「菊」は、なぜ千年も飽きられなかったの?|長寿を願い、愛で、育て、意味を重ねてきた日本人【美の壺】

千輪菊をモチーフにした新潟の花火 BLOG
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「菊は好きですか?」そう聞かれると、私は少し困ります。
以前、近所にザル菊が一面に咲く畑がありました。秋になると、こんもりと丸い菊がいくつも並び、それを楽しみに訪れる人もいました。きれいだな、とは思います。

でも――「これがいいんだよ!」という人ほど、私は菊が好きだったわけではありません。秋になると近所の公園で「菊祭り」が開かれたりしますが、「無理やり咲かせた」”わざとらしさ”が鼻について、あまり好きではありませんでした。

食用菊も同じです。小鉢に黄色や紫の花びらが添えられていると、「秋だねえ」と喜ぶ人がいる。けれど、私はというと、「うーん、別に食べなくても……💦」なんて思ってしまいます。

それなのに、不思議なんです。菊は、千年以上も日本人のそばにいます。古くは長寿を願う花として愛され、重陽の節句では邪気を払い、長生きを願う花になりました。人は菊を生け、育て、ときには一本の株から驚くほど多くの花を咲かせました。

菊は着物や器の文様にもなり、やがて皇室を象徴する紋章にもなります。一方で、現代の私たちが「菊」と聞けば、白い菊が並ぶ葬儀を思い浮かべることもあります。

長寿を願う、おめでたい花。高貴さを表す花。秋を味わう花。一方で亡くなった人へ手向ける花…。同じ菊なのに、意味がずいぶん違います。NHK『美の壺』「千年咲きほこる 菊」が見つめるのは、そんな菊の長い物語です。

京都北山に群生する友禅菊。嵯峨天皇ゆかりの生け花。菊尽くしで長寿を願う重陽の節句。一本から千輪もの花を咲かせる千輪菊…。19世紀末、ジャポニスムに沸くヨーロッパで菊を芸術へと昇華させたラリック。そして、白磁の中に菊を咲かせる陶芸家。

千年という時間の中で、菊は何度も姿を変え、人々の暮らしや美意識の中へ入り込んできました。そこで、私たちは、ちょっと気になりました。「菊」は、なぜ千年も飽きられなかったのでしょう? 千年間、変わらない美しさがあったから? それとも――私たち人間のほうが、菊に新しい美しさや意味を見つけ続けてきたから?

今回は一輪の菊を手がかりに平安時代から現代まで、日本人がこの花に何を願い、何を美しいと思い、そして何を重ねてきたのか。千年咲きほこる、その理由をたどってみたいと思います。

【放送日:2026年10月5日(月)5:55 -6:25・NHK-Eテレ】

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菊は、最初から「日本の花」だったの?

菊と聞くと、どこか「日本らしい花」という印象があります。秋になると咲く菊。重陽の節句。着物や器に描かれた菊の文様。そして、皇室を象徴する菊花紋。これだけ日本文化の中に入り込んでいるのですから、ずっと昔から日本の野山に咲いていた花なのだろう――。そう思いたくなります。

ところが、菊の歴史をたどってみると、最初のところでいきなりつまずきます。菊は、もともと日本で生まれた花ではありません。栽培される菊の起源は中国にあり、日本には奈良時代から平安時代ごろに大陸から伝わったと考えられています。

しかも興味深いのは、当時の人々が菊に見ていたものです。「きれいな花が来たぞ。庭に植えよう!」……だけではなかったようです。中国では菊は古くから薬用にもされ、長寿と結びついた植物でした。日本へ伝わった菊にも、そんなイメージが重なります。

NHK『美の壺』では、紫式部が歌に詠んだという菊の「若返り」にも注目します。そして旧暦9月9日の重陽の節句。奇数を縁起のよい「陽」の数とする中国の思想から、最大の陽数である「9」が重なる9月9日を祝い、菊によって邪気を払い、長寿を願う風習が日本にも伝わりました。

菊を眺めるだけではありません。菊の花を酒に浮かべる。菊に綿をかぶせ、露と香りを移した「菊の着綿」で身体をぬぐい、若さや長寿を願う。現代の私たちからすると、「菊で若返るの?🤣」と思ってしまいます。けれど千年前の人々が菊を見たとき、そこには単なる「秋のきれいな花」以上のものが見えていたのでしょう。

長く生きたい。いつまでも健やかでいたい。人間が昔から抱いてきた、とても素朴な願いです。そう考えると、「菊は日本の花なの?」という問いも少し変わってきます。生まれた場所だけを考えれば、日本生まれの花ではありません。けれど大陸から渡ってきた菊を、日本人はただそのまま受け取ったわけでもありませんでした。

愛でる。歌に詠む。酒に浮かべる。長寿を願う。季節の行事にする。そうやって何百年も暮らしの中へ取り込みながら、少しずつ「日本の菊」にしていったのかもしれません。そして、その意味はそこで止まりませんでした。

ずっと後の時代になると、菊は皇室を象徴する紋章にもなります。さらに現代の私たちには、もう一つ、とても強い菊のイメージがあります。白い菊が並ぶ光景。そう――お葬式です。

……あれ?長生きしたいと願っていた花が、どうして亡くなった人を送る花になったのでしょう? 同じ菊なのに、ずいぶん意味が違います。次は、その不思議な変化を追いかけてみましょう。

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長生きしたいのに、どうして今は「お葬式の花」なの?

千年前の人々は、菊に長寿を願いました。邪気を払い、いつまでも健やかに暮らしたい。そんな願いを託して、菊を愛で、酒に浮かべ、重陽の節句を祝いました。

ところが現代の日本で、「白い菊がたくさん並んでいる場所は?」と聞かれたら、別の光景を思い浮かべる人も多いでしょう。お葬式です。

……あれ?長生きを願っていたはずの菊が、いつの間にか亡くなった人を送る花になっています。これは、ずいぶん大きな意味の変化に見えます。では、いつから日本人は葬儀に菊を飾るようになったのでしょう?ところが調べてみると、これが意外にはっきりしません。

日本で葬儀に菊を用いるようになった由来については、西洋の葬送文化の影響などいくつかの説がありますが、国立国会図書館のレファレンス協同データベースに掲載された調査でも、明確な発祥を特定できる資料までは確認されていません。

つまり、「菊はもともと死者を弔うための花だった」わけではないのです。そもそも仏教を象徴する花といえば、私たちが真っ先に思い浮かべるのは蓮でしょう。仏像が座る蓮華座。極楽浄土に咲く蓮。お寺を訪れても、「仏教だから菊」というほど菊が中心に置かれているわけではありません。

だとすると、「葬式=菊」という現在のイメージも、菊が日本へ伝わった千年以上前から続いてきたものではなく、長い歴史の途中で加わった意味の一つなのでしょう。

そして菊には、もう一つ大きな意味が加わりました。皇室を象徴する菊です。皇室と菊花紋との結びつきは、菊を好んだ後鳥羽上皇が身の回りの品々に菊の意匠を用いた鎌倉時代初期にさかのぼるとされています。その後、歴代の天皇へ受け継がれて皇室を示す紋として定着していきました。

けれど、現在、「菊の御紋」としてよく知られる「十六葉八重表菊」の形が初めから厳密に決まっていたわけではありません。図形として明確に制定されたのは明治時代。そして1926(大正15)年の皇室儀制令で、十六葉八重表菊形として細かく定められました。

これも不思議です。長寿を願った菊。皇室を象徴する菊。亡くなった人を送る菊。同じ花なのに、まるで違う意味を持っています。でも、これは本当に「長寿の花が葬式の花へ変わった」という逆転なのでしょうか? もしかすると、菊は何か一つの意味を捨てて、次の意味へ変わってきたのではないのかもしれません。

長寿という意味を残したまま、高貴さが重なり、皇室の象徴が重なり、弔いの意味も重なっていった。古い意味を消すのではなく、その上へ新しい意味を重ねていく。だから千年たった今でも、重陽の節句では長寿を願うことができるし、菊花紋を見れば皇室を思い、白菊が並べば葬送を思うこともできます。

そう考えると、「意味を変えてきた」より、私たちがタイトルに選んだ「意味を重ねてきた」という言葉のほうが、やっぱりしっくりきます。

では、人間が菊に重ねてきたのは「意味」だけなのでしょうか? 京都北山には、山あいを紫色に染める菊があります。一方で人の手によって、一本から千輪もの花を咲かせる菊もあります。自然に咲く菊。人間が手をかけてつくり上げた菊。

――さて、どちらが「美しい菊」なのでしょう。次は、菊そのものの美しさを見に行ってみましょう。

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自然に咲く菊と、人がつくった菊――どちらが美しいの?

菊の美しさとは、何でしょう? 風に揺れながら、野に咲いている姿でしょうか? それとも、人が手をかけ、形を整え、見事な姿へ育て上げた菊でしょうか?

NHK『美の壺』に登場する京都北山の友禅菊は、山あいの風景を紫色に染めます。一輪だけをじっと眺めるというより、緑の山里に紫の花が広がり、その土地の風景そのものが菊になるような美しさです。

一方、番組にはまったく違う菊も登場します。千輪菊(ちりんぎく)。一本の株から枝を何度も分け、数え切れないほどの花を、半球状に整えて咲かせます。その数は、文字どおり千輪に及ぶこともあるといいます。一つの株から、これほどの花を咲かせる。そこには長い時間と、人間の技術、そして途方もない手間があります。

見ればきっと、「うわあ……!」と声が出るほどの迫力なのでしょう。けれど、私は少し複雑です。

以前、私の住む平塚の土屋にザル菊が一面に咲く畑がありました。季節になるとこんもりと丸い形に咲く菊を楽しみにしている人もいて、「これがいいんだよ!」と思う人がいることも分かります。

でも、私自身は、そこまで惹かれませんでした。人間の手で形を整えられた菊を見ると、ときには、「ちょっと無理に咲かされているように見えるなあ……」と思ってしまうのです。

だったら、自然に咲く菊のほうが美しいのでしょうか。――たぶん、そんなに簡単な話でもありません。人の手が入っていないように見える野の花に心を動かされる人がいる。一方で、一本の菊に何か月も手をかけ、千輪もの花を咲かせる技に美しさを見る人もいる。どちらかが正しくて、どちらかが間違っているわけではありません。

美しさは、花だけの中にあるものではないのかもしれません。それを見る人が、何に心を動かされるのか。自然らしさなのか。形の整い方なのか。人間の技なのか。そこに費やされた時間なのか。同じ菊を見ても、私たちが見つける「美」は違います。

考えてみれば、番組に登場する生け花もそうでしょう。花を自然のまま置いているわけではありません。人が一本を選び、向きを考え、余分なものを取り、空間の中へ配置する。それでも私たちは、その姿に自然を感じることがあります。

人が手を加えることと、自然を壊すことは、必ずしも同じではないのでしょう。そして千輪菊もまた、「自然にはないから不自然」の一言だけでは片づけられません。そこには、菊という植物が持っている性質を知り、その力を引き出そうとしてきた人たちの美意識があります。

だから、自然の菊と人がつくった菊のどちらが美しいのか――。その答えは、一つではなさそうです。むしろ面白いのは、同じ菊を前にして、人間がこれほど違う「美しい」を見つけてきたことなのかもしれません。

そして人間は、ついに菊そのものが咲いていない場所にまで、菊を咲かせるようになります。ガラスに、器に、白磁に…。土に根を張った菊なら、いつか花は散ります。それなら――花が散ったあとにも、菊を咲かせることはできるのでしょうか。次は、そんな「散らない菊」を見に行ってみましょう。

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菊は、花が散っても「咲く」ことができるの?

どれほど美しく咲いた菊も、いつかは散ります。北山の山里を紫色に染めた菊も。人が長い時間をかけて育てた千輪菊も。花である以上、その美しさには終わりがあります。だからこそ、人間は花が咲く瞬間を美しいと思うのかもしれません。

でも、人間というのは欲張りです。「この美しさを、もっと長く残せないだろうか」そんなことまで考えてしまいます。そこで菊は、土を離れます。

19世紀末、ジャポニスムに沸くヨーロッパ。番組に登場するフランスの芸術家、ルネ・ラリックもまた、菊をモチーフにした作品を残しました。日本で長い時間をかけて愛でられてきた菊が海を渡り、今度はヨーロッパの芸術家の目に映る。そこに咲いているのは、もう生きた菊ではありません。

けれどラリックが菊の姿を作品の中へ移した瞬間、花は別の命を与えられたようにも見えます。そして菊は、日本の器の上にも咲いてきました。

以前、私は長崎県佐世保市の三川内焼(みかわちやき)について調べたことがあります。そこで印象に残ったのが、白磁の美しさと、呉須と呼ばれる顔料によって描かれる青い染付でした。そのとき見ていた器にも、菊が咲いていました。

当時は、「白い磁器に青い菊。きれいだな」と見ていたように思います。でも今回、菊の千年をたどってから、もう一度その器を思い浮かべると、少し違って見えてきます。あの菊は、散らないんだ…。

水をやらなくてもいい。秋が終わっても枯れない。何年たっても、白磁の上で青い菊が咲いている。もちろん、昔の陶工が「菊を永遠に咲かせよう」と考えて描いた、と言いたいわけではありません。

でも人間が花を文様にするという行為には、ほんの一瞬しか見ることのできない自然の美を、別の形にして手元へ置いておきたいという気持ちも重なっているのかもしれません。

そして『美の壺』には、さらに違う白磁の菊が登場します。今度は白磁をキャンバスにして菊を描くのではなく、陶芸家の技によって、白磁そのものから菊が咲いているような美が生まれます。

土から咲く菊。人が育てる菊。ガラスや宝飾に姿を変えた菊。器に描かれた菊。そして白磁そのものに咲く菊…。

こうして並べてみると、不思議です。本物の花は散ってしまうのに、「菊」という美しさは、花が散ったあとも咲き続けることができる。しかも、海を渡れば、また違う人がそこに新しい美を見つける。

千年という時間の中で、菊は同じ姿を守り続けてきたわけではありません。むしろ人間の手から手へ渡るたびに、何度も姿を変えてきました。それなら――。最初に抱いた問いへ、そろそろ戻ってみましょう。

「菊」は、なぜ千年も飽きられなかったのでしょう?

もしかすると答えは、一輪の菊ではなく、千年間、菊を見つめ続けてきた人間のほうにあるのかもしれません。

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「菊」は、なぜ千年も飽きられなかったの?

千年という時間を歩いてみると、ずいぶんたくさんの菊に出会いました。
長生きを願った菊。重陽の節句を祝った菊。歌に詠まれた菊。皇室を象徴する菊。亡くなった人を送る菊。野に群れて咲く菊。人の手によって千輪もの花を咲かせた菊。海を渡り、ヨーロッパの芸術になった菊。そして、白磁の中で散ることなく咲き続ける菊…。同じ花なのに、ずいぶん違います。

では、菊には千年間、誰もが心を奪われるような「変わらない美しさ」があったのでしょうか? たぶん、それだけではなさそうです。私は、ザル菊を見ても、「これが一番好き!」とは思いませんでした。食用菊だって、秋らしくてきれいだとは思うけれど、「ぜひ食べたい!」というほどではありません。春菊の胡麻和えは好きなんですけどね(笑)

それでも別の誰かは、丸く咲きそろったザル菊を見て、「これがいいんだよ」と笑うかもしれません。千輪菊に、人間の技のすごさを見る人もいるでしょう。山里に咲く菊に、自然の美しさを感じる人もいる。白磁に咲いた菊に、永遠に散らない美を見る人もいる。

考えてみれば、日本人は千年間、ずっと同じ理由で菊を好きだったわけではありません。ある時代には、長寿を願いました。ある時代には、高貴さを重ねました。ある人は季節を感じ、ある人は弔いの心を託しました。そして芸術家や職人たちは、菊を生け、育て、描き、ガラスや器の中へ咲かせました。

古い意味がなくなったわけではありません。その上に、また新しい意味が重なっていったのです。だから今でも私たちは、一輪の菊の中にいくつもの物語を見ることができます。

もしかすると、日本人と菊の千年は、付かず離れずの、長い恋物語だったのかもしれません。ずっと夢中だったわけではない。いつも同じところを好きだったわけでもない。ときには眺め、ときには食べ、ときには願いを託し、ときには人生の別れにも寄り添ってもらう。

そして時代が変わるたびに、「こんな菊もいいね」と、また新しいところを好きになる。そうやって千年。菊が千年間、同じ姿のまま咲き続けてきたのではありません。人間が、その時代ごとに新しい菊を見つけてきた。だから、飽きなかったのでしょう。

『美の壺』「千年咲きほこる 菊」。その「千年咲きほこる」という言葉も、ここまで歩いてくると、少し違って聞こえてきます。千年間咲き続ける、一輪の花があるわけではありません。花は咲き、そして散ります。けれど誰かがその美しさを見つけ、次の誰かへ渡していく。

長寿という願いになって。一首の歌になって。一本の生け花になって。器の文様になって。白磁の花になって。そしてまた、次の時代の誰かが菊を見つめる。そうして人の心から人の心へ咲き継がれてきたものこそ、「千年咲きほこる菊」なのかもしれません。

菊が千年咲き続けたのではない。人が千年、菊を新しく咲かせ続けてきた。そして今年の秋もまた、どこかで一輪の菊が咲きます。それを見た誰かが、「これがいいんだよ」と思ったなら――日本人と菊の恋物語は、もう少し続いていくのでしょう。


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