里山は、自然のままにしておけば守れるの?|田んぼと焼き物とオオサンショウウオが教えてくれたこと【小さな旅】

南部町の風景 BLOG
スポンサーリンク

緑の田んぼが広がり、山から流れる水が川を潤し、季節ごとにさまざまな生き物が姿を見せる。そんな里山の風景を眺めていると、自然は昔から変わらず、そこにあり続けてきたように思えます。

でも、本当にそうなのでしょうか? 田んぼは、耕す人がいなくなれば荒れていきます。土地の土や水を使った焼き物も、作り手がいなくなれば、その技が途絶えてしまうかもしれません。そして、川に暮らす生き物たちの未来も、私たち人間の暮らしと無関係ではありません。

NHK『小さな旅』「愛しき里山 〜鳥取県 南部町〜」が訪ねたのは、そんな里山の風景と暮らしを、次の世代へつなごうとする人々でした。耕作放棄地を田んぼによみがえらせた女性。地元の土や水を生かして器を作り続ける窯元の女性。そして、オオサンショウウオを「町の宝」と呼び、子どもたちにその命の大切さを伝える親子。

美しい里山は、ただ自然を放っておくだけで守れるものなのでしょうか? 鳥取県南部町の小さな物語から、人と自然がともに生きることの意味を考えてみたいと思います。

【放送日:2026年10月16日(金)11:05 -11:30・NHK-総合】
【放送日:2026年10月17日(土)6:05 -6:30・NHK-BSP4K】
【放送日:2026年10月19日(月)4:20 -4:45・NHK-総合】

<広告の下に続きます>

里山は、なぜ人がいなくなると姿を変えるの?

鳥取県西部、大山の裾野に広がる南部町。山々の緑に囲まれ、田畑が点在し、小川が集落を流れる。そんな風景を見ていると、昔から変わらない日本の原風景が、今もここに残っているように感じられます。

けれども、私たちが「懐かしい日本の自然」や「日本の原風景」などと呼ぶ里山は、必ずしも手つかずの自然ではありません。里山とは、人が長い年月をかけて自然と関わりながら育んできた環境でもあるのです。

人々は山から薪や落ち葉を集め、田畑を耕し、水路を整え、季節に合わせて草を刈ってきました。そうした日々の営みが、森と田畑、集落が入り交じる独特の風景をつくってきたのです。そこには、人間だけでなく、さまざまな生き物の暮らしもありました。

例えば、田んぼは米を育てる場所であると同時に、カエルや水生昆虫などが生きる場所にもなります。水路やため池、畦道の草地も、それぞれ異なる生き物たちのすみかです。つまり、里山の豊かさは、自然と人の暮らしが長い時間をかけて結びつくことで生まれてきたものなのです。

ところが今、その関係が変わり始めています。農業を続ける人の高齢化や後継者不足などによって、耕されなくなった田畑が増えています。人の手が入らなくなった土地では、草木が茂り、やがて田んぼだった場所も別の環境へと変わっていきます。

もちろん、それが直ちに「自然の破壊」を意味するわけではありません。人の手を離れた土地に、新たな植物や生き物が定着することもあります。しかし、田んぼや草地のように、人の営みがあることで維持されてきた環境は、放っておくだけでは同じ姿を保てません。

そこに暮らしていた生き物たちも、環境の変化によって影響を受けることがあります。自然を守るというと、私たちはつい「人間が手を出さないこと」を思い浮かべます。でも、里山では必ずしもそうではないのです。

大切なのは、何から何まで人が管理することでも、すべてを自然に任せることでもありません。その土地で人と自然がどのような関係を築いてきたのかを知り、何を受け継いでいくのかを考えることなのでしょう。

NHK『小さな旅』が訪ねた南部町には、そんな問いに自分なりの答えを出そうとしている人がいました。一度は耕されなくなった土地を、もう一度、田んぼによみがえらせた女性です。なぜ彼女は、手間のかかる米作りを再び始めようと思ったのでしょうか。その理由をたどると、里山を守ることの、もう一つの意味が見えてきます。

<広告の下に続きます>

耕作放棄地を、なぜもう一度田んぼに戻すの?

田んぼをつくることは、決して簡単な仕事ではないでしょう。春には田植えの準備をし、夏には水の管理や草刈りを続け、秋にはようやく稲刈りを迎える。米作りは、一年を通して人の手が必要な営みです。まして、一度耕されなくなった田んぼを復活させるとなれば、なおのことです。

鳥取県南部町でNHK『小さな旅』が出会ったのは、そんな耕作放棄地を、もう一度田んぼによみがえらせた女性でした。彼女が大切にしているのは、里山の米作りを絶やさないこと。

でも、ここで一つの疑問が浮かびます。米が足りないわけでもない時代に、なぜ苦労してまで田んぼを残そうとするのでしょうか。もちろん、米をつくることには、食べ物を生産するという大切な役割があります。けれども、田んぼが地域にもたらしているものは、それだけではありません。

水を張った田んぼは、雨水を一時的にためる働きを持っています。畦や水路が維持されることで、地域の水の流れも管理されます。また、田んぼやその周辺には、水生昆虫やカエル、鳥など、さまざまな生き物が関わっています。

ただし、田んぼならどこでも同じように生き物が豊かになるわけではありません。農薬の使い方や水の管理、水路の構造などによって、生息環境は大きく変わります。それでも、田んぼが単なる米の生産設備ではなく、里山の水と生き物、そして風景を支える場所でもあることは確かでしょう。

さらに、田んぼには数字だけでは測れない価値があります。春になると水が張られ、夏には稲が青々と育ち、秋には黄金色の穂が揺れる。私たちが「日本の原風景」と呼ぶ景色の多くは、誰かが毎年、土を耕し、稲を育ててきたからこそ存在しているのです。

そして、米作りが途絶えるとき、失われるのは田んぼの風景だけではありません。水路の管理の仕方、土地ごとの水加減、季節の移り変わりを読む経験。そうした地域に蓄積されてきた知恵も、受け継ぐ人がいなければ少しずつ失われていきます。

だからこそ、南部町の女性が耕作放棄地を田んぼに戻したという出来事には、単なる農地の再生を超えた意味があるように思えます。田んぼをよみがえらせることは、その土地で続いてきた暮らしを、もう一度未来へつなぐことでもあります。

もちろん、すべての耕作放棄地を元に戻せばよい、という単純な話ではありません。農業を続けるには人手もお金も必要です。担い手が減る地域で、誰かの善意や努力だけに頼り続けることには限界があります。

それでも、もう一度田んぼを耕そうとする人がいる。その姿は、里山を守ることが、過去の風景を懐かしむだけではなく、これからの暮らしを選び取る行為でもあると教えてくれます。

そして、南部町には、田んぼとは別の形で土地の恵みを受け継いでいる女性もいました。地元の土と水を使い、窯の火を守り続ける焼き物の作り手です。田んぼでは米を育て、窯では器を生み出す。同じ里山の土と水から、どんな暮らしの文化が生まれてきたのでしょうか。

<広告の下に続きます>

里山の土は、なぜ暮らしの器になるの?

田んぼでは、土が米を育てます。では、その土を掘り出し、水で練り、火で焼いたら、何が生まれるのでしょうか。鳥取県南部町には、土地の土と水を使い、百年以上にわたって焼き物を作り続けてきた窯元があります。法勝寺焼・松花窯(ほっしょうじやき・しょうかがま)です。

法勝寺川の流れる山あいに、初代・安藤秀太郎が窯を築いたのは1903年(明治36年)のこと。以来、代々受け継がれてきた焼き物の技術を、現在は五代目の安藤愉理(あんどう・ゆり)さんが守っています。

松花窯の器で印象的なのは、深みのある緑色の釉薬です。緑の中に濃淡が生まれ、光の当たり方によっても表情が変わる。ほかにも、澄んだ深い青色の瑠璃釉など、土地の素材と職人の感性が生み出す豊かな色彩があります。けれども、その美しい色を生み出すまでには、想像以上の時間がかかります。

法勝寺焼(出典:楽天市場)
法勝寺焼(出典:楽天市場)

松花窯では、代々伝わる場所から土を掘り出し、水簸(すいひ)という方法で土の粒子を選り分け、陶器に適した状態へと整えています。土づくりに、およそ一年かかることもあるそうです。釉薬も自家製。受け継がれた配合を基本にしながら、少しずつ工夫を重ね、焼き上がりの色を確かめていきます。

同じように作ったつもりでも、土や火の具合によって、まったく同じ器にはならない。そこに、工業製品とは異なる手仕事の面白さがあるのでしょう。そして、安藤さんは昔ながらの器を作るだけではありません。

現代の暮らしに合う形やデザインを取り入れ、デザイン事務所との共同制作にも取り組んでいます。子どもから大人まで参加できる陶芸体験も開き、焼き物に親しむ人を増やそうとしています。

伝統を守るというと、昔と同じものを作り続けることのように思えます。でも、松花窯が大切にしているのは、受け継いだ技術を使って、今の暮らしに必要とされる器を生み出すことなのかもしれません。

ここで思い出したいのが、鳥取県に根づく「民藝」の文化です。民藝とは、日々の暮らしの中で使われる道具に美しさを見いだそうとする考え方。大正時代に柳宗悦らが提唱した運動から広まっていきました。鳥取では、医師であり民藝運動家でもあった吉田璋也(よしだ・しょうや)が、その考え方を実際のものづくりへと発展させました。

1931年、吉田は鳥取市の牛ノ戸焼の窯元とともに、新しい日用品の制作に取り組みます。その代表的な作品が、緑色と黒色を大胆に塗り分けた皿でした。日常で使う器でありながら、現代の食卓に置いても新鮮に感じられるデザインです。

吉田が目指したのは、古い道具をただ保存することではありませんでした。土地の素材と職人の技術を生かしながら、その時代の暮らしに合う美しい日用品を作ることだったのです。

もちろん、法勝寺焼・松花窯が、この新作民藝運動から直接生まれた窯元というわけではありません。それでも、両者には通じ合うものを感じます。

美しい器は、飾って眺めるためだけにあるのではない。使う人の暮らしの中でこそ、その魅力が生きてくる。

例えば、緑色の小鉢に季節の野菜を盛る。お気に入りの茶碗でご飯を食べる。手になじむカップで、朝のコーヒーを飲む。そんな何気ない時間を、少しだけ豊かにしてくれるのが、暮らしの器なのでしょう。

そして、器を使い続けることは、遠く離れた土地の手仕事と、自分の暮らしを結びつけることでもあります。南部町の土から生まれた器が、どこかの家の食卓に並ぶ。そこには、里山の文化を未来へつなぐ、一つの形があるように思えます。

田んぼを耕す人がいるから、米作りが続いていく。窯の火を守る人がいるから、土地の焼き物が受け継がれていく。では、川に暮らす生き物たちは、どうでしょうか。南部町には、オオサンショウウオを「町の宝」と呼び、その命を見守り続けてきた親子がいました。

<広告の下に続きます>

オオサンショウウオは、なぜ「町の宝」なの?

鳥取県南部町の里山には、田んぼや焼き物とは、また違った宝物があります。それは、川の中でひっそりと暮らす、オオサンショウウオ(通称:ハンザキ)です。大きな頭に、平たい体。小さな目と、ずんぐりとした四本の足。初めてその姿を見ると、なんとも不思議な生き物だと思うかもしれません。

けれども、オオサンショウウオは、日本の自然を語るうえで、とても貴重な存在なのです。

日本固有のオオサンショウウオは、国の特別天然記念物。成長すると全長1メートルを超えることもある、世界最大級の両生類です。

オオサンショウウオ(出典:雑学ネタ帳)
オオサンショウウオ(出典:雑学ネタ帳)

その祖先につながる仲間は、はるか昔から地球上に存在してきました。オオサンショウウオが「生きた化石」と呼ばれることがあるのも、古い時代の特徴を残す生き物だからです。もっとも、長い進化の歴史を持つからといって、現在のオオサンショウウオが太古からまったく変わっていないわけではありません。

そして、この貴重な生き物が暮らしていくには、川の環境が大切です。オオサンショウウオは主に夜間に活動し、魚やカエル、水生生物などを捕食します。川底の石の隙間などを隠れ場所にし、繁殖には巣穴となる場所も必要です。つまり、川に水が流れていれば、それだけで暮らせるというわけではないのです。

川底の環境、水の流れ、餌となる生き物、そして繁殖できる場所。そのつながりがあってこそ、命をつないでいける。NHK『小さな旅』が南部町で出会ったのは、そんなオオサンショウウオを「町の宝」と呼び、保護活動を続けてきた桐原さん親子でした。

親子が関わる「なんぶハンザキ調査隊」では、オオサンショウウオの観察会などを通じて、その生態や生息環境を知る機会をつくっています。「ハンザキ」とは、オオサンショウウオの地方名として知られる呼び方です。

観察会では、子どもたちも川の生き物について学び、普段はなかなか見ることのできないオオサンショウウオの姿に触れます。ただ珍しい生き物を見せるだけではありません。自分たちの町の川に、こんな命が暮らしている。そのことを知る体験が、身近な自然への関心を育てていくのでしょう。

ここで、もう一つ考えておきたい問題があります。近年、日本各地の一部の河川では、中国由来のチュウゴクオオサンショウウオと日本固有のオオサンショウウオとの交雑が問題になっています。外来のオオサンショウウオが持ち込まれ、在来種と交雑すると、長い時間をかけて育まれてきた日本固有種の遺伝的な特徴が失われていくおそれがあります。

そのため、2024年7月からは、チュウゴクオオサンショウウオなど日本在来種以外のオオサンショウウオ属の種と、種間の交雑個体が特定外来生物に指定されました。ただし、これは全国的な保全上の課題であり、南部町で交雑が確認されているという意味ではありません。

生き物を守ることは、ただ数を増やすことではなく、その土地に本来生きてきた命と、生息環境を守ることでもあるのです。そして、オオサンショウウオの保護には、専門的な知識が欠かせません。国の特別天然記念物であるため、むやみに捕まえたり、持ち帰ったりすることはできません。観察や調査も、必要な許可や専門家の指導のもとで行われるべきものです。

だからこそ、桐原さん親子の活動には、大きな意味があるのでしょう。自分たちだけがオオサンショウウオを知っていればいいのではない。子どもたちにも、その存在を伝えていく。そして、いつかその子どもたちが大人になったとき、自分たちの町の川を大切に思えるようにする。

それは、田んぼを復活させた女性や、焼き物の技を受け継ぐ女性とも、どこか似ています。田んぼを耕す人がいなくなれば、米作りは途絶えてしまう。窯の火を守る人がいなくなれば、土地の焼き物は失われてしまう。そして、川の生き物に関心を持つ人がいなくなれば、その命が直面している変化に気づくことさえ難しくなるかもしれません。

「町の宝」とは、そこにあるだけで価値が決まるものではなく、大切に思い、次の世代へつなごうとする人がいてこそ、守られていくものなのかもしれません。

南部町のオオサンショウウオは、そんなことを静かに教えてくれているようです。

<広告の下に続きます>

里山を未来へ残すために、私たちにできることは?

鳥取県南部町の里山を訪ねて、改めて気づかされることがあります。私たちが「美しい自然」と呼んでいる風景の中には、長い年月をかけて、人々の暮らしとともに育まれてきたものがあるということです。

一度は耕されなくなった田んぼを、もう一度よみがえらせた女性。地元の土と水を使い、代々受け継がれてきた焼き物の技を守る女性。そして、川に暮らすオオサンショウウオを「町の宝」と呼び、その大切さを子どもたちに伝える親子。三つの物語に共通しているのは、何でしょうか。

それは、自分たちが受け取ってきたものを、自分たちの代だけで終わらせたくないという思いなのかもしれません。

田んぼを残すことは、米作りの技術や水を分かち合う暮らしを残すこと。焼き物を作り続けることは、土地の土や水を生かす知恵と、日々の暮らしを彩る文化を残すこと。そして、オオサンショウウオを守ることは、その命が暮らせる川の環境と、身近な自然を大切に思う心を残すことでもあります。

もちろん、里山を未来へつなぐことは、決して簡単ではありません。人口減少や高齢化が進む地域では、田んぼを耕す人も、伝統の技を受け継ぐ人も、自然を見守る人も、いつまでもいるとは限りません。すべてを昔のまま残すことも、現実には難しいでしょう。

だからこそ、大切なのは、ただ過去の風景を保存しようとすることではなく、今の暮らしの中で、その土地との関わりを続けていくことなのだと思います。例えば、地元で作られた米を食べること。土地の職人が作った器を、毎日の食卓で使うこと。子どもたちと一緒に川を歩き、そこにどんな生き物が暮らしているのかを知ること。

一つひとつは、小さなことかもしれません。けれども、そんな小さな関わりが積み重なることで、土地の自然や文化を支える人たちの力になることもあるのでしょう。

そして、もう一つ、忘れたくないことがあります。故郷の自然を守るために必要なのは、必ずしも、ずっと故郷に住み続けることだけではないということです。

子どもの頃、川でオオサンショウウオを見た。田んぼで稲が育つ様子を眺めた。家族と囲んだ食卓には、地元の窯元で作られた器があった。そんな記憶を胸に、いつか故郷を離れて暮らす人もいるでしょう。

それでも、どこかでオオサンショウウオの話題が出たとき、「私の故郷の川にも、あの生き物が暮らしているんだよ」そう誰かに話すことがあるかもしれません。その言葉を聞いた人が、初めて南部町という土地を知ることだってあるでしょう。

故郷の風景は、そこに暮らす人だけのものではありません。離れて暮らす人の記憶の中にも、静かに生き続けているのです。

考えてみれば、私たちにも、それぞれ心に残る風景があります。春の田んぼに映る空。夏の夕暮れに聞こえる虫の声。秋の山を染める紅葉。冬の朝、家々の屋根に降りた霜。そんな風景を思い出すとき、そこにはきっと、誰かの暮らしの記憶も重なっているはずです。

里山は、放っておいても守れるのでしょうか。きっと、そうではないのでしょう。けれども、何もかも人の手で管理すればよいというものでもありません。

自然の営みを尊重しながら、人が関わるべきところでは手をかけ、守るべき命には目を向ける。そして、その大切さを次の世代へ伝えていく。南部町の人々が続けているのは、そんな地道な営みなのだと思います。

いつか、今の子どもたちが大人になり、遠く離れた町で故郷を思い出す日が来るかもしれません。そのとき、心に浮かぶのは、川の石陰にひそむオオサンショウウオの姿でしょうか。それとも、風に揺れる稲穂の向こうに見えた、ふるさとの山並みでしょうか。

里山の未来は、そこに暮らす人の手の中だけでなく、故郷を忘れない人たちの心の中にも、少しずつ育っていくのかもしれません。


湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

湘南ひらつかITサポートセンターをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む

タイトルとURLをコピーしました