セレブな街で人気の「世田谷」の魅力って?招き猫発祥の豪徳寺には何があった?【ブラタモリ#256】

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こんにちは鳥巣です。12月2日のブラタモリでは東京の世田谷が紹介されるようです。私にとっての世田谷は下北沢、経堂(きょうどう)、豪徳寺(ごうとくじ)とセレブとはあまり縁のない印象ですが、世間ではハイソなお金持ちの住むセレブなブランドの街として人気があるようです。そんな街とは縁のなさそうな世田谷線と豪徳寺(ごうとくじ)についてまとめてみました。

世田谷区
世田谷区

世田谷線ってどんな電車?

東急世田谷線は、三軒茶屋(さんげんじゃや)と下高井戸(しもたかいど)を結ぶ全長5kmほどの路面電車のような鉄道ですが、都電荒川線とは違って道路上を走る併用軌道はありません。

東急世田谷線(出典:Wikipedia)
東急世田谷線(出典:Wikipedia)

京王線の下高井戸、小田急小田原線の豪徳寺(ごうとくじ・世田谷線の駅名は「山下」)、東急田園都市線の三軒茶屋で郊外と都心を結ぶ私鉄の駅を結んでいますが、JR線とのコネクションはありません。

世田谷区地図
世田谷区地図(出典:Googleマップ)
世田谷線路線図(出典:駅ずかん)
世田谷線路線図(出典:駅ずかん)

1925年(大正14年)に玉電(玉川電気鉄道)の下高井戸線として開業し、その後、現在の東急に合併されて玉川線となりました。文字通り東京都世田谷区内を走っているわけですが、「世田谷駅」という駅は東急世田谷線以外にはありません。

都心への主な交通手段がJR東海道線の湘南方面で暮らしていると、小田急小田原線や田園都市線、ましてや京王線を使う機会はあまりありませんが、神奈川県でも厚木(あつぎ)を中心とした県央地域に住んでいる方には小田急線は馴染み深いのかもしれません。

私は趣味でスクーバダイビングをやっていて、海の中で着るウエットスーツをオーダーメイドで作りに行きますが、作ってくれるお店が小田急線(と京王線)の下高井戸にあるので、数年に一度は世田谷に行く機会があります。また小学校からの幼馴染が豪徳寺に住んでいるので、たまに小田急線の経堂(きょうどう)あたりに飲みに行ったりする程度です。

横須賀に住んでいた頃は、横浜から都内に向かうときに第三京浜(第三京浜国道)を通って環八(環状8号線、通称:カンパチ)から関越自動車道方面に行ったりしましたが、平塚に引っ越してからは圏央道や東名高速を使うことが多くなり、車生活でも世田谷区とはすっかり疎遠になってしまいました。

豪徳寺には何がある?

豪徳寺というからには「豪徳寺(ごうとくじ)」というお寺があることは想像がつきますが、このお寺がある場所には戦国時代以前には「世田谷城」というお城があったそうです。

吉良政忠(きらまさただ)という人が治めていましたが、秀吉の小田原攻め(1590年)の時に落城して廃城となってしまったそうです。石垣や土塁が好きなタモリさんですから、豪徳寺の付近で世田谷城の痕跡を見つけてくれるかもしれません。

また豪徳寺は招き猫発祥の地としても有名です。

招き猫
招き猫

今ではゆるキャラの「たまにゃん」もいるそうです。

たまにゃん
たまにゃん

招き猫といえばお腹のところに大きな小判を抱えている姿が思い浮かびますが、豪徳寺の招き猫は小判を持っていません。招き猫は、人を招いて「縁」をもたらしてくれますが、「福」そのものを与えてくれるわけではありません。

人との大切な「縁」を生かせるかどうかはその人次第です。報恩感謝の気持ちがあれば「福」は自然とその人のもとに訪れるという教えから、小判を持たずに右手だけを挙げているのだそうです。

また、十二支には「猫」が入っていませんが、これは猫が「子(ねずみ)」に騙されたから選ばれなかったという説もありますが、豪徳寺では猫とネズミが仲良く並んでいます。豪徳寺の猫とネズミは仲がいいのかもしれません。

出典:豪徳寺
出典:豪徳寺

それにしてもものすごい数の招き猫ですね。

奉納された招き猫
奉納された招き猫

豪徳寺は別にしても、今では世田谷は郊外の高級住宅地で田園調布(大田区)も隣にあり、ちょっと歩けば駒沢公園や多摩川の河川敷にも出られるハイソな街になりました。

若者に人気の二子玉川や三軒茶屋、下北沢もあって便利な上に、なんとなく「お金持ち」っぽい雰囲気がステータスを生み出して、人気の街になっているのかもしれませんね。

世田谷のまとめ

世田谷線ってどんな電車?

京王線の下高井戸、小田急小田原線の豪徳寺(ごうとくじ・世田谷線の駅名は「山下」)、東急田園都市線の三軒茶屋で郊外と都心を結ぶ私鉄の駅を結んでいます。路面電車のような風貌ですが、交差点での信号待ち以外はすべて専用軌道になっています。

豪徳寺には何がある?

「豪徳寺(ごうとくじ)」には、かつて戦国時代以前には「世田谷城」というお城があったそうです。秀吉の小田原攻め(1590年)の時に落城して廃城となってしまったそうです。

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