7月7日のドキュメント72時間で、兵庫県西宮市の通称”マンボウトンネル”が紹介されます。どうして地元の人は、JR線の線路下の、頭を屈めないと通れない、歩行者でさえすれ違いもできない不便なトンネルを使うのでしょうか?「マンボウトンネル」という不思議な名前の由来やどうしてこんな通路ができたのかを調べてみました。
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マンボウトンネルの起源ってなに?
この狭いトンネルはもともと人が通るためのものではなく、明治の初めに国鉄が開業するとき、線路の盛り土の下に用水路を通すために開けられたトンネルだったようです。
つまり後から掘ったわけではなく、線路を敷く時に最初から作ったトンネルというわけです。高さは130センチほどで幅も1.5メートルほど。歩行者同士なら無理すればなんとかすれ違えるかもしれませんが、自転車などを押していたらすれ違いもできません。この用水路に板を敷いて人も通れるようにしたのが始まりだそう。
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マンボウトンネルの名前の由来は?
マンボウトンネルとは不思議な名前ですが、そう呼ばれるようになったのはどうしてでしょう?地元では略して「マンボウ」と呼んでいるそうで、谷崎潤一郎の「細雪」にも「そこのマンボウをくぐった先の…」と紹介されているから古くからの呼び名なのでしょう。
マンボウの名前の由来は、一説では、昔、炭鉱の坑道のことを「間歩(まんぼ)」と呼んでいたところからそう呼ばれるようになったのではないかといわれています。
こんなに狭いトンネルを不便だと思わないのか?
いずれにしてもこのような狭小トンネルを地元の人は不便だと思っていないのでしょうか?自分が生まれた頃から普通に使っていて、特に子供の頃なら狭いとも不便だとも思わなかったでしょうから、自分の背丈が少しずつ伸びていっても、いつから体を屈めないと通れなくなったのか覚えてもいないのでしょう。
大人になって、子供の頃に遊んだ路地裏を久しぶりに訪れた時、「こんなに狭かったっけなぁ」と感じたりするように、日頃から当たり前のように使っている道は狭いとも不便だとも思わないのかもしれません。このあたりはきっと番組の中で現地の人の声が聞けるでしょうから、楽しみにしたいと思います。
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マンボウトンネルのまとめ
マンボウトンネルの起源ってなに?
マンボウトンネルは、明治初期に国鉄が開業して線路を敷設するときに、線路の盛り土の下を通した用水路に、のちに蓋をして人も通れるようにしたものだそうです。
マンボウトンネルの名前の由来は?
炭鉱の坑道を「間步(まんぼ)」が変化して「マンボウ」と呼ばれるようになったという説が有力です。
こんなに狭いトンネルを不便だと思わないのか?
こればかりは普段使っている方に聞かないとわかりません。ただこの近くに子供の頃から住んでいる方は、「まぁこんなもんでしょ」となんとも思っていないのかもしれませんね。
参考記事
聞きかじり西宮歴史散歩(https://nishinomiya-style.jp/rekishi-sanpo/)