炊きたてのご飯から、ふわりと立ち上る白い湯気。ひと口頬張れば、ほのかな甘みが広がり、噛むほどにお米のうまみが感じられる。新米のおいしい季節がやってきました。
お米の味は、品種や産地だけで決まるものではありません。田んぼの土や水、育て方、収穫後の管理、そして炊き方によっても変わります。それでも、おいしいご飯に出会うと、つい「どこのお米だろう?」と尋ねたくなるものです。
今回のテレビ朝日『食彩の王国』が訪ねたのは、日本海に浮かぶ佐渡島。豊かな海の幸とともに味わう新米のおにぎりや、料理人たちが生み出す独創的な米料理。そして、国際的な食味コンクールで最高金賞に輝いたお米を育てる、若い農家たちが登場します。
ところが、彼らが大切にしているのは、お米のおいしさだけではありません。田んぼに暮らす虫やカエル、ドジョウなどの小さな生き物たち。そして、その命を糧にして生きる、佐渡島の象徴「トキ」。
かつて日本の野生下から姿を消したトキは、人々の長年の努力によって、再び佐渡の空を飛ぶようになりました。そのトキが安心して暮らせる環境を守りながら、おいしいお米を作ることはできるのでしょうか?
私たちが毎日食べている、一杯のご飯。その向こうには、農家の工夫や料理人の技だけでなく、田んぼに息づくたくさんの命があるのかもしれません。
お米のおいしさは舌で味わう。でも、その価値は舌だけでは測れない。佐渡島の新米を通して、そんな「味だけじゃない豊かさ」を考えてみたいと思います。
【放送日:2026年10月17日(土)9:30 -9:55・テレビ朝日】
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佐渡島のお米は、なぜこんなにおいしいの?
新潟県と聞いて、真っ先に思い浮かべる食べ物の一つが、お米ではないでしょうか。なかでも「コシヒカリ」は、日本を代表する銘柄米として知られています。では、日本海に浮かぶ佐渡島のお米には、どんな特徴があるのでしょう。
海に囲まれた島も、実は米どころ
佐渡島というと、海の幸や金山を思い浮かべる人が多いかもしれません。けれども、島の中央には国中平野(くになかへいや)と呼ばれる平野が広がり、古くから稲作が営まれてきました。
佐渡島は、北の大佐渡山地と南の小佐渡丘陵、その間に広がる国中平野からなる島です。山々から流れる水が田んぼを潤し、夏には青々とした稲が風に揺れ、秋には黄金色の稲穂が広がります。海に囲まれた島でありながら、豊かな田園風景も持っているのです。
そして、佐渡の気候も米作りを考えるうえで欠かせません。周囲を海に囲まれているため、内陸部とは気温の変化の仕方が異なり、地域や季節によって海からの風の影響も受けます。
ただし、「海風が吹くからお米がおいしくなる」と単純に言い切ることはできません。お米の品質は、日照や気温、水の状態、土壌、栽培管理など、いくつもの条件が重なって決まるからです。佐渡という土地の個性も、そうした条件の一つなのですね。
お米の甘みとモチモチ感は、どこから生まれるの?
炊きたての新米をひと口。ふっくらとした粒を噛むと、ほのかな甘みが広がり、口の中に心地よい粘りが残ります。番組で紹介される佐渡の新米も、甘みとモチモチした食感、そしてしっかりした粒立ちが特徴だといいます。では、このおいしさは、どこから生まれるのでしょうか。
お米の主成分は、でんぷんです。でんぷんは主に「アミロース」と「アミロペクチン」という二つの成分からできています。一般に、アミロースの割合が低いお米ほど粘りが強くなりやすく、アミロペクチンが多いお米は、もちもちとした食感になりやすい傾向があります。
ただし、食感を決めるのはでんぷんの割合だけではありません。粒の構造や水分量、炊飯条件なども関係しています。また、ご飯の甘みには、もともとお米に含まれる糖や、噛んでいる間に唾液の酵素によってでんぷんが分解されることなどが関わっています。
つまり、「甘いお米」と「もちもちしたお米」は、必ずしも同じ意味ではないのです。お米のおいしさとは、甘み、香り、粘り、硬さ、粒立ちといった要素が重なり合って生まれるものなのでしょう。
新米は、古米より必ずおいしいの?
秋になると、店頭には「新米」の文字が並びます。その二文字を見るだけで、なんだかいつものご飯まで特別に感じられますよね。収穫されたばかりのお米は、一般に水分を比較的多く含み、適切に保管されていれば、みずみずしい炊き上がりを楽しめます。
一方、お米は保存中に少しずつ水分や香り、脂質などの状態が変化していきます。そのため、新米と長期間保存したお米では、炊き上がりの食感や風味に違いが生まれることがあります。ただし、新米なら必ず古米よりおいしい、というわけではありません。
低温で適切に保管されたお米は品質を保ちやすく、反対に新米でも保存や炊飯の条件が悪ければ、その魅力を十分に引き出せないことがあります。新米のおいしさを楽しむには、収穫された時期だけでなく、その後の扱い方も大切なのですね。
最後のおいしさを決めるのは、炊く人かもしれない
ところで、同じ銘柄のお米でも、お店によって驚くほど味が違うと感じたことはありませんか? 高価なお米を使っているわけではないのに、街場の定食屋さんで食べた白いご飯が忘れられない。そんな経験をした人もいるでしょう。
お米は、田んぼで収穫された時点で完成する食べ物ではありません。精米され、保存され、水を吸い、熱を加えられて、ようやく私たちの知っている「ご飯」になります。水加減を少し変えるだけでも、炊き上がりの硬さや粘りは変わります。浸水の時間、加熱の仕方、蒸らし方によっても、食感は違ってきます。
柔らかく炊いたご飯が好きな人もいれば、一粒ずつしっかりした食感を好む人もいるでしょう。お米のおいしさには、品種や産地の違いだけでなく、食べる人の好みも関わっているのです。
そして今回の『食彩の王国』では、そんな佐渡の新米を、島ならではの食材と組み合わせて味わいます。炊きたてのご飯に、脂ののった佐渡島産サーモンと筋子をたっぷり詰めたおにぎり。お米のほのかな甘みと、魚のうまみや塩味が重なり合います。
白いご飯だけでもおいしい。けれども、何かと一緒に食べることで、その魅力がいっそう際立つこともあるのですね。佐渡のお米のおいしさは、島の自然と農家の技術、そして食卓での工夫が重なって生まれます。では、そのお米が育つ田んぼは、私たち人間以外の生き物にとって、どんな場所なのでしょうか。
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トキは、なぜ日本の空から姿を消したの?
佐渡島の田んぼに、すらりとした脚で立つ一羽の鳥。長いくちばしを水辺に差し込み、泥の中に隠れた小さな生き物を探しています。白い羽を広げて飛び立つと、その翼の内側には、淡い朱色が浮かび上がります。
学名:Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)。日本の特別天然記念物、トキです。今では佐渡島を象徴する鳥として知られていますが、かつて日本の自然界から、完全に姿を消してしまった時代がありました。いったい、何が起きたのでしょうか?
かつてトキは、日本各地に暮らしていた
トキというと、佐渡島だけに生息していた珍しい鳥のように思えるかもしれません。けれども、江戸時代頃までは、日本各地でその姿が見られたといいます。

トキは、水田や湿地などでドジョウ、カエル、昆虫といった小さな生き物を捕らえて食べる鳥です。繁殖期には大きな木の枝に巣を作り、そこで卵を産み、ヒナを育てます。つまり、トキが暮らしていくためには、餌を探せる水辺と、安心して子育てができる林の両方が必要なのです。
田んぼと山林が隣り合う日本の里山は、そんなトキにとって大切な生活の場でした。ところが、明治時代に入ると、その数は急激に減り始めます。大きな原因となったのは、羽毛などを目的とした乱獲でした。美しい羽を持つトキは、人間に捕らえられることで、各地から姿を消していったのです。
そして、残されたトキを待ち受けていたのは、さらに厳しい環境の変化でした。
農薬が、トキの餌を奪ってしまったの?
昭和に入ると、日本の農業は大きく変わっていきました。農薬や化学肥料の普及、農業機械の導入、田んぼの整備などによって、農作業の効率や収穫の安定性が高められていきます。食料を安定して生産することは、当時の日本にとって重要な課題でした。
けれども、その変化は、田んぼに暮らす生き物たちにも影響を与えました。トキは、稲を食べて暮らしているわけではありません。田んぼやその周辺に生息するドジョウ、カエル、昆虫などを捕まえて食べています。そのため、農薬の多用によって餌となる生き物が減少すれば、トキは食べ物を見つけにくくなります。
さらに、森林の伐採によって繁殖に適した場所が減り、山間部の水田が失われることで、餌場も少なくなっていきました。もちろん、トキが姿を消した原因を、農薬だけに求めることはできません。明治時代の乱獲によってすでに個体数が激減していたところへ、生息環境の変化が重なったのです。
人間にとって便利で効率のよい農業のあり方が、必ずしも、そこに暮らすすべての生き物にとってよい環境とは限らなかった。トキの歴史は、その難しさを私たちに教えてくれます。
最後の5羽を捕まえた日
1981年、佐渡島に残っていた野生のトキは、わずか5羽になっていました。絶滅を防ぐため、残された5羽すべてを捕獲し、人工繁殖によって数を増やす取り組みが始まります。しかし、その願いは簡単にはかなえられませんでした。野生に残っていたトキは、日本の自然界から姿を消したのです。
そして2003年、日本で生まれた最後のトキとして知られる「キン」が、佐渡トキ保護センターでその生涯を終えました。
ここで、一つ区別しておきたいことがあります。日本にいたトキと、中国にいたトキは、別の種類の鳥ではありません。どちらも同じ「トキ」という種です。日本で生まれた最後の個体が死んだからといって、トキという種そのものが地球上から絶滅したわけではないのです。
それでも、日本の空を飛び、日本の自然の中で命をつないできたトキが途絶えたことは、取り返しのつかない大きな出来事でした。
中国から迎えたトキが、再び佐渡の空へ
日本のトキの未来に、新しい道を開いたのは、中国との協力でした。1999年、中国から贈られたトキのペア「友友(ヨウヨウ)」と「洋洋(ヤンヤン)」をもとに、日本での人工繁殖が成功します。その後も飼育下で繁殖が続けられ、少しずつトキの数が増えていきました。
そして2008年9月25日。佐渡島で、飼育下で育った10羽のトキが、再び自然界へ放たれたのです。しかし、放鳥すれば、それで野生復帰が成功するわけではありません。自分で餌を見つけ、天敵や病気などの危険を乗り越え、繁殖して次の世代へ命をつないでいかなければ、本当の意味で自然の中に戻ったとはいえないからです。
2012年には、放鳥されたトキのペアから生まれたヒナが、野生下で巣立ちました。そして、放鳥されたトキだけでなく、佐渡の自然の中で生まれ育ったトキも増えていきます。環境省の推計によれば、2025年末時点で佐渡島の野生下には約473羽のトキが生息していました。
かつて最後の5羽を保護するしかなかった島に、今では数百羽のトキが暮らしているのです。ただし、個体数が回復したからといって、すべての問題が解決したわけではありません。
トキが戻るために、本当に必要だったもの
トキの野生復帰というと、鳥を繁殖させて空へ放つ場面が注目されがちです。けれども、トキが自然の中で暮らし続けるには、もう一つ欠かせないものがあります。それは、トキを迎え入れる環境です。いくらトキを増やしても、餌になる生き物がいなければ、生きていくことはできません。
水辺が失われ、田んぼから小さな命が消えてしまえば、再び同じ問題が起きてしまいます。だから、佐渡島ではトキの繁殖や放鳥だけでなく、餌場となる田んぼや湿地の環境を整える取り組みも進められてきました。
ここで、最初の章で見た佐渡の米作りと、トキの物語がつながります。私たちが毎日食べているお米を育てる田んぼは、トキにとっても、生きるための大切な場所だったのです。
では、農家はおいしいお米を作りながら、トキが餌を探せる環境も守ることができるのでしょうか。その難しい問いに、佐渡島の若い農家たちが挑んでいます。
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おいしいお米を作りながら、トキも守れるの?
かつて日本の空から姿を消したトキが、再び佐渡島の田んぼに舞い降りるようになりました。けれども、トキが戻ってきたからといって、米作りの現場が昔の姿に戻ったわけではありません。農家には、おいしいお米を安定して生産し、収入を得て、農業を続けていくという大切な仕事があります。
一方、トキが暮らすためには、田んぼやその周辺に、餌となる小さな生き物たちが必要です。お米を作ることと、生き物を守ること。この二つは、本当に両立できるのでしょうか?
田んぼは、お米だけを育てる場所ではない
田んぼに水が張られると、そこには稲だけでなく、さまざまな生き物が集まってきます。水の中を泳ぐドジョウ。水辺で育つカエル。水生昆虫や、泥の中で暮らす小さな生き物たち。そして、それらを餌にする鳥たち。
田んぼは、人間が食べるお米を生産する場所であると同時に、多くの生き物が利用する水辺でもあるのです。
ただし、すべての田んぼに同じように生き物がいるわけではありません。水を張る時期や期間、農薬の使い方、周辺の水路や湿地とのつながりによって、生き物の種類や数は変わります。
特にトキは、長いくちばしを使って、比較的浅い水辺や湿った土の中から餌を探します。そのため、稲が育つ田んぼだけでなく、田んぼの周辺にある水路や湿地なども、大切な餌場になるのです。佐渡島では、こうした環境を維持するために、農業と自然保護を結びつける取り組みが続けられてきました。
農薬に頼らず、おいしいお米を作る難しさ
今回の『食彩の王国』に登場するのは、若い米農家の本間涼さんと荒井瑠伽さんです。二人が取り組んでいるのは、農薬や化学肥料に頼らず、田んぼに暮らす生き物たちにも目を向けた米作り。番組では、そのお米が国際的な米の食味コンクールで最高金賞に輝いたことも紹介されています。
けれども、農薬や化学肥料に頼らない米作りは、決して簡単ではありません。稲と同じように、雑草も田んぼの水や養分を利用して育ちます。雑草が増えすぎれば、稲の生育に影響することがありますし、病気や害虫への対策も必要になります。
農薬を使わない場合には、草取りなどに多くの労力が必要になることもあります。化学肥料に頼らずに稲を育てるには、土の状態や養分の供給にも、いっそう注意を払わなければなりません。そして、どれほど自然に配慮した方法で作っても、収穫したお米がおいしくなければ、買ってくれる人を増やすことは難しいでしょう。
自然を守りたいという思いだけでは、農業を続けていくことはできないのです。だからこそ、二人が目指す「生きものを育む米作り」には、大きな意味があります。自然への配慮を特別な活動として切り離すのではなく、お米を作るという日々の仕事の中に組み込もうとしているからです。
トキを守ることが、お米をおいしくするの?
ここで、少し気になることがあります。トキがやってくるような田んぼで育てたお米は、普通の田んぼで育てたお米より、おいしくなるのでしょうか? 実は、そう単純な話ではありません。トキが田んぼに来ること自体が、お米の甘みや粘りを強くするわけではないのです。
お米の食味には、品種、気温、日照、土壌、稲の栄養状態、収穫時期、乾燥や保存の方法など、さまざまな要素が関係しています。農薬や化学肥料を使わないことも、それだけでおいしさを保証するものではありません。また、農薬や化学肥料を適切に使用している田んぼでも、おいしいお米を作ることはできます。
では、トキと共生する米作りに、どんな価値があるのでしょう。それは、お米の味とは別に、田んぼの生き物たちが暮らせる環境を守ろうとしていることです。一杯のご飯を食べるとき、私たちはその甘みや食感を感じることはできます。
けれども、そのお米が育った田んぼに、どれほど多くの生き物が暮らしていたのかを、舌だけで知ることはできません。お米のおいしさと、田んぼの豊かさは、同じものではない。だからこそ、その両方を大切にしようとする農家の挑戦には、意味があるのでしょう。
佐渡には「朱鷺と暮らす郷」というお米がある
佐渡島では、トキと共生する米作りを地域全体で支える仕組みも作られています。その一つが、佐渡市の「朱鷺と暮らす郷づくり認証制度」です。
この制度では、農薬や化学肥料を慣行栽培より削減することに加え、田んぼに生き物が暮らせる環境を整える取り組みなどが求められます。例えば、田んぼの脇に水の残る場所を設けたり、冬にも水を張ったりすることで、稲を栽培していない時期にも生き物が利用できる水辺を確保する方法があります。
こうした取り組みは、トキの餌になる生き物の生息環境を支えることにつながります。ただし、認証制度に参加するすべての農家が、同じ栽培方法を採用しているわけではありません。農薬や化学肥料を減らす栽培と、まったく使用しない栽培も、区別して考える必要があります。そして、今回登場する二人の農家についても、番組で紹介された取り組みと、地域全体の認証制度を同一視することはできません。
大切なのは、佐渡島全体で、農家一人ひとりの努力を地域の仕組みとして支えようとしていることです。自然に配慮した米作りを、個人の善意だけに任せない。それは、トキと農業の共生を長く続けていくための、大切な考え方なのだと思います。
最高金賞が教えてくれる、もう一つの可能性
番組で紹介される本間涼さんと荒井瑠伽さんのお米は、国際的な食味コンクールで最高金賞に輝いたといいます。この受賞が、トキのための環境づくりによって直接もたらされたと考えることはできません。けれども、自然への配慮と、おいしいお米を作るための技術が、必ずしも対立するものではないことを考えるきっかけにはなります。
農家が自然を守ろうとするとき、その負担を農家だけに背負わせてしまっては、取り組みを続けることが難しくなります。お米を買う人が、その味を楽しみ、育て方にも関心を持つ。料理人が、農家の思いを受け取り、一皿の料理として新しい魅力を伝える。そうしたつながりが広がれば、自然に配慮した米作りを支える人も増えていくかもしれません。
かつて、乱獲と田んぼの環境が変わることで、トキは生きる場所を失っていきました。そして今、佐渡島では、田んぼのあり方をもう一度考えることで、トキと人間がともに暮らせる未来を作ろうとしています。
おいしいお米を作ること。田んぼの小さな命を守ること。そのどちらかを諦めるのではなく、両方を目指す。若い農家たちの挑戦は、私たちがこれから農業と自然にどう向き合っていくのかを、静かに問いかけているようです。
そして、その思いを込めて育てられた佐渡の新米は、今度は料理人たちの手によって、新しい一皿へと姿を変えていきます。
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佐渡の新米は、なぜフレンチにも似合うの?
炊きたての白いご飯に、お味噌汁と焼き魚。日本人にとって、お米のおいしさを味わう食卓といえば、そんな風景が真っ先に浮かぶかもしれません。おにぎりやお寿司、炊き込みご飯も、私たちにはなじみ深い料理です。けれども、お米は決して和食だけの食材ではありません。
イタリアにはリゾットがあり、スペインにはパエリアがあります。フランスにも、米を使った料理や付け合わせがあります。同じお米でも、料理する人が変われば、まったく違う表情を見せるのです。今回の『食彩の王国』では、佐渡島の新米を使って、料理人たちが新しいおいしさを生み出していきます。
おにぎりは、なぜ佐渡の海の幸と相性がいいの?
まず登場するのは、島で人気のおにぎり専門店「されどおにぎり」。炊きたての佐渡産コシヒカリに、脂ののった佐渡島産サーモンと筋子をたっぷり詰めたおにぎりが紹介されます。新米のおにぎりは、それだけでもごちそうです。
ふっくらと炊き上がったご飯を、食べやすい形にまとめる。握ることで米粒同士がほどよくまとまり、口に入れると、ほろりとほぐれていきます。そこに、サーモンの脂のうまみと、筋子の濃厚な味わいが加わるのです。
お米の甘みと、具材の塩味。その組み合わせによって、互いの味が引き立ちます。ここで面白いのは、お米が単なる具材の入れ物ではないことです。もし、ご飯が硬すぎたり、べたつきすぎたりすれば、おにぎり全体の食感は変わってしまうでしょう。
お米の粒立ちや粘りは、具材との一体感を生み出す大切な要素なのです。海の幸に恵まれた佐渡島だからこそ生まれる、新米の楽しみ方なのかもしれません。
「寿司ゾット」って、いったい何?
そして番組には、ちょっと不思議な名前の料理が登場します。その名も「寿司ゾット」。「寿司」と「リゾット」を組み合わせたような、遊び心のある名前です。この料理を考案したのは、佐渡島のビストロ「ラ・パゴッド」のフランス人シェフ。
では、そもそも日本のご飯と、ヨーロッパの米料理には、どんな違いがあるのでしょうか? 日本では、一般にお米を水で炊き、炊き上がった粒の食感や甘み、香りを楽しみます。一方、イタリアのリゾットは、米を炒め、ブイヨンなどを加えながら加熱し、米のでんぷんを生かして、なめらかな一体感を作る料理です。中心にわずかな歯ごたえを残す仕上げ方も特徴の一つです。
日本の炊きたてご飯は、ふっくらとした柔らかさや粘りを好む人が多いのに対し、リゾットでは、粒の歯ごたえとソースのなめらかさを同時に楽しみます。もちろん、どちらが優れているという話ではありません。同じお米でも、目指しているおいしさが違うのです。
「寿司ゾット」という名前からは、そんな二つの食文化を自由に行き来する発想が感じられます。ただし、番組概要だけでは、実際にどのような調理法や味付けで仕上げられた料理なのかまではわかりません。だからこそ、その名前だけでも想像が膨らみます。
佐渡のお米を、日本料理の常識だけで考えなければ、まだ知らなかった味わいが見つかるのかもしれません。
日本のお米は、リゾットには向かないの?
ところで、日本のコシヒカリのような粘りのあるお米は、リゾットには向かないのでしょうか? イタリアでは、アルボリオやカルナローリなど、リゾットに適した品種がよく使われています。これらは、調理中に粒の形や歯ごたえを保ちながら、周囲にほどよいとろみを生み出すことが求められる米です。
一方、コシヒカリは、炊飯したときの粘りや柔らかさが魅力の一つ。そのため、伝統的なイタリア式リゾットを同じように作ろうとすると、食感が異なることがあります。けれども、それは「料理に向かない」という意味ではありません。粘りがあるからこそ生まれる、なめらかさや一体感もあるでしょう。
大切なのは、イタリアの米料理をそのまま再現することではなく、佐渡のお米が持つ特徴を理解し、それに合った料理を考えることなのです。料理人の技術とは、食材を決まった形に当てはめることではなく、食材の個性に合わせて調理法を工夫することなのかもしれません。
佐渡の田んぼから、新しいフレンチが生まれる
そして今回、もう一人の料理人が佐渡の新米に向き合います。フレンチレストラン「ラ・プラージュ」の須藤良隆シェフです。須藤シェフは、日本最大級の料理コンペで優勝経験を持つ料理人として紹介されています。番組では、佐渡の新米を使った新作フレンチを考えるために、米作りの現場を訪ねます。
ここに、今回の物語ならではの面白さがあります。料理人が、厨房に届いたお米を見て料理を考えるだけではないのです。そのお米が、どんな土地で、どんな人の手によって育てられたのか。実際に田んぼを訪れ、農家の話を聞き、佐渡の自然を感じる。そこから、一皿の料理の発想が生まれていきます。
もちろん、番組概要だけでは、完成した新作料理の具体的な材料や調理法まではわかりません。けれども、田んぼを訪ねるという行動そのものに、須藤シェフが大切にしていることが表れているように思えます。料理の材料としてのお米だけでなく、その背景にある土地や人の営みまで知ろうとしているのです。
お米の価値は、料理人によって広がっていく
農家がおいしいお米を作る。料理人が、そのお米に新しい可能性を見つける。そして、食べた人が「こんなお米の楽しみ方もあるんだ」と驚く。そのつながりは、佐渡島の米作りにとっても、大きな意味を持つかもしれません。
日本人にとって、お米はあまりにも身近な食べ物です。だからこそ、炊きたての白いご飯として食べることが、いちばん自然だと感じるのでしょう。けれども、違う食文化の視点から見れば、そこにはまだ試していない組み合わせや調理法がたくさんあります。
おにぎりにもなる。リゾットの発想とも出会える。そして、フランス料理の新しい一皿にもなる。佐渡の新米は、和食か洋食かという境界を越えて、料理人たちの想像力を刺激しているのです。
そして、もう一つ忘れたくないことがあります。料理人がどれほど新しい料理を生み出しても、その出発点にあるのは、農家が育てた一粒のお米だということです。そのお米が生まれた田んぼには、農家の努力があり、土地の自然があり、たくさんの生き物たちの暮らしがあります。
私たちが味わう一皿には、料理人の技術だけでなく、食材が育った場所の物語も重なっているのかもしれません。では、私たちが毎日食べている一杯のご飯には、味や値段だけでは測れない、どんな価値があるのでしょうか。
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一杯のご飯の価値は、味だけで決まるの?
炊きたての白いご飯を、茶碗によそう。湯気の向こうに見える、つやつやとした米粒。ひと口食べて、「おいしい」と感じる。日本人にとって、ご飯のおいしさとは、まずそんな素朴なものではないでしょうか。
ご飯があって、おかずがある。焼き魚をひと口食べて、ご飯を頬張る。お味噌汁を飲んで、またご飯に箸を伸ばす。そんな食卓では、ご飯は料理の脇役ではありません。毎日食べるものだからこそ、甘みや香り、粘り、粒立ちといった、ご飯そのもののおいしさが大切なのです。では、一杯のご飯の価値は、その味だけで決まるのでしょうか。
お米のおいしさは、舌だけで決められる?
例えば、二つの茶碗に、同じように炊いたご飯が盛られているとします。どちらが高価なお米なのか。どちらが有名な産地のお米なのか。何も知らずに食べれば、味の違いがよくわからないこともあるでしょう。
けれども、片方のお米について、「自然豊かな佐渡島で、トキが暮らせる田んぼを守りながら育てられたものです」と説明されたら、どうでしょうか。なんだか、少し特別なご飯に感じられるかもしれません。
人間が食べ物を味わうとき、舌や鼻から得られる情報だけで、おいしさを判断しているわけではありません。料理の見た目や香りはもちろん、産地や値段、作り手の話、食事をする場所やそのときの気分なども、味の感じ方に影響します。
旅行先で食べたご飯が、帰宅してから食べる同じ銘柄のお米より、なぜかおいしく感じられる。そんな経験も、決して珍しくないでしょう。つまり、私たちが感じる「おいしさ」は、食べ物そのものの性質と、それを味わう人の経験が重なって生まれるものなのです。
「トキを守るお米」という説明は、ただの思い込み?
では、トキと共生する田んぼで育てられたお米を、その背景を知ってから食べると、よりおいしく感じられる。それは、単なる思い込みなのでしょうか。確かに、トキが田んぼにやってくること自体が、お米の甘みや粘りを増やすわけではありません。
農薬や化学肥料を使わないことも、それだけで食味のよさを保証するものではないのです。もし、お米そのものの味の違いを確かめたいのであれば、産地や栽培方法を伏せ、同じ条件で炊いて食べ比べる必要があるでしょう。けれども、それでわかるのは、主に味や食感の違いです。
お米がどのような場所で育ち、どんな人が、何を大切にして作ったのか。そうした背景まで、食べ比べだけで知ることはできません。
佐渡島の若い農家たちは、おいしいお米を作ることと、田んぼの生き物たちが暮らせる環境を守ることの両方に取り組んでいます。その努力は、食べた瞬間の甘みとは別のところに存在しています。だから、作り手の物語を知ることには、ちゃんと意味があるのです。
ただし、物語が魅力的だからといって、お米の味まで無条件に高く評価する必要はありません。おいしいものはおいしい。好みに合わないものは、好みに合わない。その率直な感覚も、大切にしていいはずです。
自然に優しいお米なら、何でも価値があるの?
ここで、もう一つ考えておきたいことがあります。「無農薬」「減農薬」「有機栽培」。こうした言葉を聞くと、自然に優しく、体にもよく、きっとおいしいお米なのだろうと感じる人もいるかもしれません。けれども、それぞれの言葉が意味することは同じではありません。
有機栽培には、使用できる資材や栽培管理について定められた基準があります。一方、農薬の使用量を減らす栽培にも、地域や生産者によってさまざまな方法があります。そして、農薬を使わないことだけで、田んぼの生物多様性が十分に守られるとは限りません。水の管理や周辺の環境、農作業の時期なども、生き物たちの暮らしに関わるからです。
大切なのは、耳ざわりのよい言葉だけで判断するのではなく、実際にどんな取り組みが行われているのかを知ることなのでしょう。
佐渡島で続けられている、トキと共生する米作り。そこに価値があるとすれば、単に「自然に優しいお米」という印象だけではありません。田んぼの環境を整え、生き物たちが暮らせる場所を残しながら、農業として続けていこうとする具体的な努力にこそ、意味があるのだと思います。
毎日食べるお米だから、値段も大切
もちろん、私たちは、お米の背景だけを考えて買い物をしているわけではありません。毎日食べるものだからこそ、値段も気になります。お米の価格が上がれば、少しでも安いものを探したり、買う銘柄を変えたりすることもあるでしょう。それは、ごく自然な暮らしの選択です。
どれほど環境に配慮して作られたお米でも、家計に無理をしてまで買い続けなければならないわけではありません。一方、農家にとっても、手間をかけた米作りに見合う収入が得られなければ、その方法を続けることは難しくなります。
おいしさ。価格。作り手の努力。そして、田んぼの自然環境。一杯のご飯には、いくつもの価値が重なっています。そのどれを大切にするかは、人によって違っていてもいいのではないでしょうか。
普段は手頃なお米を選び、ときには気に入った銘柄を楽しむ。あるいは、佐渡の農家の取り組みに共感して、そのお米を選んでみる。どちらも、私たちの暮らしに根ざした選択なのです。
一杯のご飯の向こうに、何が見える?
今回の『食彩の王国』には、さまざまな人たちが登場しました。おいしいお米を作りながら、トキが暮らせる田んぼを守ろうとする若い農家たち。佐渡の海の幸を、新米のおにぎりに詰め込む人たち。そして、佐渡のお米に新しい可能性を見つけ、フランス料理の一皿へと仕立てる料理人たち。
それぞれが違う仕事をしていても、一粒のお米を通してつながっています。そして、そのお米を食べる私たちも、決して無関係ではありません。
もちろん、ご飯を食べるたびに、自然保護や農業の未来について考える必要はないでしょう。おいしいご飯を、おいしいと感じる。それだけでも、食事は十分に幸せなものです。けれども、ときには思い出してみてもいいのかもしれません。茶碗に盛られた白いご飯が、ほんの少し前まで、青々とした田んぼの稲穂だったことを。
その田んぼには、私たちの目には見えない小さな生き物たちが暮らしていることを。そして、佐渡島では、その生き物たちを餌にするトキが、再び空を飛ぶようになったことを。
お米のおいしさは、舌で味わう。でも、その価値は、舌だけでは測れない。
それは、おいしさよりも自然保護を優先しなければならない、という意味ではありません。おいしさを大切にしながら、その向こうにあるものにも、少しだけ目を向けてみる。そんな小さな関心から、食べ物と自然の新しい関係が始まるのかもしれません。
今日も、いつものように炊飯器の蓋を開ける。ふわりと立ち上る白い湯気の向こうに、佐渡島の田んぼと、その上をゆっくり飛ぶトキの姿が、ほんの少しだけ重なって見える気がします。
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