遠野では、今も新しい物語が生まれている|1300本のブルーベリーと夫婦の第二の人生【人生の楽園】

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岩手県遠野市。山あいの集落を歩けば、田んぼの向こうに山があり、道のそばには小さな川が流れています。そんな何気ない風景の中で、人々は昔から不思議な物語を語り継いできました。

河童がいた。座敷童子がいた。山には、人間には見えない何かがいた。柳田國男の『遠野物語』に残された話の多くは、はるか遠い世界の出来事ではありません。人々が畑を耕し、馬を飼い、山へ入り、川のそばを歩く――。ごく普通の暮らしのすぐ隣に、不思議な物語がありました。

では、遠野で物語が生まれたのは、昔だけなのでしょうか。現代の遠野にも、一組の夫婦の小さな物語があります。大阪で生まれ、鉄道会社で電車のブレーキを整備していた打越義之さん。家族のために働きながら40代を迎えたころ、ふと思うようになりました。

「いつか、自然の中で暮らしてみたい」

最初は、それだけの淡い夢でした。ところが、一冊の本と出会います。そこに書かれていたのは、ブルーベリーを育てる暮らし。そして偶然訪れたレストランで、生のブルーベリージュースを飲みました。そのおいしさに驚いた義之さんは、「ブルーベリーの観光農園をやろう」と思います。

さらに心の奥から蘇ってきたのが、学生時代に旅した島での記憶でした。宿の主人に家族のように迎えてもらった、あの温かな時間。ならば自分も、いつか旅人を迎える宿をやりたい。

ブルーベリー農園と、小さな宿。

二つの夢を一緒にかなえられる土地を探し始めました。しかし、見つかりません。50歳から土地を探し続けて、7年。もう無理なのかもしれない。そう思いかけたころ、インターネットの向こうに突然、探し続けていたような場所が現れました。

場所は――岩手県遠野市。東京ドームよりも広い土地。1000本を超えるブルーベリーの成木。そして、暮らすことのできる家まである。昔の遠野物語なら、山の神に導かれたとでも語ったでしょうか。

もちろん現実には、長い土地探しの末にインターネットで見つけた物件です(笑)。それでも、7年間探していた夫婦の前に現れた場所が「物語の里・遠野」だったことに、どこか不思議な巡り合わせを感じます。

56歳で会社を早期退職。夫婦で大阪から遠野へ移住し、2018年、念願だったブルーベリー観光農園「つくしファーム」を開きました。現在、広大な農園で育てているブルーベリーは11種類、約1300本。さらに自宅の2階を改装して、一日一組を迎える宿も始めました。

旅人はブルーベリーを摘み、その味を楽しみ、遠野の自然に触れる。そして義之さん自身も、今では遠野の観光ガイドとして、この土地の自然や文化を旅人に伝えています。かつて旅先の宿で、温かく迎えてもらった一人の青年。その青年が何十年もの時を経て、今度は旅人を迎え、遠野の物語を語る人になりました。

『遠野物語』が世に出てから100年以上。河童や座敷童子の話だけが、遠野の物語ではないのでしょう。この土地へやってきた人。ここで暮らし始めた人。ブルーベリーを育てる人。そして、そこを訪れる旅人。人が生きている限り、きっと新しい物語は生まれ続けます。

今回は1300本のブルーベリーが実る農園を歩きながら、大阪からやってきた一組の夫婦が、どのようにして「遠野の新しい物語」の登場人物になっていったのか。その続きを、少し覗かせてもらいましょう。

【放送日:2026年8月15日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】

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  1. 一杯のブルーベリージュースから始まった──「いつか田舎で暮らしたい」が夢になるまで
    1. 「このままでいいのかな」
    2. 一冊の本が「暮らし」を見せてくれた
    3. 人生を動かした、一杯の紫色
    4. その夢を、美保子さんはどう聞いたのだろう
    5. もう一つ、忘れていた夢があった
  2. 7年間探して、たどり着いたのは遠野だった──1000本のブルーベリーが待っていた土地
    1. 遠野では、昔から「なぜか」を物語にしてきた
    2. 56歳、会社を辞める
    3. 1000本から、1300本へ
    4. つくしファーム
  3. 1300本の紫の実と暮らす──ブルーベリー農家になった夫婦
    1. 「田舎で暮らしたい」が、「農家として暮らす」に変わった
    2. 同じブルーベリーなのに、みんな違う
    3. 「実をつけてくれるのが、最高の喜び」
    4. 電車のブレーキから、ブルーベリーへ
    5. 何もないところから始めたわけではなかった
    6. 夫婦で迎える、遠野の朝
  4. 旅人だった人が、旅人を迎える人になった──一日一組の小さな宿
    1. かつて、自分も一人の旅人だった
    2. 「泊まる」と「暮らす」の間にある宿
    3. 今度は、遠野の物語を手渡す人へ
    4. 旅人だった人が、旅人を迎える人になった
    5. 美保子さんも、一緒にここまで来た
    6. 「おかえり」と言える場所になったとき
    7. 遠野の物語に、新しい登場人物が加わった
  5. 遠野では、今も新しい物語が生まれている──夫婦が見つけた第二の故郷
    1. 昔話の続きを生きている人たち
    2. 故郷になるのは、いつなのだろう?
    3. 人は、土地の物語に加わっていく
    4. 今日も、紫色の実が一つ
    5. 遠野では、今も新しい物語が生まれている
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一杯のブルーベリージュースから始まった──「いつか田舎で暮らしたい」が夢になるまで

物語の始まりは、岩手県遠野市ではありません。大阪です。高校を卒業した打越義之さんは、鉄道会社に就職しました。担当したのは、電車のブレーキを整備する仕事。毎日たくさんの人を乗せて走る電車を、安全に止めるための大切な仕事です。

華やかではないかもしれません。けれど、誰かがきちんと整備してくれているから、私たちは駅へ着いた電車が当たり前のように止まることができます。

そんな仕事を続けていた22歳のころ、義之さんは医薬品会社に勤めていた美保子さんと出会いました。3年間の交際を経て結婚。やがて3人の子どもが生まれます。

仕事へ行く。家へ帰る。子どもたちが大きくなっていく。また朝になれば仕事へ向かう。そんな毎日が積み重なっていきました。特別な物語ではありません。でも、おそらく人生の大部分とは、こうした何も起こらないように見える時間でできているのでしょう。

「このままでいいのかな」

そして義之さんが40代になったころ。心の中に、小さな思いが芽生え始めます。アウトドアが好きだった義之さんは、「いつか自然に囲まれた田舎で暮らすのもいいなあ」と考えるようになりました。会社が嫌になったわけでも、大阪での生活を捨てたくなったわけでもなかったのでしょう。

むしろ仕事を続け、家族を育て、それなりに人生を歩いてきたからこそ、ふと立ち止まったときに、「この先、自分はどう生きていきたいのだろう」という問いが見えてきたのかもしれません。

若いころは、目の前にあるものを追いかけるだけで精いっぱいです。就職する。結婚する。子どもを育てる。生活を支える。ところが人生の折り返しが見えてくると、不思議なことに今度は前ではなく、遠くを見るようになります。あと何年働くのだろう? 仕事を辞めたあと、何をするのだろう? そして、「いつか」と思っていることを、本当にいつかやるのだろうか?

義之さんにとって、その答えの一つが「自然の中で暮らすこと」でした。ただ、このころはまだ淡い憧れです。遠野へ行こうとも、農家になろうとも、まして1300本のブルーベリーを育てることになるとも思っていません。人生の進路を変えるには、まだ何かが足りませんでした。

一冊の本が「暮らし」を見せてくれた

そんなころ、義之さんは一冊の本と出会います。『農的生活12か月』。そこには、土に触れ、植物を育て、季節とともに暮らす生活がありました。そして義之さんが惹かれたのが、ブルーベリーの育て方。

田舎で暮らしたい。それまで輪郭のぼんやりしていた夢に、少しだけ形が見えてきます。自然の中で暮らすだけではなく、自分で何かを育てながら暮らす。

とはいえ、本を一冊読んだからといって会社を辞める人は、そう多くありません(笑)。この時点でもまだ、「こんな暮らしができたらいいな」だったのでしょう。ところが人生には、ときどき妙な一押しがあります。

人生を動かした、一杯の紫色

ある日、偶然訪れたレストランで、義之さんは生のブルーベリージュースを飲みました。そのおいしさに驚きます。ブルーベリーといえば、ジャムやヨーグルトに添えられたものを思い浮かべる人も多いでしょう。けれど完熟した果実を使ったジュースには、それとは違う味わいがあったのでしょう。

そして義之さんの中で、それまで別々だったものが突然つながります。田舎で暮らしたい。農的な生活をしてみたい。ブルーベリーを育ててみたい。そして、このおいしさを誰かにも味わってもらいたい。

「ブルーベリーの観光農園をやろう!」

淡い憧れが、初めて具体的な「夢」になりました。人生を大きく変えようとしたのは、大きな決断ではありませんでした。一冊の本。そして、一杯のブルーベリージュース。ずいぶん小さなきっかけです。でも人生の進路を変えるものは、案外そんなところに転がっているのかもしれません。

その夢を、美保子さんはどう聞いたのだろう

ここで、少し気になることがあります。義之さんには、一人で決められない理由がありました。美保子さんです。22歳で出会い、25歳で結婚し、3人の子どもを一緒に育ててきた妻。そんな夫からある日、「田舎へ移って、ブルーベリー農園をやりたい」なんて聞かされたら――。

美保子さんは、最初に何と言ったのでしょう? 番組の紹介から、そのときの気持ちまでは分かりません。「面白そう」と思ったのか。「本気なの?」と驚いたのか…。それとも、長く一緒に暮らしてきたからこそ、「この人なら、そのうち何か始めると思っていた」くらいだったのかもしれません(笑)。そこは想像するしかありません。

ただ一つ確かなのは、その後二人は一緒に土地を探し、やがて大阪を離れ、遠野で暮らすことになります。つまり義之さん一人の夢だったものは、どこかで、夫婦二人の人生の続きをつくる夢へ変わっていったのでしょう。

もう一つ、忘れていた夢があった

そして義之さんには、もう一つ心の奥に残っていた記憶がありました。学生時代に訪れた島。そこで泊まった宿の主人から、家族のような温かいもてなしを受けたことです。何十年も前の旅なのに、その記憶は消えていませんでした。

ブルーベリー農園をやるなら、宿もやってみたい。自分が昔してもらったように、今度は自分が旅人を迎えてみたい。こうして夢は、もう一つ増えました。ブルーベリー農園と、旅人を迎える宿。

問題は――そんな都合のいい場所が、いったいどこにあるのかということです(笑)。50歳になった義之さんは、美保子さんとともに土地を探し始めます。最初は関西周辺。しかし、なかなか見つかりません。

一年。二年。三年。それでもなかなか見つからない。やがて土地探しは、7年にも及ぶことになります。このとき二人はまだ知りません。ずっと探していた条件を満たす場所が、関西からはるか遠く離れた東北にあることを。そしてそこには――1000本を超えるブルーベリーが、すでに育っていました。場所は、岩手県遠野市。昔から数え切れないほどの不思議な物語が語られてきた土地です。夫婦の新しい物語は、まだ始まったばかりでした。

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7年間探して、たどり着いたのは遠野だった──1000本のブルーベリーが待っていた土地

50歳になった打越義之さんは、美保子さんと土地を探し始めました。かなえたい夢は、もうはっきりしています。ブルーベリーの観光農園をつくりたい。そして、旅人を迎える宿もやりたい。

最初に探したのは、暮らしていた大阪からも比較的近い関西周辺でした。けれど、農園ができるほど広い土地があり、ブルーベリーを育てる環境があり、さらに宿までできる場所となると、そう簡単には見つかりません。言うまでもなく”予算”もあります(笑)

インターネットで物件を見る。問い合わせる。条件を調べる。「ここなら」と思っても、何かが合わない。また探す。そんなことを何度繰り返したのでしょう。一年が過ぎます。二年。三年。それでも見つかりません。

「そんな場所、本当にあるのかな」

夢を持つことはできます。でも、夢を持ち続けることは案外難しいものです。最初のころなら、新しい物件を見るたびに、「ここはどうだろう」「ちょっと見に行ってみようか」と心が弾んだかもしれません。それが何年も続けば、少しずつ気持ちも変わっていきます。

そもそも、自分たちが探しているような場所なんて存在するのだろうか? 農園だけなら、ある。家だけなら、ある。田舎暮らしができる場所も、きっとある。でも二人が探していたのは、「ブルーベリーを育てながら、旅人を迎えて暮らせる場所」でした。

夢を少し小さくすれば、見つかったのかもしれません。どちらか一つを諦めれば、もっと早く次の人生へ進めたのかもしれません。それでも探し続けました。そして――7年。義之さんは57歳を迎えようとしていました。

いつまでも「いつか」と言っていられる年齢でもありません。半ば諦めかけていたころだったといいます。そんなある日、インターネットで一つの土地が目に留まりました。

そこには、もうブルーベリーが育っていた

場所は、関西ではありません。ずっと北へ離れた、岩手県遠野市。そこにあったのは、これから一から開墾して農園をつくるための土地ではありませんでした。

すでにブルーベリー農家が営まれていた土地です。所有者はリタイアを希望していました。敷地は、およそ1万5000坪。東京ドームよりも広い土地です。そして、そこには――1000本を超えるブルーベリーの成木がありました。さらに、家屋まである。

農園をやりたい。宿をやりたい。自然の中で暮らしたい。7年間探してきた二人の希望が、一つの土地に重なっていました。「こんなところがあったのか」そう思ったとしても、不思議ではありません。しかも、その場所があったのは、「民話の里」と呼ばれる遠野でした。

これは「偶然」だったのだろうか?

もちろん、何か不思議な力が二人を遠野へ連れてきたわけではありません。物件を売りたい人がいて、土地を探している人がいて、それがインターネットを通じて出会った。現実として説明すれば、それだけのことです。

河童が物件情報をメールしてきたわけでもありません(笑)。でも、人は不思議なもので、長い時間をかけて探していたものと、思いがけない場所で出会ったとき、「偶然だった」の一言だけでは片づけたくなくなることがあります。

「あのとき諦めなくてよかった」
「あの日、あのページを見なかったら」
「もう少し早かったら、まだ売りに出ていなかったかもしれない」
「もう少し遅かったら、誰かが買っていたかもしれない」、そして
そして…、「あのとき決断していなかったら」

そんな偶然が重なった先にある出会いを、私たちはときどき、「縁」と呼びます。そして、その縁が待っていた場所が遠野だった。そう思うと、少しだけ物語めいて見えてきます。

遠野では、昔から「なぜか」を物語にしてきた

遠野には昔から、たくさんの物語が残されています。山へ入った人が、不思議なものを見た。川辺で、説明のできない出来事に出会った。家の中に、何かの気配を感じた。それが本当に河童だったのか。山の神だったのか。座敷童子だったのか。今となっては分かりません。

けれど遠野の人々は、自然の中で起こる説明しきれない出来事や、人と人との不思議な巡り合わせを、物語として語り継いできました。ならば、現代を生きる私たちが、「7年間探していた夫婦が、なぜ最後に遠野へたどり着いたのだろう」と少しだけ物語を重ねてみても、いいのかもしれません。

民話が二人を呼んだ――。そこまで言ったら、さすがに言い過ぎでしょう(笑)。でも、遠野という土地と二人の人生が、ちょうど出会う時が来ていた。そう考えるくらいなら、許してもらえそうです。

56歳、会社を辞める

そして義之さんは決断します。56歳で、長年勤めてきた鉄道会社を早期退職。美保子さんとともに、大阪を離れます。行き先は、岩手県遠野市。考えてみれば、大きな変化です。高校を卒業してからずっと続けてきた仕事を辞める。長く暮らした関西を離れる。知り合いの少ない土地へ移る。

そして会社員から、農家になる。

インターネットで理想的な物件を見つけたからといって、それだけで人生を移せるわけではありません。画面に表示された「物件情報」を、自分たちの暮らしに変えるという最後の決断は、二人自身がしなければならなかったのです。

2018年。夫婦は遠野で、念願だったブルーベリー観光農園「つくしファーム」を開きました。7年前には、まだどこにあるのかさえ知らなかった場所。そこが今度は、二人が朝起きる場所になりました。

1000本から、1300本へ

そして現在。農園には11種類、およそ1300本のブルーベリーが育っています。二人が遠野へ来たとき、すでにそこにあった1000本を超える木。それを受け継ぎ、育て、さらに農園をつくっていった。ここにも、今回の物語で大切にしたいところがあります。

二人は何もない土地へやってきて、すべてをゼロからつくったわけではありません。誰かが育ててきた農園を受け継いだ。前の農家が植えた木があり、そこへ新しい夫婦がやってきて、また続きを育てている。それって、遠野に残る物語と少し似ているようにも思えます。

物語も、最初から最後まで一人がつくるものとは限りません。誰かから聞いた話を受け取り、そこへ自分の時間を少し加え、また次の誰かへ渡していく。

ブルーベリーの木も同じです。前の人が植えた木を受け取り、手入れをして、夏になれば新しい実をつける。大阪からやってきた二人は、遠野に新しい物語を持ち込んだだけではなく、すでにここにあった物語の続きを引き受けたのかもしれません。

では、会社員だった夫婦は、この1300本とどんな毎日を過ごしているのでしょう。次は農園の中へ入ってみましょう。大粒のスパルタン。甘いアーリーブルー。同じブルーベリーでも、一粒ずつ味が違います。

そして何より――会社の時計で動いていた暮らしが、今度は季節の時計で動き始めます。遠野へ来て、二人の時間そのものが変わっていったのかもしれません。

つくしファーム

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1300本の紫の実と暮らす──ブルーベリー農家になった夫婦

遠野へ移住した翌朝。打越義之さんと美保子さんが、どんな気持ちで目を覚ましたのかは分かりません。でも、もし窓を開けたなら、そこには昨日までの大阪とはまったく違う風景が広がっていたことでしょう。

山がある。広い空がある。季節の風が吹いている。そして家のすぐそばには、1000本を超えるブルーベリーの木がある。旅行なら、「きれいだね」と眺めていればいい風景です。でも、この日からは違います。この木々を育てていくのは、自分たちなのです。昨日まで会社員だった夫婦の、新しい朝が始まりました。

「田舎で暮らしたい」が、「農家として暮らす」に変わった

40代のころに思い描いたのは、「自然の中で暮らせたらいいなあ」という淡い夢でした。でも、実際に遠野へ来てみれば、「自然の中で暮らす」という言葉の意味も少し変わったはずです。

自然は、美しい風景だけではありません。春になれば植物が芽吹く。夏になれば草も伸びる。雨が降る。暑い日もある。冬になれば寒さと雪がやってくる。そして植物は、人間の都合を待ってくれません。

会社員だったころなら、暮らしの時間を決めるのは時計だったでしょう。朝になれば出勤する。決められた時間に仕事を始める。一日の仕事を終えて帰宅する。でも農家になれば、今度は季節が時計になります。

花が咲くころ。実が膨らむころ。紫色に熟すころ。収穫するころ。葉が色づくころ。冬を迎えるころ。ブルーベリーと暮らすことは、遠野の一年と一緒に暮らすことでもありました。

同じブルーベリーなのに、みんな違う

現在、つくしファームで育てられているブルーベリーは、11種類、約1300本。一口にブルーベリーといっても、すべて同じではありません。たとえば看板品種の一つが、スパルタン。大粒なのが特徴です。一方、アーリーブルーは小粒ながら、糖度の高さが魅力だといいます。

大きな実。小さな実。甘みの強いもの。酸味とのバランスを楽しめるもの。熟す時期も少しずつ違います。スーパーでパックに入ったブルーベリーを見ているだけでは、なかなか気づかない違いです。

でも1300本の木の間を歩いて、一粒ずつ自分の手で摘んでみれば、「あ、こっちのほうが甘い」「これ、ずいぶん大きいね」なんて会話が始まります。ブルーベリー狩りの面白さって、案外そんなところにあるのかもしれません。

特別な道具はいりません。高い木へ登る必要もありません。目の前の実を、自分の指で摘む。そして食べてみる。だから農園と旅人との距離も、自然と近くなります。

「実をつけてくれるのが、最高の喜び」

義之さんはブルーベリーについて、手間暇をかけた木が収穫の時期に実をつけてくれることが、最高の喜びだと話しています。これは、実際に育てた人でなければ分からない感覚なのかもしれません。

私たちはブルーベリーを見れば、「おいしそう」と思います。でも農家がその一粒を見るとき、その後ろにはもっと長い時間が見えているのでしょう。

冬を越したこと。春に花が咲いたこと。実がついたこと。少しずつ膨らんだこと。色が変わっていったこと。そして、ようやく収穫の日を迎えたこと。だから一粒のブルーベリーは、今日突然できたものではありません。遠野の季節を一周して、ようやく手のひらへやってきたものなのです。

電車のブレーキから、ブルーベリーへ

考えてみれば、不思議な人生です。大阪では長年、電車のブレーキを整備していました。そして今は遠野で、ブルーベリーの木を手入れしています。扱っているものは、まったく違います。鉄と植物。機械と生命。でも少しだけ、似ているところもあります。

ブレーキは、何も起こらないことが大切な仕事です。点検する。状態を見る。必要なところへ手を入れる。そして翌日も、安全に動くようにする。

ブルーベリーも、人間が無理やり実をつくらせることはできません。枝を見る。葉を見る。土を見る。必要な手入れをする。そして、実をつけるのを待つ。どちらも、最後に働くのは自分ではありません。

電車なら機械が働き、ブルーベリーなら植物自身が育っていく。人間にできるのは、そのための状態を整えること。もちろん二つの仕事に直接の関係があるわけではありません。それでも長い間「整える仕事」をしてきた義之さんが、今度は植物のそばで同じように手を動かしている。そう考えると、第二の人生は第一の人生と完全に切り離されたものでもないように思えてきます。

何もないところから始めたわけではなかった

そして、この農園にはもう一つ大切な時間があります。義之さん夫妻が移住してきたとき、ブルーベリーはすでに育っていました。前の農家が植え、育ててきた木です。二人は、その農園を受け継ぎました。そして現在は約1300本。つまり、ここで続いているのは打越さん夫妻だけの時間ではありません。

前に育てた人がいる。それを受け取った人がいる。そして今年も木に実がなる。人が代わっても、木の時間は続いていく。これも遠野という土地には、どこか似合う気がします。

民話だって、そうでしょう。最初に誰が話したのか分からない。誰かが聞いた。別の誰かへ話した。少しずつ形を変えながら、それでも物語は残っていった。ブルーベリーの木も、誰かから誰かへ受け渡されながら、毎年新しい実をつけています。

夫婦で迎える、遠野の朝

もちろん、田舎暮らしはきれいなことばかりではないでしょう。広大な農園を維持するのは大変です。天候は思い通りになりません。農作物には、その年ごとの出来・不出来があります。それでも朝になれば、二人でまた農園へ出る。

昨日より少し色づいた実がある。「あれ、もう食べられるかな」なんて一粒摘んでみる。甘かったら、ちょっとうれしい。そんな小さな出来事が積み重なって、「移住先」だった遠野が、少しずつ「暮らしている場所」に変わっていったのではないでしょうか?

新しい土地へ引っ越した最初の朝は、きっと特別です。でも本当に大切なのは、二日目。三日目。一年目。そして何年もたったあとの、何でもない朝なのかもしれません。

目を覚まして、「おはよう」と言う。窓の外を見る。ブルーベリーの木がある。今日もやることがある。それがいつの間にか当たり前になったとき、その土地はもう、第二の故郷になっているのでしょう。

そして2020年。そんな夫婦の家に、今度は別の人の「おはよう」が聞こえるようになります。自宅の2階を改装して始めた、一日一組限定の宿。遠野へやって来た日の二人は、「迎えられる人」でした。でも今度は、「迎える人」になります。しかもその原点には、義之さんが学生時代に一人の旅人として受け取った、忘れられない優しさがありました。何十年も前にもらったものを、今度は別の誰かへ返していく。次は、そんな小さな宿の扉をそっと開けてみましょう。

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旅人だった人が、旅人を迎える人になった──一日一組の小さな宿

遠野へ移住して、およそ2年。2018年にブルーベリー観光農園を始めた打越義之さんと美保子さんは、2020年、自宅の2階を改装して宿を開きました。

一日に迎えるのは、一組だけ。大きなホテルでもありません。たくさんの観光客を泊める旅館でもありません。夫婦が暮らしている家の一部へ、一組の旅人を迎える小さな宿です。

でも義之さんにとって、「いつか宿をやりたい」という思いが生まれたのは、遠野へ来てからではありませんでした。その種は、ずっと昔から心の中にありました。

かつて、自分も一人の旅人だった

学生時代。義之さんは旅先の島で、一軒の宿に泊まりました。そこで宿の主人から受けたのは、まるで家族を迎えるような温かいもてなしだったといいます。豪華な部屋だったからでも、高級な料理が出てきたからでもないのでしょう。「自分を迎えてくれた」という感覚そのものが、若かった義之さんの心に残りました。

旅って、不思議なものです。何十年もたてば、訪れた場所の細かな風景は忘れてしまうことがあります。何を食べたのか。どんな部屋だったのか。どんな道を歩いたのか。それなのに、その場所で誰かに優しくしてもらったことだけは、いつまでも覚えている。

義之さんにとって、その島宿で過ごした時間も、そんな記憶だったのかもしれません。そして何十年もたって、ブルーベリー農園をやりたいと思ったとき、その記憶が蘇りました。「自分も宿をやってみたい」今度は自分が、旅人を迎える側になってみたい。若いころ受け取ったものが、ずいぶん長い時間をかけて芽を出したのです。

「泊まる」と「暮らす」の間にある宿

遠野の宿へやって来た旅人は、ホテルへ泊まるのとは少し違った時間を過ごすことになります。目の前には広いブルーベリー農園があります。季節が合えば、自分の手で実を摘むこともできる。大きな実を探してみる。一粒摘む。口に入れてみる。「甘い!」そんな声が聞こえれば、育てた二人もうれしいでしょう。

一日一組だからこそ、農園を営む夫婦との距離も自然と近くなります。遠野へ「観光に来た」というより、ほんの少しだけ、遠野で暮らしてみる。そんな旅になるのかもしれません。

朝になれば農園がある。鳥の声がする。天気によって畑の表情も変わる。そして、その土地で暮らしている人と話をする。もちろん一泊しただけで遠野の人になるわけではありません。それでも旅人は、一晩だけこの土地の日常へ入れてもらうことができます。

今度は、遠野の物語を手渡す人へ

さらに義之さんは、農園の仕事をしながら遠野の観光ガイドも始めました。これは今回の物語を考えるうえで、とても面白い変化です。大阪からやってきた人が、今では遠野を訪れた人へ、遠野を案内している。

もちろん、遠野で生まれ育った人と同じ歴史を持っているわけではありません。知らないことだって、まだたくさんあるでしょう。でも、自分が魅力を感じた自然や文化を知り、学び、今度は訪れた人へ伝えていく。

かつて遠野の物語を聞く側だった人が、少しずつ、語り部になっていったのです。なんだか『遠野物語』の土地らしいと思いませんか。

物語は、本に書かれた瞬間に完成するものではありません。誰かが聞く。覚えている。そして別の誰かへ話す。その繰り返しによって、物語は旅を続けます。義之さんもまた、遠野で受け取ったものを旅人へ手渡す人になりました。

旅人だった人が、旅人を迎える人になった

ここで義之さんの人生を、少しだけ振り返ってみましょう。
学生時代。島を旅していました。そこで一軒の宿に泊まりました。家族のように迎えてもらいました。その記憶を持ったまま、大阪へ戻りました。鉄道会社で働きました。結婚しました。3人の子どもを育てました。

一冊の本を読みました。一杯のブルーベリージュースを飲みました。田舎で農園をやりたいと思いました。7年間、土地を探しました。そして遠野へやってきました。ブルーベリーを育てました。家の2階を宿にしました。そして玄関を開けて、今度は自分が旅人を迎える人になりました。

若いころの旅と、60歳を前に始めた第二の人生。その二つは何十年もの間、まったく別の出来事に見えていたでしょう。でも遠野へ来たことで、一本につながりました。

人生って、ときどきこういうことがあるのかもしれません。そのときには何の意味があるのか分からなかった出来事が、何十年もあとになって、「ああ、ここにつながっていたんだ」と思える瞬間があります。

美保子さんも、一緒にここまで来た

そして、この物語を義之さん一人の夢物語にはしたくありません。大阪を離れたのも、遠野で暮らし始めたのも、1300本のブルーベリーと向き合っているのも、旅人を家へ迎えているのも、美保子さんと二人です。

40代のころ義之さんが抱いた「田舎で暮らしたい」という淡い夢。それがいつ、どんな会話を経て夫婦二人の夢になったのか、私たちには分かりません。きっと楽しい話ばかりでもなかったでしょう。

長く暮らした場所を離れる。仕事を変える。知らない土地へ行く。農家になる。家へ知らない人を泊める。一つひとつ、暮らしを大きく変える決断です。

だから私たちは、「夢をかなえた素敵な夫婦ですね」という一言だけで片づけずに、二人でここまで来たことを、ちょっとだけ祝福しておきたいと思います。

おめでとうございます。……と直接言ったら、二人とも「いやいや、まだ毎日仕事がありますから」と笑うかもしれませんね(笑)。それくらいが、ちょうどいいのでしょう。

「おかえり」と言える場所になったとき

そして、まったく知らなかった旅人が玄関から入ってきます。「こんにちは」と迎える。農園を歩く。ブルーベリーを摘む。遠野の話をする。一晩眠る。翌朝、「おはようございます」と言葉を交わす。そして旅人は、また自分の暮らす場所へ帰っていきます。

でも、もしその人が何年かたって、「あの遠野の宿へ、また行きたいな」と思ったとしたら。そして再び玄関を開けたとき、夫婦が「おかえりなさい」と言ってくれたとしたら…。その瞬間、この場所は単なる宿ではなくなるのかもしれません。

かつて義之さん自身が、旅先の島宿でもらった温かさ。それが何十年もの時を越え、遠野で別の旅人へ渡っていく。優しさって、案外こうやって残るものなのかもしれません。

形はありません。名前も残らないかもしれない。それでも誰かから受け取ったものが心に残り、いつか別の誰かへ渡される。そうやって人から人へ旅をする。それは、遠野に残る民話にも少し似ています。

遠野の物語に、新しい登場人物が加わった

昔、この土地ではたくさんの物語が生まれました。河童。座敷童子。山の神。でも物語が生まれるのは、昔だけではありません。

大阪から一組の夫婦がやってきた。1300本のブルーベリーを育て始めた。小さな宿を開いた。旅人を迎えた。そして遠野の物語を案内するようになった。それもまた、この土地で生まれた新しい物語なのかもしれません。

河童が登場しなくても大丈夫です(笑)。人がやってきて、人と出会い、何かを受け取り、また誰かへ渡していく。遠野では昔から、そんな人と土地との間に生まれた出来事が物語になってきたのですから。

そして今日も、農園には紫色の実がなっています。誰かがそれを摘みにやってきます。もしかすると、その人にとっては何でもない一泊かもしれません。でも何十年もあとになって、ふと思い出すかもしれない。「昔、遠野に小さな宿があってね――」そう語り始めた瞬間、打越さん夫妻から受け取った物語は、また次の旅を始めるのでしょう。

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遠野では、今も新しい物語が生まれている──夫婦が見つけた第二の故郷

遠野には、たくさんの物語があります。河童がいたという川。座敷童子が現れたという家。山へ入った人が、不思議なものと出会ったという話。今を生きる私たちが聞けば、「本当にそんなことがあったの?」と思うものも少なくありません。

けれど、もしかすると大切なのは、本当に河童がいたかどうかではないのかもしれません。そこに川があった。山があった。人が暮らしていた。そして誰かが、不思議な出来事に出会った。その話を家へ持ち帰った。誰かに話した…。

聞いた人が、また別の誰かへ話した。そうして一人の記憶だったものが、いつしか土地の記憶になっていった。それが、遠野という場所にたくさんの物語が残っている理由の一つなのでしょう。

昔話の続きを生きている人たち

打越義之さんと美保子さんが遠野へやってきたのは、2018年。『遠野物語』に残された昔話から考えれば、つい昨日のような出来事です。

二人は遠野で生まれたわけではありません。大阪で暮らし、仕事をし、結婚し、3人の子どもを育てました。義之さんが40代になったころ、「自然の中で暮らしたい」と思いました。一冊の本に出会いました。一杯のブルーベリージュースを飲みました。そして7年間、土地を探しました。ようやく見つけたのが、遠野でした。

そこには1000本を超えるブルーベリーがありました。誰かが植え、誰かが育ててきた木です。夫婦はそれを受け継ぎました。そして今、約1300本のブルーベリーを育てています。

考えてみれば、遠野の民話もブルーベリーの木も、少し似ています。最初から自分たちのものだったわけではありません。誰かが残したものを受け取り、大切に育て、そこへ自分たちの時間を少し加えて、また次へつないでいく。人はそうやって、土地と関わっていくのかもしれません。

故郷になるのは、いつなのだろう?

では、知らない土地はいつ「故郷」になるのでしょう。引っ越してきた日でしょうか。住民票を移した日でしょうか。最初の冬を越したときでしょうか。それとも、誰かに、「遠野って、どんなところですか?」と聞かれて、自分の言葉で話せるようになったときでしょうか。

その答えは、きっと人によって違います。打越さん夫妻が遠野をどんな言葉で呼んでいるのかも、私たちにはわかりません。でも、7年前にはインターネットの画面の中にあった知らない土地で、今は朝を迎えています。

春になればブルーベリーの花を見る。夏になれば紫色の実を摘む。秋が来る。冬になれば遠野の寒さの中で、また次の春を待つ。そんな一年を何度も繰り返してきました。

そして今では、遠野を訪れた旅人を自分たちの家へ迎え、義之さんは、この土地の自然や文化を案内しています。土地を教えてもらう人だった二人が、いつしか土地を伝える人になった。その変化のどこかに、「移住先」が「暮らす場所」へ変わる境目があったのかもしれません。

人は、土地の物語に加わっていく

遠野には、昔からここで暮らしてきた人たちがいます。そして、打越さん夫妻のように、別の土地からやってきた人もいます。その二つを同じにする必要はありません。生まれ育った人には、その人にしか持てない時間があります。移住してきた人には、外から来たからこそ見つけられる魅力があるでしょう。

でも年月を重ねれば、どちらも少しずつ、「遠野の人」になっていきます。そしてその人が見たもの、感じたもの、誰かに話したことが、またこの土地の記憶に加わっていく。そう考えると、土地の物語には、完成形なんてないのかもしれません。人が暮らしている限り、続きを書く人がいるからです。

今日も、紫色の実が一つ

夏の遠野。ブルーベリー畑を歩けば、緑の葉の間に紫色の実が見えます。その一粒を、遠くからやってきた旅人が摘みます。口へ運ぶ。「あ、甘い!」。それだけの出来事です。

河童は現れません。座敷童子も姿を見せません。山の神の声も聞こえません。でも、その旅人が家へ帰って、「遠野でね、ブルーベリーを摘んだんだ」と誰かに話したとしたら…。

農園に夫婦がいて、こんな話をしてくれて、朝の空気が気持ちよくて、ブルーベリーがおいしかった――。そんな話をしたとしたら。それもまた、遠野から持ち帰った小さな物語なのでしょう。そして何年かたって、その人がもう一度遠野へやって来るかもしれません。

宿の玄関を開けます。「ああ、お久しぶりです」そんな声が聞こえる。今度は旅人も、「ただいま」と返したくなるかもしれません。そのとき、この場所は夫婦だけの「帰る場所」ではなく、誰かにとっても、帰ってきたくなる場所になっています。

遠野では、今も新しい物語が生まれている

『遠野物語』に登場する人たちは、自分たちの暮らしが100年以上あとまで語られるなんて、きっと思っていなかったでしょう。毎日を生きていただけです。

山へ行った。畑を耕した。馬を飼った。誰かと出会った。不思議なことがあった。それを誰かに話した。そして今も遠野では、人が暮らしています。大阪からやってきた夫婦が、1300本のブルーベリーを育てています。旅人を迎えています。そして遠野の物語を語っています。

もしかすると物語というものは、特別な出来事から生まれるのではなく、誰かがそこで暮らした時間そのものから生まれるのかもしれません。だから遠野の物語は、昔々で終わってはいません。

今日も農園では、一粒のブルーベリーが少しずつ紫色になっています。誰かがそれを摘みにやってきます。そしてまた一つ、この土地で小さな思い出が生まれます。それが何十年も先まで残る物語になるのかは、誰にも分かりません。

でも、いつか誰かが、「むかし、遠野にブルーベリーを育てている夫婦がいてね――」と話し始めたなら。そのとき二人の人生も、遠野に語り継がれてきた数え切れない物語の、そのずっと先にある一ページになっているのかもしれません。

遠野では今日も、山から風が吹き、川には水が流れ、1300本の木にブルーベリーが実ります。河童がいるかどうかは――やっぱり、分かりません。いや、分からないままのほうが、遠野らしいのかもしれません。

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