暑い夏の日、手に取って何気なく風を送る「うちわ」。どこにでもある身近な道具ですが、その多くが香川県丸亀市で作られていることをご存じでしょうか?
丸亀は、全国でも有数のうちわの産地。けれど、なぜここまで「うちわの町」になったのでしょう。その歴史をたどっていくと見えてくるのが、江戸時代の金毘羅参りです。
全国からやってきた旅人たちが手にしたお土産。そこからうちわ作りが広がり、やがて丸亀を代表する産業へ――。
今回の「あさイチ中継」は、香川県丸亀市の「丸亀うちわミュージアム」から。一本の竹から生まれる職人の技を見ながら、丸亀は、なぜ「うちわの町」になったのか? 私たちも、うちわが起こす小さな風をたどって、町の歴史を歩いてみましょう。
【放送日:2026年9月2日(水)8:15 -9:55・NHK-総合】
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丸亀のうちわって、そんなにすごいの?――日本一の産地を数字から見る
「丸亀」と聞いて、何を思い浮かべるでしょう?丸亀城、それとも讃岐うどん、骨付き鶏なんていうのもありますね。けれど、日本の夏に欠かせない「うちわ」という視点から見ると、丸亀はまったく違う顔を見せてくれます。
実は丸亀うちわは、国内で作られるうちわのおよそ9割を占めるとされる、日本一のうちわ産地なのです。9割ということは、単純に考えれば日本で作られるうちわ10本のうち9本。夏祭りでもらったうちわも、花火大会で手にしたうちわも、企業名の入った販促用のうちわも、もしかしたら丸亀生まれだったかもしれません。
しかも、「丸亀うちわ」という名前から竹と紙でできた昔ながらのうちわだけを想像すると、その大きさを見誤ります。丸亀では伝統的な竹うちわだけでなく、私たちが街やイベントでよく目にするプラスチック製の「ポリうちわ」も生産されています。丸亀市も、竹うちわとポリうちわを合わせて国内シェア90%を占める産地として紹介しています。
生産量については資料によって集計時期などに違いがあり、丸亀市の案内では年間約8,300万本、丸亀うちわ公式サイトでは年間約1億本以上とされています。数字には幅がありますが、いずれにしても「伝統工芸品が細々と残っている」という規模ではありません。そして1997年には、「丸亀うちわ」が国の伝統的工芸品に指定されました。
でも、ここでひとつ不思議に思います。竹なら日本各地にある。紙を使う文化も全国にある。それなのに、どうして日本のうちわの約9割が、香川県の丸亀に集まったのでしょう。その理由をたどっていくと、江戸時代、多くの旅人が讃岐を目指した「金毘羅参り」へと行き着きます。
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なぜ丸亀で「うちわ」だった?――金毘羅参りのお土産から始まった
日本一のうちわ産地・丸亀。でも、そもそもなぜ丸亀で、これほどうちわ作りが盛んになったのでしょう? その始まりをたどると、江戸時代に庶民の間で大流行した「金毘羅参り」へと行き着きます。
現在の香川県琴平町にある金刀比羅宮は、古くから海上交通の守り神として信仰を集めてきました。江戸時代になると、伊勢参りなどと並んで「一生に一度は訪れたい」と憧れる人も多く、全国各地から大勢の参詣者が讃岐を目指すようになります。そこで重要な役割を果たしたのが、丸亀の港でした。
本州方面から瀬戸内海を船で渡ってきた参詣者にとって、丸亀は金毘羅宮へ向かう玄関口のひとつ。船を降りた旅人たちは、ここから金毘羅街道を歩いて琴平を目指しました。つまり丸亀は、今でいうところの「巨大観光地へ向かうターミナル」でもあったのです。
人が集まれば、当然そこにはお土産も生まれます。江戸時代初期には、金刀比羅宮の別当寺だった金光院の住職が、朱色の地に「丸金」の印を入れたうちわを考案し、参詣者への土産として広まったと伝えられています。

これが、のちの「丸亀うちわ」につながる原点のひとつになりました。考えてみれば、うちわは旅のお土産としてなかなか優秀です。暑い道中ですぐ使える。持って帰ってからも使える。そして絵や文字を入れれば、「金毘羅さんへ行ってきた」という旅の記念にもなる。
今なら観光地で買うキーホルダーやTシャツのような存在だったのかもしれません。こうして、金毘羅参りにやってきた旅人とともに、丸亀のうちわも全国へ運ばれていきました。
けれど――。お土産として人気が出ただけなら、それだけで国内シェア約9割の産地になるとは考えにくいでしょう。旅人が生んだ需要を、丸亀の「産業」へと変えていったもの。そこには、もうひとつ丸亀藩の存在がありました。
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お土産が、どうして産業になった?――丸亀藩が育てたうちわ作り
金毘羅参りのお土産として人気を集めた丸亀のうちわ。しかし、たくさんの旅人が買ってくれたからといって、それだけで日本を代表する産地になったわけではありません。丸亀でうちわ作りが産業として根づいていく背景には、丸亀藩の武士たちがいました。
江戸時代の天明年間(1781~1789年)、丸亀藩の江戸屋敷に勤めていた下級武士が、豊前国・中津藩の藩士からうちわ作りの技術を習得したと伝えられています。その後、丸亀藩の家臣・瀬山登(せやまのぼる)が、国元の武士たちに内職としてうちわ作りを奨励しました。
これが、丸亀のうちわ作りを大きく発展させるきっかけになります。武士が、うちわを作る。現代の感覚では、少し意外な組み合わせかもしれません。けれど、そこにはすでに金毘羅参りによって生まれた大きな需要がありました。全国から旅人がやってくる。お土産としてうちわが売れる。そして、その需要に応えるように作り手も増えていく。
「売れる場所」と「作る人」が、丸亀という町で結びついたのです。さらに丸亀は、うちわ作りの材料にも恵まれていました。
「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」
そんな言葉が伝えられているように、竹や紙など、うちわ作りに必要な材料を近隣から調達できる土地でもありました。
金毘羅参りという需要がある。藩士という作り手がいる。そして瀬戸内・四国には材料がある。偶然のように見えた条件が丸亀で重なり、旅人への一枚のお土産だったうちわは、少しずつ町を代表する産業へと育っていったのでしょう。
そして現在、丸亀城の天守から町を眺めても、江戸時代のうちわ職人たちの姿を見ることはできません。けれど、その技は消えていません。一本の竹を割り、骨を作り、紙を貼り、一枚のうちわへ仕上げていく――。丸亀では今も、47もの工程を経て作られる伝統の技が受け継がれています。
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一本の竹から、一本のうちわへ――47工程に残る職人の技
丸亀うちわが日本一の産地になった背景には、金毘羅参りがあり、丸亀藩によるうちわ作りの奨励がありました。けれど、その歴史を現在までつないできたものがあります。それが、職人たちの手です。
伝統的な丸亀うちわが完成するまでには、実に47もの工程があるといいます。その始まりは、一本の竹。丸亀うちわの大きな特徴のひとつが、一本の竹から柄と骨を作る「一柄一竹(いちえいっちく)」という構造です。
竹を必要な長さに切り、節を利用して柄になる部分を残しながら、上の部分へ細かな切れ目を入れていく。一本だった竹が、職人の手によって何十本もの細い骨へと分かれていきます。しかも、ただ細く割ればいいわけではありません。
骨の太さをそろえ、左右へ美しく広げ、その骨へ糸を掛けて形を整える。そこへ紙を貼り、余分な部分を切り落とし、縁を仕上げていく。竹だったものが、少しずつ私たちの知っている「うちわ」の姿になっていくのです。
丸亀うちわの製作工程は、大きく分けると「骨」「貼り」「仕上げ」などに分かれ、それをさらに細かく数えると47工程になります。現在ではすべてを一人で行う職人もいれば、それぞれの工程を担う分業によって作られるうちわもあります。
私たちが何気なく手に取って、「暑いなあ」と、ぱたぱた扇いでいる一枚。その薄い紙の下には、竹を切り、割り、削り、広げ、糸を掛け、紙を貼る――そんな長い時間と技術が隠れていました。そして、この手仕事を完成品だけではなく、実際に作られていく姿として見ることができる場所があります。
今回「あさイチ」が中継する、丸亀うちわミュージアムです。そこでは職人による製作実演が行われ、自分でうちわを作る体験もできます。つまりここは、昔のうちわをガラスケース越しに眺めるだけの博物館ではありません。丸亀に吹き続けてきた「うちわの風」を、いまの職人から次の人へ渡していく場所でもあるのです。
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うちわの風を、次の時代へ――丸亀うちわミュージアムが伝えるもの
一本の竹から、47もの工程を経て生まれる丸亀うちわ。その技を目の前で見ることができるのが、今回「あさイチ」が中継する丸亀うちわミュージアムです。館内には、丸亀うちわの歴史を伝える資料やさまざまなうちわが展示されているだけではありません。
職人による製作実演を見ることができ、実際に自分の手でうちわを作る体験も用意されています。竹が細い骨へと分かれていくところ。骨へ糸を掛け、美しい形へ整えていくところ。そこへ紙を貼り、一本のうちわになっていくところ。完成したものだけを見れば、昔から変わらない伝統工芸品に見えるかもしれません。
けれど職人の手元を見れば、その一枚が誰かの手から誰かの手へ受け継がれてきた技術の集まりであることがわかります。そして、ここで大切なのは「見る」ことだけではないのかもしれません。自分で作ってみる。手に取ってみる。そして、扇いでみる。すると、竹と紙でできた一枚の工芸品から、本当に風が生まれます。
江戸時代、金毘羅参りの旅人たちが持ち帰った丸亀のうちわも、きっとそうだったのでしょう。飾っておくためだけのものではなく、暑ければ手に取り、誰かを扇ぎ、暮らしの中で使われてきた。伝統は、残しておくだけでは続かない。誰かが使うことで、もう一度そこに命が吹き込まれる。まさに”民藝”の美です。

丸亀うちわミュージアムは、昔のうちわを保存するだけの場所ではなく、そんな小さな体験を通して、職人の技を次の世代へ手渡していく場所なのかもしれません。
金毘羅参りのお土産として生まれた一枚のうちわ。その風は何百年もの時間を越えて、今も丸亀で吹き続けています。そして今日ここを訪れた誰かが一本のうちわを手に取ったとき、その風はまた、次の時代へ吹いていくのでしょう。
丸亀うちわミュージアム
- 香川県丸亀市中津町25−1
- TEL:0877-24-7055
- 開館時間:9:30~17:00
- 休館日:水曜
- URL:https://marugameuchiwa.jp/museum
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まとめ|旅人が持ち帰った風は、今も吹いている
金毘羅参りの旅人たちが手にした、一枚のうちわ。その小さなお土産から始まった風は、職人たちの手を渡りながら、何百年もの時間を吹き続けてきました。
暑い日に、そっと手に取って扇ぐ。ただそれだけで生まれる、やさしい風。けれどその向こうには、一本の竹と向き合い、技をつないできた人たちの時間があります。
丸亀うちわミュージアムを訪れた誰かが、今日また一本のうちわを手にする。ぱた、ぱた――。その風はきっと、昔の旅人が感じたものと、それほど変わらないのでしょう。丸亀から生まれた涼やかな風は、これからも人から人へ。次の夏へ、そして次の世代へと、静かに吹いていきます。
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