沖縄県・竹富島は、白砂の道と赤瓦の家並み、水牛車が行き交う風景で知られる、日本を代表する離島のひとつです。しかし、この美しい景色は偶然残されたものではありません。そこには、時代が大きく変わっても「島らしさ」を守り続けてきた人々の思いがあります。
昭和51年に放送された『新日本紀行』では、農業から観光へと島の暮らしが移り変わる中でも、豊年祭や伝統文化を大切に受け継ぐ島民の姿が描かれていました。そして半世紀近くが過ぎた今も、女性たちが神司(かみつかさ)として神に祈りをささげ、八重山ミンサーを織り、人々を温かく迎える暮らしは受け継がれています。
今回の『よみがえる新日本紀行』は、竹富島の美しい風景を巡る旅ではありません。変わる時代の中で、人々は何を守り、何を未来へ受け渡してきたのか。その答えを、島に息づく祈りと暮らしの中に探していきます。
【放送日:2026年7月7日(火)15:30 -16:10・NHK-BSP4K】
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竹富島はどんな島?~白砂の道と赤瓦に守られた島の風景~
沖縄県八重山諸島に浮かぶ竹富島は、白砂が敷かれた道と赤瓦の屋根、サンゴの石垣が織りなす美しい集落で知られています。水牛車がゆっくりと歩き、色鮮やかな花々が咲く風景は、多くの人が思い描く「沖縄の原風景」といえるでしょう。
しかし、この景色は長い年月を経ても偶然残ったものではありません。島の人々が代々受け継ぎ、暮らしの中で守り続けてきたからこそ、今も変わらぬ姿を見ることができるのです。道をきれいに保ち、赤瓦の家並みを大切にし、祭りや伝統行事を絶やさない。その積み重ねが、竹富島ならではの風景を育んできました。
島の名前は、アイヌ語ではなく八重山の言葉や歴史の中で受け継がれてきた土地の記憶とともに歩んできました。そして昭和51年、『新日本紀行』が訪れた頃は、農業中心の暮らしから観光へと少しずつ時代が動き始めていた時期でした。それでも島の人々は、「何を変え、何を残すのか」を見失うことなく歩み続けていました。
近年、日本各地では地域活性化や地方創生が叫ばれています。しかし竹富島が教えてくれるのは、新しいものを次々と作ることではなく、受け継がれてきた文化や暮らしを大切にすることが、その土地だけの魅力になるということではないでしょうか。
この島の美しさは、景色そのものではなく、その景色を守り続けてきた人々の心が生み出したものなのです。
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昭和51年の竹富島~農業から観光へ移ろうとした時代~
昭和51年に『新日本紀行』が訪ねた竹富島は、島の暮らしが大きく変わろうとしていた時代でした。それまで島を支えてきた農業中心の暮らしから、少しずつ観光へ。白砂の道、赤瓦の家並み、豊年祭や伝統の織物は、島外から訪れる人々にとって大きな魅力となっていきました。
けれど、竹富島の人々は、観光のために島を作り替えたわけではありません。島に受け継がれてきた景観や祈り、暮らしそのものを守り続けた結果として、人々がその美しさに惹かれるようになったのです。
本当の観光の魅力とは、外から持ち込んだ派手な施設や一時的な流行だけで生まれるものではないのかもしれません。その土地に長く息づいてきた文化や、そこで暮らす人々の誇りに触れたとき、旅人の心には深い記憶が残ります。
竹富島が今も多くの人を惹きつけるのは、昭和51年から変わらず、島の人々が「何を守るべきか」を見つめ続けてきたからなのでしょう。
農業から観光へ。その変化の中でも、竹富島は島の魂まで売り渡すことはありませんでした。むしろ、古くからの祈りや暮らしを守ることこそが、竹富島らしい観光のあり方になっていったのです。
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豊年祭に込められた祈り~神司がつなぐ神と人の時間~
夏の竹富島では、豊かな実りへの感謝と来年の豊作を願う「豊年祭」が行われます。
この祭りは、観光客のために始まった行事ではありません。昔から島で暮らしてきた人々が、自然の恵みに感謝し、祖先から受け継いだ祈りを次の世代へつないできた、大切な年中行事です。
祭りの中心となるのが、神司(かみつかさ)と呼ばれる女性たちです。神と人との仲立ちを務める神司は、神聖な祈りを胸に集落を巡り、人々とともに豊作への感謝をささげます。
番組では、八重山ミンサーを織る女性や、人情味あふれる民宿の女将が神司となり、島の人々と静かに祈りを重ねる姿が映し出されます。そこには特別な舞台も、大きな演出もありません。あるのは、昔から続いてきた暮らしの延長としての祈りです。
だからこそ、この祭りは見るためのものではなく、島の人々が生きるために受け継いできた時間なのだと感じます。
変わりゆく時代の中で、竹富島の人々が最後まで守り続けたもの。それは赤瓦でも白砂の道でもなく、自然への感謝と、人と人を結ぶ祈りの心だったのではないでしょうか。
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八重山ミンサーと民宿のぬくもり~暮らしの中で受け継がれる文化~
竹富島の魅力は、豊年祭の日だけに息づいているわけではありません。島を歩くと、昔から受け継がれてきた八重山ミンサーが織られ、民宿では島の人々が訪れる人を家族のように迎えています。
番組に登場する神司の女性たちも、普段は織物を受け継ぐ職人であったり、旅人を温かく迎える民宿の主人であったりします。祈りと暮らしは別々のものではなく、毎日の生活の中で自然につながっているのです。
だから竹富島の文化は、博物館の展示品のように「保存」されているのではありません。人が暮らし、働き、人を迎え、祭りの日には神に祈る。その営みが繰り返されることで、文化は今も生き続けています。
近年、日本各地で地域の魅力を発信する取り組みが進んでいます。しかし、本当に人の心を動かすのは、新しく作られたものだけではないのかもしれません。
長い年月をかけて育まれた暮らしや、人と人とのつながりを大切に守り続けること。その積み重ねが、その土地ならではの魅力となり、旅人の心に深く残るのでしょう。
竹富島の人々は、観光のために文化を残したのではありません。文化を大切に守り続けてきたからこそ、多くの人がその島を訪れたいと思うようになったのです。
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変わる観光地、変わらない島人の心~竹富島が守り続けたもの~
今の竹富島には、年間多くの観光客が訪れます。かつて農業を中心に暮らしていた島は、昭和51年の頃から少しずつ観光の島へと姿を変えていきました。近年では新しくリゾート施設もでき、竹富島を訪れる旅の形も多様になっています。
けれど、どれほど時代が変わっても、竹富島の魅力の中心にあるものは変わっていません。白砂の道。赤瓦の家並み。サンゴの石垣。八重山ミンサー。そして、豊年祭に込められた祈り。
それらは、観光のために用意された飾りではなく、島の人々が暮らしの中で守り続けてきたものです。新しい施設や便利な仕組みが生まれること自体は、悪いことではありません。大切なのは、それが島の暮らしや祈りを壊すものではなく、島の文化に敬意を払いながら共にあることなのでしょう。
竹富島が教えてくれるのは、変わらないことだけが正しいという話ではありません。時代は変わります。暮らしも変わります。島を訪れる人の数も、旅の形も変わっていきます。それでも、何を未来へ受け渡していくのか。その問いを見失わないことが、島の魂を守ることにつながるのだと思います。
『よみがえる新日本紀行』が映し出した竹富島は、美しい観光地ではなく、祈りと暮らしを守り続けてきた人々の島でした。変わる時代の中で、変わらない祈りを抱き続ける島。その静かな強さこそが、竹富島が今も多くの人を惹きつける理由なのかもしれません。