日本人にとって「すし」は、どこか特別な料理です。家族でも友人でも、「今日はお寿司!」と言っただけでその日は”特別な日”になります。
新鮮な魚と酢飯を組み合わせた一貫には、海の恵みと職人の技、そして土地の歴史がぎゅっと詰まっています。石川・金沢では、日本海の豊かな魚を生かしたすし文化が花開き、地元の魚を愛する職人たちのこだわりが光ります。
京都では、かつて若狭から魚を運んだ「鯖街道」の歴史とともに、さばずしや箱ずしが受け継がれてきました。海から遠い土地では、魚を運び、保存する知恵が独自のすし文化を生んできたのです。
その知恵は、山国・甲州にも見られます。沼津から運ばれた魚は醤油に漬けられ、保存と旨味を兼ね備えた“づけ”として楽しまれてきました。そして高知の山では、柚子酢などを使った個性的なすしが今も息づいています。
やがてこうした日本各地の知恵は、江戸の町で洗練されます。屋台から生まれた「江戸前ずし」は、職人の技によって、まさに“食べる芸術”へと高められていきました。
海と山、街道と職人。今回の「美の壺」は、江戸から高知まで、日本各地に息づくすしの魅力をたどりながら、その奥深い美の世界に迫ります。
【放送日:2026年3月20日(金)8:45 -9:30・NHK-BS】
【放送日:2026年3月23日(月)5:55 -6:25・NHK-Eテレ】
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壺 その1|海の恵みを味わう ― 金沢のすしと地魚の魅力
北陸・金沢では、すしは特別な料理というより、日常の中にある楽しみです。駅ビルの回転ずしにふらりと入っても、驚くほど新鮮な魚に出会えることがあります。その理由は、日本海の豊かな漁場にあります。
能登半島沿岸の海では、四季を通じてさまざまな魚介が水揚げされます。富山では冬の寒ブリ、脂ののったサバ、そして透き通るような甘みを持つ白エビ。海の恵みがすぐ近くの港に揚がり、その日のうちに店へ届くのです。金沢のすし職人たちは、こうした地元の魚を何より大切にしています。
遠くから取り寄せた高級なネタよりも、その日に水揚げされた魚の魅力を最大限に生かす。それが金沢のすしの流儀です。
北陸ならではの味もあります。福井の名物である「へしこ」や、日本海のサバなど、発酵や保存の知恵が生んだ食材がすしネタとして登場することもあります。地域の食文化が、そのまますしの一貫に表れているのです。新鮮な魚を、シンプルに味わう。金沢のすしは、海の恵みそのものを感じさせてくれる一皿です。
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壺 その2|運ばれて生まれた美 ― 京都と山国のすし文化
海から遠い町でも、人々は魚を味わってきました。そのために生まれたのが、魚を運び、保存する知恵です。京都のすし文化を語るとき、欠かせないのが「鯖街道」です。
若狭湾で水揚げされたサバは、塩をして山道を越え、京の都へと運ばれました。およそ一日かけて届けられたサバは、やがて「さばずし」として京都の食文化に根付いていきます。
酢で締めたサバと、押し固めた酢飯。京都のさばずしや箱ずしには、遠い海から届いた魚を大切に味わう心が込められています。
こうした知恵は、他の山国でも見られます。山梨の甲州では、駿河湾の魚を醤油に漬けて保存する「づけ」の文化が生まれました。さらに、アワビを醤油だれで煮て保存する「煮貝」も知られています。海から遠い土地では、保存の工夫そのものが料理へと発展したのです。
高知でも同じような知恵が息づいています。太平洋に面した海辺では新鮮な魚を味わうことができますが、山深い地域では魚を運ぶのは容易ではありませんでした。そこで、柚子酢などを使った個性的なすしが生まれ、山の暮らしの中で受け継がれてきました。
海の魚が、山を越える。その旅の中で、人々は保存と工夫を重ね、さまざまなすし文化を生み出してきたのです。
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壺 その3|江戸前の職人技 ― 食べる芸術の完成
江戸の町で生まれた江戸前ずしは、屋台から始まった料理でした。忙しい町人たちが手軽に食べられる料理として広まり、やがて職人の技によって洗練されていきます。
江戸前ずしの特徴は、魚に「仕事」をすることです。ただ切るだけではなく、魚の持ち味を引き出すためのひと手間が加えられます。
例えば、マグロは醤油だれに漬けて旨味を引き出す「漬け」。コハダは塩と酢で締め、さっぱりとした味わいに。穴子はふっくらと煮上げ、甘いタレで仕上げます。
こうした技は、もともと魚を保存するための知恵から生まれました。しかし江戸の職人たちは、それを単なる保存ではなく、味を引き出す技へと高めていったのです。
そして最後に、酢飯を握り、魚をのせる。ほんの一瞬の手の動きで、米の温度や空気の入り方が決まります。魚、米、酢、そして職人の手。すべてが一体となったとき、一貫のすしは完成します。
江戸前ずしとは、まさに「食べる芸術」。長い時間の中で磨かれてきた職人の技が、一貫の中に凝縮されているのです。
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まとめ|ひと貫に宿る日本の美
日本のすしは、ただ魚と酢飯を合わせた料理ではありません。そこには海の恵みと、人々の知恵、そして職人の技が重なっています。
日本海の豊かな魚に支えられた金沢のすし。若狭から京都へと魚を運んだ鯖街道の歴史。山国で生まれた保存の知恵、そして高知の個性的なすし文化。それぞれの土地の風土が、独自のすしを育ててきました。
そして江戸の町では、そうした知恵が職人の技によって磨かれ、江戸前ずしという形へと結実します。魚に仕事を施し、酢飯を整え、最後にそっと握る一貫。その小さな一貫には、日本の自然と歴史、そして職人の美意識と心意気が込められています。
食べると一瞬で消えてしまう、はかない料理。しかしその味わいの中には、長い時間の中で培われてきた日本の美が息づいています。すしは、まさに「食べる芸術」。ひと貫の中に、日本の文化が静かに宿っているのです。