな影響を及ぼしたのかを簡単に決めつけることはできません。ただ現在もイルカの家族がこの湾で暮らしている。少なくとも、彼らが生きていける海が今もここにあるということなのでしょう。

タイトルに置いた言葉が、ここでも浮かんできます。海はそこにある。そして、その海で暮らす命もあるのです。

イルカがいても、旅人が戻るとは限らない

けれど人間の側では、事情が違います。イルカが泳いでいるからといって、観光客が自然に戻ってくるわけではありません。道路や宿泊施設などの状況もある。「今、能登へ行って大丈夫なのだろうか」と迷う人もいるでしょう。

そして観光客を迎える側にも、「本当にまた来てくれるのだろうか」という不安があるはずです。番組に登場するイルカウォッチングのガイドは、それでも観光客が戻ってくることを信じ、自らを奮い立たせながら海へ出ます。そこには一つの船を動かす以上の意味があるように思います。

「人を迎える」という日常

観光という言葉を、経済だけで考えてみると、何人来た。いくら使った。宿泊者数が何%まで戻った。そんな数字になります。もちろん、それも復興には欠かせません。でも島で暮らしている人にとって、旅人が来るということには、もう少し違った意味もあるのではないでしょうか。

船に乗った人がイルカを見つける。「あっ、いた!」と声が上がる。子どもが笑う。初めて能登島へ来た人が、「また来たいね」と言って帰っていく。そんな何気ない光景もまた、震災によって失われた「いつもの暮らし」の一つだったはずです。

だからイルカウォッチングの船が再び海へ出るということは、島がもう一度、人を迎える場所になるということでもあるのでしょう。

イルカは今日を泳ぎ、人間は「これから」を考える

考えてみれば、少し不思議です。同じ七尾湾にいても、人間とイルカでは時間の見つめ方が違います。人間は、「あの日、何が失われたのか」を振り返ります。そして、「これから、どう暮らしていこう」と未来を考えます。イルカたちはそんな区切りとは関係なく、今日も海を泳いでいます。

どちらが強いとか、正しいという話ではありません。ただ、その姿を見ていると、今日を生きることの積み重ねが、いつか「これから」になるのかもしれない。そんなことを思います。

漁師は今日の網を引く。ガイドは今日の船を出す。イルカは今日の魚を追う。そうして能登島に、一日がまた積み重なっていきます。しかし――。その一方で、この島で暮らすことを諦めざるを得なかった人たちもいます。家を失った。仕事を失った。これからの生活を考えて、島を離れた。それもまた、震災後の能登島の現実です。

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島を離れる人、島に残る人──「ここで暮らす」という選択

「これから、どこで暮らしていくのか?」

能登半島地震のあと、多くの人がそんな問いを突きつけられました。家が壊れた。道路が傷ついた。仕事を続けられるか分からない。買い物はどうするのか。病院へ通えるのか。子どもたちの学校はどうなるのか。そして何より、ここで、もう一度暮らしをつくり直せるのだろうか?

能登島でも450を超える家屋が被害を受け、島を離れた人が少なくありません。でも、その人たちは能登島が嫌いになって出ていったわけではないのでしょう。

「故郷だから」だけでは暮らしていけない

生まれ育った家がある。いつも見てきた海がある。近所には昔から知っている人がいる。先祖の墓があり、祭りがあり、思い出がある。それでも、「好きな場所」と「これから生活できる場所」は、必ずしも同じではありません。

若い世代なら、仕事や子育てを考えて金沢などへ移るという選択もあるでしょう。高齢になれば、医療や買い物、交通のことはさらに切実になります。家を建て直すにも、お金と時間が必要です。そして一度大きな地震を経験したあと、「また起きたらどうしよう」という不安を抱える人がいても不思議ではありません。

だから島を離れることを、「故郷を捨てた」などと簡単に言うことはできません。むしろその人にとっては、家族と自分の「これから」を守るために選ばざるを得なかった道なのかもしれません。

残ることにも、覚悟がいる

一方で、島に残ることを選んだ人もいます。なぜ残ったのでしょう?仕事があるから、家族がいるから、ここでしかできない漁があるから、この海が好きだから…。あるいは、理由を一つには決められず、「ここが自分の暮らす場所だから」ということなのかもしれません。

ただ、残ると決めたからといって、不安がなくなったわけではないでしょう。人口が減れば、地域の暮らしを維持することは難しくなります。漁業も観光も、一人では成り立ちません。祭りだって、舞う人、囃す人、見る人がいて初めて続いていきます。

島に残るということは、震災前と同じ生活へ戻ることではなく、人が少なくなった島で、新しい暮らし方を探していくことでもあるのでしょう。

「仕方ない」は、あきらめではない

震災前へ時間を戻すことはできません。壊れてしまったものもある。島を離れた人もいる。失われた風景もある。それを全部、「いつか元通りにしよう」と考えるだけでは、前へ進めないこともあるのかもしれません。そんなとき人は、「仕方ない。じゃあ、ここからどうしよう」と考えます。

「仕方ない」という言葉には、ときどき後ろ向きな響きがあります。でも本当は、現実を受け入れた人にしか言えない、とても重い言葉なのかもしれません。忘れたわけではない。納得したわけでもない。まして、失ったものが惜しくないわけではない。

それでも、今日から先の時間を生きなければならない。そのために、いったん現実を引き受ける。それもまた「これから」を生きるということなのでしょう。

離れても、故郷はなくならない

そしてもう一つ、忘れたくないことがあります。島を離れることと、能登島とのつながりを失うことは同じではありません。別の町で暮らすようになっても、故郷は故郷です。正月になれば帰りたいと思うかもしれない。墓参りにも来るでしょう。昔の友人に会いたくなる日もある。

ましてや今回地震が起きたのは「元旦」でした。「正月やお盆だから地震が来ないわけではない」ということは今回、骨身に染みています。

そして祭りの日になれば――「今年も獅子舞をやるのかな」と思い出す人もいるのかもしれません。人が住む場所は変わっても、人と土地との関係まで地図上の住所のように簡単に書き換わるわけではありません。だから島に残った人たちが祭りを続けることには、別の意味も生まれてくるように思います。

人が減った島で、それでも獅子は舞う

秋が来ます。集落に太鼓や笛の音が響きます。獅子舞の練習が始まります。震災後の生活を立て直すだけでも大変なのに、なぜ今、祭りをするのでしょう。食べ物が増えるわけではありません。家が直るわけでもありません。道路が復旧するわけでもない。合理性だけで考えれば、祭りは後回しでもいいはずです。

でも、島に残った人。一度島を離れた人。子どもたち。昔からこの祭りを知っている人。そんな人たちを、年に一度もう一度同じ場所へ結び直すものが、祭りなのかもしれません。

海へ出て網を引いていた漁師は、今度は獅子を舞わせます。魚を獲るのが今日を生きるためなら、祭りを続けることは、「ここにはまだ暮らしがある」と明日へ伝えるため⁠でもあるのです。

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獅子を舞う──祭りは「昔」を懐かしむためだけにあるのか?

秋になると、能登島の集落に祭りの音が戻ってきます。太鼓が鳴り、笛が響き、獅子が舞う。昔からこの土地で暮らしてきた人にとって、その音を聞くだけで、「今年も秋が来たな」と思えるのかもしれません。

震災によって多くのものが変わった島で、昔と同じように祭りが行われる。それは確かに、懐かしく、うれしい光景でしょう。でも――。祭りは、懐かしむだけでは続きません。

「残したい人」だけでは、残せない

長く島で暮らしてきた人なら、「この祭りだけは残したい」と思うかもしれません。自分が子どものころから見てきた獅子舞。親も祖父母も知っていた祭り。できることなら、自分がいなくなったあとにも続いてほしい。

でも祭りを実際に動かすには、人が必要です。獅子を舞う人。太鼓を叩く人。笛を吹く人。準備をする人。そして、その役割を次に受け継ぐ若い人。

ところが震災によって島を離れた人もいます。それ以前から、地方では人口減少や高齢化という問題を抱えていました。だから年長者の胸には、もしかするとこんな迷いもあるのではないでしょうか? 「自分たちが残したいからといって、若い人たちにその負担を背負わせていいのだろうか」

懐かしいだけなら、思い出の中にも残せる

これは少し厳しい言い方かもしれません。昔を懐かしむだけなら、祭りを続けなくてもできます。古い写真を見ることもできる。昔の映像を残すこともできる。「あのころは賑やかだったな」と思い出話をすることだってできます。

それでも人は、なぜ祭りを続けようとするのでしょう。おそらく祭りには、記憶を保存する以上の役割があるからです。一緒に準備をする。練習のために集まる。久しぶりに顔を見る。子どもが大人の真似をする。島を離れた人が、祭りの日だけ帰ってくる。そうやって祭りは、人と人をもう一度つなぎます。

震災によって離れてしまった人たちを、「同じ場所で暮らしていた人たち」として、もう一度結び直してくれるのです。

受け継ぐということは、同じ形を守ることなのか

そして、ここにはもう一つ大切なことがあります。伝統を未来へ残すというと、昔とまったく同じ形を守ることだと思ってしまいがちです。でも人が減れば、昔と同じ人数ではできません。若い世代には若い世代の暮らしがあります。

仕事もある。家族もいる。島の外で生きている人もいる。ならば、人数を減らしてもいい。やり方を変えてもいい。昔と少し違う祭りになってもいい。大切なのは形を一切変えないことではなく、次の世代が「自分たちもやってみよう」と思える形で渡すことなのかもしれません。

伝統とは、古いものをそのまま保存することではなく、その時代を生きる人が少しずつ手を加えながら、次へ渡していくもの。そう考えれば、祭りにもまた「これから」があります。

年長者もまた、若い人たちに支えられている

年を重ねれば、自分一人ではできなくなることが増えていきます。祭りだけではありません。漁業も、地域の暮らしも、道路も、医療も、買い物も。今まで自分たちが地域を支えてきたと思っていた人が、いつしか若い世代に支えられる側になっていく。

それは少し寂しくもあり、申し訳なく感じることもあるのかもしれません。だからこそ、「年寄りには懐かしいんだろうけど……」と思われているのではないか。そんな心配をする人がいたとしても、不思議ではありません。

でも、もし若い人が獅子を担いでくれたなら。太鼓を叩いてくれたなら。あるいは祭りを見ながら笑ってくれたなら。それは昔を再現してくれているのではなく、自分たちなりの「これから」を、この島につくろうとしているということなのかもしれません。

漁師が獅子を舞う理由

朝、海へ出ていた漁師がいます。その人が秋になると、獅子舞に思いを込めます。ここまで旅をしてくると、その二つがようやく一本につながります。漁は、自分たちが今日を生きるために続けるもの。祭りは、この島に暮らす人たちが明日もつながっているために続けるもの。

どちらも、「昔と同じ能登島へ戻るため」ではないのでしょう。変わってしまった島で、それでも今日を暮らし、次の世代へ何かを渡していくためです。

太鼓が鳴ります。獅子が舞います。その姿を見つめる年長者の隣に、若い人がいる。そして子どもがいる。その子が将来、能登島で暮らしているかどうかは分かりません。でも、「自分が育った島には、こんな祭りがあった」という記憶は残るでしょう。

人が土地を離れることはあっても、土地が人の中から消えてしまうとは限りません。祭りとは、もしかするとそんな目には見えない故郷を、次の世代へ渡す営みでもあるのかもしれません。

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海はそこにある──「これから」を生きる能登島

夕暮れが近づくと、七尾湾の海は少しずつ色を変えていきます。
朝、この海へ船を出した漁師がいました。沖ではイルカの家族が泳いでいました。そのイルカに会いに来てくれる人を待ちながら、船を出すガイドがいました。そして秋になれば、集落には太鼓や笛の音が響き、獅子が舞います。どれも能登島では、ずっと繰り返されてきた風景です。けれど今、それを以前とまったく同じ「日常」と呼ぶことはできないのでしょう。

戻らないものがある

地震によって壊れた家があります。変わってしまった海岸があります。島を離れた人がいます。そして、震災前と同じ形には戻らない暮らしもあるでしょう。だから私たちは、簡単に、「能登島は復興しました」とは言えません。

道路が直ったから。船が出せるようになったから。観光客が戻ってきたから。祭りが再開されたから。それだけで、そこで暮らしている一人ひとりの人生まで元通りになったわけではないからです。

そして島を離れた人にとっても、震災は終わった出来事ではないのかもしれません。新しい町で暮らしていても、ふと能登の海を思い出す日がある。祭りの季節になれば、太鼓の音を思い出す。「あの家がまだあったら」と思うことだってあるでしょう。復興という一つの言葉では括れない、それぞれの時間が今も続いています。

それでも「今日」はやってくる

けれど、時間は止まりません。朝になれば漁師は海を見る。魚が獲れれば港へ帰る。イルカウォッチングのガイドは空と海を見ながら、船を出せるか考える。祭りの日が近づけば、人が集まって獅子舞の準備をする。昨日とまったく同じ今日ではありません。

震災前と同じ暮らしでもありません。それでも、今日を暮らして、明日を迎える。その繰り返しが、この島の「これから」を少しずつつくっているのでしょう。

「仕方ない。じゃあ、ここから」

失ったものを取り戻したい。できることなら、あの日より前へ戻りたい。そう思うこともあるでしょう。でも時間を戻すことはできません。だから、「仕方ない。じゃあ、ここからどうしよう」と考える。

それは決して、あきらめではありません。過去を忘れることでもありません。失ったものを「なかったこと」にすることでもありません。悲しいものは悲しい。悔しいものは悔しい。帰りたい人だっている。それを抱えたまま、それでも明日の暮らしを始める。その静かな決意が、能登島のあちこちにあるような気がします。

海はそこにある

この旅の最初に、「海はそこにある」と書きました。震災によって大地は動き、海岸の姿が変わったところもあります。だから、それは「昔と何も変わらない」という意味ではありません。むしろ反対なのかもしれません。

変わってしまった。それでも、そこにある。漁師にとっては魚を獲る海。イルカにとっては命をつなぐ海。ガイドにとっては旅人を迎える海。そして島を離れた人にとっては、遠くから思い出す故郷の海なのかもしれません。同じ海を見ても、それぞれに違う「これから」があります。

明日の朝も

やがて日が暮れます。漁船が港へ戻り、祭りの音も静かになっていきます。そして一日が終わります。でも、これは物語の終わりではありません。明日の朝になれば、また海があります。船を出す人がいるでしょう。イルカは魚を追っているでしょう。

島に残った人は、その日の暮らしを始めます。島を離れた人も、それぞれの町で新しい一日を始めます。どちらも震災の「その後」を生きています。どちらが正しかったのでもありません。それぞれが、自分の場所で、「これから」を生きている。

「復興」という言葉で、この旅に終止符を打つのはまだ早いのでしょう。だから今は、こうして旅を終えたいと思います。海はそこにある。そして明日の朝も、その海のそばで、能登島の「これから」が始まります。


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