砂がつないだ約束は続くのか?──天橋立と阿蘇海の40年後の問い|よみがえる新日本紀行

松林を眺める男性 BLOG
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日本三景のひとつ、天橋立。青い海を二分するように、まっすぐに伸びる砂の道。展望台にはカメラを手にした人々が列をなし、股のぞきで風景を楽しむ観光客の笑い声が響く。いまや天橋立は、国内外から多くの人が訪れる人気スポットだ。

外国語が飛び交い、写真は瞬時に世界へ共有される。だが、その足元にある海はどうだろう。天橋立の西側に広がる内海・阿蘇海。古くから魚介を育み、漁師の暮らしを支えてきた海は、近年、水質の変化や環境の影響を受け、水揚げが減少しているという。

観光地としてにぎわう風景の裏側で、静かに変わりつつある海。昭和56年に放送された「新日本紀行」は、この土地の人々の暮らしを描いていた。あれから40年余り。砂がつないだこの約束は、いまも続いているのだろうか?

【放送日:2026年2月28日(土)5:35 -6:15・NHK-BS】

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天橋立とは何か?──砂がつくった奇跡の地形

天橋立は、日本三景のひとつとして知られる。股のぞきで天地が景色の逆転すると”昇り龍のように見える”といわれる。松並木が続く、まっすぐな砂の道。けれど、この風景は偶然できたわけではない。

天橋立は「陸繋砂州(りくけいさす)」と呼ばれる地形だ。宮津湾の沿岸を流れる潮流が、長い時間をかけて砂を運び、やがて一本の砂の帯をつくった。長さはおよそ3.6キロ。幅は場所によってはわずか数十メートル。海と海を分ける、細い背骨のような存在だ。

その内側に広がるのが阿蘇海。外海と細い水路でつながる潟湖(ラグーン)である。潟湖は穏やかだ。波は静まり、魚介が育つ。古くから漁業の場となってきた。だが同時に、閉鎖性が高いという特性も持つ。水の循環が限られるため、環境の変化に敏感だ。

つまり天橋立は、ただ美しいだけの風景ではない。砂がつくった“境界”であり、海を二つに分ける“構造”でもある。松林の足元で、いまも砂は少しずつ動いている。風と波と時間が、この景色を支えている。奇跡の風景とは、固定されたものではない。保たれているものだ。

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昭和56年の天橋立──新日本紀行が見つめた暮らし

昭和56年。まだスマートフォンもなく、観光写真はその場で撮ってもらうものだった。天橋立の展望台では、観光客を相手に写真業者が奔走していた。股のぞきの瞬間を逃さず、記念の一枚を手渡す。風景は“持ち帰るもの”だった。その頃の天橋立は、いまよりもずっと静かだったのかもしれない。

松並木の向こうには、阿蘇海に生きる漁民の暮らしがあった。穏やかな内海で、魚や貝を獲る日常。観光と漁業は、同じ風景の中に自然に重なっていた。

番組は、与謝蕪村の足跡にも触れていた。風景を詠み、描き、言葉にとどめようとした人のまなざし。昭和56年の天橋立は、“名所”であると同時に、“暮らしの場所”でもあった。

いま振り返ると、そこにはある種の均衡があったようにも見える。観光は観光として、漁業は漁業として、それぞれの時間が流れていた。

だが、40年という時間は、風景の表面だけでなく、その内側にも変化をもたらす。あのときカメラに収められた日常は、いま、どのように変わっているのだろうか?

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宮津に暮らす人から見た観光地

いまの天橋立は、にぎやかだ。週末や観光シーズンには、展望台や松並木に人の波ができる。聞こえてくる言葉も、日本語だけではない。かつては修学旅行生や国内観光客が中心だった景色が、いまは世界へと開かれている。

観光は、地域にとって大切な産業だ。宿や飲食店、交通、土産物店。多くの人の生活を支えている。一方で、暮らしの時間もそこにある。

通勤の道。買い物に向かう道。子どもたちが自転車で通る道。観光地であることと、生活の場であることは、同じ空間の中に重なっている。写真を撮る人と、その横を通り過ぎる地元の人。にぎわいは誇りでもあり、ときに戸惑いでもある。

観光客が増えたことで、町は活気づいた。だが同時に、交通やゴミ、静けさの変化と向き合うことにもなった。それでも、多くの人は知っている。この景色は、砂がつくった“動き続ける地形”の上にあるということを。

天橋立は観光地である前に、自然の構造の上に立つ場所だ。そしてその内側には、阿蘇海というもう一つの時間が流れている。観光のにぎわいの足元で、海はどのように変わってきたのか? 40年という時間は、風景だけでなく、海にも影を落とす。

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ゆらぐ阿蘇海──痩せる海と若き漁師の挑戦

天橋立の西側に広がる阿蘇海は、穏やかな内海だ。外海と細い水路でつながる潟湖。波は静かだが、水の循環は限られている。その特性が、かつては豊かな漁場を育てた。だが同時に、環境変化に弱いという側面も持つ。

近年、阿蘇海では水質の変化や資源の減少が指摘されている。水揚げは減り、海の手応えが変わったという声もある。風景は同じでも、海の中は同じではない。そんな現実の中で、漁場の再生に取り組む若い漁師がいる。

28歳の村上純矢さん。彼はハマグリの資源管理に着手した。獲るだけでなく、守る。目先の収穫だけでなく、次の世代へつなぐ。内海は、閉じた世界だ。だからこそ、少しの変化が大きく響く。

観光客が増えること自体が直接の原因とは限らない。だが、陸の変化はやがて海に届く。生活排水、開発、気候の変動。どれも単独ではなく、重なり合う。

阿蘇海は「痩せた」と言われる。けれど、まだ終わったわけではない。海は動いている。人も動いている。村上さんの挑戦は、失われたものを嘆くのではなく、戻せるものを探す営みだ。砂がつないだ約束は、海と人との約束でもある。それは、欲の話ではなく、持続の話だ。

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砂がつないだ約束は続くのか?──40年後の問い

昭和56年の映像に映っていた天橋立は、観光と暮らしが自然に重なり合う風景だった。あれから40年余り。景色は変わらないように見える。松は立ち、砂州は続き、股のぞきの人々は笑っている。だが、その内側の海は揺れている。

阿蘇海は、閉じた海だ。変化はゆっくりと、しかし確実に積み重なる。若い漁師は、守るという選択をした。獲る前に、考える。いまより先を想像する。

観光は悪ではない。漁業も、生活も、必要だ。問題は、どこまでを受け入れ、どこで立ち止まるのかという“設計”だ。砂がつくった天橋立は、波と潮のバランスの上に立っている。少しずつ動き続けながら、奇跡の形を保っている。

人の営みも、同じかもしれない。欲と誇り。経済と自然。にぎわいと静けさ。その均衡をどう保つのか。40年後の私たちは、いまをどう振り返るのだろう。砂がつないだ約束は、風景と海だけでなく、人と人のあいだにもある。それを続けるかどうかは、奇跡ではなく、選択だ。

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