秋になると、丘いっぱいに広がる真っ赤なコキア。丸くて、ふわふわ、もこもこ。まるで一株ずつ丁寧に刈り込まれたような姿が並ぶ光景は、すっかり秋の風物詩になりました。
今回『あさイチ』の中継が訪れるのは、香川県まんのう町にある国営讃岐まんのう公園。「花巡りの丘」では約6,000本のコキアが育てられ、夏の鮮やかな緑から、秋が深まるにつれて少しずつ赤く色づいていきます。
コキアと聞いて、私たちが思い浮かべるのも、やっぱりあの真っ赤な姿。だからつい、「赤くなったら、いよいよ見頃」と思ってしまいます。
でも、ちょっと待ってください。夏のコキアは、明るいライムグリーン。秋の入口には、緑の中へ少しずつ赤が混ざり始めます。やがて丘は鮮やかな赤に染まり、その赤も永遠には続かず、晩秋にはやわらかな小麦色へ。同じ丘なのに、訪れる時期によってまったく違う表情を見せてくれるのです。
そこで、ふと気になりました。何色になったら、コキアは「完成」なのでしょう? 真っ赤に染まった日? それとも、緑と赤が混じり合う途中? あるいは、すべての赤が抜けて小麦色になったとき? そもそも私たちは、なぜ「いちばん綺麗な瞬間」を一つだけ決めようとしてしまうのでしょう?
今回は『あさイチ』の中継をきっかけに、まんのう公園の小さなモコモコを追いかけながら、**緑から赤、そして小麦色へと続く「丘の衣替え」**を見つめてみたいと思います。もしかするとコキアが見せてくれるのは、真っ赤な絶景だけではありません。変わっていく途中にしか出会えない、美しさもあるのかもしれませんね。
【放送日:2026年8月31日(月)8:15 -9:55・NHK-総合】
<広告の下に続きます>
誰も丸く刈ってないのに、どうしてこんなにモコモコになる?
国営讃岐まんのう公園の「花巡りの丘」。そこに並んでいるのは、およそ6,000本のコキアです。遠くから眺めると、緑色の大きな毛玉が、ぽん、ぽん、ぽん――と丘いっぱいに置かれているよう。
しかも、どの株もきれいな丸い形をしています。これだけ形がそろっていると、「もしかして、一株ずつ丸く刈り込んでいるの?」と思ってしまいますよね。ところがコキアは、もともと細かな枝をたくさん分岐させながら、こんもりと茂っていく植物。つまり、あのモコモコは人間が丸くカットして作った形ではなく、コキア自身が成長していくなかで生まれる姿なのです。
2026年のまんのう公園では、最初は高さ15cmほどだった小さなコキアが、夏の日差しを浴びながら成長し、8月下旬には70cmほどにまで大きくなります。公園の公式サイトも夏のコキアを「ふわふわもこもこ」と紹介しています。
あんなに小さかった一株が、ひと夏をかけて大きなモコモコになっていく。そう思うと、6,000本が並ぶ丘の景色も、少し違って見えてきませんか。でも、近くまで寄って一株をじっと眺めてみると、また不思議なことに気づきます。
「ところで……コキアの花って、どこにあるの?」桜なら、桜の花を見に行きます。ネモフィラなら青い花、コスモスならピンクや白の花。ところが、私たちがコキアを見て「きれい」と感じているとき、目を奪われているのは大きな花ではありません。
コキアにも小さな花は咲きますが、観賞の主役になっているのは、ふんわりとした株全体の姿や葉の色。国営讃岐まんのう公園でも、夏には鮮やかな緑葉を楽しみ、秋にはその葉が紅葉していく様子が見どころとして紹介されています。
花が目立たなくても、人を惹きつける植物。コキアって、考えてみればちょっと変わった存在です。そして8月の終わり。いま丘に並んでいるコキアは、まだ鮮やかなライムグリーン。でも、この緑色はずっと続くわけではありません。
公園の年間スケジュールを見てみると、コキアはこれから緑葉から紅葉へ、さらに紅葉から小麦色へと姿を変えていきます。6,000本のモコモコが、少しずつ衣替えを始めるのです。
でも――。同じ場所に植えられ、同じ空の下で育っているのに、コキアはどうやって秋が来たことを知るのでしょう。そして、緑だった葉は、なぜ、あんなに鮮やかな赤へ変わるのでしょう? ここからが、「丘の衣替え」の始まりです。
<広告の下に続きます>
コキアは、どうやって秋が来たことを知る?
9月になると、国営讃岐まんのう公園のコキアに少しずつ変化が現れます。夏のあいだ丘を埋めていた鮮やかな緑のモコモコ。その葉に、ほんの少し赤が混じり始めるのです。公園によると、コキアは9月中旬ごろから紅葉を始め、10月中旬には丘を鮮やかな赤に染めていきます。
でも、ここでちょっと不思議に思いませんか。コキアは、どうやって「秋が来た」と知るのでしょう? もちろん、コキアがカレンダーを見て、「そろそろ9月だから赤くなろうかな」なんて考えているわけではありません。
植物が感じ取っている大きな合図の一つが、気温の低下です。日本植物生理学会によると、コキアの秋の紅葉では、とくに気温が下がることと昼夜の寒暖差が紅葉の引き金になると考えられています。日照や水分などの環境条件も色づき方に影響しますが、「日が短くなったから」という単純な仕組みではないようです。
つまりコキアは、「あれ? 夜が涼しくなってきたぞ」とでもいうように、体そのもので季節の変化を感じ取っているのです。では、気温が下がると、どうして緑が赤へ変わるのでしょう。夏のコキアが緑色に見えるのは、葉にクロロフィル(葉緑素)がたくさん含まれているからです。
ところが秋になって気温が低下すると、植物の活動も変化していきます。緑色をつくっていたクロロフィルは次第に減少し、その一方で赤い色をつくるアントシアニンという色素がつくられ、蓄積していきます。だから、緑だったコキアが突然、赤い植物に変身するわけではありません。
緑が少しずつ薄れ、その中へ赤が重なっていく。その途中には、緑でもない。真っ赤でもない。二つの色が混じり合った時間があります。これが、コキアの紅葉で面白いところです。しかも、同じ丘に並ぶ6,000本が、まるでスイッチを押したように同時に赤くなるわけではありません。
日当たりや気温、水分、株それぞれの状態など、紅葉はさまざまな条件の影響を受けます。だから丘を歩けば、まだ夏のような緑のコキアの隣で、ほんのり頬を染めたようなコキアに出会うこともあるでしょう。そのさらに先では、もう赤が深くなっているかもしれません。
同じ日の、同じ丘なのに、そこにはいくつもの季節がある。そう考えると、緑と赤が混じったコキアは、まだ「完成していない」のでしょうか。
それとも――この途中にしかない色もまた、コキアの完成した姿なのでしょうか。真っ赤になるまで待つつもりだった私たちの前で、「丘の衣替え」はもう始まっています。
<広告の下に続きます>
どうして私たちは「真っ赤」を見頃だと思う?
コキアの紅葉を紹介する写真を見ると、よく登場するのは丘一面が真っ赤に染まった光景です。もちろん、その景色は鮮やかで美しい。6,000本ものコキアが同じ丘を赤く染めれば、「この景色を見てみたい」と思うのも当然でしょう。
でも、ここまでコキアの色の変化を追いかけてきた私たちは、少し気になってきました。そもそも、どうして私たちは「真っ赤になったとき」を見頃だと思うのでしょう? もしかすると、その感覚には日本人が昔から親しんできた「紅葉」のイメージも、少し関係しているのかもしれません。
秋になれば、モミジやカエデが赤く染まる。そして天気予報や観光情報では毎年、「紅葉の見頃」が伝えられます。桜なら「満開」。紅葉なら「色づきのピーク」。私たちは知らず知らずのうちに、季節の風景にはいちばん美しい“完成の瞬間”があるように感じているのかもしれません。
そして、それは観光にとってとても便利な考え方でもあります。せっかく出かけるなら、一番きれいな日に見たい。「見頃はいつ?」「今週末には赤くなる?」そんな情報があれば、旅の予定を立てやすくなります。国営讃岐まんのう公園でも、コキアは夏の緑葉、秋の紅葉、そして小麦色へと見頃の目安が案内されています。
けれど、植物の側から見れば、ある日突然「完成」するわけではありません。昨日より少し赤い。明日には、もう少し赤くなる。緑の中へ赤が入り、二つの色が混ざり合い、やがて赤が丘を覆っていく。「見頃」は一本の線ではなく、私たちが変化し続ける時間の中に引いた目印ともいえるのです。
そう考えると、真っ赤になる直前のコキアも面白く見えてきます。緑の株。赤くなり始めた株。その中間で、緑と赤を両方まとった株。6,000本が少しずつ違う速度で衣替えをしていれば、丘には赤一色の時期とは違う、複雑なグラデーションが現れます。
それは「まだ見頃ではない景色」なのでしょうか。それとも、その数日間にしか見ることのできない、もう一つの見頃なのでしょうか。そして真っ赤になったコキアも、そこで止まりません。秋がさらに深まれば、鮮やかな赤は少しずつ抜けて、今度はやわらかな小麦色へ変わっていきます。
緑から赤へ。赤から小麦色へ。「完成した」と思った瞬間にも、コキアは次の色へ向かっている。だったら――。コキアにとって、「完成」とはいったい何色なのでしょう?
私たちが勝手に「見頃」と呼んでいるものは、もしかすると植物の完成形ではなく、変わり続ける時間の中から、私たちが特に好きな一瞬を選んでいるだけなのかもしれません。
<広告の下に続きます>
コキアは、いつ見に行けばいい?~私たちなりの「美の壺」
ここまで読んで、「それで結局、コキアはいつ見に行けばいいの?」と思った方もいるかもしれません。真っ赤なコキアを見たいなら、もちろん紅葉のピークを狙うのが一番です。けれど、せっかくコキアが何度も衣替えをしてくれるのなら、私たちはこんなふうに楽しんでみたいと思います。
一つ目の壺は、「緑」。夏のコキアは、鮮やかなライムグリーン。まだ秋の観光シーズンには少し早いころ、丸く育ったモコモコが丘いっぱいに並びます。赤いコキアを知っているからこそ、「これが、あんなに真っ赤になるの?」と想像しながら眺めるのも面白いものです。
二つ目の壺は、「途中」。緑の中へ、少しずつ赤が入り始めるころ。一株の中にも緑と赤が混じり、丘全体を見ても、色づきの早い株と遅い株が入り交じります。赤一色の絶景とは違います。でも、昨日とも明日とも違う。その日にしか出会えない色が、丘のあちこちにあります。もしかすると、コキアの「衣替え」をいちばん感じられるのは、この時期なのかもしれません。
三つ目の壺は、もちろん「赤」。秋が深まり、6,000本のコキアが鮮やかな赤に染まるころ。誰もが思い浮かべる、コキアらしい秋の絶景です。ここは素直に、「うわぁ、きれい!」でいい。理由なんて考えず、丘いっぱいの赤に包まれてみる。それだって、自然を楽しむ大切な方法でしょう。そして、まどまさ流ならもう一つ。
四つ目の壺は、「小麦色」。真っ赤な季節が過ぎると、コキアはやわらかな小麦色へ変わっていきます。「紅葉が終わってしまった」と考えれば、見頃を逃した景色なのかもしれません。でも、夏の緑も、秋の赤も知ったあとで見る小麦色は、少し違って見えるはずです。ひと夏をかけて大きくなり、秋には赤く染まり、最後には風に揺れる淡い小麦色になる。そこまで見届けて初めて、コキアが過ごした一つの季節が見えてきます。
だから、「いつ見に行けばいい?」と聞かれたら、私たちの答えは少し困ったものになります。「見たいコキアによって、見頃は違います。」
緑のモコモコに会いたければ、夏。丘の衣替えを見たければ、赤くなり始めるころ。真っ赤な絶景を見たければ、紅葉のピーク。そして季節を見送りたければ、小麦色のころ。「見頃」という言葉は、一つの正解の日を教えてくれるものではなく、「今日は、どんなコキアに会えるだろう?」と楽しみに出かけるための目安なのかもしれません。
何色のときが、一番美しいのか。その答えは、きっと一つではありません。
- 壺一、緑を愛でる。
- 壺二、途中を愛でる。
- 壺三、赤を愛でる。
- そして最後は、小麦色まで見送る。
これが、私たちなりの――「コキアの美の壺」です。
<広告の下に続きます>
赤が終わったら、コキアも終わり?~「ホウキグサ」というもう一つの顔
真っ赤に染まったコキアも、いつまでもその色のままではありません。秋がさらに深まると、鮮やかだった赤は少しずつ落ち着き、やがて丘はやわらかな小麦色へと変わっていきます。国営讃岐まんのう公園でも、10月中旬の紅葉に続いて、10月下旬には「小麦色」のコキアが楽しめると案内されています。
赤い絶景を目当てにしていた人なら、「ああ、見頃が終わっちゃった」と思うかもしれません。でも、小麦色になったコキアを眺めていると、ちょっと気になる名前に出会います。「ホウキグサ」。コキアの和名です。どうして「箒」の名前がついているのでしょう。
その答えは、とてもそのまま。昔の人は、成熟して硬くなったコキアの枝を乾燥させ、束ねて、実際に箒として利用していたのです。まんのう公園も、この利用法が「ホウキグサ」「ホウキギ」という名前の由来だと説明しています。
考えてみれば、面白いものです。私たちは夏の緑を楽しみます。秋になれば赤く染まる姿を写真に撮ります。そして小麦色になれば、「今年のコキアも終わりだね」と思ってしまう。でも昔の人にとっては、そこからもう一つの出番が始まった。
緑のころには植物として育ち、秋には色づき、成熟して硬くなった枝は暮らしの道具になる。つまり小麦色は、「きれいな時期が終わった色」ではなく、「箒になれる色」でもあったんですね。
こうして眺めていると、私たちがさっきから考えている、「何色になったら、コキアは完成?」という問いが、また少し分からなくなってきます。緑になったら完成?赤くなったら完成?小麦色になったら完成? それとも、箒になって誰かの家の前を掃き始めたとき?
植物としての「終わり」と、人間の暮らしの中での「始まり」は、同じ場所にはないのかもしれません。そして、このホウキグサには、もう一つ意外なものが残ります。実です。
この小さな実を原料にした食べ物を、私たちは意外と知っています。秋田県の郷土食、「とんぶり」。魚卵のようなプチプチした食感から「畑のキャビア」とも呼ばれる、あのとんぶりです。
農林水産省によれば、秋田県大館市では江戸時代からとんぶりを食べる習慣があったとされ、現在では「大館とんぶり」が地理的表示(GI)として登録されています。赤いモコモコと、畑のキャビア。同じ植物だったんですね。
ただし、ここは大事なところ。まんのう公園に植えられているコキアは観賞用の品種なので、公園のコキアを「とんぶりにできる!」と思って食べてはいけません。公園もその点を明記しています。
それにしても――。最初に私たちが見つけたのは、ただの丸いモコモコでした。それが緑から赤へ衣替えし、小麦色になり、その先をたどってみれば、箒になり、別の系統では実まで食べられてきた。コキアは、ただ「真っ赤になるのを待つ植物」ではなかったんですね。
むしろ最後まで見届けてみると、色が変わるたびに、新しい顔を見せてくれる植物。そんなふうにも見えてきます。
<広告の下に続きます>
何色になったら、コキアは完成?~変わり続ける「丘の衣替え」
丘の上から、もう一度コキアを眺めてみます。夏には、鮮やかなライムグリーン。秋の気配を感じるころには、その緑へ少しずつ赤が混じり始めます。やがて丘いっぱいが鮮やかな赤に染まり、その赤も季節が深まれば、やわらかな小麦色へ。私たちはここまで、その一つ一つを追いかけてきました。
最初に抱いた疑問は、「何色になったら、コキアは完成するんだろう?」というものでした。真っ赤になったときこそ「完成」。最初は、そんなふうに思っていました。実際、丘一面が赤く染まる景色は圧巻でしょう。
秋のコキアと聞いて、あの鮮やかな赤を思い浮かべる人も少なくありません。でも、そこへ向かう途中にも、私たちはたくさんの景色を見つけました。まだ夏の光をいっぱいに受けた、緑のモコモコ。一株の中に緑と赤が入り交じる、ほんの短い時間。丘を染める鮮やかな赤。そして、秋の終わりを思わせる小麦色。
どれか一つを「完成」と決めてしまったら、それ以外はすべて「途中」になってしまいます。でも本当に、そうなのでしょうか。緑のコキアは、赤くなるまでの未完成品ではありません。緑には、緑の季節があります。赤と緑が混ざったコキアも、真っ赤になる途中の未完成品ではありません。その日にしか存在しない色です。
そして小麦色になった姿だって、赤が終わったあとの残りものではありません。かつて人々は、その成熟した枝を乾燥させ、箒として暮らしの中で使ってきました。
そう考えていくと、最初の問いへの答えも少し変わってきます。コキアには、「完成の色」なんてないのかもしれません。緑から赤へ。赤から小麦色へ。一つの色にたどり着くたびに終わるのではなく、また次の姿へ変わっていく。
だから「いつが一番きれい?」と聞かれたら、私たちはこう答えたいと思います。あなたが出会った、その日の色。それが、その日のコキアの見頃です。真っ赤な絶景を見に行くのもいい。緑と赤が入り交じる「丘の衣替え」を探すのもいい。
夏のモコモコに会いに行ってもいいし、小麦色になった丘で秋を見送ってもいい。「見頃」を調べてから出かけるのではなく、「今日は、何色のコキアに会えるだろう?」と出かけてみる。そんな楽しみ方があってもいいのではないでしょうか。
国営讃岐まんのう公園の丘では、今年も6,000本のコキアが少しずつ姿を変えていきます。昨日とは違う色へ。そして明日は、また違う色へ。完成するためではなく、ただ、その季節を生きるように。私たちが「見頃」と呼んでいる一瞬も、その長い衣替えの途中にあります。
だから、もしコキアの丘を訪れたなら――。いちばん赤い一株を探すだけではなく、少しだけ立ち止まってみてください。まだ緑の子。赤くなり始めた子。もうすっかり秋色になった子。同じ丘の中にも、きっといくつもの季節が見つかります。
何色になったら、コキアは完成? その答えは、もしかすると――何色でもいい。今日、風に揺れているその色が、今日だけのあなたのコキアなのです。
湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。