「保存食」は、いつから「故郷の味」になったの?|横手の麹と発酵文化を訪ねて【あさイチ中継】

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冬に食べるものがなくならないように、野菜を漬ける。米や大豆に麹を加えて、味噌を仕込む。今では当たり前のように「発酵食」と呼んでいますが、もともとは食べ物を長く保存し、厳しい季節を乗り越えるために生まれた知恵でもありました。

ところが――。いつの間にか私たちは、ただ「長持ちするから」という理由だけではなく、「この味噌じゃなきゃ」「この漬物を食べると、冬が来た気がする」そんなふうに、発酵した“味”そのものを好きになっていったようです。

NHK「あさイチ」の中継で訪れるのは、秋田県横手市。雪深いこの土地には、味噌や漬物、日本酒など、麹を生かした発酵食文化が今も息づいています。

中継先となるのは、大正7年創業の「羽場こうじ店」。創業当時から湧く井戸水で米を洗い、秋田杉の麹箱と稲藁で編んだ「菰(こも)」を使いながら、2時間ごとに温度や湿度を確かめて麹を育てる――。

まるで赤ちゃんを育てるように大切につくられた麹は、味噌となり、漬物となり、長いあいだ横手の食卓を支えてきました。

でも、ここでひとつ気になります。食べ物を保存するための知恵だったはずの「発酵」は、いつから「故郷の味」になったのでしょう?大根が採れれば、麹を使う。ハタハタが揚がれば、また麹を使う。冬が来るたびに仕込み、家族で食べ、また次の冬が来る。

そんなことを何十年、何百年と繰り返すうちに、もしかすると人は、食べ物だけではなく、その土地で暮らした時間まで一緒に漬け込んできたのかもしれません。

横手の麹と発酵食をたどりながら、「保存食」が「いつもの味」になり、やがて「故郷の味」になっていくまでを訪ねてみましょう。

【放送日:2026年9月28日(月)8:15 -9:55・NHK-総合】

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そもそも、どうして雪国では「発酵食」が育ったの?

いまなら、畑で採れた野菜は冷蔵庫へ。魚や肉なら、冷凍庫へ。食べきれなければ、数日後に食べることもできます。でも、冷蔵庫も冷凍庫もなかった時代。雪深い横手で暮らす人たちにとって、冬を迎えることは、「冬のあいだ、何を食べて暮らす?」という、とても切実な問題だったはずです。

秋に大根や白菜がたくさん採れても、そのまま置いておけば傷んでしまう。海から魚が届いても、ずっと生のまま取っておくことはできません。そこで人々は、食べ物を干したり、塩に漬けたり、さまざまな方法で保存してきました。そして、そのひとつとして雪国の暮らしに深く根づいていったのが、「発酵」でした。

ただ、ここで少し不思議なことがあります。発酵って、人間が食べ物を直接「変身」させているわけではありません。味噌なら麹菌や酵母、乳酸菌など。漬物でも種類によって乳酸菌などの微生物が働きます。つまり昔の人たちは、目には見えない小さな生き物の力を借りながら、食べ物を長く保存し、さらに別の味へと変えてきたことになります。

もちろん当時は「発酵」なんていう言葉は一般的ではなかったでしょうから最初から、「よし、微生物の力を利用して発酵食品をつくろう!」なんて考えていたわけではないでしょう🤣

おそらく長い経験のなかで、「こうしておくと傷みにくい」「このやり方なら冬まで食べられる」そして、「あれ? こっちのほうが、うまいぞ」という発見が積み重なっていった。保存するための知恵だったものに、いつしか「おいしさ」という価値まで加わっていったのではないでしょうか。

秋田県横手市は米どころでもあります。米があれば、ごはんとして食べるだけではありません。米から酒を造り、米麹を育て、その麹を使って味噌を仕込み、野菜や魚を漬ける。ひとつの土地で採れるものが、麹を介していくつもの食べ物へ姿を変えていきます。

そう考えると、雪国で育った発酵食は、単なる「保存食」ではなかったのかもしれません。冬を越すための知恵と、米を生かす知恵。その二つが重なったところに、横手の発酵文化が育っていったのでしょう。そして横手では、その暮らしと「麹屋」がとても近いところにありました。

羽場こうじ店には、こんな言葉が残されています。「大根穫れれば、麹出る。ハタハタ揚がれば、麹出る。」大根が採れると、麹が必要になる。ハタハタが揚がっても、麹が必要になる。……ん? 横手の人たち、どうしてそんなに何にでも麹を使うの?🤣
次は、昔は集落ごとに一軒あったともいわれる「麹屋」から、横手の台所をのぞいてみましょう。

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「大根穫れれば、麹出る」――どうして何にでも麹を使ったの?

羽場こうじ店には、横手の発酵文化を象徴するような言葉があります。「大根穫れれば、麹出る。ハタハタ揚がれば、麹出る。」最初に聞いたときは、「……そんなに何にでも麹を入れるの?🤣」と思ってしまいます。

でも、この言葉をよく眺めてみると、昔の横手の一年が見えてくるようです。畑で大根が採れる。海からハタハタがやってくる。すると家庭では、それを冬の食べ物として仕込む季節が始まる。そこで必要になるのが、麹でした。

麹は味噌や日本酒だけのものではありません。野菜を漬けたり、魚を漬けたり、甘酒をつくったり。米に麹菌を育てた米麹には、デンプンやたんぱく質などを分解するさまざまな酵素が含まれています。米のデンプンが糖へと分解されれば、甘みが生まれる。たんぱく質が分解されれば、アミノ酸などのうま味につながっていく。

つまり麹を使うと、食べ物はただ「長く置いておけるもの」になるだけではありません。味まで変わる。これが面白いところです。最初は冬を越すために食べ物を保存したかっただけなのに、人はいつしか、「この漬け方のほうがうまい」「うちは、この味じゃなきゃ」と、保存方法そのものに「好み」を持つようになっていったのでしょう。

そして、そんな暮らしを支えていたのが麹屋でした。「旬菜みそ茶屋くらを」によれば、横手市増田では、かつて集落ごとに一軒の麹屋があったともいわれているそうです。これ、考えてみるとすごいことです。いまの私たちはスーパーへ行けば、一年中ほとんど同じ食品を買えます。でも昔の台所は、季節と一緒に動いていました。

大根が採れた。「そろそろ漬けるか」ハタハタが来た。「今年も仕込むか」そのたびに、「じゃあ、麹屋さんへ行こう」となる。麹屋は単に商品を売る店ではなく、地域の保存食づくりを支える場所だったのかもしれません。だから、「大根穫れれば、麹出る。ハタハタ揚がれば、麹出る。」という言葉は、「季節が動けば、麹も動く」という意味にも聞こえてきます。

畑と海と麹屋と、それぞれの家の台所。別々に見えるものが、ひとつの季節の中でつながっていたのでしょう。そして、その中心にあった麹を100年以上つくり続けているのが、今回「あさイチ」が訪れる羽場こうじ店です。

ところが、その麹づくりを知ると、また「ん?」が出てきます。井戸水で米を洗い、秋田杉の麹箱へ入れる。稲藁で編んだ「菰(こも)」をかぶせ、石室へ。そして、2時間ごとに温度と湿度を確かめる。羽場こうじ店は、その様子を「赤ちゃんのように大切に」と表現しています。

……麹って、商品を「つくる」というより、生き物を「育てる」みたいじゃない? そりゃそうですよね、麹だって生き物なんですから! 次は、横手の発酵文化を支えてきた、その小さな「生き物」の世界をのぞいてみましょう。

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麹って、「つくる」ものじゃなくて「育てる」ものなの?

「麹をつくる」。普段は何気なく、そう言います。でも、羽場こうじ店の麹づくりを見ていると、だんだん不思議になってきます。

創業時から湧いている井戸水で、丁寧に米を洗う。蒸した米に麹菌をつけ、秋田杉の麹箱へ。手刈りした稲藁を天日に干して編んだ「菰(こも)」を蓋にして、蔵の石室で育てていく。そして職人は、2時間ごとに温度と湿度を確かめるといいます。

昼も夜も、麹の様子を見ながら調整する。羽場こうじ店が、その姿を「赤ちゃんのように大切に」と表現しているのも、なんだか分かる気がします。なぜ、そこまで気を配るのでしょう。それは、麹づくりの主役が、人間だけではないからです。

働いているのは、麹菌という微生物。米の上で麹菌が育つときには熱も生まれます。だから放っておけばいいわけではなく、職人は温度や湿度を見ながら、麹菌が育ちやすい環境を整えていきます。つまり人間が、「甘くなれ!」「おいしくなれ!」と命令しているわけではありません🤣

人間にできるのは、麹菌が気持ちよく働ける場所をつくること。あとは、小さな生き物に任せる。そう考えると、麹づくりは工業製品を「製造する」というより、植物や赤ちゃんを「育てる」感覚に近いのかもしれません。

そして羽場こうじ店が大切にしているのが、麹菌を米の表面だけでなく、芯までしっかり入り込ませる「破精(はぜ)」です。米の中へ菌糸が伸びていく。すると麹が持つ酵素の働きによって、米のでんぷんから甘みにつながる糖が生まれ、味噌などを仕込めば大豆のたんぱく質から、うま味につながるアミノ酸も生まれていきます。

羽場こうじ店の麹に自然な甘さがあるというのも、こうした職人の細かな管理と、麹菌の働きが重なった結果なのでしょう。でも、ここで面白いことに気づきます。100年以上受け継がれてきたのは、単なる「レシピ」ではないんですね。

水をどう扱うか。温度をどう見るか。湿度をどう感じ取るか。そして、どの状態なら「もう大丈夫」と判断するか。数字にできる部分もあれば、長年麹と向き合うことで身につく感覚もある。つまり職人が代々受け継いできたのは、「麹のつくり方」ではなく、「麹菌との付き合い方」なのかもしれません。

人間が全部を支配するのではなく、微生物が働くのを見守り、少しだけ手を貸す。そうして育った麹が、味噌になり、漬物になり、横手の家庭へ渡っていく。その代表的なひとつが、羽場こうじ店の「㐂助みそ」です。

ところが、この味噌。最初から「横手名物をつくろう!」と生まれたものではなかったようです。もともとは、創業者の喜助さんが自分たちで食べるためにつくっていた味噌。それが親戚へ、ご近所へ、そして故郷を離れた人へ――。……あれ?家で食べていた味噌は、どうやって「故郷の味」になったんだろう?
次は、いよいよタイトルの核心へ近づいてみましょう。

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自家用の味噌が、どうして「故郷の味」になったの?

羽場こうじ店の「㐂助みそ」には、ちょっと面白い始まりがあります。
最初から、「横手を代表する名物味噌をつくろう!」と生まれたものではありません。創業者の佐々木喜助さんが、もともと自家用としてつくっていた味噌だったといいます。

ところが、その味噌が親戚へ渡り、ご近所へ渡り、やがて故郷を離れて暮らす人たちにも求められるようになっていった。なんだか、その光景は想像できます。家で仕込んだ味噌が、今年もうまくできた。「ちょっと食べてみる?」と、おすそ分けする。食べた人が、「これ、うまいねぇ」と言う。

そして翌年になると、「去年の味噌、また分けてもらえない?」なんて声がかかる。今でも、自家製の味噌や漬物をつくる人の周りでは、そんなやりとりがあります。まして、地域の人どうしの付き合いが今よりずっと暮らしの近くにあった時代なら、食べ物もまた、人と人との間を行き来していたのでしょう。

レシピ本もインターネットもありません。それでも縁側にやって来ては、「うちはこうやって仕込むよ」「麹はこれくらい入れるとおいしいよ」「今年はよくできたから持っていきな」そんなやりとりの中で、味と知恵が台所から台所へ渡っていく。

㐂助みそも、そんな「家の味」から始まりました。そして、この味噌にはもうひとつ特徴があります。大豆に対して、たっぷりの米麹を使うこと。羽場こうじ店では、大豆の3倍もの麹を使って仕込むといいます。それは横手の寒い冬でも麹がよく働き、麹由来の自然な甘さを感じる味噌になるからだといいます。

必要なのは、食べ物を保存することだけだったはずなのに。いつの間にか人は、「どうせなら、おいしくしたい」「うちは、この甘さが好き」と、自分たちの好きな味までつくるようになった。ここで「保存食」は、少し違うものになったのかもしれません。

単に冬を越すための食料ではなく、「うちの味」になった。そして「うちの味」が親戚やご近所へ渡れば、「この辺の味」になっていく。でも、それだけならまだ「故郷の味」とは呼ばなかったのかもしれません。

その味の意味がいちばん大きく変わるのは、もしかすると――故郷を離れたとき。遠くで暮らしていて、久しぶりにいつもの味噌でつくった味噌汁を口にする。その瞬間に思い出すのは、味噌だけではないのでしょう。冬の寒さ。台所の湯気。家族と囲んだ食卓。近所から届いた漬物。「今年も仕込んだよ」と交わした言葉。

ひとつの味の向こう側に、その土地で過ごした時間まで見えてくる。そこで初めて、「ああ、これが自分の故郷の味だったんだ」と気づくのかもしれません。

羽場こうじ店(㐂助味噌醸造元)

考えてみれば不思議です。発酵は、食べ物を長く残すための知恵でした。ところが、人から人へ、家から家へ、そして世代から世代へ味が受け継がれていくうちに――残っていたのは、食べ物だけではなかった。

では、「保存食」はいつから「故郷の味」になったのでしょう。最後は、横手の発酵文化をたどってきた私たちなりに、その答えを探してみましょう。

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「保存食」は、いつから「故郷の味」になったの?

ここまで横手の発酵食をたどってきて、最初の疑問に戻ります。「保存食」は、いつから「故郷の味」になったのでしょう?その境目を、カレンダーのどこかに見つけることはできません。ある年から突然、「今日からこれは、横手の故郷の味です」となったわけでもありません。きっと、もっとゆっくりした変化だったのでしょう。

冬を越すために、大根を漬ける。ハタハタが届けば、麹を使って仕込む。大豆があれば味噌をつくる。米からは麹を育て、酒を醸す。最初にあったのは、食べ物を無駄にせず、次の季節まで暮らしていくための知恵でした。

ところが、それを毎年繰り返しているうちに、「去年より、こっちのほうがおいしい」「麹をもう少し使おう」「うちは、この味が好き」そんな小さな工夫が重なっていく。そこで保存食は、ただ「長く食べられるもの」から、「おいしいから、また食べたいもの」へ変わっていったのではないでしょうか。

そして味噌や醤油のような発酵調味料は、少し特別です。味噌そのものを食べるだけではありません。味噌汁にする。野菜を味噌で味付けする。魚にも使う。醤油なら、煮物にも、刺身にも、漬物にも使います。すると、ひとつの発酵調味料の味が、いくつもの料理の奥に流れることになります。

お母さんの煮物。おばあちゃんの味噌汁。冬に食べた漬物。料理は違うのに、どこか同じ味がする。それはもしかすると、同じ味噌や麹や醤油が、その家の料理を静かにつないでいるからなのかもしれません。

そして同じ土地で、似た材料を使い、似た季節に仕込みながら暮らしていけば、「家の味」は少しずつ「土地の味」とも重なっていく。

羽場こうじ店の㐂助みそも、始まりは喜助さんの自家用の味噌でした。それが親戚へ、ご近所へ…。やがて故郷を離れた人たちからも求められるようになった。ここに、「故郷の味」が生まれる瞬間のヒントがあるような気がします。

故郷にいるときには、それはただの「いつもの味」だった。毎日の食卓にあるから、特別だとも思わない。ところが、その土地を離れる。いつもの味噌がない。いつもの漬物がない。そして久しぶりに口にした瞬間――「ああ、この味だ」と思う。

もしかすると「故郷の味」とは、自分が故郷にいるときにつくられるのに、故郷を離れて初めて気づく味なのかもしれません。「あさイチ」の中継で訪れる羽場こうじ店では、100年以上にわたって麹がつくられてきました。けれど、その麹が保存してきたものは、食べ物だけだったのでしょうか?

大根を漬けた冬。味噌汁から立ち上った湯気。家族で囲んだ食卓。ご近所へ味噌を分けた日。「今年もうまくできたね」と交わした言葉。そんな何でもない暮らしの記憶まで、味の中には少しずつ積み重なっていく。

だから、最初の問いへの答えは、ひとつの日付ではなく――「いつもの味」を、何度も繰り返し食べた時間なのかもしれません。

食べ物を長く残したくて、人は発酵という知恵を育てました。けれど、その知恵を何世代も繰り返しているうちに、残るようになったのは食べ物だけではなかった。発酵は、食べ物と一緒に、その土地で暮らした時間まで保存してくれる。横手の麹から立ち上る、少し甘い香り。その向こうには、今年もまた冬を迎える人たちの台所があります。

そしてきっと、遠く離れたどこかにも。その味を口にして、「ああ、帰ってきた」と感じる人がいるのでしょう。


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