山口県岩国市。錦川に架かる、五つの美しいアーチ。日本を代表する木造橋のひとつ、錦帯橋です。江戸時代に生まれ、350年以上にわたって岩国の町を見つめてきました。
……と聞くと、「350年前の橋が、今も残っているんだ!」と思ってしまいますよね。でも――。ちょっと待って…。木でできた橋が、350年間ずっと同じ姿のまま残っているのでしょうか? もちろん、そんなことはありません。傷んだ木は取り替えられ、橋は修理され、ときには架け替えられてきました。
最近では2001年(平成13年)~2004年(平成16年)にかけての3年間で架け替えを行っています。橋をつくる大工たちも、何世代も入れ替わっています。それなのに私たちは、今目の前にある橋を、350年以上前に生まれたのと同じ「錦帯橋」と呼んでいます。
架け替えても、同じ橋なの?
そう考えると、「ふるさとを守る」という言葉も、少し不思議に思えてきます。昔とまったく同じものを残すことが、「守る」なのでしょうか?それとも――。受け取ったものを次の人へ手渡しながら、その時代の人が、また新しく架けていくことなのでしょうか。
錦帯橋を未来へつなぐ大工たち。そして、伝統を受け継ぎながら新しい酒づくりに挑む酒蔵。NHK「小さな旅」と一緒に、岩国の町を歩きながら、「人から人へ、ふるさとを架ける」って、どういうこと? 私たちも、一緒に考えてみたいと思います。
【放送日:2026年9月23日(水)13:33 -13:58・NHK-総合】
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どうして岩国に、こんな不思議な橋が架かったの?
錦帯橋を初めて見ると、まず目を奪われるのが、その形です。錦川の上に連なる、五つの橋。なかでも中央の三つは、ぐーんと弧を描く美しい木造のアーチになっています。「ずいぶん凝ったデザインの橋を造ったんだなぁ」なんて思ってしまいますが――。実はこの形、見た目を美しくするために生まれたわけではありません。
岩国の町を流れる錦川は、幅およそ200メートル。江戸時代、川の西側には岩国城のある横山地区、東側には武家屋敷などが広がる錦見地区がありました。つまり、この川を渡れないと武士は通勤に困る…。そこで橋を架けるのですが――
大雨で流される。また架ける。また流される。……錦川、手ごわい💦 1639年に架けられた橋も長くはもたず、1657年に架けられた橋も、わずか2年ほどで流失してしまいました。
当時の橋づくりには、大きな難問がありました。200メートルもの川幅を当然ですが一本の木で渡すことはできません。大規模な吊り橋を架ける技術もありません。
当然、川の途中に橋脚を立てて、その上に橋を載せることになります。ところが洪水になると、その橋脚が弱点になる。激しい流れが橋脚の周囲の川底を削る「洗掘」が起こり、橋脚そのものが不安定になってしまうのです。だったら、流されにくい橋をどうやって架ければいい?その難問に挑んだのが、岩国領三代領主・吉川広嘉でした。
そして1673年。川の中に石造りの橋脚を築き、その間を木造のアーチで結ぶ、新しい橋が完成します。これが、錦帯橋の始まりです。ところが――。
翌年、流されました。えええっ!?😱「苦労して画期的な橋を造りました!」で終わらないところが、錦帯橋の物語のおもしろいところです。岩国の人たちは、「やっぱり無理だったね」とは、ならなかった。流失の原因を調べ、橋脚の周囲が削られないよう川底を石で補強するなどの改良を加え、その年のうちにもう一度、橋を架けたのです。
すると、その橋は簡単には流されなくなりました。ですがもちろん、木造部分は傷みます。修理もする。架け替えもする。それでも人々は、そのたびに橋を直しながら、錦川の上に錦帯橋を架け続けてきました。
ここで、ちょっと不思議なことに気づきます。私たちはよく、「錦帯橋は350年以上の歴史を持つ橋」と言います。でも、その350年とは――350年前に造った橋を、そのまま保存してきた時間ではありません。
壊れたら直す。傷んだ木は取り替える。流されたら、また架ける。そうやって何度も手を入れながら続いてきた350年なのです。奈良の法隆寺だって「世界一古い木造建築」って言われていますが、当然その間に修理はしています。
となると……。橋を残すって、いったい何を残すことなのでしょう?次は、そこをもう少しのぞいてみましょう。
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350年前の橋なのに、どうして今も架け替えるの?
「350年以上の歴史を持つ錦帯橋」
そう聞くと、できるだけ古い木を残して、大切に大切に保存している橋を想像しませんか? ところが錦帯橋では、傷んだ木材を取り替え、ときには橋そのものを架け替えてきました。考えてみれば、当たり前です。
錦帯橋は、木でできています。雨にぬれる。夏の日差しにさらされる。人が毎日、その上を歩く。どんなに丈夫な木を使っても、永遠にはもちません。だったら――。古い木を無理に残して橋そのものを危険にするより、必要なところを直し、傷んだ木を新しい木へ取り替えていく。
錦帯橋は、そうやって長い時間を生きてきました。ところが1950年。錦帯橋は、もう一度大きな試練に襲われます。台風による増水で、橋が流失してしまったのです。
ここで岩国の人たちは、大きな選択を迫られました。もう一度、木の橋を架けるのか? 時代はすでに昭和です。もっと丈夫な材料を使って、近代的な橋を造るという選択肢だってありました。それでも岩国では、再び木造の錦帯橋を架ける道が選ばれます。
ただし、「江戸時代とまったく同じものに戻そう!」という話でもありませんでした。橋脚の内部などには、鉄筋コンクリートをはじめとする現代の技術も取り入れられています。
ここが、おもしろいところです。昔と同じ材料を使わなければ、伝統ではない? どうやらそうではないらしい。木造の美しい五連の橋を守るために(ここが重要!)、必要なところには、その時代に使える技術も取り入れる。そして木造部分は、傷めばまた直す。
つまり錦帯橋は、「変えなかったから残った橋」ではなく、「変え続けたから残った橋」とも言えるのかもしれません。でも――。ここで、もう一つ問題が出てきます。橋を架け替えるには、錦帯橋を架けられる人が必要です。
設計図だけ残しておけば、未来の誰かが造れるのでしょうか? 木を選び、削り、組み合わせ、巨大なアーチにしていく。そこには、図面や文章だけでは簡単に残せない、職人たちの技があります。では、橋そのものを丈夫にして、できるだけ長く架け替えなくて済むようにすればいい?
……あれ? もし100年間、誰も錦帯橋を架けなかったら――100年後に、錦帯橋を架けられる人はいるのでしょうか? 橋を長持ちさせることと、橋を未来へ残すこと。どうやらこの二つは、同じようで少し違うようです。
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丈夫な橋を造れば、それで未来に残せるの?
橋を長く残したい。だったら、できるだけ丈夫な橋を造ればいい。壊れにくい材料を使い、最新の技術を取り入れ、100年でも200年でも使える橋を造る。それで一件落着!……のような気がしますよね。
でも錦帯橋には、もう一つの「寿命」があります。橋を架ける人の寿命です。木を見極める。部材を加工する。複雑な木組みを組み上げる。錦帯橋を架けるには、長い時間をかけて培われてきた大工たちの技術が必要です。
もちろん、図面や記録を残すことはできます。でも、それを読んだだけで、誰でも明日から錦帯橋を架けられるわけではありません。実際に木に触れ、先輩の仕事を見て、一緒に橋を架けながら覚えていく。技術は、人から人へ渡さなければ残らないのです。
ここで、ちょっと困ったことが起こります。もし、とてつもなく丈夫な錦帯橋が完成して、「これなら100年間、架け替えなくても大丈夫!」となったら? 橋にとっては、いいことです。ところが100年後――。「そろそろ架け替えましょう」となったとき、「……ところで、この橋を架けたことがある人、います?」
シーン……。
それでは困ります💦 橋の寿命を長くすることが、かえって技術を受け継ぐ機会を減らしてしまう。なんとも不思議な話です。だから錦帯橋では、橋を維持することと同時に、橋を架ける技術をどう次の世代へ渡すかということも大切になります。
番組に登場するのが、錦帯橋を未来へつなごうとする地元の大工たち――「橋守」です。熟練した大工が持っている技を、若い大工へ。その若い大工が、いつかまた次の世代へ。こうして考えると、錦帯橋で受け継がれているのは、目の前にある橋だけではないことが分かります。
「壊れたら、また直せる」
「架け替えるときには、また架けられる」
その力そのものを、残しているのです。これは、橋に限った話ではないのかもしれません。
どんなに丈夫な建物でも、道路でも、橋でも、下水道でも、造った瞬間から少しずつ時間が流れ始めます。「壊れないものを造る」ことと、「壊れたときに直せるようにしておく」こと。未来へ何かを残そうとするなら、きっと両方が必要なのでしょう。そして錦帯橋には、もう一つおもしろいところがあります。
未来へ渡すために必要なのは、昔とまったく同じことを繰り返すことなのでしょうか? 実は岩国には、橋とはまったく違う場所で、同じような問いと向き合っている人たちがいます。次は少し橋を離れて――。皆さんお待ちかねの酒蔵へ寄り道してみましょう。🍶
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昔と違う酒を造っても、「伝統」なの?
錦帯橋から少し離れて、岩国の町を歩いてみましょう。岩国は、日本酒づくりが盛んな土地でもあります。番組が訪ねるのは、長く酒づくりを続けてきた老舗の酒蔵。そこでは、先人たちから受け継いだものを大切にしながら、新しい酒づくりへの挑戦も続けています。
……でも。ここでも、錦帯橋とよく似た疑問が浮かんできます。伝統を守るのなら、昔と同じ酒を造り続けたほうがいいんじゃないの?原料も同じ。造り方も同じ。味も同じ。何十年、何百年たっても変わらない。そのほうが「伝統」という言葉には似合いそうです。
ところが――。酒を飲む人は変わります。食べるものも変わる。暮らし方も変わる。好まれる味だって、ずっと同じとは限りません。それなのに、「昔からこう造ってきたから」という理由だけで、何も変えなかったらどうなるのでしょう。
守っているつもりだった酒が、いつか誰にも飲まれなくなってしまうかもしれません。そこで、新しい酒を造ってみる。新しい方法を試してみる。受け継いだ技を土台にしながら、今を生きる人たちに届く酒を考える。それは「伝統を壊す」ことなのでしょうか?
それとも――。伝統を次の時代へ渡すために、必要な変化なのでしょうか。なんだか、錦帯橋と似ています。錦帯橋も、350年前の木をそのまま保存してきたわけではありません。傷んだところは直す。木材を取り替える。必要なら新しい技術も取り入れる。それでも、錦帯橋であり続けています。
酒づくりだって同じなのかもしれません。昔の酒を、そのままコピーし続けることだけが「受け継ぐ」ではない。先代から受け取ったものを、自分たちの時代でもう一度考え、「じゃあ、私たちは何を造ろう?」と問い直す。そして、その答えを次の人へ渡していく。
そう考えると、伝統とは一本の完成されたレシピではなく、人から人へ渡されながら、少しずつ続きをつくっていくものなのかもしれません。橋も、酒も…。変わらないから続いているのではなく、変わりながらも、渡すものがあるから続いている。
さて――。ここまで来ると、最初の疑問に戻りたくなります。木も替わる。橋脚も変わる。造る人も変わる。それなのに――。架け替えた錦帯橋を、どうして私たちは「同じ橋」だと思うのでしょう? そろそろ、向こう岸が見えてきました。
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架け替えても、どうして「同じ橋」なの?
もう一度、錦川のほとりに戻ってみましょう。目の前には、五つの美しいアーチを描く錦帯橋があります。350年以上の歴史を持つ橋。でも、ここまで旅をしてきた私たちは、もう知っています。目の前にある木が、350年前のまま残っているわけではありません。
傷んだ木は取り替えられました。橋は何度も修理されました。一度は流され、もう一度架けられました。橋脚にも、その時代に必要な技術が取り入れられています。そして橋を架ける大工たちも、何世代も入れ替わってきました。それなのに――。どうして私たちは、この橋を「同じ錦帯橋」だと思うのでしょう?
もしかすると、「同じ」というのは、同じ木が残っていることではないのでしょう。昔とまったく同じ方法で造ることでもない。一人の職人が、ずっと守り続けることでもありません。ある人が橋を架ける。次の人が、それを直す。その仕事を見た人が技を覚え、いつか自分の手で橋を架ける。そしてまた、その技を次の誰かへ渡していく。
錦帯橋は、一本の橋であると同時に、350年以上続いてきた「人から人へ」の物語なのかもしれません。それは、酒づくりも同じです。先代から受け取ったものを、そのまましまっておくのではなく、自分たちの時代に合わせて考え、挑戦し、また次の人へ渡していく。
変わっていくものがある。それでも、渡し続けるものがある。だから物語は途切れない。考えてみれば、ふるさとだってそうなのかもしれません。町に暮らす人は変わります。建物も変わります。仕事も、暮らしも、時代とともに変わっていきます。
それでも誰かが、「これは次の人にも渡したい」と思ったものを受け取り、また次の人へ手渡していく。そうやって、ふるさとは続いていく。錦帯橋が架けているのは、錦川の両岸だけではありません。
昔と今を架ける。熟練の大工と、次の大工を架ける。そして――今を生きる人と、まだ会ったことのない未来の人を架ける。だから、この番組のタイトルは、「ふるさと架ける」なのでしょう。
ふるさとは、昔の姿のまま残しておくものではなく、人から人へ、何度でも架け続けていくもの。錦川の上に伸びる五つのアーチを眺めていると、そんなふうにも思えてきます。
橋は、いつかまた架け替えられるでしょう。そのとき橋を架けるのは、今とは違う人たちです。それでもきっと――。そこにはまた、「錦帯橋」が架かっているのでしょうね。
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