【帰れマンデー】ゴールにある世界遺産の長寿お守りは御神衣守?広島は世界遺産と宮島だけじゃない!?吉川晃司と奥田民生は同級生なの⁈

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こんにちは鳥巣です。6/23の帰れマンデーは広島特集のようです。広島といえば学生時代にモーターラリーの手伝いで行ったり、以前の会社の社員旅行で行ったりしました。マスコミでは原爆ドームや宮島の厳島神社ばかりが紹介されます。最近、私は”うさぎ島”として有名な「大久野島」に行ったり、しまなみ海道を旅したりしたのですが、有名観光地とは違ったおすすめスポットも紹介したいと思います。

吉川晃司さんと奥田民生さんは広島で同級生だった!?

番組には吉川晃司さんと奥田民生さんが出演されます。お二人とも広島出身ということは存じ上げていたのですが、どうやら同じ歳の生まれらしいです。

同級生だったのかと思いましたが、どうやら学校は違うようです。しかし二人とも学生時代から別々にバンドを組んでいたため、お互いの存在には気づいていたようです。番組ではそのあたりの話が聞けるかもしれません。

奥田民生さん(出典:ディスクガレージ)
奥田民生さん(出典:ディスクガレージ)

奥田さんは雑誌のインタビューに、

地元、広島の同級生に、吉川晃司がいる。学校は違ったけど、吉川は高校の途中で東京に行ってデビューしたから、地元ではかなり有名だった。そんな吉川を、俺は高校生のときから知っている。水球の日本代表だったというのも、有名だった理由だけど、同い年くらいのアマチュアバンドの中で吉川のバンドが一番人気だったから、あいつのことをよく覚えている。 10代、20代頃の吉川は暴れん坊のイメージで、いまと違ってやんちゃだった。若いときあいつとすれ違ったらそれだけでいきなり殴られそうな雰囲気だったし、酔っ払ったあいつに「なんやお前」なんて言われてケンカになったら、絶対イヤだと思っていた(笑)

引用:奥田民生「59-60 奥田民生の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル」より

と答えています。吉川晃司さんが「モニカ」でデビューしたのが1984年で、奥田民生さんのデビューが1987年ですから、結構意識してたんですね。

吉川さんがデビューしたときは、後輩の女の子たちがキャーキャーと大騒ぎをしていたし、逆三角形の上半身から、高校時代に水泳(水球)をやっていたことは聞いていました。

1984年「モニカ」
1984年「モニカ」

それでも高校時代には、「世界ジュニア水球選手権大会・日本代表」や、2年連続で全日本高校最優秀選手に選ばれた実績があるといいますから、水球もハンパではなかったのでしょう。

ただ奥田さんが言うように、「いまと違ってやんちゃだった」そうで、こんな写真も残っています。特攻服こそ着ていませんが、やっぱりヤンチャだったのは間違えなさそうです。まぁそういう時代でしたからね(笑)

ヤンチャだった頃?(出典:「岸哲蔵 魂のブログ」)
ヤンチャだった頃?(出典:「岸哲蔵 魂のブログ」)

ただ広島県広島市では名の知られた進学校である修道中学校の制服の袖の部分には1本の白線があって、それがカッコよかったから受験したのだそうですが、進学校ゆえに合格したものの授業についていけず、いきなり落ちこぼれたと語っています。しかも、いざ入学するとその1本の白線で修道中学校の生徒だとバレしまい、悪いことができなかったといいます。

ちょっと前のドラマ「下町ロケット」の財前役でも大活躍していた吉川さんですが、ライブでの”シンバルキック”は伝説になっているようです。

吉川晃司さんのシンバルキック(出典:デイリースポーツ)
吉川晃司さんのシンバルキック(出典:デイリースポーツ)

一方の奥田民生さんは、外傷性白内障で両目に人工の水晶体を入れているため、ライブなどでの激しい運動は医師から禁止されているというのですから、人生いろいろです。(参考資料:ダイヤモンド・オンライン)

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それでも広島平和記念資料館は絶対に行くべきです!でも混雑がイヤなら

先日は天皇陛下と雅子妃殿下が広島を訪問されていましたが、私たちのような普通の人間でも、日本人なら一度は訪れるべきところだと思っています。戦後生まれの私に、太平洋戦争や原爆に対する辛い思い出はありませんが、それでも強烈なインパクトのあるところでした。

広島平和記念資料館(出典:Googleマップ)
広島平和記念資料館(出典:Googleマップ)

私は伯父を広島の原爆で亡くしているからかもしれませんが、「姉は、爆風で飛ばされてきた台所の竈(かまど)の下敷きになって、目の前で焼け死んでいった」などという話を聞くと、戦争経験のない私にも、その悲惨な状況がまざまざと感じられたのでした。

最近では観光客が多すぎで、「入館するだけで何時間も待たなければいけない」というような話も聞きますが、私が行った30年も前にはガラガラで、チケットを買ってすぐに中に入ることができました。しかしここは、日本人なら”並んででも”絶対に行っておくべきところだと思います。

しかし、「人混みや行列は嫌だ!」とか、「有名観光地には行きたくない!」という方は、広島市内の江波山(えばやま)にある「旧広島地方気象台(現:江波山気象館)」を見に行ってはいかがでしょうか?

江波山気象館(出典:Googleマップ)
江波山気象館(出典:Googleマップ)

私がここを知ったのは、柳田邦男さんのドキュメンタリー小説「空白の天気図」を読んだからでした。これは昭和20年8月6日の広島原爆投下の日の気象台の出来事から、その直後に広島を襲った「枕崎台風」への対応などを綴った小説です。

その時に原爆の爆風にも耐えた旧広島地方気象台の建物が残っていて、当時の資料や遺構が展示されています。

竣工当時の旧広島地方気象台(出典:江波山気象館)
竣工当時の旧広島地方気象台(出典:江波山気象館)

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ゴールにある厳島神社の神様の衣が入った長寿お守りとは?

旅のゴールにあるのは世界遺産・厳島神社で、広島県廿日市(はつかいち)市にある宮島にあります。宮島は広島市内からJR山陽線の「宮島口」駅からフェリーに乗り換えて、船で30分ほどのところにあり、海中鳥居がある厳島神社で有名です。また島にはもみじ饅頭や穴子料理の食堂などが数多くあって、グルメにはこたえられないところです。

また厳島神社で授与される、神様の衣が入った長寿のお守りは、「御神衣守(ごしんいまもり)」と呼ばれ、毎年元旦に行われる「御神衣献上式」で、神様の新しいお衣装としてお供えされたものの一部を御守りとして分けていただいたものなのだそうです。

出典:レンタルきもの・みやじま小町)
出典:レンタルきもの・みやじま小町)

伊勢神宮でもどこでも、神様は新しいものが大好きなので、神様の御衣装は毎年元旦に新しいものにお取り替えするそうです。

 その神様の御衣装は御神衣といわれていて、このお守りは御神衣でつくられているそうです。さすがに「御神衣」は見たことがありませんが、こんな感じの襦袢(じゅばん)のようなものかもしれません。

御神衣?(出典:Facebook「神社と歴史の広場」)
御神衣?(出典:Facebook「神社と歴史の広場」)

この「御神衣守」は、厳島神社の社務所や授与所などで入手できるそうです。その御守りには、長寿病気平癒身体健康など、様々なご利益があるとされています。

宮島の鹿
宮島の鹿

宮島には神の御遣いでもある鹿がたくさんいます。

嚴島神社

干上がっている鳥居
干上がっている鳥居

ちなみに私が訪れた時も完全に干上がっていました。

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まとめ

吉川晃司さんと奥田民生さんは広島で同級生だった!?

番組には吉川晃司さんと奥田民生さんが出演されます。お二人とも広島出身ということは存じ上げていたのですが、どうやら同じ歳の生まれらしいです。同級生だったのかと思いましたが、どうやら学校は違うようです。しかし二人とも学生時代から別々にバンドを組んでいたため、お互いの存在には気づいていたようです。

それでも広島平和記念資料館は絶対に行くべきです!でも混雑がイヤなら

私たちのような普通の人間でも、日本人なら一度は訪れるべきところだと思っています。戦後生まれの私に、太平洋戦争や原爆に対する辛い思い出はありませんが、それでも強烈なインパクトのあるところでした。

ゴールにある厳島神社の神様の衣が入った長寿お守りとは?

旅のゴールにあるのは世界遺産・厳島神社で、広島県廿日市(はつかいち)市にある宮島にあります。宮島は広島市内からJR山陽線の「宮島口」駅からフェリーに乗り換えて、船で30分ほどのところにあり、海中鳥居がある厳島神社で有名です。厳島神社で授与される、神様の衣が入った長寿のお守りは、「御神衣守(ごしんいまもり)」と呼ばれ、毎年元旦に行われる「御神衣献上式」で、神様の新しいお衣装としてお供えされたものの一部を御守りとして分けていただいたもので、長寿病気平癒身体健康など、様々なご利益があるとされています。

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