春の五島列島では、椿の花が咲くのと同じように、人の移動が季節を動かしていきます。
進学や就職、転勤――。島で暮らす人々にとって春は、新しい始まりの季節であると同時に、誰かを見送る季節でもあります。とくに離島では、高校進学をきっかけに親元を離れて暮らし始める子どもたちも少なくありません。
小さな港から船に乗り、島の外へ向かうその旅立ちは、希望だけでなく、不安やさみしさも一緒に運んでいくように見えます。そんな春の五島列島には、ただの別れでは終わらない、どこかあたたかな時間が流れています。
人を送り出す港の風景、海とともに続いてきた暮らし、空海への信仰、教会に残る祈り、そして島に根づいた食や記憶――。そこには、何度人が去っても、また誰かを迎え入れながら続いていく“島の時間”がありました。
今回の「新日本風土記 長崎 五島列島の春」では、そんな五島の春を舞台に、別れと祈り、そしてこの島で生きることを選んだ人々の物語が描かれます。五島列島の春がなぜこれほど静かに胸に残るのか、その理由を番組の見どころとともにたどっていきます。
【放送日:2026年4月4日(土)14:00 -15:00・NHK-BS】
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五島列島の春は、なぜ“人が旅立つ季節”なのか?
五島列島の春は、花が咲く季節であると同時に、人が動く季節でもあります。島のあちこちでは椿の花が咲き、やがて静かに地面へと落ちていきます。その光景はどこか穏やかでありながら、終わりと始まりが重なり合う、この土地の春の気配を感じさせます。そんな季節に、五島では多くの人が島を離れていきます。
進学や就職、転勤――。とくに離島では、高校進学をきっかけに、親元を離れて暮らし始める子どもたちも少なくありません。小さな港に集まり、船を見送る人々。笑顔で手を振りながらも、その表情の奥には、言葉にしきれない思いがにじみます。それは、旅立つ側の不安や期待であり、送り出す側のさみしさや願いでもあるのでしょう。
島では、春になると人が減っていきます。けれど同時に、新しくやってくる人もいるかもしれません。そうして人の出入りを繰り返しながら、この土地の暮らしは静かに続いてきました。
五島の春とは、ただ花が咲く季節ではなく、人の移動そのものが風景となり、時間となって流れていく季節なのかもしれません。
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港に集まる人々——別れを送り出す五島の春のセレモニー
五島列島の春を象徴する風景のひとつが、港での見送りです。進学や就職、転勤などで島を離れる人を送るために、家族や友人、近所の人たちが港に集まり、出航する船へ向かって手を振る。その光景は、ただの別れというより、島全体で旅立ちを見届ける“春の儀式”のようにも見えます。
ときには色とりどりの紙テープが何本も投げられ、船と岸をつなぎます。出航の瞬間まで途切れずに揺れるその紙の帯は、まだここにいたい気持ちと、ちゃんと行っておいでという願いが、目に見えるかたちになったもののようです。
観光客が島を離れるときには、こうした見送りはほとんどありません。それは島にとって、旅人が去ることは日常のひとつであっても、“島の誰か”が外へ向かって旅立つことは、特別な出来事だからなのかもしれません。
送り出す人にとっても、旅立つ人にとっても、港はただの交通の拠点ではなく、人生の節目が交わる場所です。島に暮らす人々にとって春の港とは、別れの場所であると同時に、未来へ向かう背中を押す場所でもあるのでしょう。五島の春には、そんなふうに人を送り出すための、にぎやかで少しさみしい時間が流れています。
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海とともに生きる——ブリ漁や島の食に残る五島の暮らし
五島列島の暮らしを支えてきたのは、やはり海の存在です。海流がぶつかる豊かな海では、古くからブリやサバなどの漁が盛んに行われてきました。「東洋一」ともいわれたブリの漁場では、春になると漁師たちが「万越し」をめざして網を引き、海とともに生きる島の時間が今も息づいています。
けれど五島の海の豊かさは、漁の規模や歴史だけではなく、日々の食卓の中にも静かに残っています。たとえば、きびなご。細く小さな魚ですが、刺身で並ぶその姿は驚くほど美しく、光を受けるたびにきらきらと輝きます。
関東ではあまり日常的に出会わないこともあって、旅先でその一皿に出会うだけで、どこか“島に来た”という実感が湧いてくる人もいるかもしれません。地元の人にとっては、そうした魚は特別なごちそうというより、海のそばで暮らしてきた時間そのものを思い出させる味なのかもしれません。
五島うどん、サバの棒寿司、そしてかんころ餅。この島には、海と畑、そして人の手仕事がそのまま残るような食べものがいくつもあります。それらは単なる名物ではなく、島で暮らしてきた人たちの記憶や季節を支えてきた味でもあります。島を離れて暮らす人にとっても、こうした味は、ふとした瞬間に故郷へと気持ちを引き戻してくれるものなのかもしれません。
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空海の信仰と教会|五島に重なる“祈り”の風景
五島列島には、いくつもの“祈りのかたち”が静かに重なっています。遣唐使の時代、この島々は海を越えて大陸へ向かう人々の最後の拠点でもありました。その流れの中で、空海への信仰がこの地に根づき、今も「お大師さん」として親しまれています。春になると、各家に設えられた祭壇を訪ね、人々が手を合わせる風景が見られます。
一方で、五島にはキリスト教の信仰も深く息づいています。かつて厳しい弾圧の中で信仰を守り続けた人々がいて、明治以降には各地に教会が建てられました。それらは観光地としてだけではなく、今も祈りの場として静かに使われ続けています。
異なる背景を持つ信仰が、同じ島の中で長い時間をかけて重なり合ってきたこと。それは特別な出来事というより、この土地で暮らしてきた人々の歴史そのものなのかもしれません。
海に囲まれた島で、人は祈る。それは遠くへ旅立つ人を送り出すためでもあり、ここで暮らし続けるための日々の支えでもあります。五島の春には、そうした祈りの気配が、風景の中にそっと溶け込んでいます。
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それでも島に残る人たち|閉校や人口減少の先にあるもの
五島列島の春には、旅立ちの風景がある一方で、この島に残って暮らし続ける人たちの姿もあります。島の暮らしは決して楽なことばかりではありません。水不足に悩んできた地域があり、人口減少によって学校の閉校を迎える場所もあります。
かつて当たり前にあった風景が、少しずつ形を変えていく現実は、五島の中にも確かにあります。それでも、この島で暮らすことを選ぶ人がいます。海のそばで働く人、家を守る人、島の行事や信仰を受け継ぐ人、そして食や手仕事をつないでいこうとする人たちです。
たとえば、五島の郷土の味として知られるかんころ餅も、今では作り手が少しずつ減っているといわれます。干したさつまいもを使って作られる、どこか素朴でやさしい甘さのお菓子。それは単なる名物ではなく、島で育った人にとっては、子どもの頃や家族の気配を思い出させる“ふるさとの味”でもあるのでしょう。
また、五島出身の人たちが外の世界で活躍しながら、なおこの島とつながり続けていることも、今の五島を語るうえで欠かせないことかもしれません。
島を出た人が、いつまでも「島の子」として迎えられること。そのやわらかなつながりがあるからこそ、五島は“去る人の島”であると同時に、“帰ってこられる島”でもあり続けているのだと思います。
失われていくものがあるからこそ、残したいものの輪郭は、かえってはっきりしていくのかもしれません。五島の春は、別れの季節であると同時に、この島に何を残し、何をつないでいくのかを、静かに問いかける季節でもあるのでしょう。
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新日本風土記「長崎 五島列島の春」の見どころは?
新日本風土記「長崎 五島列島の春」の魅力は、ただ島の美しい風景を見せるだけではなく、この島に流れる“人の時間”を丁寧に映し出してくれることにあります。
春になると、人が旅立ち、港では見送りが行われる。その一方で、海とともに続いてきた暮らしがあり、空海への信仰や教会に残る祈りがあり、そして今もこの島に残ろうとする人たちの選択があります。
五島の春は、ただあたたかくなる季節ではありません。誰かが島を離れ、誰かが残り、それでも暮らしや記憶や祈りが受け継がれていく――そんな“人の移動と継承”が、ひとつの風景になっている季節です。
この番組は、そうした五島の春を、にぎやかな港の別れから、静かな教会や祭壇、食卓の記憶にいたるまで、ひとつながりの物語として見せてくれます。
五島列島をただの「美しい離島」としてではなく、人が去っても、なお人の気配が積み重なっていく場所として見せてくれるところに、この回ならではの深さがあるのだと思います。
見終えたあとにはきっと、島の春とは、花や風景だけではなく、誰かを送り出し、誰かを待ち続ける時間そのものなのだと感じられるはずです。
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まとめ|五島の春は“人が旅立つ季節”なのです
五島列島の春は、ただ花が咲く季節ではありませんでした。港では人が旅立ち、海ではいつもの暮らしが続き、教会や祭壇には、静かな祈りが残っている。そしてそのすべての奥には、この島で生きてきた人たちの時間が、ゆっくりと積み重なっています。
進学や就職で島を離れる人がいて、島に残ることを選ぶ人もいる。失われていくものがある一方で、それでも受け継がれていく味や習慣、見送りの風景や祈りの気配が、五島の春をただの“季節”ではないものにしていました。
新日本風土記「長崎 五島列島の春」は、そんな五島の春を、美しい離島の情景としてだけではなく、人が去り、人を待ち、そして暮らしをつないでいく場所の記憶として映し出してくれるはずです。
島の春とは、咲く花や青い海のことだけではなく、誰かを送り出し、誰かの帰りを思いながら、静かに続いていく“時間”そのものなのかもしれません。そしてその時間はきっと、港の見送りや、食卓の味や、祈りの風景となって、これからも五島の春の中に残り続けていくのでしょう。