300年守られた「秘伝」は何だった?|デコボコなのにサラサラ!高松の保多織【あさイチ中継】

保多織の着物で高松城を歩く女性 BLOG
スポンサーリンク

「肌ざわりのいい布」と聞いたら、どんな布を思い浮かべるでしょう。
シルクのようになめらかな布。あるいは、表面がつるんとした柔らかな布。ところが香川県高松市には、そのイメージとは少し違う、昔ながらの綿織物があります。その名は、「保多織(ぼたおり)」

一見すると、表面にはワッフルのような細かなデコボコがあります。なのに肌に触れてみると、さらりとして心地いい。実は、この「デコボコ」こそが保多織の秘密です。独特の織り方によって生まれる凹凸が、布と肌が触れる面積を少なくするため、汗をかく季節にもまとわりつきにくく、さらりとした感触を生み出します。

しかも、その歴史をたどってみると、さらに気になる言葉が出てきました。「秘伝」。保多織が高松で生まれたのは江戸時代。初代高松藩主・松平頼重が京都から織物師を招き、独自の織物を作らせたことが始まりとされ、その製法は長い間、外へ漏らしてはならない「秘伝」とされていたといいます。いったい、そこまでして守ろうとしたものは何だったのでしょう?

そしてもう一つ面白いのが、「保多織」という名前です。そこには「多年を保つ」――つまり、丈夫で長く使える布であってほしいという意味が込められていると伝えられています。

300年以上前につくられた織物が、今も高松で織られ、私たちの肌に「気持ちいい」と感じさせてくれる。もしかすると、伝統が長く残る理由は、単に「昔からあるから」ではないのかもしれません。

なぜ、デコボコなのにサラサラする? 300年もの間、守られてきた「秘伝」とは何だった? NHK『あさイチ』の中継をきっかけに、高松で受け継がれてきた保多織の不思議と、古くなっても古びない「心地よさ」を探してみたいと思います。

【放送日:2026年9月1日(火)8:15 -9:55・NHK-総合】

<広告の下に続きます>

第一章 300年守られた「秘伝」は何だった?~高松藩から始まった保多織

いま私たちが「保多織」と聞いて思い浮かべるのは、ワッフルのような凹凸を持った、さらりとした木綿の布です。ところが、その歴史を300年以上さかのぼってみると、最初から木綿だったわけではありません。

保多織が生まれたとされるのは江戸時代。初代高松藩主・松平頼重が、京都から織物師の北川伊兵衛常吉を高松へ招き、独自の織物を作らせたことが始まりとされています。香川県立図書館が紹介する郷土資料では、その年代を元禄2年(1689年)としています。

当時作られていたのは、現在のような木綿ではなく絹の織物でした。しかも、ただの織物ではありません。高松藩はこの布を大切に保護し、その独特な製法は外へ漏らしてはならない「秘伝」とされました。高松市も、保多織を「藩の織物」として明治まで技法が秘密にされていたと紹介しています。

さらに郷土資料をたどると、他へ売ったり譲ったりすることまで禁じられ、その技は北川家で一子相伝の秘法として受け継がれたとされています。なぜ、一枚の布をそこまで厳重に守ったのでしょう?

その背景には、高松藩の産業を育てるだけでなく、幕府への献上品となるような特産品を作ろうとした目的があったと伝えられています。つまり保多織は、いまでいう普段着のための布というより、藩にとって価値ある特別な織物として始まったのです。

そして、もう一つ面白いのがその名前です。伝承では、完成した織物を見た松平頼重が、その丈夫さから「多年を保つことができよう」と評価したことが、「保多織」という名前につながったとされています。現在の香川県や高松市も、丈夫で長く使える、つまり「多年を保つ」ことが名前の由来だと紹介しています。

でも――。ここで、ちょっと不思議に思いませんか?丈夫な布なら、ほかにもあったはずです。それなのに、なぜ保多織の製法は、明治になるまで秘密にして守られるほど特別だったのでしょう。

その「秘伝」の正体を探すには、歴史書から少し目を離して、布そのものを覗き込んでみる必要があります。すると、ワッフルのような小さなデコボコの中に、300年以上受け継がれてきた仕掛けが見えてきます。

秘密は――「4本目の糸」。

普通の平織りとは少しだけ違う、その一本の糸の扱いが、保多織の丈夫さと、あの不思議なサラサラ感を生み出していたのです。

<広告の下に続きます>

第二章 デコボコなのに、なぜサラサラ?~4本目の糸に隠された秘密

保多織の表面をよく見ると、普通の綿織物とは少し違うことに気づきます。つるんとなめらかなのではなく、まるで小さなワッフルを並べたような細かなデコボコがあります。

肌ざわりのいい布と聞けば、シルクのようになめらかなものを想像しそうですが、保多織はむしろその逆。デコボコしているから、サラサラする。その不思議を生み出しているのが、第一章で登場した「秘伝」の織り方です。

保多織は基本となる平織りに、ちょっとした工夫を加えて織られます。ポイントは、横糸の4本目。平織りした横糸の4本目を浮かせるように織ることで、布の表面に独特の凹凸が生まれます。現在、保多織を使った製品開発を支援するかがわ産業支援財団も、この「横糸の4本目を浮かせる」ことを保多織の特徴として紹介しています。たった一本、糸の通し方を変える。それだけで、布の性格まで変わってしまうのです。

では、なぜデコボコしているとサラサラ感じるのでしょう。その理由のひとつが、肌と布との「距離」です。平らな布が汗をかいた肌にぴったり張りつけば、どうしてもベタつきを感じやすくなります。ところが保多織には凹凸があるため、布全体が肌へ密着しにくい。

さらに、浮かせた糸によってできる隙間には空気の層が生まれます。かがわ産業支援財団は、この構造によって夏はさらりと感じられ、冬には生地の冷たさを感じにくいという特徴が生まれると説明しています。つまり保多織の「気持ちよさ」は、肌にたくさん触れることではなく、肌に触れすぎないこと。ここにあったのです。

これは少し意外です。私たちは「肌ざわりがいい」と聞くと、つい「なめらか」「ツルツル」「柔らかい」といった感触を思い浮かべます。でも300年以上前の高松では、あえて糸を浮かせ、あえてデコボコを作ることで、別の心地よさを生み出していました。しかも、そのデコボコにはもう一つ大切な働きがあります。

高松市は保多織について、独特の風合いだけでなく、保温性と吸水性に富む織物だと紹介しています。汗ばむ季節には、肌にまとわりつきにくく、さらり。そして気温が下がってくれば、今度は布の中に含まれる空気が、ひんやりとした感触を和らげてくれる。

同じデコボコが、季節によって違う仕事をしてくれるのです。そう考えると、300年間守られてきた「秘伝」とは、ものすごく複雑な技術だったから価値があったというより、一本の糸をどう織るかによって、人の肌と布との関係を変える知恵だったとも言えるのかもしれません。

そして、ここでまた新しい疑問が生まれます。夏にサラサラする布が、どうして冬には暖かく感じられるのでしょう。その答えもまた、保多織の小さなデコボコの中に隠されています。

<広告の下に続きます>

第三章 夏は涼しく、冬は暖かいって本当?~デコボコがつくる小さな空気の層

夏に気持ちいい布と聞けば、薄くて風通しのいいものを想像します。反対に冬に暖かい布といえば、厚手で、できるだけ体温を逃がさないもの。それなら、一枚の布が、「夏はサラサラ、冬は暖かい」なんて、ちょっと都合がよすぎるようにも聞こえます。

ところが保多織では、前章で見つけたあの「デコボコ」が、ここでも大切な役割を果たしています。保多織は、平織りを基本にしながら横糸の4本目を浮かせて織ることで、表面に独特の凹凸を作ります。そして糸が浮いた部分には、小さな隙間ができます。そこにできるのが、空気の層です。

かがわ産業支援財団は、この構造によって保多織は夏にはさらりとし、冬には生地の冷たさを感じにくく着られると説明しています。

夏には、布が肌へべったり密着しにくい。汗をかいてもまとわりつきにくく、保多織そのものが持つ吸水性も加わって、さらりとした感触につながります。高松市も、保多織を保温性と吸水性に富む織物として紹介しています。

ところが季節が変わって、気温が下がってくると――。今度は、デコボコの隙間に含まれる空気が働きます。空気は熱を伝えにくいため、布と肌の間にある空気が、冷たい外気や生地のひんやりした感触を直接伝えにくくします。

つまり面白いことに、夏と冬で、別々の仕掛けを使っているわけではありません。同じ「デコボコ」が、夏には肌との密着を減らしてサラリ。冬には空気を含んで、冷たさを感じにくくする。300年以上前に考えられた一つの織り方が、季節によって違った心地よさを生み出しているのです。

だから保多織は、真夏だけの布とも、真冬だけの布とも言い切れません。夏から秋へ。そして秋から冬へ。季節が少しずつ移り変わっていく時期にも、身体との間にほどよい距離を作ってくれる布なのでしょう。

考えてみれば、保多織の心地よさは不思議です。夏には「肌から離れる」ことで気持ちよく、冬には「空気を抱える」ことで気持ちいい。人の身体にぴったり密着して守るのではなく、ほんの少しの隙間を作ることで、身体とうまく付き合っているのです。

心地よさには、ちょうどいい「距離」がある。そんなことまで、保多織の小さなデコボコは教えてくれているような気がします。そして、その心地よさは江戸時代の特別な絹織物だけにとどまりませんでした。

明治になると、保多織には大きな転換が訪れます。秘伝だった技法が開かれ、素材も絹から綿へ。殿様の時代に生まれた特別な布は、少しずつ人々の暮らしの中へ入っていくことになります。

<広告の下に続きます>

第四章 絹から綿へ変わっても、なぜ「秘伝」は残った?~殿様の布から暮らしの布へ

300年以上前、高松藩で生まれた保多織。その始まりは、現在のような木綿ではなく、絹の織物でした。幕府への献上品にも使われる高級な織物で、江戸時代には上級武士しか着用を許されなかったとも伝えられています。

しかも、その独特の技法は北川家で六代にわたって受け継がれた一子相伝の秘法。まさに「殿様の布」と呼びたくなるような、特別な存在だったのです。ところが――。江戸時代が終わると、保多織にも大きな転機が訪れます。

明治維新です。それまで藩によって守られてきた技法が解禁され、長い間「秘伝」だった織り方が外へ開かれるようになりました。さらに大きかったのが、素材の変化です。絹糸から、より身近な綿糸へ。かがわ産業支援財団は、明治以降、技法が解禁されるとともに絹糸から綿糸へ切り替わったことで、保多織が一般家庭へ普及していったと紹介しています。

考えてみれば、これはかなり大胆な変化です。300年続く伝統と聞くと、私たちはつい、「昔と同じものを、昔と同じ方法で守り続けてきた」と思ってしまいます。でも保多織は違いました。

素材は、絹から綿へ。作る仕組みには機械化も取り入れる。使う人も、一部の限られた人から一般の人たちへ。それまで閉じていた「秘伝」さえ、開いていったのです。現在その技を受け継ぐ岩部保多織本舗も、明治維新後に岩部家初代・岩部恒次郎が絹から綿中心へ切り替えると同時に機械化を進め、用途を広げていったと説明しています。

では、そこまで変わってしまったら、もう昔の保多織とは別物なのでしょうか。そうではありません。素材が変わっても残されたものがあります。それが、これまで見てきた、横糸の4本目を浮かせ、独特のデコボコを作る織り方。

肌にまとわりつきにくく、さらりと感じる。空気を含むことで、寒い季節には生地の冷たさを感じにくい。保多織を保多織たらしめている「心地よさを生み出す仕組み」は、きちんと受け継がれました。現在も香川県は保多織を伝統的工芸品に指定し、その特徴をワッフル状の凹凸、吸水性と保温性に優れた織物として紹介しています。

つまり保多織は、すべてを守ったから、300年続いたのではありません。むしろ、守るものと、変えるものを選んできた。織り方という核は残す。でも素材は変える。作り方も変える。使う人も広げる。そして用途も、着物だけに閉じ込めない。

現在ではシャツやパンツ、シーツ、手ぬぐい、暖簾など、さまざまな暮らしの道具へ使われています。さらに近年では、その凹凸を生かした現代的なアパレルにも展開されています。江戸時代には、秘密にすることで守られた布。

明治以降には、秘密を開くことで広がった布。一見すると正反対ですが、どちらも保多織を次の時代へ渡すための選択だったのでしょう。「秘伝を守る」ということは、何も変えないことではない。本当に大切なものを残すためなら、それ以外は変えてもいい。もしかすると、それこそが保多織が300年以上も続いてきた、もう一つの「秘伝」なのかもしれません。

そして、そう考えると最後に残る疑問は一つです。「多年を保つ」と名づけられた布は、なぜ本当に300年以上も残ることができたのでしょう。その答えは、丈夫さだけではなさそうです。

岩部保多織本舗

<広告の下に続きます>

最終章 「多年を保つ」布は、なぜ300年残った?~古くなっても古びない心地よさ

「保多織」という少し変わった名前。そこには、「多年を保つ」という意味が込められていると伝えられています。高松市や香川県も、丈夫で長く使えることから、この名がついたと紹介しています。では、本当に300年もつ布なのでしょうか?
……さすがに、そこまで丈夫という意味ではありません。

保多織が生まれたとされるのは1689年。もし、そのとき織られた一枚を今日まで毎日のように着続けられたとしたら、それこそ「秘伝」どころか超常現象です(笑) ここでいう「多年を保つ」とは、一枚の布が300年間使えるということではなく、丈夫で長く使えることを表した名前と考えたほうがよさそうです。

実際、現在の保多織も丈夫さを大切な特徴として受け継いでいます。その秘密も、やはりあの「4本目の糸」にあります。現在の織元・岩部保多織本舗の岩部卓雄さんは、保多織について、3本を平織りでしっかり組みながら4本目を浮かせることで、凹凸を作りながらも布が動きにくく、丈夫になると説明しています。

しかも使う人には、洗濯などにもあまり神経質にならず、どんどん使ってほしいというほど。丈夫で長持ちするため、なかなか買い替えてもらえない――そんな冗談まで飛び出すそうです。でも、保多織の歴史をここまでたどってくると、「多年を保つ」という言葉には、もう一つの意味が見えてくるような気がします。

一枚の保多織が300年もったわけではありません。保多織という技術そのものが、300年以上もったのです。しかも、その300年間、何も変わらなかったわけではありません。江戸時代には、絹で織られた特別な布でした。明治になると秘伝だった技法が開かれ、素材も絹から綿へ変わって、一般家庭へ広がっていきました。

そして現代では、シャツやブラウス、シーツなど、私たちの暮らしの中で使える製品へ。さらに、その独特の凹凸を生かした新しいファッションにも挑戦しています。現在、保多織を作る織物会社は岩部保多織本舗一社になりましたが、その技は今も高松で受け継がれています。

そう考えると、保多織が300年以上残った理由は、丈夫だったから。それだけではないのでしょう。夏には、肌にまとわりつきにくくサラサラする。冬には、布の冷たさを感じにくい。洗濯にも強く、日常の中で気兼ねなく使える。そして時代が変われば、素材も用途も変えていく。

守ってきたのは、「江戸時代とまったく同じ布」ではありません。使う人が「気持ちいい」と感じる、その心地よさだったのではないでしょうか。だから、保多織は古くても古びない。300年以上前の人が感じた「気持ちいい」を、2026年を生きる私たちの肌も感じることができる。それこそが、この布のいちばん不思議なところなのかもしれません。

江戸時代には、秘密にすることで守った。明治になれば、秘密を開いて広げた。絹から綿へ変え、着物から現代の服や暮らしの道具へと姿を変えた。

守るものと、変えるものを選びながら、300年。もしかすると「多年を保つ」という名前は、一枚の布の丈夫さだけではなく、300年以上続いた保多織そのものを言い表す言葉になったのかもしれません。

伝統とは、昔のものをそのまま保存しておくことではないのでしょう。今も使いたくなる理由があるから、使われる。使われるから、次の時代へ残っていく。保多織が300年かけて守ってきた本当の「秘伝」。それは4本目の糸だけではなく、「いつの時代にも、肌が気持ちいいと思える布をつくること」だったのかもしれません。


湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む

タイトルとURLをコピーしました