瀬戸内海に浮かぶ山口県・平郡島(へいぐんとう)。かつて多くの若者たちが進学や就職のために島を離れました。宮本佐代子さんと忠弘さんもその一人です。15歳で故郷を巣立ち、それぞれの人生を歩んだお二人。しかし心のどこかには、いつも平郡島の海と人々の笑顔がありました。
「いつかは帰りたい。」
そんな思いを胸に抱きながら年月を重ね、60歳を過ぎた頃、大きな決断をします。それは、故郷の島へ戻り、自分たちの手で新しい居場所をつくること。空き家だった親戚の家を改装し、民宿『夕凪』を開業。さらに島唯一の食堂も始めました。忠弘さんが釣り上げる新鮮な魚、佐代子さんが腕を振るう島の恵みを生かした料理。そして何より、人と人が自然に集まる温かな時間。
『人生の楽園』では、45年ぶり、50年ぶりに故郷へ帰った夫婦が紡ぐ「第二の人生」と、島の人々との心温まる交流を紹介します。
故郷は離れてしまえば終わりではありません。帰りたいと願い続けた人を、静かに待ち続けてくれる場所なのかもしれません。
【放送日:2026年6月20日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】
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15歳で島を離れた日|平郡島の子どもたちが歩む道
瀬戸内海に浮かぶ平郡島は、美しい海と豊かな自然に囲まれた小さな島です。しかし、この島で育つ子どもたちは、ある日大きな決断を迎えます。島には中学校までしかなく、高校へ進学するためには本州へ渡らなければならないのです。佐代子さんもその一人でした。
15歳で親元を離れ、島を出て高校へ進学。同じく平郡島出身の忠弘さんも、若くして故郷を離れ働き始めました。当時の平郡島では珍しいことではありません。多くの若者たちが進学や就職のために島を離れ、新しい生活へ踏み出していきました。それは夢を追うためでもあり、生きていくためでもありました。
一方で、島を離れることは故郷との別れを意味するわけではありません。青い海や懐かしい港の風景、家族や友人たちとの思い出は、離れて暮らしていても心の中に残り続けます。佐代子さんと忠弘さんにとって平郡島は、遠く離れても忘れることのできない場所でした。
人生の新しい一歩を踏み出すために島を離れた15歳の日。その旅立ちは、後に再び故郷へ帰る長い物語の始まりでもあったのです。
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故郷を胸に生きる|島を離れて築いた家族の時間
平郡島を離れた佐代子さんと忠弘さんは、それぞれ新しい人生を歩み始めました。22歳の時にお見合いで結婚したお二人は、神奈川県で新婚生活をスタートさせます。やがて3人の子どもに恵まれ、家族を支えながら忙しくも充実した毎日を送っていました。仕事があり、家庭があり、笑い声の絶えない暮らしがありました。
誰が見ても幸せな家庭だったことでしょう。それでも、お二人の心の中にはいつも平郡島がありました。瀬戸内の穏やかな海。島の人々の温かさ。子どもの頃から見慣れた故郷の風景。島を離れて長い年月が過ぎても、その記憶が薄れることはありませんでした。
休みが取れれば島へ帰る。家族とともにフェリーに乗り、懐かしい故郷の空気を味わう。そんな時間が何よりの楽しみだったといいます。
人は新しい場所で暮らし、新しい家族を築くことができます。けれど、生まれ育った場所への想いは簡単には消えません。佐代子さんと忠弘さんにとって平郡島は、遠く離れていても心の拠り所であり続けました。そしてその想いは、いつしか「いつかは帰りたい」という願いへと変わっていったのです。
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いつか帰りたい|夫婦を支えた故郷への想い
神奈川で家庭を築き、子育てに追われる日々。忙しい毎日の中でも、佐代子さんと忠弘さんの心から平郡島が消えることはありませんでした。お盆やお正月の休みになると、フェリーに乗って故郷へ帰る。久しぶりに見る島の景色は、いつもどこか懐かしく、心をほっとさせてくれました。
島で暮らす家族や友人たちとの再会も楽しみのひとつでした。帰るたびに感じるのは、都会では得られない温かさです。誰かが声をかけてくれる。顔を見れば近況を気にかけてくれる。そんな人とのつながりが、島には当たり前のように残っていました。
やがてお二人は、平郡島に近い山口県光市へ移住します。それは故郷へ帰る準備だったのかもしれません。けれど現実には、島には十分な仕事がありません。帰りたい気持ちはあっても、暮らしていくことを考えると簡単な決断ではありませんでした。
それでも故郷への想いは消えません。
「いつかは帰りたい」
その願いは年を重ねるごとに少しずつ大きくなり、夫婦を支える心の支柱となっていきました。
遠く離れていても、故郷は心の中にあり続ける。そしてその想いは、人生の大きな転機を迎えた時、再び強く動き始めることになるのです。
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帰るなら今しかない|病を越えて決めた第二の人生
故郷へ帰りたい。その想いは長い間、佐代子さんと忠弘さんの心の中にありました。けれど現実には、仕事や生活があり、なかなか決断することはできません。
「いつか帰りたい」
その“いつか”は、気が付けば何十年も先送りになっていました。そんな中、佐代子さんの人生を大きく揺るがす出来事が起こります。
59歳の時、人間ドックでステージ3の甲状腺がんが見つかったのです。突然の診断に大きな衝撃を受けたことでしょう。これまで当たり前だと思っていた毎日が、決して当たり前ではないことに気づかされた瞬間だったのかもしれません。
幸い手術は成功しました。しかし、その経験は佐代子さんに大切な問いを投げかけました。
「自分は本当にやりたいことを後回しにしていないだろうか?」
その答えとして心に浮かんだのが、平郡島でした。
いつかではなく、今。帰るなら今しかない。そして帰るなら、自分が愛してきた故郷の魅力を伝えたい。佐代子さんはそう決意します。その想いを打ち明けられた忠弘さんもまた、迷うことなく賛成しました。長い年月をかけて温めてきた夢が、ようやく現実へ向かって動き始めたのです。
人生には、計画していたからではなく、ある出来事をきっかけに進む道が変わることがあります。佐代子さんにとって病気との出会いは決して望んだものではありませんでした。けれど、その経験があったからこそ、夫婦は故郷へ帰る決断をすることができたのかもしれません。
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島唯一の食堂に集う笑顔|民宿『夕凪』が生んだ居場所
2020年4月。佐代子さんと忠弘さんは、空き家になっていた親戚の家を改装し、念願だった『民宿 夕凪』をオープンしました。45年ぶり、50年ぶりに故郷へ戻り、新たな人生のスタートを切ったのです。
宿を始めるだけではありませんでした。「平郡島のおいしいものを味わってほしい」そんな思いから、島唯一の食堂も開きます。料理を担当するのは佐代子さん。保育園の給食調理の仕事で培った経験を生かしながら、島の恵みをふんだんに使った料理を作ります。
そして釣り好きの忠弘さんは、自ら海へ出ます。瀬戸内の海で釣り上げた新鮮な魚は、その日の食卓を彩る大切な主役です。
宿を訪れた人はもちろん、島の人たちも気軽に立ち寄ります。食事をしながら近況を語り合い、笑い合う。そんな時間が自然に流れていきます。人口減少が続く島では、人が集まる場所そのものが貴重な存在です。
『夕凪』は宿であると同時に、島の人々の憩いの場にもなっていました。佐代子さんが叶えたかったのは、民宿経営だけではなかったのかもしれません。
大好きだった故郷の魅力を伝えたい。そして、人と人がつながる場所を残したい。その願いは、島唯一の食堂に集まる笑顔の中で、少しずつ形になっているのです。
お食事&民宿 夕凪
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故郷は待っていてくれた|平郡島に響く「おかえり」
15歳で島を離れた佐代子さん。同じく若くして故郷を巣立った忠弘さん。それぞれの人生を歩みながら、二人は長い年月をかけて再び平郡島へ帰ってきました。
45年ぶり、50年ぶりの帰郷。その時間の長さを思えば、島はずいぶん変わっていたことでしょう。人口は減り、かつての賑わいも少なくなりました。
けれど変わらなかったものもあります。瀬戸内の穏やかな海。島を吹き抜ける風。そして人と人との温かなつながりです。
民宿『夕凪』には今日も島の人々が集います。食事を楽しみながら語り合い、笑顔を交わす時間。そこには観光地の賑わいとは違う、故郷ならではの温もりがあります。
佐代子さんは「島に恩返しがしたい」と語ります。その言葉の通り、『夕凪』は宿であり食堂であり、人が集う居場所にもなりました。けれど実は、恩返しをしているのはご夫婦だけではないのかもしれません。
長い年月を経て帰ってきた二人を、平郡島もまた温かく迎え入れてくれました。「ただいま」「おかえり」その何気ない言葉の中に、故郷の持つ大きな優しさが詰まっています。
人生には、一度離れなければ見えない大切なものがあります。そして長い旅のあとに帰る場所があることは、とても幸せなことなのかもしれません。
平郡島の海を眺めながら暮らす佐代子さんと忠弘さんの姿は、そんなことを静かに教えてくれます。故郷は、待っていてくれた。その喜びを胸に、ご夫婦の新しい人生は今日も穏やかに続いています。
