こんにちは鳥巣です。5/3の「良純と〇〇の会」では、叔父の石原裕次郎さんとの思い出話が語られるようです。石原裕次郎さんといえば昭和の大映画スターで、テレビ「太陽にほえろ!」や「西部警察」でも人気の”ボス”でした。
今年は黒部第四ダム(通称:クロヨン)に繋がる新ルート「キャニオンルート」が一般公開されるとあって話題になっていますが、見どころや歴史を調べてみました。
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黒部アルペンルートってなに?
「黒部アルペンルート」は富山側の美女平からバスで立山への登山口でもある室堂(むろどう)に向かい、そこからトロリーバス(2024年に運行終了予定)やロープウェイ、ケーブルカーを乗り継いでクロヨンへ向かう高原ルートです。
春には室堂に向かうバスから、高さ15mもの雪の壁が見られるのはあまりにも有名で、全般にわたって雄大な景色を堪能できます。
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黒部はキャニオンルートでクロヨンを作った?!
一方の今年(2024年)一般公開される「キャニオンルート」は観光用のルートではなく、黒四ダムのメンテナンス用の作業用ルートです。これは黒四を作るときに作られたルートで、今までは一般人の立ち入りはできなかったところです。
今年の1月にNHKのブラタモリで特集されましたが、温泉のある宇奈月からしばらくはトロッコ列車から黒部渓谷の雄大な景色が楽しめるものの、途中からは工事用のトンネルやインクライン(急な斜面に敷いたレールの上を走るケーブルカーのようなもの)、トンネル内バスなどで外の景色はまったくといって良いほど見えません。(詳しくは「ブラタモリ」を参照)
これは宇奈月から人足がダムを作るために築いた山道やトンネルを、後々のメンテナンス用に整備したもので、観光用ルートではないからです。
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クロヨンの決め手は大町ルートの関電トンネルだった?!
しかしこのルートでは大型の重機は運び込めないため、立山の反対側、長野県大町市側からトンネル(関電トンネル)を掘って黒四ダムにブルドーザーなどの大型重機を運び込みました。このトンネルを掘る物語が、石原裕次郎と三船敏郎が主演の映画「黒部の太陽」です。
大町側から立山の下を5.4kmにわたって掘り抜いていく途中で「破砕帯」という軟弱で大量の水が噴き出す軟弱地盤に遭遇するわけですが、そこを苦労の末に掘り抜いていくのが映画のクライマックスです。ここで三船敏郎さんと石原裕次郎さんの人間ドラマが垣間見えるわけです。
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一方で富山県の宇奈月から掘り進んだのが、今年(2024年)新たに公開される黒部キャニオンルートです。もちろんこちら側も簡単に掘り進めたわけではありません。
ドキュメンタリー作家・吉村昭さんの「高熱隧道」に詳しく書かれていますが、高熱の岩盤でダイナマイトが誤爆したり、爆発的な雪崩で作業員の宿舎が吹き飛ばされて多くの犠牲者が出たそうです。
そんな石原裕次郎さんが人生をかけて製作にあたったという映画「黒部の太陽」の舞台にもなった“黒部ダム”に良純が向かいました。
大町側の関電トンネルは観光用として以前から開放されていたので、今回良純さんは「キャニオンルート」から攻めるのかもしれません。こちらも「黒部の太陽」の前半で”裕次郎の父役”が黒三ダムを作るときに苦労した話で登場しますから、裕次郎さんにとっても思い出深いところだったのだと思います。
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裕次郎さんと良純は仲が良かった?!
国民的大スターだった叔父の石原裕次郎さんですが、まき子夫人との間に子どものいなかった裕次郎さんは、兄・慎太郎さんの4人の子どもたちを我が子のようにかわいがったといいます。
裕次郎さんにとっては30歳近く年下で、次男坊だった良純さんは余計に可愛く感じたのかもしれません。大学時代に入院中の裕次郎さんを見舞ったことから役者への誘いを受けて石原プロモーションに入社しました。
良純さんは裕次郎さんのことを「逗子にある家で年に1回会う“おじさん”でしかなかった」と話していますがが、黒塗りのリンカーンに乗って慎太郎さんの家へ遊びにくる裕次郎さんに、母親やお手伝いさんは色めき立ったようです。
良純さんはそんな裕次郎さんといつか一緒にお酒を飲むのを楽しみにしていたといいます。当時のことを良純さんは「1回だけ、大動脈瘤で倒れる前に(裕次郎さんの家で)お酒を飲んだことがあった。」といいます。
初めてのブランデーを飲んでいたら、夜遅くに(父・慎太郎さんから)電話が掛かってきて、「いい加減に帰ってこい」って言うわけよ。普通だったら弟・裕次郎さんのところにいるんだから安心なわけですよ。
なのにうちのおやじは嫉妬するわけ。 そしたら、叔父の裕次郎さんが「他人のところで飲んでいるわけじゃなくて、俺のところなんだから」と(慎太郎さんに)怒ったんだそうです。父の慎太郎さんも嫉妬するほど良純さんは裕次郎さんに好かれていたんですね。
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裕次郎と良純と「黒部の太陽」のまとめ
黒部アルペンルートってなに?
「黒部アルペンルート」は富山側の美女平からバスで立山への登山口でもある室堂(むろどう)に向かい、そこからトロリーバス(2024年に運行終了予定)やロープウェイ、ケーブルカーを乗り継いでクロヨンへ向かう高原ルートです。
春には室堂に向かうバスから、高さ15mもの雪の壁が見られるのはあまりにも有名で、全般にわたって雄大な景色が堪能できます。
黒部はキャニオンルートでクロヨンを作った?!
一方の今年(2024年)一般公開される「キャニオンルート」は観光用のルートではなく、黒四ダムのメンテナンス用の作業用ルートです。これは黒四を作るときに作られたルートで、今までは一般人の立ち入りはできなかったところです。
もちろんキャニオンルートはクロヨン建設のために需要な役割を果たしますが、このルートではブルドーザーなどの大型重機は運べませんでした。
黒部はキャニオンルートでクロヨンを作った?!
このキャニオンルートでは大型の重機は運び込めないため、立山の反対側、長野県大町市側からトンネル(関電トンネル)を掘って黒四ダムにブルドーザーなどの大型重機を運び込みました。このトンネルを掘る物語が、石原裕次郎と三船敏郎が主演の映画「黒部の太陽」です。
大町側から立山の下を5.4kmにわたって掘り抜いていく途中で「破砕帯」という軟弱で大量の水が噴き出す軟弱地盤に遭遇するわけですが、そこを苦労の末に掘り抜いていくのが映画のクライマックスです。
裕次郎さんと良純さんは仲が良かった?!
国民的大スターだった叔父の石原裕次郎さんですが、まき子夫人との間に子どものいなかった裕次郎さんは、兄・慎太郎さんの4人の子どもたちを我が子のようにかわいがったといいます。
ある時、裕次郎さんの家でブランデーを飲んでいたら、夜遅くに(父・慎太郎さんから)電話が掛かってきて、「(裕次郎さんに嫉妬して)いい加減に帰ってこい」って言うんだそうです。
そしたら、叔父の裕次郎さんが「他人のところで飲んでいるわけじゃなくて、俺のところなんだから」と(慎太郎さんに)怒ったんだそうです。父の慎太郎さんも嫉妬するほど良純さんは裕次郎さんに好かれていたんですね。