愛知県・豊川市。豊川稲荷の門前町には、色とりどりの“いなりずし”が並ぶ。定番の甘い油揚げに包まれたものから、華やかな創作系まで。その数はまさに“いなりずしワールド”。参拝客でにぎわう商売繁盛の地で、いなり寿司は食べ歩きの名物として進化を続けている。
ところで、そもそもなぜ稲荷といなり寿司は結びついたのだろう。そして――なぜ狐は油揚げが好きなのか? 豊川の門前町を歩きながら、稲荷信仰と甘い油揚げの意外な関係をひもといていく。
【放送日:2026年2月18日(水)8:15 -9:55・NHK-総合】
なぜ狐は油揚げが好きなのか?──民間伝承の連想ゲーム
狐は本当に油揚げが好きなのだろうか。結論から言えば、科学的に“油揚げが大好物”という証拠はない。野生の狐は雑食で、ネズミや小動物、果実などを食べる。それなのに、なぜ「狐=油揚げ」なのか。ここに、民間伝承の面白さがある。
江戸時代、油揚げは庶民の間に広まり始めた食材だった。
大豆を加工した保存性の高い食品で、甘く煮ればごちそうにもなる。そして、稲荷神社への供え物として油揚げが用いられるようになる。なぜ油揚げなのか? 稲荷神は五穀豊穣の神。大豆もまた農作物。農耕と結びつく食材だったからだ。
そこに、狐という存在が重なる。狐は稲荷神そのものではなく、“神の使い”。田畑に現れ、ネズミを食べて稲を守る動物でもある。「神の使いに供え物をあげる」
→ 「狐が油揚げを食べる」
→ 「狐は油揚げが好物」
こうして連想が物語になった。
信仰は、論理で生まれるわけではない。生活のリアルと想像力が重なり、物語として定着する。油揚げは、単なる食材ではなかった。神と人をつなぐ“象徴”になったのだ。そしてその象徴が、やがて酢飯を包み、いなり寿司へと進化していく。
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稲荷神とは何者か?──五穀豊穣と狐の関係
「稲荷(いなり)」という名前は、文字どおり“稲を荷う”神。主祭神とされるのは、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。穀物、とりわけ稲を司る神だ。
日本は長く農耕社会だった。稲作は命そのもの。豊作であれば生き延びられる。凶作なら飢える。だからこそ、稲を守る神は生活の中心に置かれた。
ここで狐が登場する。狐は神そのものではない。“神使(しんし)”――神の使いだ。なぜ狐か。田畑に現れ、稲を荒らすネズミを食べる。農家にとっては、ありがたい存在だった。さらに夜でも目が光る姿は、どこか神秘的。現実の農業と、霊的なイメージが重なった。こうして、
五穀豊穣の神 + 田畑を守る狐 = 稲荷信仰
が成立していく。やがて仏教とも習合し、商売繁盛や家内安全といった現世利益の神へと役割を広げていく。
稲荷神は、単なる“農業の神”ではなく、生活全体を支える神へ進化したのだ。そして、その象徴が油揚げ。穀物から生まれた食材が、神の使いを通して信仰のシンボルになる。ここに、食と神の距離の近さがある。
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いなり寿司はいつ生まれた?──江戸庶民の知恵
いなり寿司が文献に登場するのは、江戸時代後期。19世紀初めには「稲荷鮨」という名前が確認されている。当時の江戸は、世界有数の大都市。屋台文化が花開き、庶民のファストフードが発達していた。寿司もそのひとつ。現在の握り寿司は“早ずし”として流行し始めた頃だが、いなり寿司は少し違う立ち位置だった。
甘く煮た油揚げに酢飯を詰める。この構造は理にかなっている。油揚げは保存がきき、味が濃い。酢飯もまた、防腐効果がある。つまり、持ち運びに向いた実用的な寿司。ここに“稲荷”という名前が与えられたのは、油揚げ=狐=稲荷という連想から。江戸の町人は洒落が好きだった。
代表例が「助六寿司」。歌舞伎『助六由縁江戸桜』の主人公・助六と、恋人の揚巻(あげまき)。
- 揚げ = いなり寿司
- 巻き = 巻き寿司
この二つを詰め合わせて「助六」。食べものにも、物語を重ねる。それが江戸文化だった。
いなり寿司は、単なる“お供えの食べ物”ではない。庶民の知恵と遊び心が詰まった、都市型の寿司だったのだ。そしてこの寿司が、門前町でさらに進化していく。甘さを変え、具材を加え、地域ごとに姿を変える。いなり寿司は、神の使いから生まれ、江戸の町で洗練された。
次はいよいよ豊川。商売繁盛の地で、どうして“ワールド”にまで広がったのかを見ていこう。
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門前町と商売繁盛──豊川で進化した“いなりずしワールド”
愛知県・豊川市にある 豊川稲荷(妙厳寺)。江戸時代から続く大参詣地だ。商売繁盛のご利益で知られ、全国から参拝者が訪れる。参拝者が集まる場所には、必ず商いが生まれる。宿屋、土産物屋、茶店。そして食べもの。門前町は、信仰と経済が交差する空間だ。
豊川では、その中心にいなり寿司があった。もともと稲荷信仰と結びついた食べもの。それが参拝客の腹を満たし、土産として持ち帰られ、やがて名物になる。ここからが面白い。豊川では、いなり寿司が“固定化”しなかった。甘い油揚げの定番は守りつつ、具材を入れたり、上に具をのせたり、形を変えたり。
門前町の競争が、いなり寿司を進化させた。いわば、商売繁盛の神様の前で商売が発酵した。白狐祭などのイベントも重なり、“いなりずしワールド”という呼び名が定着する。
信仰から生まれた食べものが、町の個性を象徴するブランドになる。これは偶然ではない。稲荷神は五穀豊穣の神であり、やがて商売繁盛の神へと役割を広げた。豊川の門前町は、その二つを同時に体現している。
米を包む油揚げ。甘い味。そして賑わい。神様と経済と食が、同じ通りに並んでいる。これが“いなりずしワールド”の正体だ。
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甘い油揚げはなぜ安心するのか?──信仰と味覚の心理学
いなり寿司の油揚げは、甘い。砂糖と醤油、みりんでじっくり煮含めた、あのやわらかな甘さ。なぜあれほど安心するのだろう。
甘味は、脳にとって“安全”のサインだ。人類の歴史のなかで、甘いものは高カロリーで貴重な栄養源だった。甘さを感じると、脳は「大丈夫だ」と判断する。そこに、稲荷信仰の構造が重なる。稲荷神は、五穀豊穣の神であり、やがて商売繁盛の神となった。つまり、“生活が安定する”ことを象徴する神。
甘い油揚げに包まれた酢飯は、単なる味ではない。穀物(米・大豆)という命の基盤を二重に包み込んだ食べもの。外側は甘く、内側はさっぱり。守られている構造そのものだ。参拝のあとにいなり寿司を食べる。それはご利益を“味わう”行為でもある。
信仰は、必ずしも強い確信を必要としない。「お詣りした」という事実と、口に広がる甘さ。その二つが重なれば、人は少し安心できる。
豊川の門前町に並ぶ多彩ないなり寿司は、単なる創作グルメではない。神と食と商いが重なった、日本らしい文化の結晶だ。
狐が本当に油揚げを好きかどうかは、もう大きな問題ではない。大切なのは、その物語を私たちが楽しみ、味わい、受け継いでいること。甘い油揚げの向こうに、信仰と暮らしの歴史が包まれている。