人は、なぜ故郷へ帰ってくるのでしょうか?
便利だからでも、仕事があるからでもありません。祭りの日になると太鼓の音に心が動き、懐かしい川の流れに足を止め、変わってしまった町並みの中にも、変わらず待っていてくれる人の笑顔を見つける――。そんな「帰る理由」が、この町には今も息づいています。
福岡県北九州市・小倉では、400年以上の歴史を持つ小倉祇園太鼓が夏の訪れを告げます。悪霊を払い、町に賑わいを招くと伝えられる太鼓の音は、世代を超えて受け継がれ、人々の心を一つにしてきました。
一方で、旦過市場は大規模な火災を乗り越え、戦前から続く映画館も地域の支えによって新たな一歩を踏み出しています。そして紫川では、高校生たちが町の自然を未来へ受け継ごうと活動を続けています。
今回の『新日本風土記』は、祇園太鼓が響く小倉の夏を舞台に、町に生きる人々の姿を描きます。ここでは、番組で紹介される風景をたどりながら、小倉という町が、なぜ何度でも立ち上がってこられたのか。そして、人はなぜ、この町へ帰ってきたくなるのか。その理由を、歴史と人々の暮らしの中から、一緒に探していきます。
【放送日:2026年8月8日(土)15:00 -16:00・NHK-BS】
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太鼓が響くと、人は故郷を思い出す|400年受け継がれる小倉祇園太鼓
夏の夕暮れ、小倉の町に太鼓の音が響き始めます。その音を聞くと、「今年も祭りの季節が来た」と足を止める人がいます。遠く離れて暮らしていても、その響きを思い出し、「今年は帰ろうかな」と故郷を懐かしく感じる人もいるかもしれません。
小倉祇園太鼓は、約400年の歴史を持つ北九州を代表する夏祭りです。江戸時代初期、小倉城の城下町で疫病退散や町の繁栄を願って始まったと伝えられ、太鼓と「ヂャンガラ」と呼ばれる独特の鉦(かね)の音色が、今も町中に響き渡ります。その音には、「悪霊を払い、福を招く」という願いが込められてきました。
しかし、人々が毎年この祭りを大切に守り続けてきた理由は、それだけではないように思います。太鼓の音は、町の歴史を覚えています。
戦争の時代も、町が復興を目指した日々も、そして令和になって旦過市場が火災に見舞われた後も、小倉ではまた夏が来れば太鼓が鳴り響きました。町並みは少しずつ変わっても、この音だけは変わらず人々を迎え続けてきたのです。
今回の『新日本風土記』は、小倉祇園太鼓の夏から始まります。番組では勇壮な太鼓の響きや祭りに集う人々の姿が紹介されることでしょう。この記事では、その音がなぜ400年もの間、人々の心をつないできたのかという背景にも耳を澄ませてみたいと思います。
故郷とは、建物や景色だけでできているものではありません。「おかえり」と迎えてくれる音がある町。そんな町だからこそ、人は何度でも帰ってきたくなるのかもしれません。
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火事のあとも灯りは消えなかった|旦過市場と映画館が教えてくれたこと
小倉は、何度も試練を経験してきた町です。戦争の時代には空襲を受け、多くの建物が失われました。8月9日、最初の原爆投下目標は小倉だったけれど、雲や煙で目標を確認できず、第二目標だった長崎へ向かった――という「小倉の偶然」は有名な話です。
戦後は「鉄の町」として復興を遂げ、人々は商店街に店を開き、映画館には笑い声が戻り、紫川のほとりには再び暮らしの灯りがともりました。町は、少しずつ前を向いて歩き始めたのです。
しかし令和になって、その町の台所と呼ばれてきた旦過市場が二度にわたる大規模な火災に見舞われました。長年親しまれてきた店々が焼け落ち、「もう続けられない」と肩を落とした人も少なくありませんでした。それでも市場には、「ここで商いを続けたい」という人が残りました。
同じように、戦前から地域に愛されてきた映画館も被災しましたが、多くの支えを受けながら新しい一歩を踏み出しています。建物は焼けても、人の思いまでは焼けませんでした。町をもう一度立ち上がらせたのは、新しい建物ではなく、「この町で生き続けたい」という人々の気持ちだったのでしょう。
今回の『新日本風土記』は、祭りの華やかさだけではなく、そうした日々の営みにも静かに寄り添っています。太鼓が響く夏を迎えられるのは、その音を待ち続け、町を守り続けてきた人たちがいたからなのです。
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紫川は町の時間を映してきた|高校生が未来へつなぐ自然
小倉の町の中心を、紫川が静かに流れています。この川は、城下町が築かれた頃から人々の暮らしを見つめ続けてきました。物資を運ぶ舟が行き交い、町が栄え、人々が祭りの日を迎える姿も、きっと変わらず映してきたのでしょう。時代が変わっても、川だけは変わらず町とともに流れ続けています。
そんな紫川を舞台に、今、高校生たちが自然を調べる活動を続けています。番組で紹介される「魚部」の生徒たちは、川に暮らす魚や生き物を観察し、地域の自然環境を学びながら、その魅力を多くの人へ伝えようとしています。
彼らが見つめているのは、魚だけではありません。町と自然が、どうすればこれからも共に生きていけるのか、その未来です。祭りも市場も、人から人へ受け継がれてきました。自然もまた、誰かが守り、知り、次の世代へ手渡していかなければ残りません。
だから高校生たちの活動は、川の生き物を調べるだけではなく、小倉という町そのものを未来へつないでいく営みでもあるのです。
今回の『新日本風土記』は、祇園太鼓の力強い音や、人々のにぎわいだけでなく、紫川の静かな流れにも目を向けています。
町の歴史は建物だけに刻まれるものではありません。季節を映し、命を育み、人々の暮らしを見守り続ける川もまた、この町の大切な記憶なのです。人は町を受け継ぎます。そして町は、川の流れとともに、人を育てていくのかもしれません。
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小倉はなぜ何度でも立ち上がれたのか?|町を支えてきた人々の誇り
小倉の夏を歩いていると、一つのことに気づきます。祭りも、市場も、映画館も、紫川も、一見するとそれぞれ別の物語のようでいて、実は一本の糸で結ばれていました。それは、この町で生きる人たちの「受け継ぐ」という思いです。
400年以上続く祇園太鼓は、世代から世代へ受け継がれ、町の夏を彩ってきました。旦過市場では、火災で店を失っても「ここで商いを続けたい」と立ち上がる人たちがいました。戦前から続く映画館も、地域の支えを受けながら再び灯りをともしました。そして紫川では、高校生たちが町の自然を未来へ手渡そうと活動を続けています。
時代は変わります。建物も姿を変えます。けれど、この町には変わらないものがあります。それは、「小倉で暮らし、小倉を次の世代へ残したい」という人々の誇りです。
誇りとは、誰かに誇示するものではありません。毎日店を開けること。祭りの太鼓をたたくこと。川を見つめ、生き物を調べること。そんな何気ない営みを、今日も変わらず続けていくことなのかもしれません。
だから小倉は、何度試練に直面しても立ち上がることができました。町を支えてきたのは、特別な英雄ではなく、「この町が好きだ」という思いを胸に暮らしてきた一人ひとりだったのです。
今回の『新日本風土記』が描くのは、にぎやかな祭りだけではありません。町を支え続ける人々の姿を通して、「故郷とは何か」という静かな問いを、私たちへ投げかけてくれます。
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人はなぜ、この町へ帰ってくるのか?|受け継がれる夏が教えてくれること
人は、何を故郷と呼ぶのでしょうか? 立派な城がある町でしょうか? にぎやかな商店街でしょうか? それとも、美しい川が流れる町でしょうか。もちろん、それらも故郷の大切な風景です。けれど、本当に人を帰らせるものは、もっと目には見えないものなのかもしれません。
夏になれば太鼓の音が響くこと。市場にいつもの店が並ぶこと。映画館に灯りがともること。紫川が変わらず流れていること。そして、その風景を守り続けてきた人が、今日もこの町で暮らしていること。故郷とは、建物や景色だけではありません。
「あなたの帰る場所を、今日も守っています。」
そんな思いを受け継いできた人たちがいるからこそ、町は故郷であり続けるのです。
今回の『新日本風土記』は、小倉祇園太鼓の夏を通して、一つの町の歴史を描いています。しかし、その物語は北九州・小倉だけのものではありません。
祭りを守る人。商いを続ける人。自然を未来へ伝える人。そうした誰かの営みがあるから、私たちには「帰りたい」と思える町があります。
人はなぜ、この町へ帰ってくるのでしょうか? その答えは、一つではありません。けれど小倉の夏を歩いていると、町が静かにこう語りかけてくるような気がします。
「おかえり…。」
その一言を受け継いできた町だからこそ、小倉は何度でも立ち上がり、人々を迎え続けてきたのでしょう。