青白く輝く巨大な氷河。何千年、何万年という時間をかけて積もった雪が氷となり、ゆっくりと大地を流れていきます。山を削り、岩を運び、深い谷を刻む。私たち人間の時間から見ればほとんど動いていないように見えるのに、氷河は長い時間をかけて、地球の風景そのものをつくり変えてきました。
『驚き!地球!グレートネイチャー』では、カナディアンロッキーで氷河が生まれる過程をたどり、パタゴニアでは巨大な氷河が崩落する瞬間に遭遇します。さらに南極では厚い氷の裏側へ。世界各地の氷河を訪ねながら、その不思議な力を見つめていきます。でも、番組概要を読んでいて、ひとつ気になる言葉がありました。
氷河が消えたあとの「いのちの楽園」。
「あれ?」と思います。氷河が消える。そう聞くと、私たちはまず「失われる」という物語を思い浮かべます。実際、現在進んでいる急速な氷河の後退は、地球環境を考えるうえで大きな問題です。ところが地球の長い歴史を見れば、氷河はただそこに居続けてきたわけではありません。
生まれ、流れ、大地を削り、そして後退する。氷に覆われていた大地が姿を現せば、やがてそこへ小さな植物が入り、生きものたちがやって来る。森へと変わっていく場所さえあります。
だとしたら――。氷河は、去ったあとに何を残すのでしょう? 何もなくなったのではなく、氷河が長い時間をかけてつくった大地を、今度は別の命が受け継いでいくのかもしれません。今回は、青白く輝く氷そのものだけではなく、その氷が去ったあとの風景まで見つめてみましょう。
氷河が生まれるところから、消えていくところまで。そして、そのあとに始まる新しい命まで。氷河の物語は、氷がなくなったところで終わるわけではないのです。
【放送日:2026年8月25日(火)17:00 -17:30・NHK-BS】
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第一章 氷河は、どうやって生まれる?──雪が「青白い氷」になるまで
どこまでも続く、青白い氷の世界。氷河を目の前にすると、まるで巨大な氷の塊が最初からそこにあったように見えます。でも、その始まりは驚くほど小さなものです。
一粒の雪。
山に降った雪が、夏になってもすべて溶けずに残る。その上に、また次の冬の雪が積もる。さらに翌年も積もる。それが何年も繰り返されるうちに、下にある雪には上から大きな重みがかかるようになります。ふわふわだった雪は圧縮され、雪の結晶の形を失いながら粒状になり、隙間にあった空気も少なくなっていきます。
こうして雪は、やがて「フィルン」と呼ばれる締まった古い雪へ。さらに圧縮と変化が進むと、密度の高い氷河の氷へと変わっていきます。つまり氷河とは、昨日降った雪が、そのまま凍ったものではありません。降っては積もり、押し固められ、それでも溶けずに残った雪が、長い時間をかけて姿を変えたものなのです。
なぜ、氷河は青白く見える?
ところで、もう一つ不思議なことがあります。家庭の冷凍庫から取り出した氷は、透明だったり白く濁ったりします。ところが巨大な氷河の亀裂や洞窟を見ると、吸い込まれそうなほど美しい青色に見えることがあります。なぜでしょう。
これは単純に、「氷河の水が青いから」ではありません。太陽の光には、赤から青までさまざまな波長の光が含まれています。光が厚い氷の中を進むと、そのうち赤色側の光は氷に吸収されやすく、青色側の光が相対的に残りやすくなります。
薄い氷ではその違いがほとんど分からなくても、光が長い距離を通る巨大な氷河では、それが目に見える色の違いになって現れます。だから厚く、密度の高い氷ほど、内部が深い青に見えることがあるのです。あの神秘的な青は、長い年月をかけて雪が氷へ変わったことを、光そのものが見せてくれている色ともいえるのかもしれません。
雪が積もれば、どこでも氷河になるわけではない
では雪国なら、いつか巨大な氷河ができるのでしょうか。もちろん、そう簡単ではありません。重要なのは、雪が降ることだけではなく、一年間に積もる雪の量が、溶けたり失われたりする量を上回る状態が長く続くこと。冬に大量の雪が積もっても、夏になってすべて溶けてしまえば、翌年はまたゼロからです。
でも高緯度地域や標高の高い山などでは、夏を越しても雪が残る場所があります。そこへ翌年の雪が積もる。さらに次の年も積もる。そうして雪が蓄積していくことで、ようやく氷河へ成長する条件が整っていきます。いわゆる「万年雪」です。氷河の誕生に必要なのは、寒さだけではありません。「降る」と「溶ける」のバランスなのです。
そして、氷は動き始める
こうして長い時間をかけて厚い氷がつくられていきます。ここまでなら、「巨大な雪が固まったもの」で話は終わります。ところが氷河の本当の不思議は、ここからです。大量の氷が積み重なり、十分な厚さになると、その巨大な重みを受けた氷は少しずつ変形します。
さらに地形などの条件によっては、氷河の底でも滑りが起こります。すると――。固体であるはずの氷が、谷を流れ始めるのです。私たちの目には止まって見えるほど、ゆっくりと。でも何百年、何千年という地球の時間で見れば、その流れは岩を削り、山を刻み、巨大な谷さえつくってしまいます。
一粒の雪から始まったものが、やがて大地そのものを動かすほどの存在になる。氷河は、生まれた瞬間から地球の風景を変える長い旅へ出ていくのです。
では――。カチカチに凍っているはずの氷が、どうして「川」のように流れるのでしょう。次は、青白い氷と一緒にゆっくり谷を下ってみましょう。
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第二章 固体の氷が、なぜ流れる?──ゆっくり動いて大地を削る氷河
氷河は「氷の河」と書きます。でも、不思議な名前です。川なら、水が流れているのは分かります。ところが氷河をつくっているのは、固体の氷。触れば硬く、簡単には形を変えそうにありません。
それなのに氷河は、本当に流れています。私たちの目には止まっているように見えても、長い時間をかけて少しずつ谷を下っていく。いったい、固体の氷がどうやって流れるのでしょう。
巨大になると、氷は自分の重さで変形する
第一章で見たように、降り積もった雪は長い時間をかけて圧縮され、やがて氷河の氷へと変わります。さらに雪が積もれば、氷はどんどん厚くなる。すると下にある氷には、その上に積み重なった巨大な氷の重さがかかります。その力を長い時間受け続けることで、氷は少しずつ変形していきます。
もちろん、川の水のようにサラサラ流れるわけではありません。硬い固体のまま、非常にゆっくり形を変えながら移動していく。これが氷河の流れを生み出す仕組みの一つです。
さらに氷河によっては、底に水が存在することで岩盤との摩擦が小さくなり、氷河全体がその上を滑るように移動することもあります。つまり氷河は、内部で変形しながら、底でも滑る。そうやって少しずつ低いところへ向かって進んでいくのです。
止まって見えるのは、私たちの時間が短いから
氷河を眺めても、「あっ、流れてる!」とは、なかなか感じられません。でも、それは氷河が止まっているからではありません。私たちが見ている時間が短すぎるのです。数秒。数分。数時間。そんな人間の日常の時間では、巨大な氷河の動きはほとんど分かりません。
ところが観測を続けたり、長い時間を早送りした映像で見たりすると、氷河が谷に沿って移動していることが分かります。ここが氷河の面白いところです。人間の時間では、「風景」。地球の時間では、「流れ」。同じものを見ているのに、時間の尺度を変えただけで、まったく別の姿が現れます。
氷河は、大地を削りながら進んでいく
しかも氷河は、ただ移動しているだけではありません。巨大な氷の底には、岩や砂などが取り込まれています。それらを抱えたまま岩盤の上を移動すれば、どうなるでしょう。巨大なヤスリをかけるように、大地が削られていきます。さらに岩盤の亀裂などから岩を引き剥がし、それを氷の中へ取り込んで運ぶこともあります。
その力が何千年、何万年と働き続ければ、山の姿さえ変わっていきます。氷河がつくる代表的な地形の一つが、U字谷です。川がつくる谷は、底へ向かって細くなるV字形になりやすい。一方、谷いっぱいに広がった巨大な氷河は、底だけでなく両側の斜面も削りながら進みます。
その結果、谷底が広く、断面が大きなU字形をした谷がつくられていきます。氷河がいなくなったあとでも、その谷を見れば、「ここを巨大な氷が通ったな」という痕跡が分かるのです。
氷河は、地球を削る「青白い彫刻家」
そう考えると、氷河は少し不思議な彫刻家です。ノミも持っていません。ハンマーもありません。ただ、重く、ゆっくりと動く。それだけで岩を削り、谷を広げ、削り取った岩石を別の場所へ運んでいきます。そして、その作品が完成するころには、彫刻家自身はそこからいなくなっていることさえあります。
私たちが美しいと感じている山や湖の風景の中にも、かつて氷河が刻んだ作品が残っています。氷河は、止まっているように見えて動いている。動きながら、大地そのものをつくり変えている。でも、その巨大な流れにも、やがて終わりがやって来ます。
谷を下ってきた氷河が、湖や海へたどり着く。そして――。轟音とともに、巨大な氷が崩れ落ちる。次はパタゴニアへ。氷河が水と出会う、その瞬間を見てみましょう。
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第三章 なぜ巨大な氷河が崩れ落ちる?──パタゴニアで氷と海が出会う瞬間
静かに見えていた氷河が、突然、大きな音を立てて崩れ落ちる。巨大な氷の塊が水面へ落下し、白いしぶきが舞い上がる。パタゴニアの氷河を象徴するような、圧倒的な光景です。映像を見ていると、「あっ、氷河が壊れてしまった」と思ってしまいます。
でも第二章で見てきたように、氷河は止まっている巨大な氷ではありません。上流から下流へと、ゆっくり流れ続けています。だとすれば、あの崩落もまた、流れてきた氷河の、その先で起きていることなのです。
氷河にも「終点」がある
山岳地帯で生まれた氷河は、自らの重さによって少しずつ低い場所へ流れていきます。そして氷河によっては、その先端が湖や海へ達します。
ところが、氷は水の中へ入ると浮力を受けます。陸上では岩盤の上に支えられていた巨大な氷に、水から押し上げる力が加わる。さらに氷河には亀裂が入り、波や水温などの影響も受けます。やがて氷河の先端から大きな氷の塊が切り離され、水へ落ちていくことがあります。
これがカービング(氷山分離)です。切り離された氷は、そのまま水に浮かべば氷山になります。つまり私たちが目にする壮大な「大崩落」は、山で生まれた氷が、長い旅の末に水へ戻っていく場所でもあるのです。
「崩れた」ことと「氷河が後退した」ことは同じではない
ここで、一つ気をつけておきたいことがあります。巨大な氷が崩れ落ちる映像を見ると、「地球温暖化で氷河が崩壊している」と思いたくなります。もちろん、現在の気候変動によって世界各地の氷河が後退していることは、大きな問題です。でも、カービングそのものは氷河に起こる自然な現象でもあります。
上流から新しい氷が流れてくる量と、先端で融けたり氷山として失われたりする量。そのバランスによって、氷河全体が前進するのか、ほぼ同じ位置を保つのか、それとも後退するのかが変わります。
だから、「氷が崩れた=その瞬間に氷河が後退した」とは限りません。一瞬の映像だけではなく、その氷河が長い時間の中でどう変化しているのかを見る必要があるのです。
轟音の前にも、氷河はずっと動いていた
それでも、氷河の崩落が私たちを圧倒するのはなぜでしょう。たぶん、それまで見えなかった氷河の「動き」が、突然目の前に現れるからです。氷河はずっと流れていた。けれど、その速度はあまりにもゆっくりで、私たちには動いているように見えなかった。
それが崩落の瞬間だけ、ドーン――。巨大な音とともに、氷河が動いていることを人間の時間でも分かる形で見せてくれる。第二章で、人間の時間では「風景」。地球の時間では「流れ」。と考えました。カービングは、その二つの時間が一瞬だけ重なる場所なのかもしれません。何年も、何十年もかけて運ばれてきた氷が、わずか数秒で崩れ落ちる。長い時間と短い時間が、あの轟音の中で出会うのです。
氷河が去った場所には、何が残る?
氷河は生まれます。流れます。大地を削ります。そして融けたり、崩れたりしながら、その姿を変えていきます。では、氷河そのものが後退していったら――。そのあとには、何が残るのでしょう。ただ氷がなくなった、何もない大地なのでしょうか。
どうやら、そうではありません。氷河は自分が去ったあとにも、削った谷や運んだ岩、そして新しく姿を現した大地を残します。次は、青白い氷そのものではなく、氷がいなくなったあとの風景を見に行きましょう。
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第四章 氷河が去ると、大地には何が残る?──氷に覆われていた世界の「その後」
巨大な氷河が後退していく。それまで何百年、何千年ものあいだ氷に覆われていた場所から、少しずつ大地が姿を現します。そこに広がっているのは、緑豊かな草原でも森でもありません。岩。砂。砕かれた石。水。まるで地球ができたばかりのような、むき出しの風景です。
氷河がいなくなったのだから、「何もなくなってしまった」ようにも見えます。でも、よく見ると違います。そこには、氷河がいたからこそ生まれたものが残されているのです。
氷河は、大地を削るだけではない
第二章で、氷河を「青白い彫刻家」と呼びました。氷河はゆっくりと流れながら岩盤を削り、岩を砕き、それを別の場所へ運んでいきます。そして氷河が後退すると、それまで運んできた砂や礫、大小さまざまな岩石が大地に残されます。
こうした氷河によって運ばれた堆積物は、「ティル」などと呼ばれます。さらに、それらが氷河の縁などに堆積してつくられる地形がモレーン(堆石)です。このあたりは学校の地学の授業で聞いたことがあるかもしれません。
つまり氷河は、削って、運んで、置いていく。巨大なブルドーザーのように大地をつくり変えながら移動していたことになります。そして氷河が去ったあとに現れる大地は、氷河が来る前と同じ大地ではありません。山の形も違う。谷の形も違う。岩や土砂の位置も違う。水の流れまで変わっていることがあります。氷河そのものはいなくなっても、氷河が地球へ加えた仕事は残っているのです。
氷河が去ったあとに、湖が生まれることもある
さらに、氷河が削ったくぼ地や、モレーンなどによって水がせき止められた場所には、湖ができることがあります。現在、私たちが美しいと感じて眺めている山岳地帯の湖の中にも、氷河の働きと深く関係して生まれたものがあります。面白いですよね。
そこに氷河は、もうありません。でも、谷の形を見れば、氷河がいる。岩を見れば、氷河がいる。湖を見ても、氷河がいる。北欧でも見られるフィヨルドなどがいい例です。姿は消えているのに、その痕跡は風景のあちらこちらに残っている。氷河が「去る」というのは、すべてを持っていなくなることではないのです。
最初は「何もない大地」に見える
とはいえ、氷河が後退したばかりの土地は、とても豊かな場所には見えません。むき出しになった岩盤や砂礫には、植物が育つための豊かな土壌がまだ十分にありません。木もない。花もない。動物たちの姿もほとんどない。一見すると、「いのちの楽園」とは正反対の世界です。でも――。ここで物語は終わりません。むしろ、ここからもう一つの長い時間が始まります。
最初にやって来るのは、誰だろう
氷河が去った裸の大地へ、少しずつ生きものが入り始めます。その場所の条件によって歩み方は異なりますが、微生物や地衣類、コケなどが定着し、やがて植物が育つ環境が整っていく。植物が増えれば、枯れたものが有機物として蓄積されます。少しずつ土壌が発達していく。
さらに別の植物が入り、昆虫がやって来る。鳥が来る。動物がやって来る。長い時間をかけながら、生態系そのものが変化していきます。こうした、ほとんど土壌のない場所から始まる生態系の変化は、一次遷移と呼ばれます。
考えてみれば不思議です。ついさっきまで、「氷河が消えてしまった」という話をしていたはずなのに。その「消えた場所」が、今度は、新しい命が始まる場所へ変わっていくのです。
氷河は「次の舞台」を残して去った
もちろん、これは現在進んでいる急速な氷河後退を歓迎する話ではありません。地球温暖化による急激な環境変化と、地球が長い時間の中で繰り返してきた氷河の前進・後退、その跡地で起こる生態系の遷移は、分けて考える必要があります。
でも、もっと長い地球の時間から眺めてみると、氷河には不思議な役割が見えてきます。自ら大地を削る。岩を運ぶ。谷をつくる。水の流れを変える。そして――。自分がいなくなったあとに、次の風景が始まる舞台を残していく。
第二章では氷河を「青白い彫刻家」と呼びました。だったら、彫刻家が去ったあとの作品へ、今度は別の主役たちがやって来るのでしょう。小さな植物。昆虫。鳥。動物たち。氷河の物語が終わったように見えた場所で、今度は「いのち」の物語が始まります。
では、氷河が去ったあとに生まれるという「いのちの楽園」とは、いったいどんな場所なのでしょう。最後はアラスカで、その続きを見てみましょう。
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最終章 氷河は、去ったあとに何を残す?──裸の大地から「いのちの楽園」へ
氷河が去ったばかりの大地には、ほとんど何もありません。岩がある。砂や礫がある。氷河が削った谷がある。ところどころに水がたまり、新しい流れが生まれている。けれど、森はない。草原もない。豊かな土さえ、まだ十分にはありません。
そこだけを見れば、氷河が去ったあとには、荒涼とした大地だけが残された。そう思ってしまいます。ところが番組が訪れるアラスカでは、その先に意外な風景が待っています。氷河の跡地に現れたという、「いのちの楽園」。いったい、何が起きたのでしょう。
最初の命は、小さく始まる
氷河が去ったばかりの土地に、いきなり森ができるわけではありません。最初は、とても小さな変化から始まります。微生物や地衣類、コケ。厳しい環境でも生きられるものたちが少しずつ入り込み、裸だった大地に命の痕跡を残していきます。
やがて植物が育つようになれば、その植物自身も大地を変えていきます。枯れた葉や茎などが有機物となり、少しずつ土壌が育っていく。すると、それまで生きられなかった植物も入ってこられるようになります。
植物が増えれば昆虫がやって来る。昆虫が来れば、それを食べる鳥もやって来る。さらに別の動物たちも姿を現す。最初はほとんど何もなかった場所に、命が、次の命を呼んでいく。そうして長い時間をかけながら、生態系がつくられていきます。
氷河が森をつくったわけではない
ただし、「氷河が森をつくった」と考えるのは少し違うでしょう。氷河は木を植えません。土を耕すわけでもありません。動物たちを連れてくるわけでもありません。氷河がしたのは、大地を削り、岩を運び、谷をつくり、そして、去っていくこと。
そこから先は、植物や動物たち自身の時間です。だから「いのちの楽園」は、氷河が直接つくったものというより、氷河が残した大地を、命が受け継いでつくったものと考えたほうが近いのかもしれません。
「消える」と「何もなくなる」は同じではない
今回、私たちは青白い氷河が生まれるところから旅を始めました。一粒の雪が積もり、圧縮され、氷となり、やがて動き始める。その巨大な氷は大地を削り、岩を運び、谷を刻みながら流れていきました。そしてパタゴニアでは、轟音とともに巨大な氷が崩れ落ちる姿を見ました。
やがて氷河そのものが後退すれば、「氷河が消えた」ということになります。でも、その場所からすべてが消えてしまうわけではありません。削られた谷が残る。運ばれた岩が残る。水が残る。そして、氷河が覆っていた新しい大地が現れる。
氷河そのものは見えなくなっても、そこに氷河がいた時間は、風景の中に残っている。そして、その風景を今度は別の命が使い始めます。
氷河の終わりは、誰かの始まりになる
もちろん、現在の急速な氷河後退を、「そのあと森になるのだから大丈夫」と考えることはできません。気候変動によって氷河が失われる速度が大きくなれば、水資源や海面、生態系などさまざまなところに影響が及びます。それでも地球という長い時間の中で氷河を眺めてみると、少し違った姿が見えてきます。
氷河は、生まれます。流れます。大地を変えます。そして、いつか去っていく。そのあとを別の命が受け継いでいく。もしかすると地球の風景とは、そうやって何度も、誰かの「終わり」を、別の誰かの「始まり」に変えながらつくられてきたものなのかもしれません。
氷河は、去ったあとに何を残す?
最初の問いへ戻りましょう。氷河は、去ったあとに何を残すのでしょう。谷。岩。湖。水。そして、新しい命が生きられる大地。でも、それだけではないような気がします。氷河が残す一番大きなものは、「次の風景が始まる場所」なのかもしれません。
青白い氷は、もうそこにはありません。代わりに緑が芽吹き、鳥が飛び、動物たちが歩いている。それでも谷の形を見れば、かつて巨大な氷がここを流れていたことが分かります。氷河は消えた。けれど、氷河が生きた時間まで、消えたわけではありません。
その時間の上で、今度は新しい命が生きていく。『驚き!地球!グレートネイチャー』が見せる「いのちの楽園」は、氷河の物語の終着点ではなく――。氷河から命へと、地球の時間が静かに手渡された場所なのかもしれません。
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