スマホのなかった時代。好きな子の家へ電話をかけるだけでも、ちょっとした勇気が必要でした。電話番号を押して――。プルルルル……。
(男性の声で)「はい、○○です」
……(あ、お父さんだ!💦)
そんなことになったら、「あ、あの……○○さん、いらっしゃいますか?」なんて、急によそ行きの声になったものです。それどころか「君は誰だ?」なんて訊かれるんじゃないかとハラハラしたものです(笑) それに友達の家の電話番号をいくつも覚えていた人も多いのではないでしょうか。
今ではどうでしょう。スマホを開けば、電話番号を覚えていなくても相手へ連絡できます。いやもはや電話なんてしなくてもSNSでメッセージが送れる。写真も撮れる。地図も見られる。買い物もできる。わからないことがあれば、その場で調べられる。考えてみれば私たちの暮らしは、この数十年だけでも驚くほど便利になりました。
だから昔の暮らしに戻りたい?……と聞かれたら…。うーん。それはちょっと困ります。毎朝かまどに火を起こして、ご飯を炊く生活。囲炉裏の火を扱う生活。寒い朝に火鉢に炭を起こして暖まるのを待つ。水道も電気もガスも、今ほど便利ではなかった暮らし。
旅先で一度なら楽しそうですが、毎日となれば、「炊飯器とガスレンジ、返してぇぇぇ!😭」となりそうです。ところが――。そんな便利な暮らしを知っている私たちが、旅に出ると、なぜかわざわざ昔の「不便」を体験したくなることがあります。
今回の『人生の楽園』の舞台、長崎県波佐見町の「鬼木棚田」にある古民家体験宿「oniwa」も、そんな場所です。一日一組限定。昔ながらの古民家で過ごし、囲炉裏を囲み、かまどで棚田米を炊く。
夏には棚田を望むテラスで、長崎の魚介や地元の野菜を味わうこともできます。もちろん、昔の暮らしをそのまま再現した「不便な宿」ではありません。昔の生活のよかったところと、現代生活の良くなったところ。その両方を組み合わせた宿です。
それなのに私たちは、せっかく便利になった暮らしから旅に出て、今ならしなくてもいい「手間」を楽しもうとします。火を起こす。ご飯が炊けるのを待つ。囲炉裏を囲む。棚田を眺めながら、ゆっくり食事をする。
あれ?便利な時代に、どうして私たちは、わざわざ「昔の不便」を体験したくなるのでしょう。もしかすると私たちが楽しんでいるのは、「不便」そのものではないのかもしれません。今回は、鬼木棚田を見下ろす一軒の古民家から、その答えをまどかと一緒に探してみたいと思います。
【放送日:2026年9月26日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】
<広告の下に続きます>
便利になったのに、どうして「昔の暮らし」が気になるの?
昔の暮らしに戻りたいですか?そう聞かれたら、私はちょっと考えてしまいます。
スマホは使えません。炊飯器もありません。料理をしようと思ったら、まず火の準備から…。夏は暑く、冬は寒い。今ならスイッチ一つ、ボタン一つで済むことにも、ずいぶん手間がかかります。
うーん。やっぱり――。今の暮らしのほうがいいかな…。
ところが不思議なことに、古民家へ行って囲炉裏を見たり、かまどでご飯を炊いたりすると、「いいなあ、こういう暮らし」なんて思ってしまいます。若い人が昔の家や道具を見て、「わあ、懐かしい!」と言っていることもあります。
……ちょっと待って。その時代、まだ君は生まれてないよね? とツッコミたくなることもありますが、それでもやっぱりどこか「懐かしい」と感じる。もしかして遺伝子にすり込まれた”なにか”なのかもしれません。
自分自身の記憶ではなくても、祖父母の家だったり、映画やドラマだったり、昔の写真だったり…。いつの間にか私たちの中には、実際に経験したことのない「昔の日本」の風景まで残っているのかもしれません。
今回の『人生の楽園』の主人公、河内拓馬さんの場合は、もう少しはっきりした記憶がありました。
東京都出身の拓馬さんは、子どものころ長崎にある祖父母の家を訪れていました。自然に囲まれた家。風の抜ける部屋。そこでゴロゴロして過ごす時間が、とても心地よかったといいます。
そして大人になった拓馬さんは、東京で建築士として働くようになりました。29歳で独立。妻の友紀乃さんと結婚し、2人の子どもにも恵まれ、注文住宅を数多く手がけます。仕事も暮らしも順調でした。ところが30代半ばになると、拓馬さんの中に一つの思いが生まれます。
「一生このまま東京で、同じような家ばかり建てていていいのだろうか」
そのとき心に浮かんできたのが、子どものころ過ごした長崎の祖父母の家でした。便利な東京で暮らし、家をつくる仕事をしてきた人が、ずっと心の片隅に残していたのは――。風が通り抜ける、昔ながらの家…。
でも、ここが面白いところです。拓馬さんは、昔の生活をそのまま取り戻そうとしたわけではありません。電気もガスも水道も捨てて、何十年も昔の暮らしへ戻ろうとしたわけでもない。やがて家族で長崎県波佐見町へ移住し、地域おこし協力隊として空き家対策などに携わる中で、一軒の古民家と出会います。場所は、「日本の棚田百選」に選ばれた鬼木棚田を見下ろす高台。
太い柱。大きな梁。現代の住宅では、なかなか見られなくなったつくり。そして窓の向こうには、人々が長い時間をかけて守ってきた棚田が広がっています。建築士として新しい家をつくり続けてきた拓馬さんが、そこで惹かれたのは――。新しい家ではなく、古い家でした。
どうしてなのでしょう。もしかすると「懐かしい」という気持ちは、単純に昔へ戻りたいということではないのかもしれません。便利になったからこそ、見えるようになったもの。新しいものをつくってきたからこそ、残したくなったもの。拓馬さんが鬼木で出会った古民家には、それが残っていたのでしょうか?
しかも、この家は単なる「古い物件」ではありませんでした。持ち主から拓馬さんへ伝えられたのは、「この家は、鬼木のみんなの大事なもの」という思いでした。だからこそ、その思いまで受け継いでくれる人に託したい――。一軒の古民家を買うという話だったはずなのに、どうやら受け渡されたものは、建物だけではなかったようです。
では――。古民家を受け継ぐって、「建物」を残すことだけなのでしょうか?
<広告の下に続きます>
古民家を受け継ぐって、「建物」を残すことなの?
鬼木棚田を見下ろす高台で、一軒の古民家と出会った河内拓馬さん。現代の住宅ではなかなか見ることのない、大きな梁や柱。建築士だった拓馬さんにとって、それだけでも魅力的な建物だったのかもしれません。しかも、この家にはもう一つ、大切なものが残されていました。
「この家は、鬼木のみんなの大事なもの」
持ち主から伝えられた、地域の人たちの思いです。その思いを受け継いでくれる人なら――。そうして拓馬さん夫妻は古民家を買い取り、夫婦で力を合わせながら、およそ2年をかけてリノベーションしていきました。
ここで普通なら、「古民家をきれいに直して、自分たちの家にしました」で終わってもおかしくありません。でも、拓馬さん夫妻が始めたのは――。一日一組限定の体験宿でした。
2021年12月にオープンした「oniwa」。ここには、古い梁や柱だけが残されているわけではありません。囲炉裏があります。かまどがあります。庭で採れる山菜や、地元で育った野菜があります。朝には、かまどで鬼木棚田の米を炊くこともできます。
夏になれば、棚田を眺めるテラスで食事をすることもできます。つまり、ここで受け継がれているのは、古民家という「建物」だけではないようなのです。
火を扱う。米を炊く。囲炉裏を囲む。その土地で採れたものを、その土地で食べる。そして棚田を眺めながら、ゆっくり時間を過ごす。建物の中で営まれてきた「暮らし」まで、体験として残そうとしている。そんなふうにも見えてきます。
でも――。ここで、ちょっとおかしなことに気づきました。私たちは長い時間をかけて、こうした暮らしから離れてきたはずです。かまどより炊飯器。囲炉裏よりガスレンジやIH。薪に火をつけなくても、お湯はすぐに沸きます。昔の暮らしが不便だったからこそ、人間は便利な道具をつくってきました。
だったら、どうして今になって――。わざわざ、お金を払って「昔の暮らし」を体験しに行くのでしょう。もしかすると、「見てみたい」「やってみたい」とは思っても、「じゃあ明日から毎日この暮らしをしてください」と言われたら、話は別なのかもしれません。私なら翌朝には、「炊飯器とガスレンジ返してぇぇぇ!😭」です。
でも一泊なら? かまどで火を起こすのも面白そう。囲炉裏で海苔を炙るのもやってみたい。棚田を眺めながら、ご飯が炊けるのを待つ時間だって楽しめそうです。あれ?同じ「不便」なのに――。毎日なら大変なことが、旅先では「楽しい体験」に変わっている?そう考えたら、なんだかキャンプに似ています。
家ではスイッチ一つで火がつくのに、キャンプ場へ行くと、わざわざ炭に火をつける。今ではキャンプ場に電気が引かれていても炊飯器ではなくて、飯盒でご飯を炊く。そしてなぜか、それが楽しい。では――。毎日なら大変なのに、どうして「不便」が楽しいのでしょう?
<広告の下に続きます>
毎日なら大変なのに、どうして「不便」が楽しいの?
かまどで、ご飯を炊く。まず火を扱うところから始まり、炊き上がるまで薪をくべ、様子を見ながら炊き上がりを待つ。囲炉裏なら、炭や薪の火を扱いながら自在鉤に吊るした鍋で料理をする。今の暮らしから考えれば、ずいぶん手間がかかります。
毎朝これをやってください。そう言われたら――。「炊飯器とガスレンジ、返してぇぇぇ!😭」となる人も多いのではないでしょうか? もちろん、昔の人たちにとっては「体験」でも「レクリエーション」でもありません。毎日のご飯を食べるために必要な、生活そのものでした。だから人間は、暮らしを便利にしてきました。
薪や炭を用意しなくても火が使えるようになり、ガスレンジやIHが登場しました。炊飯器なら、研いだ米と水を入れてスイッチを押せば、あとはお任せ。昔の暮らしにあった「手間」を、一つずつ減らしてきたわけです。
ところが――。休日になると、私たちはキャンプへ出かけたりします。そこでは家に置いてきたはずの便利さを、自分から手放します。炭になかなか火がつかない。「もうちょっと着火剤いるんじゃない?」なんて言いながら、火吹き竹で息をかけながら、うちわでパタパタ。
飯盒を火にかけて、「もう炊けたかな?」と蓋を気にする。「火加減は”始めちょろちょろ中ぱっぱ!”って言うじゃない!」なんてネットで調べた豆知識も大活躍です。
「でもね炊きあがったって思ってもひっくり返して底を棒でたたいて、10分は蒸らさないとね!」なんて妙に知識だけは立派です。家ならボタン一つで済むことを、わざわざ時間をかけてやっています。なのに――。楽しい。なんだか、おかしな話です。
でも考えてみれば、昔の人とキャンプをしている私たちとでは、大きく違うことがあります。昔の人にとっては、それをやらなければ、ご飯が食べられない。私たちは、やってみたいから、やっている。同じ「手間」でも、そこがまったく違うのです。
昔の人にとっては「生活」。現代人にとっては「体験」。キャンプなら「レクリエーション」。つまり私たちは、不便そのものを楽しんでいるわけではないのかもしれません。自分で選んで。いつでも便利な暮らしへ戻れることを前提にして…。ほんの少しだけ、普段とは違う手間を楽しんでいる。だから毎日なら大変なことも、一泊なら特別な思い出になります。
鬼木棚田の古民家体験宿「oniwa」にある、かまどもそうでしょう。朝食には、天日干しされた棚田米。それを自分でかまどで炊く体験もできます。囲炉裏では有明海苔を炙り、削りたての鰹節や地鶏の卵と一緒に、炊きたてのご飯をいただく。
いつもの朝なら、炊飯器を開ける。茶碗によそう。いただきます。それで済むところを、旅先ではわざわざ遠回りします。でも、その遠回りこそが――。「今日の朝ご飯、自分たちで炊いたね」という記憶になるのでしょう。
そして、ここで気づきます。便利になるということは、効率化して目的までの時間を短くすることでもあります。火をつける時間。ご飯が炊けるのを待つ時間。食事の準備をする時間。私たちは長い時間をかけて、そうした「待つ時間」を短くしてきました。そしてそれは間違いなく、普段の暮らしを楽にしてくれました。
でも旅先では、その短くしたはずの時間を――。わざわざ、もう一度長くしている。苦労して火を起こす。ご飯が炊けるまで待つ。囲炉裏を囲んで待つ。そして夏なら、鬼木棚田を眺めながら食事をする。
あれ? もしかすると私たちが取り戻したかったのは、「不便」そのものではなく――。不便の中にあった「時間」なのでしょうか?
<広告の下に続きます>
私たちが取り戻したいのは、「不便」ではなく「時間」なの?
初めて、かまどでご飯を炊く。初めて、囲炉裏で海苔を炙る。初めて、炭や薪の火を扱ってみる。昔の人にとっては毎日の暮らしだったことも、それを経験したことのない世代にとっては、全部が**「初体験」**です。だったら、楽しくないわけがありません。
「ちゃんと火、つくかな?」「これでご飯、本当に炊けるの?」みんなでそんなことを言いながら試している時間まで、旅の思い出になります。
考えてみれば、私たちは同じことでも、「やらなければならない」と思った瞬間に、急に面倒になります。毎朝、必ずかまどでご飯を炊いてください。……それは大変です。でも、「今日はかまどが使えるから、かまどでご飯を炊いてみよう!」なら、ちょっとワクワクします。
やっていることは同じなのに、不思議です。たぶん違うのは、その時間の目的なのでしょう。毎日の家事なら、目的はなるべく効率よく食事を用意すること。だから炊飯器は、とてもありがたい存在です。
ところが旅先で初めてかまどを使うときは、早くご飯を炊くことだけが目的ではありません。火を起こす。薪をくべる。湯気が上がる。炊き上がるのを待つ。その過程そのものが、もう旅の一部になっています。
便利な道具は、私たちから大変な手間をたくさん取り除いてくれました。それは決して悪いことではありません。昔の暮らしへ戻れば、毎日ゆったり暮らせる――なんて単純な話でもないでしょう。昔の人にとって、その「手間」は生活するために必要な仕事だったのですから…。
でも、便利になったことで短くなった時間があります。火がつくのを待つ時間。ご飯が炊けるのを待つ時間。誰かと一緒に食事をつくる時間。そして――。何もせず、ただ景色を眺めている時間。
鬼木棚田の中にある「oniwa」では、夏になると棚田を眺めるテラスで食事を楽しめるといいます。長崎の魚介。その季節に採れた野菜。庭の山菜。目の前には、人々が長い時間をかけて守ってきた棚田が広がっています。
そこでスマホを取り出して、「次はどこへ行こう?」と検索するのも自由です。でも、せっかくなら…。ご飯が炊けるまで、何もしない。棚田を眺める。風の音を聞く。誰かと話す。あるいは、話さなくてもいい。そんな時間があってもいいのかもしれません。
私たちは便利になるたびに、「待たなくてもいい暮らし」を手に入れてきました。電話だってそうです。昔なら家の電話へかけて、「お父さんが出たらどうしよう……💦」なんてドキドキしながら待っていたのに、今ならSNSで本人へ直接メッセージを送れます。
連絡も、買い物も、調べものも。なるべく早く、なるべく待たずに…。それなのに旅に出ると、私たちはわざわざご飯が炊けるのを待っています。
どうやら、私たちが取り戻したかったのは「不便」ではなかったようです。急がなくてもいい時間。そして、その時間の中で初めてのことをやってみる余裕。それが楽しいから、私たちはわざわざ遠回りをするのでしょう。
だったら、「懐かしい暮らし」を体験するというのも、昔へ戻ることではないのかもしれません。便利なものは、そのままでいい。炊飯器も、スマホも、ガスレンジも手放さなくていい。そのうえで、ときどき立ち止まって――。昔の暮らしの中にあった時間だけ、今の暮らしへ持って帰る。それなら、できそうです。
では、河内さん夫妻が古民家に残そうとしたものもたぶん、昔の建物や道具だけではなかったのでしょう。最後にもう一度、鬼木棚田の古民家から考えてみましょう。「懐かしい暮らし」を受け継ぐことは、昔へ戻ることなのでしょうか?
oniwa(おにわ)
- 長崎県東彼杵郡波佐見町鬼木郷1159
- TEL:090-9670-7302(予約は申込サイトから)
- URL:https://oniwa.fun/
<広告の下に続きます>
「懐かしい暮らし」は、昔へ戻ることなの?
かまどで炊いた、ご飯。囲炉裏で炙った海苔。風が通り抜ける古民家。窓の向こうには、山の斜面に沿って連なる棚田。そんな風景を見ると、なぜでしょう。「懐かしいなあ」と思うことがあります。
でも、よく考えてみれば不思議です。かまどで毎朝ご飯を炊いたことなんてない。囲炉裏のある家で暮らしたこともない。まして若い世代なら、黒電話すら家になかった人もいるでしょう。それなのに、なぜか懐かしい。
もしかすると私たちは、自分が実際に経験した思い出だけを「懐かしい」と感じるわけではないのかもしれません。祖父母の家。昔の写真。映画やドラマ。誰かから聞いた話。そうしたものが少しずつ重なって、いつの間にか心の中に、「こんな日本があったような気がする」という風景をつくっているのでしょうか。
もちろん、昔の暮らしがすべて素晴らしかったわけではありません。毎日の家事には、今よりずっと時間も手間もかかりました。暑い日も、寒い日もあります。便利な道具が生まれたのは、それを必要としていた人たちがいたからです。
だから私たちは、昔へ戻らなくていい。炊飯器を捨てなくてもいい。ガスレンジやIHも使えばいい。スマホだって――。たぶん、もう手放せません(笑)
では、古民家体験宿「oniwa」で体験できる「昔の暮らし」とは、何なのでしょう。河内拓馬さんと友紀乃さんがつくった宿は、昔の生活をそのまま再現した場所ではありません。昔の暮らしのよかったところと、現代の暮らしのよかったところ。その両方を組み合わせています。そこに、今回の答えがあるような気がします。
受け継ぐことは、そのまま昔へ戻ることではない。残したいものを選ぶこと。今の暮らしに合うように手を加えること。そして、次の人へ渡していくこと。拓馬さん夫妻が受け継いだ古民家も、ただ保存されているわけではありません。
人が泊まります。食事をします。火を囲みます。棚田を眺めます。そこに新しい人がやって来て、昔なら当たり前だった暮らしを「初めて」体験します。
面白いですね。誰かにとっての「昔の暮らし」が、別の誰かにとっての「初めての体験」になる。そして、その人が何年か後に思い出したときには――。それはもう、その人自身の「懐かしい思い出」になっているのかもしれません。
古民家を残す。棚田を残す。かまどや囲炉裏を残す。でも、本当に残っていくものは、建物や道具だけではないのでしょう。
そこで過ごした時間。誰かと食べたご飯。火がつかなくて笑ったこと。炊き上がるまで待ったこと。棚田に夕暮れが降りていくのを、ただ眺めていたこと。そういう小さな記憶が、人から人へ渡っていく。それもまた、「暮らしを受け継ぐ」ということなのかもしれません。
翌朝。かまどで炊いた棚田米を食べ終えて、旅が終わります。そして自宅へ帰ったら――。きっとまた、炊飯器のスイッチを押します。それでいいのだと思います。便利な暮らしを捨てる必要はありません。
ただ、ときどき思い出せればいい。ご飯が炊けるまで、ゆっくり待っていた朝があったこと。何もしないで棚田を眺めていた時間があったこと。そして、自分が生まれるよりずっと前から続いてきた暮らしの中へ、一晩だけお邪魔したこと。
「懐かしい暮らし」は、昔へ帰るためにあるのではなく――。これからの暮らしへ、何を持って帰るかを考えるためにある。鬼木棚田を眺めながら過ごす一晩は、そんなことを思い出させてくれるのかもしれません。
<広告の下に続きます>
まとめ|「懐かしい」は、自分の思い出じゃなくてもいい
かまどで炊く、ご飯。囲炉裏を囲む食卓。風が通り抜ける古民家。そして、山あいに広がる棚田。そんな風景を見て、「懐かしいなあ」と思うことがあります。でも、その暮らしを本当に経験したことがあるのかと聞かれたら、そうではない人も多いでしょう。
毎朝かまどに火を入れたこともないしそもそも竃なんて見たこともない。囲炉裏のある家で暮らしたこともないし黒電話すら使ったことのない世代が、今では大人になっています。それでも、懐かしいのです。なんだか不思議です。
今回の『人生の楽園』で訪れた長崎県波佐見町の鬼木棚田には、そんな「懐かしい」がたくさん残っていました。河内拓馬さんと友紀乃さんが始めた古民家体験宿「oniwa」。そこでは、昔の暮らしへそのまま戻るのではなく、昔のよかったところと、現代の暮らしのよかったところを組み合わせています。だから私たちも、無理に昔へ戻る必要はありません。
便利な暮らしは、やっぱり便利です。毎朝かまどでご飯を炊くとなれば、きっと「炊飯器、返してぇぇぇ!😭」となるでしょう。でも、一晩だけなら。火を起こしてみる。ご飯が炊けるのを待ってみる。囲炉裏で海苔を炙ってみる。そして、棚田を眺めながら何もしない時間を過ごしてみる。
昔の人にとっては「生活」だったものが、今を生きる私たちには「初めての体験」になります。そして不思議なことに――。今日の「初めて」は、いつか自分の「懐かしい」に変わっていきます。
何年かたって、「あのとき、かまどでご飯を炊いたよね」「あの棚田、きれいだったね」と思い出す日が来るかもしれません。それなら「懐かしい」という気持ちは、昔だけを向いているものでもないのでしょう。
知らなかった昔に出会って、新しい思い出をつくる。そんな旅があってもいい。便利な暮らしへ戻ったら、また炊飯器のスイッチを押せばいいのです。
でも、ときどき。炊き上がるまで待った朝や、風の通る古民家や、窓の向こうに広がっていた棚田を思い出す。それだけで、ほんの少し心が穏やかになるなら――。それでいいのかもしれません。鬼木棚田では今日も、昔から続いてきた風景の中に、新しい誰かの「懐かしい」が一つずつ増えているのでしょう。
湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。
