幕末の志士たちが駆け抜けた町、山口県萩市。その足元では、もうひとつの“革命”が静かに始まっていました。
刀ではなく、炉の火。思想ではなく、硝子。長州藩の産業振興策の一環として生まれた「萩ガラス」は、地元の石英玄武岩を原料にした硬質で透明度の高いガラス。そこに伝統の切子技法を刻んだものが「萩切子」です。
しかし、その歴史はわずか数年で幕を閉じ、やがて忘れられた存在に――。そして今、130年の時を越えて復活。科学者・中嶋治平の志を受け継ぎ、研究と試行錯誤の末に再び灯った炉の火。あさイチ中継で紹介される「萩切子」は、志士の町が育んだもう一つの物語です。
【放送日:2026年3月2日(月)8:15 -9:55・NHK-総合】
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萩切子とは何か?──志士の町に生まれた“もう一つの革命”
いま放送中の朝ドラ『ばけばけ』は、松江藩で禄を失った武士の一家から物語が始まる。明治維新は、理想や志の物語であると同時に、多くの武士が職を失った「生活の転換」の時代でもあった。
山口県萩市もまた、維新の原動力となった志士たちの町。だがその裏側では、同じ現実に直面していた。刀では食べていけない。新しい産業が必要だ。
長州藩が目を向けたのが、地元資源を活かした産業振興だった。その一つが、石英玄武岩を原料とする「萩ガラス」である。石英を多く含む火山岩から生まれる硬質ガラスは、透明度が高く、強度もある。このガラスに伝統的な切子技法で模様を刻んだものが「萩切子」だ。
華やかな江戸切子とは異なり、どこか端正で、凛とした佇まい。それは、志士の町にふさわしい質実と気概を感じさせる。萩切子は、単なる工芸品ではない。維新の理想を支えようとした、もう一つの革命の証だった。

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地の力が生んだ硬質ガラス──石英玄武岩の秘密とは?
萩切子の透明な輝きは、幕末から始まったわけではない。その源は、はるか昔の火山活動にさかのぼる。萩周辺は、日本海側の火山活動によって形成された土地。溶岩が地表近くで急速に冷え固まることで、玄武岩が生まれた。
通常の玄武岩は黒く、鉄分を多く含む。しかし萩の石英玄武岩は、シリカ(二酸化ケイ素)を多く含む特殊なタイプ。このシリカが結晶したものが水晶だ。シリカが多いということは、ガラスの主成分が豊富だということ。急冷された溶岩は結晶が細かく、ガラス質になりやすい。
つまり萩の大地には、もともと“ガラスになりやすい石”が眠っていた。ここが面白い。志士たちが未来を語っていたその足元に、数百万年かけて準備された資源があった。地質学的な時間と、幕末の時間。スケールはまったく違うけれど、一つの点で交わる。
石英を多く含む原料から作られた萩ガラスは、透明度が高く、しかも硬い。硬いということは、加工が難しいということ。だが同時に、強度があり、繊細なカットにも耐える。だからこそ、切子を施したときに、凛とした輝きを放つ。萩切子の美しさは、職人の技術だけでなく、地の力そのものでもあった。
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忘れられた科学者・中嶋治平とは?──蒸気機関と萩硝子の挑戦
数百万年かけて生まれた石英玄武岩。だが、それをガラスへと変えるには、人の知恵と技術が必要だった。そこで登場するのが中嶋治平。幕末の動乱期、長州藩において硝子製造を担った技術者であり、科学者だ。
当時、日本におけるガラス製造はまだ発展途上。ましてや蒸気機関を活用するなど、最先端の試みだった。蒸気機関は、単なる動力ではない。産業を拡張する装置。一定の温度管理、大量生産、安定した品質。これらを可能にするのが機械の力だった。
思想の革命が起きていた時代に、中嶋は“産業の基盤”を築こうとしていた。萩硝子はやがて、天皇家や公家への献上品となるほど品質を高める。地方の一藩が生み出したガラスが、中央に届く。これは、小さな出来事ではない。
しかし──時代はあまりに急激だった。戊辰戦争、明治維新、政治体制の激変。産業基盤が安定する前に、社会構造そのものが変わってしまった。萩硝子の歴史は、わずか数年で幕を閉じる。革命の光の陰で、技術の火は消えていった。中嶋治平の名も、やがて歴史の奥へ沈む。だが、彼の挑戦は消えていなかった。
資料として残り、記録として眠り、やがて130年後、再び灯ることになる。萩切子の復活は、単なる工芸の再現ではない。忘れられた科学者の志を、現代が拾い上げた瞬間でもある。
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130年ぶりの復刻!?──萩ガラス工房の現在
一度は消えた萩硝子の灯。その火が、130年ぶりに再び灯された。眠っていた資料を手がかりに、試作と失敗を重ねながら、幕末のガラス製法を現代に蘇らせたのが「萩ガラス工房」だ。
復刻は、単なる再現ではない。当時の原料配合、炉の温度、質感や透明度。記録だけでは埋まらない“空白”を、研究と技術で埋めていく作業。
数百万年前の石英玄武岩。幕末の蒸気機関。そして現代の科学技術。三つの時間が、ここで重なる。萩切子は、もはや過去の遺物ではない。いまも作られ、いまも削られ、いまも光を放っている。
あさイチ中継では、その制作現場が紹介されるかもしれない。硬質で透明度の高いガラスに、繊細な切子模様が刻まれていく瞬間。志士の町に生まれた“もう一つの革命”は、歴史展示の中ではなく、いまも炉の前で続いている。
萩ガラス工房
- 山口県萩市大字椿東越ヶ浜4区11
- TEL:0838-26-2555
- 営業時間:9:00~17:00
- 定休日:なし
- URL:https://www.hagi-glass.jp/
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志士の町が今に伝えるものとは?──思想と産業の両輪
萩といえば、明治維新。志士たちの思想が時代を動かした町。けれど、その足元ではもう一つの挑戦があった。武士が職を失うという現実の中で、未来を支える産業を生み出そうとした試み。それが萩硝子であり、萩切子だった。
思想は、人の心を変える。だが、産業は人の生活を支える。どちらか一方だけでは、社会は動かない。石英玄武岩という地の力。中嶋治平という技術者の志。そして130年ぶりの復刻。それらはすべて、理想と現実を結ぶ線だった。
透明なガラスの中に宿るのは、単なる美しさではない。時代を越えて受け継がれた、挑戦の記憶である。萩切子は、志士の町がいまに伝える“もう一つの維新”なのかもしれない。
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まとめ
あさイチ中継で紹介される「萩切子」は、幕末の長州藩が生み出した産業振興の結晶です。武士の失業という現実、地元資源を活かしたガラス製造、忘れられた科学者・中嶋治平の挑戦、そして130年ぶりの復刻。そこには、思想と技術が交差する物語がありました。
革命は、刀だけで起きるのではありません。炉の火もまた、時代を動かします。志士の町・萩で生まれた透明なガラスは、いまも静かに光を放ち続けています。
