宇都宮市大谷町の地下深くには、まるで神殿のような静寂に包まれた巨大な空間が広がっています。幻想的な景色に目を奪われますが、この場所は最初から観光地だったわけではありません。そこは、大谷石を切り出すために、人々が長い歳月をかけて掘り続けた採掘場でした。
切り出された一枚一枚の石は、やがて学校や教会、蔵や住宅となり、人々の暮らしを支えます。さらに、フランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテル本館にも使われ、関東大震災では多くの人々の命を守る建物の一部となりました。
地下で石を掘ることは、ただ石を切り出す仕事ではありませんでした。未来の町を築き、人々の暮らしを支える礎を生み出す仕事だったのです。
今回は、栃木県宇都宮市の大谷石地下採掘場跡から、静かな地下空間に刻まれた人々の時間と、その石が未来へつないだ物語をご紹介します。
【放送日:2026年7月23日(木)8:15 -9:55・NHK-総合】
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大谷石採掘場とは?~地下深くに広がる人の仕事場~
栃木県宇都宮市大谷町には、地下30~60メートルほどの深さに、巨大な地下空間が広がる「大谷石地下採掘場跡」があります。現在は観光施設として公開され、その壮大な景観から「地下神殿」とも呼ばれ、映画やドラマ、コンサート会場としても親しまれています。
しかし、この幻想的な空間は、最初から人々を魅了するためにつくられたものではありません。ここは、大谷石を切り出すために、職人たちが長い年月をかけて掘り進めた仕事場でした。大谷石は約1,500万年前の火山活動によって生まれた凝灰岩で、軽くて加工しやすく、耐火性や調湿性にも優れていることから、古くから建築材として重宝されてきました。
切り出された石は宇都宮だけでなく東京などの全国へ運ばれ、蔵や住宅、教会、学校など、さまざまな建物を支えてきます。フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテル本館や、自由学園明日館にも大谷石が使われ、日本近代建築の歴史にもその名を刻んでいます。
一方で、長年にわたる採掘は広大な地下空洞を生み、一時は地盤沈下や陥没が地域の課題となった時代もありました。現在は採掘方法や安全管理が大きく見直され、歴史を未来へ受け継ぐ文化遺産として、大切に保存・公開されています。
地下に広がる静かな空間は、ただ美しいだけではありません。そこには、未来の町を支えようと働き続けた人々の時間が、今も静かに刻まれているのです。
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地下神殿は最初から神殿ではなかった~石を切り出した人々~
今では「地下神殿」とも呼ばれ、多くの人を魅了する大谷石地下採掘場跡。しかし、この壮大な空間は、最初から人々を感動させるためにつくられた場所ではありませんでした。ここは、大谷石を切り出すための仕事場です。
地下深くへ降りると、高い柱が何本も並び、まるで神殿の回廊のような景色が広がります。しかし、その柱は建物を美しく見せるためではなく、天井を支えながら安全に石を採掘するために残されたものです。
壁に刻まれた無数の跡も、装飾ではありません。一枚一枚の大谷石を丁寧に切り出した職人たちの道具の跡です。静まり返った地下空間に立つと、人の声も機械の音も聞こえません。それでも、長い年月にわたり石を切り出してきた人々の息づかいだけは、今もこの場所に静かに残っているように感じられます。
職人たちは毎日、重い石と向き合いながら働き続けました。その一枚一枚が町へ運ばれ、蔵や学校、教会、そして旧帝国ホテル本館のような建物となって、人々の暮らしを支えていきます。
石を切り出していたように見えて、実は未来を築いていた。そんな思いでこの地下空間を見上げると、「地下神殿」という名前さえ、少し違って見えてくるかもしれません。
この”地下神殿”は、人が神様のためにつくった場所ではありません。人が毎日の暮らしを支えるために働き続けた、その時間が、いつしか神殿のような美しい空間を生み出したのです。
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大谷石が支えた日本の暮らし~石は町へ旅をした~
地下深くで切り出された大谷石は、そこで役目を終えたわけではありません。そこからが、本当の旅の始まりでした。
大谷町から切り出された石は、人車鉄道や軽便鉄道で運ばれ、やがて鉄道省の路線へとつながります。全国へ運べるようになったことで、大谷石は宇都宮だけのローカルな石ではなく、日本各地の町づくりを支える建築材として広く知られるようになりました。
その旅の先には、蔵や住宅、教会、学校など、人々の暮らしに寄り添う建物がありました。さらに、フランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテル本館や自由学園明日館にも大谷石が使われ、日本近代建築を代表する名建築の一部となります。
旧帝国ホテル本館は、完成から間もない1923年に関東大震災に見舞われました。しかし、大きな倒壊を免れ、多くの人々が避難する場所となったことでも知られています。地下で切り出された一枚の石が、東京で人々の命を守る建物の一部となったのです。
石は、自ら歩くことはできません。けれど、人々の知恵と鉄道によって遠くまで運ばれ、新しい町へ、新しい暮らしへと受け継がれていきました。
石が旅をした先には、いつも人々の暮らしがありました。だから大谷石を切り出した人々は、石だけを掘っていたのではありません。未来の町を築き、人々の暮らしへ希望を届けていたのです。
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地下空間が新しい命を吹き込まれる~文化が集う場所へ~
長い年月をかけて大谷石を切り出してきた地下採掘場も、時代とともにその役目を終えました。石を運び出す音が消え、人々の働く姿が見えなくなったあと、地下には巨大な空間だけが残されます。しかし、大谷石地下採掘場跡の物語は、そこで終わりませんでした。
現在、この場所は「大谷資料館」として一般に公開され、宇都宮を代表する観光地の一つとなっています。地下約30メートル、広さ約2万平方メートルに及ぶ空間には、手掘りや機械掘りによって刻まれた跡が残り、大谷石を切り出してきた歴史を今に伝えています。
高い天井と石の柱が連なる空間には独特の静けさと響きがあり、コンサートや美術展示、映画、ドラマ、音楽映像など、さまざまな文化表現の舞台としても使われるようになりました。結婚式が行われる場所もあり、かつて人々が汗を流した仕事場に、新しい人生の門出や感動の時間が生まれています。
けれど、この場所の魅力は、ただ「珍しい地下空間だから」生まれたものではありません。壁に残る道具の跡も、天井を支えるために残された石柱も、石を切り出した人々の営みそのものです。その歴史を覆い隠さず、受け継ぎながら新しい使い方を見つけたからこそ、訪れる人の心を動かす場所になったのでしょう。
大谷石文化は、日本遺産「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」の物語としても認められました。また、「大谷の奇岩群と採石産業の文化的景観」は、2024年に国の重要文化的景観に選定されています。
大谷資料館
- 栃木県宇都宮市大谷町909
- TEL:028-652-1232
- 営業時間:9:00~16:30
- 休館日:なし
- URL:https://www.oya909.co.jp/
かつて、大谷の地下から切り出された石は全国へ旅立ち、人々の暮らしを支えました。そして今度は、その石を生み出した故郷へ、全国から人々が訪れるようになったのです。石を送り出してきた町が、今では感動を迎え入れる町になりました。
働く場所から、歴史を伝える場所へ、石を生み出す場所から、感動を生み出す場所へ。地下採掘場に吹き込まれた新しい命は、大谷石の歴史を過去に閉じ込めるのではなく、音楽や映像、そして訪れる人々の記憶へと、未来につないでいるのです。
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地下に残ったのは石ではなく、人の時間~大谷石採掘場が伝えるもの~
大谷石地下採掘場跡を歩いていると、まず目を奪われるのは、その壮大な空間です。高い天井、まっすぐに並ぶ石柱、静かに広がる地下の世界。けれど、しばらくその場に立っていると、不思議なことに、目に映る景色よりも、この場所で働いていた人々の姿を想像するようになります。
毎日、暗い地下へ入り、一枚ずつ石を切り出し、町へ送り出してきた職人たち。誰も「百年後には観光地になる」と思って仕事をしていたわけではないでしょう。それでも、一つひとつ積み重ねた仕事が、この空間を生み出し、日本中の町を支え、多くの人々の暮らしへとつながっていきました。
地下に残ったのは、石だけではありません。そこには、未来を信じて働き続けた人々の時間が、静かに積み重なっています。
私たちは完成した建物を見て感動することはあっても、その建物を支えた一枚の石や、それを切り出した人々のことを思い浮かべる機会は、そう多くありません。だからこそ、大谷石地下採掘場跡は教えてくれます。
どんな大きな未来も、誰かの毎日の仕事の積み重ねから生まれることを…
地下の静けさは、過去を語るためだけにあるのではありません。地下に残っていたのは、未来を信じて働き続けた人々の時間だったのです。
